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3章.Graduale
季節は巡れど
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沸々と湧き上がる思いは、シャワーを浴びても収まらなかった。風呂上りのミカエルは、タオルを肩にかけてリビングに戻る。
「おいで。拭いてあげよう」
ミカエルは無言でルシエルの元へ向かって、足許に座った。背中を向けて拭いてもらうより、こうして拭いてもらう方が好きだ。
――この間、ルシエルの提案で絨毯を洗って床を拭き、室内は土足厳禁になった。面倒な大掃除を、ルシエルがやろうと言いだしたのが意外だった。潔癖なのかとも思ったが、あの寮部屋でそれはないだろう。
こんな時のためだったのだろうと、今、ミカエルは思う。
頭にタオルが被せられ、もにょもにょ拭かれる。
「デビルについて、あの町の人々に真実を話してしまえばよかったか」
「話したところで、信じたかわかんねえよ」
彼らは神も教会の言葉も、心から信じていたようだった。ポッと出のミカエルの言葉など信じられるはずもなく、更なる怒りを買うことになったかもしれない。
「あのラムエルという男に、どうしてお師匠さんの居場所を聞かなかった?」
答えがわかっているような声だ。ミカエルはかすかに眉根を寄せて、口を尖らせる。
「意地でも見つけ出してやるって思ったんだよ。それに、聞いても教えなかっただろ」
「そうかもね」
ミカエルは目蓋を閉じて、ゆっくりと息を吐きだした。
その後も師匠探しの旅を続け、ゾフィエルが幾度かデビル退治の任務を持ってきた。一度は衛兵隊に先を越されて、いつか会った赤髪ポニーテールに「遅かったな」とニッと笑われた。
ちなみに、がんばる気のないルシエルの反射神経は素晴らしく、ミカエルがデビル退治を成功させたことは一度もない。
その日はゾフィエルが久しぶりにバラキエルの目撃情報を持って来てくれた。ミカエルは差し出される前に彼の手を掴み、「行ってくれ」と言った。ゾフィエルはかすかに目を見開いて頷き、瞬間移動した。すぐにルシエルが現れる。
「さんきゅ」
「ああ…」
ゾフィエルは心配そうにミカエルを見ていたが、ルシエルに目礼すると城へ戻った。ゾフィエルは近頃忙しそうだ。任命式で王やラジエルが話していた戦が、近いのかもしれない。
そこは小さな町だった。童話に出てきそうな可愛らしい家々の壁には藤の木が蔦を張っており、家まで緑に溢れている。藤の花はもう終わり、白い薔薇の花が控え目に存在を主張していた。
「人だ」
「おう」
二人はさっそくそちらに向かう。
「ちょっといいですか」
花の手入れをしていた女性が手を止め振り返った。
「探してる人がいて――」
ミカエルは睨み目を引っ込め、いつものごとく美少年を発揮する。ルシエルはすでに悟りの境地だ。
「もしかして、バラキエルさんかい?」
「っ会ったのか!?」
あまり期待していなかった分、ミカエルは前のめりになった。
「いやね、昔の話だよ。あの人がいなかったら、あたしゃ今頃生きちゃいないだろうね」
女性は胸元に下がる十字架をひと撫でし、眉尻を下げた。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
共に暮らす前のバラキエルについて、ミカエルの知っている事はあまりに少ない。思わず詰め寄ると女性は少し驚いたような顔をしたが、頷いて話してくれた。
「あたしがまだ、年頃の女の子だった頃だよ」
どのくらい前だろうとミカエルが思ったとき、「二十年以上前になるかねぇ」と女性が言った。
「あの日は山菜採りに行ったんだ。そしたら、途中で急に雲行きが怪しくなってね、」
雨に降られる前に家に帰りたかった彼女は、慌てて山を降りていた。
「急いでたから、周りに目がいかなくて。気付いたらデビルがいてさ」
闇のように黒い影。その姿を見た瞬間、ゾッとして身体が動かなくなった。早く逃げなきゃ。そう思うのに足は動かず、声すら出ない。
「おいで。拭いてあげよう」
ミカエルは無言でルシエルの元へ向かって、足許に座った。背中を向けて拭いてもらうより、こうして拭いてもらう方が好きだ。
――この間、ルシエルの提案で絨毯を洗って床を拭き、室内は土足厳禁になった。面倒な大掃除を、ルシエルがやろうと言いだしたのが意外だった。潔癖なのかとも思ったが、あの寮部屋でそれはないだろう。
こんな時のためだったのだろうと、今、ミカエルは思う。
頭にタオルが被せられ、もにょもにょ拭かれる。
「デビルについて、あの町の人々に真実を話してしまえばよかったか」
「話したところで、信じたかわかんねえよ」
彼らは神も教会の言葉も、心から信じていたようだった。ポッと出のミカエルの言葉など信じられるはずもなく、更なる怒りを買うことになったかもしれない。
「あのラムエルという男に、どうしてお師匠さんの居場所を聞かなかった?」
答えがわかっているような声だ。ミカエルはかすかに眉根を寄せて、口を尖らせる。
「意地でも見つけ出してやるって思ったんだよ。それに、聞いても教えなかっただろ」
「そうかもね」
ミカエルは目蓋を閉じて、ゆっくりと息を吐きだした。
その後も師匠探しの旅を続け、ゾフィエルが幾度かデビル退治の任務を持ってきた。一度は衛兵隊に先を越されて、いつか会った赤髪ポニーテールに「遅かったな」とニッと笑われた。
ちなみに、がんばる気のないルシエルの反射神経は素晴らしく、ミカエルがデビル退治を成功させたことは一度もない。
その日はゾフィエルが久しぶりにバラキエルの目撃情報を持って来てくれた。ミカエルは差し出される前に彼の手を掴み、「行ってくれ」と言った。ゾフィエルはかすかに目を見開いて頷き、瞬間移動した。すぐにルシエルが現れる。
「さんきゅ」
「ああ…」
ゾフィエルは心配そうにミカエルを見ていたが、ルシエルに目礼すると城へ戻った。ゾフィエルは近頃忙しそうだ。任命式で王やラジエルが話していた戦が、近いのかもしれない。
そこは小さな町だった。童話に出てきそうな可愛らしい家々の壁には藤の木が蔦を張っており、家まで緑に溢れている。藤の花はもう終わり、白い薔薇の花が控え目に存在を主張していた。
「人だ」
「おう」
二人はさっそくそちらに向かう。
「ちょっといいですか」
花の手入れをしていた女性が手を止め振り返った。
「探してる人がいて――」
ミカエルは睨み目を引っ込め、いつものごとく美少年を発揮する。ルシエルはすでに悟りの境地だ。
「もしかして、バラキエルさんかい?」
「っ会ったのか!?」
あまり期待していなかった分、ミカエルは前のめりになった。
「いやね、昔の話だよ。あの人がいなかったら、あたしゃ今頃生きちゃいないだろうね」
女性は胸元に下がる十字架をひと撫でし、眉尻を下げた。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
共に暮らす前のバラキエルについて、ミカエルの知っている事はあまりに少ない。思わず詰め寄ると女性は少し驚いたような顔をしたが、頷いて話してくれた。
「あたしがまだ、年頃の女の子だった頃だよ」
どのくらい前だろうとミカエルが思ったとき、「二十年以上前になるかねぇ」と女性が言った。
「あの日は山菜採りに行ったんだ。そしたら、途中で急に雲行きが怪しくなってね、」
雨に降られる前に家に帰りたかった彼女は、慌てて山を降りていた。
「急いでたから、周りに目がいかなくて。気付いたらデビルがいてさ」
闇のように黒い影。その姿を見た瞬間、ゾッとして身体が動かなくなった。早く逃げなきゃ。そう思うのに足は動かず、声すら出ない。
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