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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮

苔の化け物 2

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「強者の雰囲気があるな、この苔の化け物……」

 知性の欠片も感じられない様子なのに、妙な威圧感を感じる。上位竜に匹敵しそうなほどだ。
 『天涯』に入ろうとした時から感じていた嫌な気配は、この怪物のものだったらしい。

 ある程度距離を取った状態で、俺は苔の化け物に〈手刀〉の衝撃波を放った。
 第六感とでもいおうか。不用意に近づくのは危険だと直感したのだ。

「なっ……!?」

 驚いたことに、苔の化け物は〈手刀〉の衝撃波を予想していたかのように避けた。

 ――早い。
 猿のような動きだ。最奥にいくつもある水晶の柱を足場にして飛び跳ねる。
 そして、こちらの背後に回ろうとしてきた。

(……猿っていうより……)

 俺は背後を取られないように移動する。
 苔の化け物の動きを観察しているうちに違和感が増していく。知性がほとんど感じられず、動きが乱雑になっているが、確かに修練の跡が見えた。
 ただ、老いか病かその動きに無駄が多く、どこかで見たことのあるその動きの正体に確信が持てなかった。

 俺の背後に立つ水晶に音もなく着地した瞬間――

(……まさか……シノビか!?)

 内心、動揺した。
 だが、やることに変わりはない。

 俺は背後を取られたが慌てず、振り向きざま、心持ちゆっくりと〈手刀〉を放つ。
 わざと遅い〈手刀〉を放ったため、苔の化け物は回避してカウンターを狙おうとしてきた。
 だが、これは初歩的なフェイントだ。
 理由はわからないが、苔の化け物は〈手刀〉に反応してきた。なので今度は普通に蹴りだ。スキルではない。

「!」

 苔の化け物はしゃべれないのか、言葉にならない声を上げて避けようとした。
 だが、フェイントに気づくのが遅い。ただの蹴りでも相手の動きを一瞬止めるには十分。
 相手の腹に一撃入った瞬間、〈手刀〉を叩き込んだ。もちろん今度はフェントじゃない。

(弱い……)

 蹴りと〈手刀〉で苔の一部が剥げ、地肌のようなものが見える。人間の肌のようだ。本当にシノビの可能性が高い。

 苔の化け物は一般人では目で追うのも難しい速度で下がろうとする。熟練冒険者パーティーでも一撃入れるのは難儀な素早さだろう。

 けど……それだけだ。

(知能がなければフェイントに簡単に引っかかる。相手の技や罠を警戒しなくてもいい)

 この差は極めて大きい。

(ただ動きがちょっと速くて、変則的なだけの怪物程度なら楽勝だな)

 俺は苔の化け物に向かって、素早く踏み込んだ。
 その際、踏みしめた小さな白い花がいくつも舞う。
 苔の化け物にまた攻撃が決まり、苔が飛び散る。

(……なんであんな嫌な気配がしたんだろ?)  

 ふと疑問が湧いた。
 これならよほどオゥバァのが手強い。

 しばらく続いた戦闘の後。両手を切り落とした苔の怪物が、両膝をついた。肩口から赤い血が吹き出している。

「お前は何者だ? シノビなのか?」

 返事はない。
 言葉を発しなかったことや戦術が欠片もなかったところを見ると、知能はないのだろうか……。

(元シノビだと思うんだが……)

 おそらく抜け忍だろう。
 なんにせよ、理性を失って怪物に成り果ててしまった以上、とどめを刺すしかない。
 痛みくらいは感じているはずだ。さっさと倒してあげるべきだろう。

「これで、とどめだ」

 首を落とそうと近づいた俺は、初めて苔の化け物の目に知性の光をかすかに見た。
 奴は明らかにチャンスを狙って、技を放ってきた。それは知性のない化け物ではありえないことだった。

 相手は口からドラゴンのようにブレスを吐いてきた。

(火遁か……!?)

 白い煙のようなものを吐き出したので、炎を警戒したが、熱さも痛みもない。

(白い……霧……?)

 相手の意外な攻撃に心理的な衝撃を受けていた俺を、更なる衝撃が襲う。

「フ……ウマ……」

 初めて化け物が意味のある言葉を口にした。それも俺の名前を。いや、〈最上位職〉フウマのことか?

「フウマ……フウマ……フウマ……フウマフウマフウマ…………フウマァァアアア!!」

 忌々しそうに。嬉しそうに。待ち焦がれていたかのように。何度も何度も呼んだ。 
 化け物の狂気に満ちた様子に気を取られていたため、足元がふらつき始めるたのに気づくのが遅れた。

「……っ!」

 なんだ、これ!?

「足……ふら……ついて……まさか――」

 苔の化け物は、〈過去見幻草〉を牧草を食べる牛のごとく貪り食っていた。

(あの白い霧は〈過去見幻草〉の成分か!?)
 
 幼い頃、ジッチャンに修行の一環で幻覚をかけられたことを思い出した。その時にそっくりだ。気持ち悪さを突き抜けた先にある一種の心地よさ。これが危険なのだ。まるで肉体の重さも、心のたがも、何もかも失う感じ……。

「……フウマに……勝ったぞ」

 そう耳に響いた気がした。
 空耳だったのかどうか……それさえも、もうわからなかった。
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