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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮
夜明けの空の下
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『天涯』に繋がる滝の裏の小道を抜けた俺は、水産都市エレフィンの方角を見て驚いた。
西の空が赤い。
一瞬、夕方かと思ったが、俺の体内時計は正確だ。深夜に『天涯』に潜り、最奥に辿り着くまでの所要時間は約二時間。仮に苔の化け物――ナラクの幻術で時間の感覚が狂い数時間経っていたとしても、夕方になるには早すぎる。
西にあるのは港。他の大陸と貿易するための広大な港湾施設と何十隻もの船があった。
燃えているのは、どうやらその船のようだ。それも一隻や二隻が不審火で出火したという感じではない。
海上から赤々と火の手が上がり、まだ薄暗い夜明けの空を染め上げているのだ。
まるで西と東の地平線に、それぞれ昇り始めた太陽があるかのようだった。
その二つの光に照らされた水産都市エレフィンは、明け方とは思えないほど騒がしい。離れた場所にいる俺にまで聞こえてくる。
一方、すぐそばの難民キャンプはいやに静かだ。ほとんど人の気配がない。見かけるのは立ち上がる気力もなさそうな疲れ切った難民だけ。動けそうな者たちの姿はなかった。
胸騒ぎを感じた俺は、水産都市エレフィンに向かって駆け出した。
街に入ると、なぜか水産都市エレフィンを守る役目の衛兵たちと、難民たちが互いに武器を構えて睨み合っていた。
そして両陣営の間で、声を張り上げて叫ぶ一人の女。
「やめるんだ、皆! もうすぐ『天涯』は攻略される! だから早まるんじゃない――」
難民たちに訴えかける女は、上着を切り裂かれ、胸の辺りに血を滲ませている。
その女――ラインハルトは、両手を広げて両陣営の間で立ち塞がっていた。
衛兵たちはすでに剣を抜いていた。難民たちもどこから持ち出したのか剣を持っている。
素手なのはラインハルトだけだ。
難民たちに必死に呼びかけていた彼女は、今度は衛兵たちの方を振り向いた。腰の剣を抜くことなく。
「頼む! 衛兵諸君! 君達の怒りも、難民に向ける疑惑もわかる! だが、あの大火災は我らが行ったものではない! 信じてくれ!」
駄目だ。
俺はとっさに、現状を見て取った。
どちらの陣営も激しく殺気立っている。武器を下ろす者が一人もいないことからも明らかだ。
無論、ラインハルトだってそんなことわかっているはずだ。
そんな両陣営に挟まれて、多数の男たちから刃を向けられているのだ。怖くないはずがない。
それでも彼女は叫んだ。
「フウマが……! 凄いシノビが『天涯』を攻略してくれるって約束したんだ!」
両陣営から聞くに堪えない罵詈雑言がラインハルトにぶつけられる。フウマなど知らない、そんな奴信じられるかと。
普通なら怯え、意気消沈し、逃げ出してもおかしくないほど酷い罵倒だった。
言葉以上に、暴徒と化した難民たちと、殺気立つ衛兵たちの視線は、ラインハルトの心を傷つけているだろう。
真っ青になったラインハルトが、口に血と涙を滲ませて、何かを叫ぼうとした時、
「――そこまでだ」
俺はラインハルトの影に〈影走り〉で移動した。
急に動いたためナラクとの戦いで負傷した右瞼の傷が開き、視界が半分塞がった。
左目だけで、両者を睥睨する。
「貴殿は――!」
ラインハルトが一瞬、俺を見て喜びの声を上げようとしたが、俺の傷を見て絶句する。
「……その傷……大丈夫なのか? ……それに『天涯』の攻略は……?」
先に俺の心配をしたことに苦笑する。本当なら真っ先に『天涯』について聞きたいだろうに。
俺がかすかに笑ったのを見て、ラインハルトは何を思ったのか頷いた。
「リリィ殿からいかに貴殿が凄いか聞いた。彼女は無事だ。……何でも他の大陸との交易を監視する知り合いがいるとかで、この騒動を収めるためにその者に助力を請いに行ったんだ」
「そうか……」
俺は、突如人垣の中央に現れた俺を見て唖然としている両陣営を見た。
人混みを掻き分けたわけでもなく、上空から落ちてきたのでもなく、まるでラインハルトの影から現れたように見えたので驚いたのだろう。
(多少の傷を負わせるのを覚悟で鎮圧するのは可能だが……)
西の赤い空を見つめる。
港では相当大きな騒ぎが起こっている。しかも厄介なことに、それ以外の場所でもここのような小競り合いが発生しているらしかった。
(できれば衛兵たちには、本来の職務に戻ってほしい)
衛兵たちは、どうやらこの大火災の原因を難民たちだと思い込んでいるようだが、俺にはそうは思えなかった。
ラインハルトは深夜まで難民たちの代表者たちと会談を続けていた。おそらく俺が接触した晩だけでなく、毎日のように。
そんな彼女が今回のような騒ぎを画策したとは思えないし、彼女を完全に抜きにして話を進めたとも考えにくい。
(……どうする?)
一触即発の空気の中、「フウマさん!」とリリィの声が聞こえた。
リリィがこっちに走ってくる。他にも男たちが何人かいた。
あれがラインハルトが言っていたリリィの知り合いだろうか?
西の空が赤い。
一瞬、夕方かと思ったが、俺の体内時計は正確だ。深夜に『天涯』に潜り、最奥に辿り着くまでの所要時間は約二時間。仮に苔の化け物――ナラクの幻術で時間の感覚が狂い数時間経っていたとしても、夕方になるには早すぎる。
西にあるのは港。他の大陸と貿易するための広大な港湾施設と何十隻もの船があった。
燃えているのは、どうやらその船のようだ。それも一隻や二隻が不審火で出火したという感じではない。
海上から赤々と火の手が上がり、まだ薄暗い夜明けの空を染め上げているのだ。
まるで西と東の地平線に、それぞれ昇り始めた太陽があるかのようだった。
その二つの光に照らされた水産都市エレフィンは、明け方とは思えないほど騒がしい。離れた場所にいる俺にまで聞こえてくる。
一方、すぐそばの難民キャンプはいやに静かだ。ほとんど人の気配がない。見かけるのは立ち上がる気力もなさそうな疲れ切った難民だけ。動けそうな者たちの姿はなかった。
胸騒ぎを感じた俺は、水産都市エレフィンに向かって駆け出した。
街に入ると、なぜか水産都市エレフィンを守る役目の衛兵たちと、難民たちが互いに武器を構えて睨み合っていた。
そして両陣営の間で、声を張り上げて叫ぶ一人の女。
「やめるんだ、皆! もうすぐ『天涯』は攻略される! だから早まるんじゃない――」
難民たちに訴えかける女は、上着を切り裂かれ、胸の辺りに血を滲ませている。
その女――ラインハルトは、両手を広げて両陣営の間で立ち塞がっていた。
衛兵たちはすでに剣を抜いていた。難民たちもどこから持ち出したのか剣を持っている。
素手なのはラインハルトだけだ。
難民たちに必死に呼びかけていた彼女は、今度は衛兵たちの方を振り向いた。腰の剣を抜くことなく。
「頼む! 衛兵諸君! 君達の怒りも、難民に向ける疑惑もわかる! だが、あの大火災は我らが行ったものではない! 信じてくれ!」
駄目だ。
俺はとっさに、現状を見て取った。
どちらの陣営も激しく殺気立っている。武器を下ろす者が一人もいないことからも明らかだ。
無論、ラインハルトだってそんなことわかっているはずだ。
そんな両陣営に挟まれて、多数の男たちから刃を向けられているのだ。怖くないはずがない。
それでも彼女は叫んだ。
「フウマが……! 凄いシノビが『天涯』を攻略してくれるって約束したんだ!」
両陣営から聞くに堪えない罵詈雑言がラインハルトにぶつけられる。フウマなど知らない、そんな奴信じられるかと。
普通なら怯え、意気消沈し、逃げ出してもおかしくないほど酷い罵倒だった。
言葉以上に、暴徒と化した難民たちと、殺気立つ衛兵たちの視線は、ラインハルトの心を傷つけているだろう。
真っ青になったラインハルトが、口に血と涙を滲ませて、何かを叫ぼうとした時、
「――そこまでだ」
俺はラインハルトの影に〈影走り〉で移動した。
急に動いたためナラクとの戦いで負傷した右瞼の傷が開き、視界が半分塞がった。
左目だけで、両者を睥睨する。
「貴殿は――!」
ラインハルトが一瞬、俺を見て喜びの声を上げようとしたが、俺の傷を見て絶句する。
「……その傷……大丈夫なのか? ……それに『天涯』の攻略は……?」
先に俺の心配をしたことに苦笑する。本当なら真っ先に『天涯』について聞きたいだろうに。
俺がかすかに笑ったのを見て、ラインハルトは何を思ったのか頷いた。
「リリィ殿からいかに貴殿が凄いか聞いた。彼女は無事だ。……何でも他の大陸との交易を監視する知り合いがいるとかで、この騒動を収めるためにその者に助力を請いに行ったんだ」
「そうか……」
俺は、突如人垣の中央に現れた俺を見て唖然としている両陣営を見た。
人混みを掻き分けたわけでもなく、上空から落ちてきたのでもなく、まるでラインハルトの影から現れたように見えたので驚いたのだろう。
(多少の傷を負わせるのを覚悟で鎮圧するのは可能だが……)
西の赤い空を見つめる。
港では相当大きな騒ぎが起こっている。しかも厄介なことに、それ以外の場所でもここのような小競り合いが発生しているらしかった。
(できれば衛兵たちには、本来の職務に戻ってほしい)
衛兵たちは、どうやらこの大火災の原因を難民たちだと思い込んでいるようだが、俺にはそうは思えなかった。
ラインハルトは深夜まで難民たちの代表者たちと会談を続けていた。おそらく俺が接触した晩だけでなく、毎日のように。
そんな彼女が今回のような騒ぎを画策したとは思えないし、彼女を完全に抜きにして話を進めたとも考えにくい。
(……どうする?)
一触即発の空気の中、「フウマさん!」とリリィの声が聞こえた。
リリィがこっちに走ってくる。他にも男たちが何人かいた。
あれがラインハルトが言っていたリリィの知り合いだろうか?
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