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4章.Tractus

移遷

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 それからすぐにラファエルが森の家を訪ねてきた。当然のように来るので、ミカエルは片眉を上げる。

「場所、知ってたのか」
「当然です。どうです? 身体のほうは」
「……変化ねえよ」

 ラファエルはミカエルのエネルギァを感じて頷いた。

「まずは、そのようになった経緯を話してください。もちろん、他言しません」

 研究のためとラファエルは言った。
 彼を家に上げるのも妙な気がして、ミカエルは森の散歩に誘う。

「話すと長えんだけど」
「時間はあります」
「……へぇ」

 獣道のような小道を行きながら、ポツリポツリと話した。
 ラファエルには、アクレプンに連れていかれたところから説明しなくてはならない。

「そのようなことが。君が無事に戻ってよかったです」
「……そんで、そのヤグニエっつう皇子が――」

 木漏れ日のなかを歩いていると、ゆめの話をするように落ち着いて話せた。毎晩された様々な体験については省く。妙薬には関係ないからだ。

「では、君は条件を満たしてしまったんですね」
「まぁな。ヤグニエの言い方だと、前例が少ねえんだと思う。伝わってる通りにやればできるけど、そうしなかった場合にどうなるか、あんま知らねえようだった」

 小川まで来て足を止める。きらきら光る美しい水面を眺め、ささやかな水音に癒された。

「少し詳細に診たいので、どこかに座ってもらえませんか」
「見るって、」
「エネルギァを感じるだけです」

 ミカエルは近くの岩に腰を下ろした。ちょうど座れるくらいの小さなものだ。
 ラファエルが正面に膝を付き、服の上からミカエルの腹に手を当てる。いつも笑っているような目許なのでわかりにくいが、どうやら目を閉じているらしい。

 少しして、その手が下ろされた。

「その妙薬は、性的なエネルギァを使って身体を変えていくのかもしれません。ここに宿る子は、君と受け入れた者のエネルギァから成る」

 貼り付けられた微笑がミカエルを仰ぎ見る。

「君が受け入れたのは、例の皇子だけですか」
「……いや、」
「でしたら、その者のエネルギァももとになっていることでしょう」

 ミカエルは目を瞬く。

「誰か一人じゃねえのか?」
「この妙薬の場合、受け入れたものは全て素にしてしまうようです」

 であれば、これはミカエルとヤグニエとルシエルの子ということになる。

「今の段階では、よっぽど注意深く観察されなければ異変に気づかれることはないでしょう。このまま聖下にお会いしても大丈夫です」

 では行きましょうと手を差し伸べられ、ミカエルは驚いた。

「今から?」
「善は急げです。君の気が変わらぬうちに」
「待てよ。ルシに言ってくる」
「ここで待ってます」

 こうしてミカエルは、突如教皇領を訪れることになった。ちなみにルシエルは「いってらっしゃい」と言い、いつも通りの留守番である。

「ここが教皇領…」
「ええ」

 瞬間移動で出た先は、大きな白い門の前だった。ぐるりと白壁に囲まれた向こう側が教皇領だ。
 門番は敬礼して二人を通した。
 大通りの先に宮殿が見える。そこに教皇がいるのだろう。行き交う人々は修道士や衛兵、神父など、教会関係者が多い。
 青い空。建物はすべて白く、木々や花々が色を添えている。
 ここには洗練された建物しかなく、教会に尽くす人々しかいない。異世界にでも迷い込んだようだ。
 ラファエルは迷いなく宮殿に足を踏み入れる。ミカエルも続いた。
 中は少しひんやりしている。外は日差しが強いので心地良い。
 螺旋階段を上へ上へと向かう。

「教皇のところに行くんだよな?」
「そうですよ。謁見の間は下にあるんですけどね。向かっているのは、もう少しプライベートな部屋です」

 ラファエルがようやく足を止めたのは、立派な彫刻の施されたドアの前だった。衛兵がドアを開けてくれる。促され、室内に足を踏み入れた。
 思ったよりこじんまりとした部屋だ。
 奥の立派なソファに、煌びやかな服装の男が座っている。白髪で、偉そうな態度だ。

「お連れしました。ミカエルです」

 視線を受け、お辞儀する。

「近ぅ寄れ」

 ミカエルはかすかに首を傾げて、教皇のもとへ歩み寄った。
 上から下までジロジロ見られる。

「そなたがミカエルか」
「……はい」
「フンッ。噂の通り、ブランリスの王族のような髪をしておる」

 教皇はふんぞり返って言った。

「まぁ良い。ここへ来たということは、ようやく己の存在について自覚したのであろう」

 ミカエルはそこに佇んだまま沈黙を選ぶ。
 教皇は鼻で笑った。

「我が息子は、教会を裏切ったバラキエルという男が許せんのだ。そなたが教会に尽くすのであれば、余から話をしてやっても良い。戦を止めるようにとな。おお、聖学校脱出の件も不問にしよう。若気の至りだ。そうであろう?」

 覚悟は決めてきた。しかしいざ面と向かって言われると、ミカエルの唇は上下がくっついてしまったかのように動こうとしなかった。

 ――教会に尽くしたいなんて思ってない。

 とはいえ、穏便に丸く収めるには、ここで肯定するのが一番であるとわかっていた。
 わかっている。
 わかっているが、心に嘘をつくのがあまりに苦しい。こんな思いをするのは、アクレプンでの体験が最初で最後だと思いたかった。

「どうなのだ」

 身に宿った命を護るためだ。ミカエルは己をなんとか納得させて、ようやく唇をかすかに開く。

「……はい」

 たった一言。
 その一言で、心が砕け散ったように感じた。

「国に話はつけてあるのか」
「……これからです」
「晴れて衛兵の制服を纏うようになった暁には、辺境伯領での戦も終結しよう」

 ミカエルは無になりそうな頭をなんとか動かし、言葉を紡ぐ。

「これまで通り、デビル退治をやらせてください。戦には、関わりません」
「ふむ。まぁ良かろう。式典では、余の身辺警護も担当せよ」

 なんとか頷いた。

「暗いのぉ。もっと覇気があるように聞いておったが?」
「彼は任務続きで、少々つかれているようです」

 教皇の手がミカエルに伸びそうになったとき、後ろに控えていたらしいラファエルが言った。

「そうか。ブランリスは人使いが荒いようだな」
「ルシフェルも、共に行動したいです」

 ミカエルが思い出して言うと、教皇は首を傾げた。

「ルシフェル?」
「ルシファー、またはルシエルです」
「おお…。よかろう」

 その後も教皇は何か言っていたが、ミカエルの耳には右から左だった。


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