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3章.Graduale

それぞれの道

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 シャワーを浴びながら、ミカエルは息を吐く。ルシエルのことだけでなく、バラキエルのことも気がかりだ。ここのところ、バラキエルはどことなく浮かない顔をしている。その理由を、ミカエルは聞けないでいた。
 居場所を特定するやつをどうにかできれば、バラキエルとずっと暮らせるようになる。しかし、ラムエルに聞いてみたところ、その人物は教皇領の中核にいるという。
 教皇領に入るには、許可が必要だ。

 ――強行突破で入って連れ去る。

 それには教皇領の内部について、よく知っておく必要があるだろう。ラムエルからもっと話を聞きたかったが、彼と会う機会はなかなかなかった。

 その日はルシエルがロフトから下りてきて、一緒に夕食の準備をした。彼の包丁さばきはだいぶ様になっている。
 バラキエルが帰宅して、三人でテーブルに着いた。

「おつかれ」

 バラキエルとルシエルは酒で乾杯。ミカエルはジュースで乾杯だ。
 バラキエルが昼間の活動について話すことはない。その日も、ミカエルが訪れた町や畑のことを話した。
 食後、マッタリとくつろぎながら酒を飲んでいたバラキエルが、ふと口を開いた。

「ミカ、俺は近々ここを去る」
「……は、」

 ミカエルは目を丸くする。
 こんな日が来ることを、どこかで分かっていたようにも思うが、到底受け入れられることではなかった。

「教会が圧力をかけているようでな。陛下もそろそろ庇いきれねえだろう」
「っ居場所がわかる奴をなんとかして、」

 とっさに声を上げたが、バラキエルは冷静だった。

「相手は教皇領だ。よしんば上手くいったとして、それこそ教会が全精力を挙げて追ってきかねねえ」

『もう、あの頃には戻れねえんだよ』

 脳裏に響いた声に、ミカエルはクシャリと顔を歪めた。
 静寂が忍び寄る。
 ルシエルの手の中で、グラスの氷がカランと涼しげな音を立てた。バラキエルがおもむろに口を開く。視線はグラスに落としたままだ。

「"ミカエル" の重要性は知っていた。けど俺は、もう世の中に関わりたくねかった。だからここで、何も知らねえフリをした」

 陛下から託された子が "ミカエル" でなかったらどんなによかっただろう。後ろめたさがこみ上げるたび、バラキエルは何度も思った。

「お前も世に出て、ミカエルという存在について知っただろう。……デビルが家の近くに現れたあの夜、俺はホッとしたんだ。いつまでもお前を隠したままじゃいられねえって、どこかで思ってたんだよ」

 ミカエルは唇を噛み締める。下を向き、込み上げるものに耐えた。

「ミカ、お前を世に出さなかったのは俺のエゴだ。最初はとんだモン預けられたもんだと途方に暮れたが、お前が師匠師匠って着いてくるからよ、」

 親みてえな気分になっちまったんだろうな。
 バラキエルは自嘲して首を振る。

「お前との暮らしに後悔はねえが、正しい選択だったかどうかはわからねえ」
「そんなのっ、正しかったに決まってんだろ…!」

 バラキエルはなぐさめるように金色頭をポンポン撫でた。

「ミカ、これから先のことは自分で決めろ。お前は "ミカエル" だ。一度世を捨てた人間が言えたことじゃねえが、お前にならできることもある」
「……ここで前みてえに師匠やルシと暮してえって、俺の思いはどうなるんだよッ」
「このままじゃ無理だ。俺にもやりてえ事ができたしな。お前を狙う団体をなくしてえし、助けてくれって故郷の領主に呼ばれちまった」
「戦に出るのか」
「……もう一生関わらねえと思ってたんだがな。だからよ、ミカ。お前もお前の道を行け」

 わしゃわしゃと頭を撫でる大きな手。
 ミカエルは、最後まで顔を上げることができなかった。


 †††

 夜、ルシエルはロフトを抜け出し、家の外へ出た。眠れないときは、たまにこっそり外に出る。人気のない森で静けさを感じると落ち着いた。

「よぅ、眠れねえのか」

 おもむろに声を掛けられ、振り返る。
 バラキエルが酒とグラスを手に立っていた。

「月見酒でもどうだ?」

 外へ行くのを見られたのか、グラスを二つ持っている。

「……よくこうして?」
「おう。ミカは知らねえだろうがな」

 あいつは下戸げこだからとバラキエルは鼻で笑った。
 ルシエルは差し出されたグラスを受け取る。バラキエルが酒を注いでくれた。

「お前さんがいてくれてよかった」
「……俺は頼りになる真っ当な人間じゃない」
「そうかい? ミカは随分信頼してるようだぜ」

 バラキエルはグイと酒をあおって息を吐く。

「お前さんにも色々あるだろうが、あいつのそばにいてやってくれ」

 ルシエルは水面に揺れる月をぼんやり眺める。

「このまま傍にいたら、いつか彼を傷つけるかもしれない」
「中のデビルの何かか?」

 視線を寄越され、肩をすくめた。

「耐えがたい思いが湧き上がる。耐えがたいのはこの日々でも彼でもないのに、衝動が湧く」

 バラキエルは頭を掻く。

「ラムエルに聞いてみたが、お前さんが元に戻る方法は知らねえようだ。俺もそれに関することは聞いたことがねえ」
「一人の研究者がやったことだ。その人は死に、資料も残っていない」

 ルシエルは元に戻ることをほぼほぼ諦めていた。方法が見つかるとは思えないからだ。それを知るために、デビルと人間を用いた実験を試みる気もない。

 ――ミカエルは光だと言ったのは誰だったか。

 実際、光氣を纏った彼の輝きは天の使いのようだった。ルシエルの中には、そのまばゆい光を護りたい自分と、汚し尽くしたい自分がいる。日々が平穏なほど儀式で味わう辛苦しんくは耐えがたく、どす黒い感情に支配されそうになる。これ以上はもう…。そんな時が来たら――。

「彼は強い。俺がいなくても、生きていけるだろう」

 ルシエルは睫毛を伏せて、グラスの中身を飲み干した。


-3章 end-
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