上 下
148 / 154
番外編 父王の遺言

しおりを挟む
 
 凍宮に戻ってから三か月が経った頃。
 
 父王陛下が崩御されましたと、王都から早馬がやってきた。
 私は凍宮を動かなかった。廃嫡された私が葬儀に加わることでいらぬ混乱や詮索を招き、静謐な時間は消え去ってしまうだろう。それだけは、何としても避けたかった。ヴァンテルが直ちに私の弔意をもって王宮に向かう。王の葬儀や全ての儀礼が済むまでには時間がかかる。私は訃報がもたらされた日から喪の黒を身にまとった。

 本葬の日には王都の方角にある側塔に登った。細い螺旋らせん階段を踏みしめて扉を開ければ、広大な地を見渡すことができる。北の地に訪れた春は息を呑むほど美しいのに、鈍色にびいろの空に重い雲が垂れこめていた。空も地上の王の死を嘆いているのだろうか。フロイデンの方角に目を向けると、大地が果てもなく広がっていく。その中にうねるように続く細い道があり、遥か先には輝く花の都フロイデンがあるのだ。

 頬に当たる強い風を受けながら、父を想う。

 幼い頃の記憶を辿ろうとしても、たくさんのものは浮かばない。幼い頃に小宮殿に移された私には、父との思い出らしい思い出がなかった。

 ふと、白い手を繋いだ思い出がよぎる。あれは、いつのことだっただろう。



 ヴァンテルの訪れがなくなり、唯一人で日々を過ごしていた頃。
 小宮殿の小道の先に人影を見つけて、夢中で走り寄ったことがあった。見つけたのは、求めていた人の姿ではなかった。

「……クリス、じゃない。だれ?」

 ほっそりした体に柔らかな微笑みを浮かべて、その人は立っていた。豪奢なマントを身に着けてはいても、頭上に王冠はない。あまりに久しぶりに会ったので、自分の父だとは気が付かなかった。

「大きくなったな、アルベルト。なるほど、其方は私とよく似ている」

 父はしゃがみこんで、私と目線を合わせた。銀に近い金の髪も明るい空の瞳も、自分と同じ色だった。じっと覗き込めば、頭を優しく撫でられた。

「其方の父だ、アルベルト」
「……父上?」

 私は父の姿を上から下まで、じろじろと見た。きっと、疑うような視線を向けていたと思う。周りに乳母や従者がいたら、たちまち咎められたことだろう。だが、小宮殿の花咲く庭には、父と私の他には誰もいなかった。

「……父上はお忙しくて、ぼくのところまでは来られないんだ」
「ああ、そうだな。だから、其方に忘れられてしまっても仕方がない。全く、不肖の父だ」

 父は眉を下げて困ったように笑った。男性なのに、まるで庭の薔薇がひっそりと花開くように美しい。

「小宮殿の暮らしに不自由はないか。欲しいものがあれば、何でも言うがいい」

 私は首を振った。欲しいものなど思い浮かばなかった。望むものはたった一つだけ。だが、彼が来られないことはわかっている。宝物の手紙は何度も何度も読んだ。時折開いては、またそっと大切な箱の中にしまい込む。

「何もないよ。……あのね、会いたい人はいるんだけど、たくさん学ばなければならないから来られないんだって」
「来られない? ここを訪ねる者がいるのか?」
「ううん。前は来てくれたけど、今は来ない……」

 うつむいた私に気が付いた父は、慰めるようにもう一度頭を撫でた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

【完結】奇跡の子とその愛の行方

紙志木
BL
キリトには2つの異能があった。傷を癒す力と、夢見の力。養親を亡くしたキリトは夢に導かれて旅に出る。旅の途中で魔狼に襲われこれまでかと覚悟した時、現れたのは美丈夫な傭兵だった。 スパダリ攻め・黒目黒髪華奢受け。 きわどいシーンはタイトルに※を付けています。 2024.3.30 完結しました。 ---------- 本編+書き下ろし後日談2話をKindleにて配信開始しました。 https://amzn.asia/d/8o6UoYH 書き下ろし ・マッサージ(約4984文字) ・張り型(約3298文字) ----------

孤独な王弟は初めての愛を救済の聖者に注がれる

葉月めいこ
BL
ラーズヘルム王国の王弟リューウェイクは親兄弟から放任され、自らの力で第三騎士団の副団長まで上り詰めた。 王家や城の中枢から軽んじられながらも、騎士や国の民と信頼を築きながら日々を過ごしている。 国王は在位11年目を迎える前に、自身の治世が加護者である女神に護られていると安心を得るため、古くから伝承のある聖女を求め、異世界からの召喚を決行した。 異世界人の召喚をずっと反対していたリューウェイクは遠征に出たあと伝令が届き、慌てて帰還するが時すでに遅く召喚が終わっていた。 召喚陣の上に現れたのは男女――兄妹2人だった。 皆、女性を聖女と崇め男性を蔑ろに扱うが、リューウェイクは女神が二人を選んだことに意味があると、聖者である雪兎を手厚く歓迎する。 威風堂々とした雪兎は為政者の風格があるものの、根っこの部分は好奇心旺盛で世話焼きでもあり、不遇なリューウェイクを気にかけいたわってくれる。 なぜ今回の召喚されし者が二人だったのか、その理由を知ったリューウェイクは苦悩の選択に迫られる。 召喚されたスパダリ×生真面目な不憫男前 全38話 こちらは個人サイトにも掲載されています。

処理中です...