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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮

夜明けの空の下 5

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 リノたちの竜車を追った俺は、港の通りの人混みに驚いた。
 単純に通行人が多いだけなら、隙間を縫うように走ることもできただろう。だが、群衆は逃げ惑っているため、とてもじゃないがそんな真似はできない。
 俺は倉庫街の屋根に目を向けた。

(オゥバァの真似をしてみるか……)

 船の積み荷らしき木箱の山を足場にして、倉庫の屋根に軽快に上る。
 倉庫の屋根は一般的な一階建てよりも高く、港が一望できた。

「あれは……」

 通りに放置された竜車を見つけた。
 リノ達が利用していたものだ。積み荷はそのままだが、リノたちも走竜もいない。

「思ったより……出遅れたみたいだな……」

 腹部を撫でる。
 リノにパンチされた場所だ。

「どうして怒ったのかわからないが……だが……俺は今――」

 リノに対して、怒りを覚えていた。
 この状況がどれほど危険なものか、俺の傷を見てここに潜む敵がどれほど危険か、あの聡明なリノがわからないはずがない。
 オゥバァやセーレアは頼りになるが、だからといって安全の保証などどこにもないのだ。

「どうして……っ」

 リノがなぜあんな真似をしたのかわからないが、初めてリノを叱るべきだと思った。

 屋根から屋根に移動することで、あっという間に堤防の上にまで到着した。
 船が炎上しているのだから、てっきり人はいないかと思ったが……。

(思った以上に人影が多いな……)

 それにほとんどの者は逃げ遅れたという感じでもない。怪しい奴が多すぎて、誰がこの大火災に関係しているか、ぱっと見ただけではわからない。

 怪しいというなら、火事場泥棒をしている連中なんかも十分過ぎるくらいだろう。俺が衛兵ならとっ捕まえている。
 中には、商人らしき者が屈強な部下たちに命じて、火事場泥棒を捕まえろ! と叫んだりしている。
 爆発して飛散した積み荷が海に浮かんでいる。それを取ろうと泳いでいる者たちもいる。持ち主かどうかはわからないが。

(商魂逞しいというか……それとも、それだけ他の大陸からの積み荷とやらは貴重ってことか……)

 まあ、そんなことより、と気分を変えて、リノたちを捜す。
 幸い子供は少ないので、すぐに見つかりそうだ。

 ――いた!

 驚いたことに、リノたちは、炎上する船のうちの一隻で戦いを繰り広げていた。
 マストは燃え、リノたちのいる甲板の一部にも火が移っている。

(おいおい……! もし爆発したらどうするんだよ!)

「リノちゃん! 下がって!」

 オゥバァがいつになく余裕のない表情で叫んでいる。甲板にいる女三人は黒ずくめと対峙していた。
 黒ずくめの方は、燃えているマストの見張り台に立っている。
 火の粉を浴びているにも関わらず、熱そうな様子はない。おそらく黒い布自体に、防御魔法はかけているだろうが、それでもまったく熱くないわけがない。なんで余裕なんだ?

「そいつ――〈上位職〉よ!」

 何!?

 オゥバァの続いて放ったセリフに俺は驚く。
 魔法を放とうとしていたセーレアも動きを止めた。たぶんセーレアは周囲の炎を消して、安全を少しでも確保しようとしたのだろう。だが、よそを向いていた杖の切っ先を、マスト上の黒ずくめに向けた。

 俺の不完全な〈ステータス表示オープン〉では、詳細はわからなかったが、〈上位職〉同族殺人鬼シリアルキラーという見慣れない表記だけで十分だった。

 〈上位職〉! オゥバァと同格か!

 シノビノサト村にも滅多にいない『職の位階』の存在だ。

 黒ずくめはマストから飛び降り、オゥバァに上空から襲いかかった。

 オゥバァの風の刃が、落下中の黒ずくめの全身を切り刻んだ。そして着地した瞬間の一瞬の硬直をついて、オゥバァの剣が黒ずくめの腹部を刺し貫いた。

(……やったか!?)

 さすがオゥバァだ。
 そう口にしようとした瞬間、オゥバァが口から血を吐いた。

 よく見れば、オゥバァの腹部を、手刀が貫通していた。
 大きな傷だ。
 下手すれば即死、いや、オゥバァほどの奴でなければ間違いなく死んでいただろう。

 すでに〈水の小神〉の加護を使用していたセーレアは、通常なら癒せないようなオゥバァの傷を癒やした。

 オゥバァは相手から距離を取り、風の魔法で牽制している。痛みに顔をしかめていた。完治しなかったのだろう。

 対して、黒い覆面が取れた相手の表情は、何も浮かんではいない。まるで夢でも見ているかのように、覇気のない表情をしていた。瞳に力はなく、唇の端から涎を垂らしている。およそ強者という雰囲気はしない。
 そんな力の抜けた様子なのに、オゥバァと互角。

「気味悪いわね、コイツ!」

 セーレアが水系統の魔法で攻撃する。水の礫が飛ぶ。だが、飛距離も短いし、狙いは甘い。それでも牽制程度にはなった。

 その隙にリノが、どこで拾ったのか血濡れた短剣を持っていた。

「私は……足手まといなんかじゃ――ないっ!」

 リノが低く走り込んで、黒ずくめの腹部を斬る。
 身長の低い子供が腰を落として斬りつければ、相手は避けらづらいと、俺が護身術として教えたものだ。

 黒ずくめはオゥバァの攻撃を散々食らっていた。ついでにいえば、あちこち火傷を負っていた。動いているのが不思議なほどだ。
 だが、まるで夢見ているかのような緩んだ顔のまま、奴はリノに手刀を走らせた。

「リノ!」

 俺は影走りで、リノの影に転移する。そして敵の〈手刀〉を〈手刀〉で受けた。

 ギィンという金属同士がぶつかるような音がした。
 〈手刀〉のスキル同士がぶつかるとこのような音がするのだ。シノビノサト村では聞き慣れた音だった。

「こいつ、やっぱりシノビ……――ぐわっ!」

 敵は〈手刀〉だけで止まらず、蹴りとのコンビネーションを放ってきた。あげくにこちらが近距離から外れ、中距離くらいになった時点で〈手刀〉を衝撃波による攻撃に切り替えてきた。

(この……流れ……この動きは……!?)

 村での訓練で学ぶものに類似していた。いや、そのままといっていい。
 だからこそ、次の一手が読めた。 
 認めたくないからこそ、後手に回っていたが……こいつは村のシノビと同じ訓練を受けた存在。そう理解したなら次の行動もわかる。

 前方からの連続攻撃に気を取られている相手の背後に〈影走り〉で転移!

 予想通り、奴は俺の影に向かって転移してきた。
 そこを振り向きざま、胴体を薙ぎ払う。それも〈最上位職〉としての全力で。

 先程の〈手刀〉同士のぶつかるギィン! という音が響いたが、続いてバキン! というへし折れるような音がして、奴の手首が折れていた。
 そのまま胴体を深々と薙いだ。

 やった……か!?

「油断しちゃダメ! フウマ!」

 リノが叫ぶ。

「たぶん痛みを感じてないよ! たぶん死ぬのも怖くないんだと思う!」

 そうか――!

 妙な動き、余裕のあるような態度……そしてこの表情。
 どうして気づくのに遅れたのか。リノのことでよっぽど焦っていたのだろう。

「こいつも〈過去見幻草〉の中毒症状を……!」

 幻覚状態にあるなら、痛みを感じないのもわかる。

 俺は、片手が折れ、胴体に穴が空いても襲ってくる敵を、今度は首を落とすことで仕留めた。
 あの苔の化け物の例もある。首だけになった後も油断はしなかった。じっと見下ろす。

 ……どうやら、今度はちゃんと死んだようだな。

 悲しみも何も浮かばない。たぶん、化け物のようになってしまっていたからだろう。

「〈上位職〉同族殺人鬼シリアルキラーか……いったいなんなんだ……」

 目の前の相手が、その職業であることはわかった。だが、それがどういった職業なのか、どのようにその『職の位階』に至ったのか謎だった。

「フウマぁ!」

 声に振り向くと、リノが俺を見上げていた。
 微笑んでいる。

「役に立った?」

「…………」

 俺はぺちんとリノの頬を軽くぶった。蚊さえも殺せないような威力だった。

 けどリノは目をまん丸にして驚いた。
 駆けつけてきたセーレアとオゥバァも、信じられないものでも見たかのように驚いている。

「危ないことをしちゃダメだ。……上手く言えないけど、さっきのリノの判断は間違ってると思う」

 俺はセーレアとオゥバァに顔を向けた。
 リノも振り向いた。

 セーレアは〈水の小神〉の加護を必要とするような強力な魔法を何度も使ったのだろう、汗だくになっている。魔力が切れそうになっているらしく、少しふらついていた。
 オゥバァに至っては、あの〈上位職〉の一撃によって、自らの血の跡がくっきりと残っていた。

 全員無事だったのは、俺が偶然駆けつけられたからに過ぎない。ただ運が良かっただけなのだ。

「叩いたのは悪かったと思う。けど……リノ」

 叱ろう。
 叱らなきゃダメだ。
 そう思っていたのに、俺は気づけばしゃがみ込んでリノを抱きしめていた。

「良かった……無事で……!」

 泣き声で告げると、リノがしゃくりを上げて泣き出した。

「ごめ……ごめんなさい……っ」

 俺とリノが抱き合っていると、「やれやれ……」という声が聞こえてきた。オゥバァかセーレアかどっちの声か判断できないほど小さな声だった。それだけ気を遣ってくれたのだろう。
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