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17.本能
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「……毒か? 命なら、どうせそんなに長くはもたないのに」
私の体からは、すっかり力が抜けていた。確かに苦しくはない。話すことも出来るが、体に力が入らない。ぐったりとした体が、トベルクの腕の中に抱え込まれる。
「残念ながら待てないのですよ。貴方が生きておいでだと、次の王太子が決まりません」
「王太子? 王太子なら、……まだわずかに」
王族男子はわずかだが、いないわけではない。その中から据えればいいだけだろう。
「そうです。わずかな男子の中で最も王位にふさわしい方が、うんと仰らないのです。貴方がいらっしゃるから」
私の中に、はっと閃くものがあった。
「まさか……」
「ええ。貴方は察しが良くていらっしゃる。私はあの方にこそ、国王になっていただきたいのですよ。今なら何の問題もなく王冠が転げ込むと言うのに。貴方をさしおいて御自分が王位に就くのは嫌だと、渋ったままだ」
「……私はこれからレーフェルトに行く。今なら誰にも知られずに戻れる」
トベルクの胸の中から、何とか抜け出したかった。身を捩ろうとしても、体は思うようにならず、逆に引き寄せられる。
「それは、あまりお勧めできません。殿下が凍宮においでになれば、貴方をこよなく大事にお思いの筆頭殿も、ご一緒に行かれることでしょう。私は、この国の行く末を大事に思っておりましてね」
トベルクはにこやかに微笑んだ。だが、口の端は上がっていても、瞳は少しも笑ってはいなかった。トベルクは、私の髪を梳くようにゆっくりと撫でた。
「アルベルト殿下、ご存知ですか? 筆頭殿は婚約なさっておいでです」
ライエンが以前言っていた。忘れられるはずもない。
「シャル……ロッテと」
「そうです。貴方が追放されて、暫くしてからのことです。筆頭殿も王家に繋がる御血筋だ。王位継承者は一人でも多い方が、国の安定に繋がります」
「……でも、でも、クリスは……私と」
「ええ、存じていますよ。公爵閣下は、こよなく貴方を大切に思っておいでだ。全く王族の血筋とは呪わしい」
トベルクは、ひどく冷たい瞳で私を見た。
「公爵閣下は、確かに殿下を大切に思っておいででしょう。莫大な金をかけて凍宮を修繕させ、今もこうして居室に匿っている。ですが、考えてご覧なさい。貴方と閣下が凍宮に行かれた後はどうなります? ロサーナは国を導く優秀な人材を失い、さらには王位継承者も失くします。そして、先の短い貴方が亡くなられた後、閣下には何も残らない」
トベルクの言葉は、心を突き刺した。
……考えなかったわけではない。何度も何度も考えてきたことだった。
「貴方のお命の時間が、予定よりも少し短くなるだけです。それだけで、ロサーナも、ノーエ侯爵令嬢も、筆頭殿も。皆が幸せになれると思いませんか?」
「……其方の求める国王も無事に立つと、そう言いたいのか」
「仰る通りです」
トベルクは、満足そうに微笑んだ。
「断る」
はっきりと、声が出た。
トベルクの目が細くなり、怒気が立ち上る。私は、気圧されないように、必死で声を振り絞った。
「……幸せは、他人が決めるものじゃない。クリストフ・ヴァンテルの幸せは、クリス自身が決める。私の命も、無駄にするつもりはない。神がお決めになった終わりの日までは、大切に生きる」
「……しばらくお見かけしない間に、ずいぶん強くおなりだ。あの弱々しかった方が」
トベルクは、私の手首を強く握った。
「こんな細い腕で、父君や兄君の保護なしでは生きて来られなかった方が、よくもそんなことを。まあ、強気でいられるのも今日までです。殿下、面白いことをお教えしましょう」
貴方が生き長らえてきた理由を。
トベルクが手招くと、先ほどの茶を持ってきた侍従が一冊の本を差し出した。
背表紙が擦り切れ、表紙の題名も擦り切れていて読めない。ずいぶん古いもののようで、ぼろぼろだった。
「どうぞ、ご覧ください。まだ、目は見えているでしょう?」
抱きかかえられるようにして、目の前に本が広げられる。
「……蜂?」
私の体からは、すっかり力が抜けていた。確かに苦しくはない。話すことも出来るが、体に力が入らない。ぐったりとした体が、トベルクの腕の中に抱え込まれる。
「残念ながら待てないのですよ。貴方が生きておいでだと、次の王太子が決まりません」
「王太子? 王太子なら、……まだわずかに」
王族男子はわずかだが、いないわけではない。その中から据えればいいだけだろう。
「そうです。わずかな男子の中で最も王位にふさわしい方が、うんと仰らないのです。貴方がいらっしゃるから」
私の中に、はっと閃くものがあった。
「まさか……」
「ええ。貴方は察しが良くていらっしゃる。私はあの方にこそ、国王になっていただきたいのですよ。今なら何の問題もなく王冠が転げ込むと言うのに。貴方をさしおいて御自分が王位に就くのは嫌だと、渋ったままだ」
「……私はこれからレーフェルトに行く。今なら誰にも知られずに戻れる」
トベルクの胸の中から、何とか抜け出したかった。身を捩ろうとしても、体は思うようにならず、逆に引き寄せられる。
「それは、あまりお勧めできません。殿下が凍宮においでになれば、貴方をこよなく大事にお思いの筆頭殿も、ご一緒に行かれることでしょう。私は、この国の行く末を大事に思っておりましてね」
トベルクはにこやかに微笑んだ。だが、口の端は上がっていても、瞳は少しも笑ってはいなかった。トベルクは、私の髪を梳くようにゆっくりと撫でた。
「アルベルト殿下、ご存知ですか? 筆頭殿は婚約なさっておいでです」
ライエンが以前言っていた。忘れられるはずもない。
「シャル……ロッテと」
「そうです。貴方が追放されて、暫くしてからのことです。筆頭殿も王家に繋がる御血筋だ。王位継承者は一人でも多い方が、国の安定に繋がります」
「……でも、でも、クリスは……私と」
「ええ、存じていますよ。公爵閣下は、こよなく貴方を大切に思っておいでだ。全く王族の血筋とは呪わしい」
トベルクは、ひどく冷たい瞳で私を見た。
「公爵閣下は、確かに殿下を大切に思っておいででしょう。莫大な金をかけて凍宮を修繕させ、今もこうして居室に匿っている。ですが、考えてご覧なさい。貴方と閣下が凍宮に行かれた後はどうなります? ロサーナは国を導く優秀な人材を失い、さらには王位継承者も失くします。そして、先の短い貴方が亡くなられた後、閣下には何も残らない」
トベルクの言葉は、心を突き刺した。
……考えなかったわけではない。何度も何度も考えてきたことだった。
「貴方のお命の時間が、予定よりも少し短くなるだけです。それだけで、ロサーナも、ノーエ侯爵令嬢も、筆頭殿も。皆が幸せになれると思いませんか?」
「……其方の求める国王も無事に立つと、そう言いたいのか」
「仰る通りです」
トベルクは、満足そうに微笑んだ。
「断る」
はっきりと、声が出た。
トベルクの目が細くなり、怒気が立ち上る。私は、気圧されないように、必死で声を振り絞った。
「……幸せは、他人が決めるものじゃない。クリストフ・ヴァンテルの幸せは、クリス自身が決める。私の命も、無駄にするつもりはない。神がお決めになった終わりの日までは、大切に生きる」
「……しばらくお見かけしない間に、ずいぶん強くおなりだ。あの弱々しかった方が」
トベルクは、私の手首を強く握った。
「こんな細い腕で、父君や兄君の保護なしでは生きて来られなかった方が、よくもそんなことを。まあ、強気でいられるのも今日までです。殿下、面白いことをお教えしましょう」
貴方が生き長らえてきた理由を。
トベルクが手招くと、先ほどの茶を持ってきた侍従が一冊の本を差し出した。
背表紙が擦り切れ、表紙の題名も擦り切れていて読めない。ずいぶん古いもののようで、ぼろぼろだった。
「どうぞ、ご覧ください。まだ、目は見えているでしょう?」
抱きかかえられるようにして、目の前に本が広げられる。
「……蜂?」
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