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5章.Dies irae

湖の畔の村

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 幾つか山を越えた先、眼下に広がる湖が現れた。そのほとりに村があるようだ。ミカエルは煌めく水面をしばし眺め、そちらに向かうことにした。
 途中、集落のような所を通りがかる。
 井戸で洗濯している女性たちがおり、目が合うと、声をかけられた。

「あんた、旅人かい?」
「一人で旅してるの?」
「……まぁ」
「ここをずっと下っていくと村に出るんだけど、デビルが出たって騒ぎになってるらしいよ」
「こんな田舎じゃ、衛兵も来ないだろって話してたんだ」
「近づかないほうがいい」

 ミカエルは頷いて集落を後にした。
 もちろん、行かない手はない。一度家に戻って衛兵の服に着替え、湖の畔の村へ急いだ。
 付近にデビルの気配はない。
 時間が経ってどこかへ行ったのか、誰かに退治されたのか。とりあえず村の人間に聞いてみようと、手作り感溢れる小さな門から村に入った。さっそく通りがかった女性に声をかけてみる。

「すみません、デビルが出たって聞いたんだけど、」
「……ああ、教会に行くといい。そこの神父に聞いとくれ」
「教会はどっちですか」
「ああ、向こうだよ」

 女性はミカエルをジロジロ見て答えてくれた。
 静かな村だ。人通りはあまりない。衛兵の恰好をしているからか、すれ違う人の視線を感じる。

 ――あれか。

 その教会は古めかしく、あまり手入れが行き届いていないようだった。古い建物だから、そう感じるのかもしれない。黒っぽい灰色の石造りの建物で、作りもサイズ感も田舎によくある感じだ。
 ミカエルはゆったりと足を進ませ、閉じられていた木製の扉を開いた。
 通路の両側に並ぶ長椅子。正面脇のドアの向こうに人の気配がする。神父だろうか。

「すみません」

 ミカエルは声をかけ、通路に足を踏み出した。その瞬間、足許が光り輝き、見下ろせば浮かび上がる力術円りきじゅつえん。玄関マットのように敷かれた布の下に描かれていたのだろう。
 後ろに下がろうとしたが、身体が動かない。
 後ろの扉が大きく開かれ、たくさんの人の気配がした。

「かかった! かかったぞ!」
「縄持ってこい!」
「ミカエルを捕まえた!!」

 どういうことだ。
 問い質したくても口が開かず、驚きの声すら出ない。
 ミカエルはあれよと言う間に拘束されて、両側を男たちに支えられ、そのまま教会の奥に引っ張り込まれた。

「よし、括るぞ」

 いつの間にか大きな十字架が用意されている。どうやら、ミカエルをはりつけにするつもりらしい。

「……なんで…」

 ようやく少し、身体が動くようになってきた。

「神に捧げる」
「あなたは救世主となるのです」
「……ああ?」

 彼らは、いつかの狂信的な村の人たちと同じかもしれない。

「……デビルが…出たっ…てのは…」
「我々が流したデマだ」
 
 ミカエルは自分の迂闊さに鼻で笑ってしまった。
 デビルに襲われた人がいなくてよかった。そんな安堵が少し。少し前に異国で散々な目に遭ったが、今度は磔かと肩をすくめたい気分だ。

「俺を、殺すのか」
「神に捧げるのですよ」

 ――今度こそ死ぬかもな。

 ミカエルは他人事のように思い、小さく息を吐いた。
 ルシエルもどこかへ行ってしまって、命を懸けて守ってくれた腹の子には悪いが、力も使えそうにない。
 人々が立ち替わりミカエルのもとへ来て、頭の上に手を置いていく。ミカエルは彼らの身代わりとなって捧げられる生贄ということなのだろう。
 ミカエルを磔にした十字架が、主祭壇の前に立てられる。
 たくさんの人が床に膝をつき、手を組んで、磔になったミカエルの前で祈りを捧げていた。彼らを見下ろすミカエルは、妙な光景をぼんやり眺める。
 恐怖はなかった。
 世の中はいつも不条理だ。
 フードの男が脇の扉の向こうからやって来て、ミカエルの前で足を止めた。バラキエルが話していたのを思い出す。――メシアの会。彼はそのリーダーか。フードで顔が見えないが、怒りを向けられているのを感じる。ミカエルが、ミカエルとしての役目を積極的に果たそうとしてこなかったからだろうか。
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