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3章.Graduale
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海鳥が鳴いている。この街の建物は、青緑の煉瓦屋根が特徴的だ。それは、ここから眺める海の色に似ていた。
にぎやかな街並みを歩いていると、メアリエルの話題がそこここから聞こえてくる。
「見た見た? お姫さま。かわいかったわ~!」
「あの金髪碧眼は神に祝福されてる感じよね」
「そうそう! 天使みたいだったわよ」
「さすが、ブランリスの姫君だわ」
ふと、話していた一人と目が合った。
「……ねぇ、ちょうどあんな髪色だったわよね」
「ちょっとやだ、王族!?」
「っちげぇ!」
ミカエルは面倒なことになる前にルシエルの帽子を奪って被ると、彼の手を引いてズンズン歩いた。
「どうやら、君のほうこそ帽子が必要なようだ。なぜ被らなかった?」
「好きじゃねえ。あと、風感じてえだろ。おまえはなんで被ってたんだよ」
「内にあるデビル成分のせいか、日光に直接当たりたくない」
そういえば、ルシエルは聖学校でよく日陰にいた。そんな彼と異なり、ノリで手に入れたものの、これまでそんなに帽子を使用したことがないミカエルである。
二人は目についた喫茶店に入って、目立たない場所に落ち着いた。
「俺も丸薬飲みてぇ…」
ミカエルの顔はうんざりしている。
「王が許さないだろう」
「なんで、」
「金髪といえば王族。イメージがいい。そのままの色で、君のイメージを定着させたいはずだ」
ミカエルは舌打ちしてしまった。ルシエルがまじまじ見てくる。
「なんだよ」
「君はつくづく面白いな。破門されたがっていたときにも思ったけれど」
「……俺は何かに縛られんのがイヤなんだ。この名前だって…」
望んだものではない。
「ご注文は?」
やって来たウェイターに交互に見られ、二人は軽食を頼んだ。レグリアではメジャーな果物と言われて注文したジュースは、ほろ苦い柑橘系だ。隣のテーブルに座った男たちの会話が耳に入ってくる。
「アグマエルのやつ、ついに死んだな」
「天罰だろ。あの女ったらしが」
「だが、憎めない人だった」
彼らは恰好からして商人のようだ。
「ツィヴィーネの航路に手ぇ出したときには、ヤバいと思ったな」
「あそこは触れちゃいけねえ場所だったと思うぜ」
「ああ。ツィビーネは団結感がある。好きにやってる俺らとは違うんだ」
「足並みそろえてなんて、俺らには無理だわな。出る杭は打たれるって言うじゃないか」
「同じツィヴィーネの商人にもそうなんだぜ。アグマエルの野郎がしゃしゃり出て無事に済むわけがねえ」
ミカエルは、特産果実のジュースが入ったグラスを優雅に傾けるルシエルに目をやる。
「しっかし、このタイミングになぁ」
「このタイミングだからだろ」
ルシエルは涼しい顔で肩をすくめた。
邸宅に戻り、夕食をいただく。この半日で打ち解けたのか、メアリエルとリトゥエルの間に流れる空気は穏やかなものだった。
――夜。なかなか寝付けず、ミカエルは静かに部屋を抜け出した。廊下を行くと、ちょっとした広間に出る。中庭を臨む窓際に、人がいた。
「オスタンリチード卿」
「……ああ、ミカエル殿。どうかされたか」
「いや、……」
メアリエルとの血の繋がりは、公にされていない。
リトゥエルはふっと息を吐き、窓の外に目をやる。雲に覆われた暗い空の下、暗闇に、何を見ているのだろう。
「兄が亡くなったばかりで、不謹慎だとお思いか」
「そういう取り決めと聞きました」
それとも、窓に映る己の姿を見ているのかもしれない。
「……兄は嵌められたのです。取引の話です。それでツィヴィーネの怒りを買って、殺された」
独白のように落とされる。
ミカエルはかすかに目を見開いた。
「結局、女絡みの私怨かもしれない。本当のところはわからない。あのような人だから、兄に非がないとは、言い切れない…」
下手人の女は精神が不安定になる "煎じ薬" を常用しており、心を落ち着かせると言われて買ったと話したという。女にそのような煎じ薬や毒を渡した人物は、一向に捕まらない。
「……私は当主となり、明日は結婚式です。兄の二の舞にはならない」
物事は思った以上に難解で、真実がどこにあるのかわからない。
リトゥエルが去ったあとも、ミカエルはしばしその場に立ち尽くしていた。
翌日、メアリエルとリトゥエルの結婚式は、歴史があるらしい聖堂で行われた。まさか教会の儀式とは思わず、ミカエルは半目になってしまった。
聖堂の前には、たくさんの人が詰めかけた。
純白のドレス。黄金色の髪に白銀のティアラが煌めくメアリエルは、それでも幼気な少女にしか見えなかった。
彼女の付き添いはミカエルが行った。当日の朝、突然言われて驚いた。「ゾフィエルからお聞きになったと思っていたの」とのことだった。
戸口で指輪を交換し、神に誓う。その後、聖堂内に入ってミサが厳かに行われた。久しぶりにアダルベルに会えたメアリエルは、とても嬉しそうだった。アダルベルは曇りなき笑顔で祝福していた。雨が降っているにも関わらず、街中がお祭り騒ぎで、素晴らしい日々の始まりを告げているようだった――。
にぎわいに満ちたパーティーも、終わってみれば夢のようだ。
「ミカエル兄様、」
別れぎわ、飛びこむ勢いで抱き着かれ、ミカエルは危うく倒れそうになった。
露草色の大きな瞳が一心にミカエルを見上げる。
「兄様、いつでもいらしてね」
「……ああ。メアリ、元気でな」
「ミカエル兄様も、お元気で」
腕を掴んでいた小さな手が、名残を惜しむように離される。ミカエルは黄金色の丸い頭をひと撫でし、微笑を浮かべた。――彼女に待ち受ける新たな日々が、幸いに溢れているように。心の中で、そっと願った。
にぎやかな街並みを歩いていると、メアリエルの話題がそこここから聞こえてくる。
「見た見た? お姫さま。かわいかったわ~!」
「あの金髪碧眼は神に祝福されてる感じよね」
「そうそう! 天使みたいだったわよ」
「さすが、ブランリスの姫君だわ」
ふと、話していた一人と目が合った。
「……ねぇ、ちょうどあんな髪色だったわよね」
「ちょっとやだ、王族!?」
「っちげぇ!」
ミカエルは面倒なことになる前にルシエルの帽子を奪って被ると、彼の手を引いてズンズン歩いた。
「どうやら、君のほうこそ帽子が必要なようだ。なぜ被らなかった?」
「好きじゃねえ。あと、風感じてえだろ。おまえはなんで被ってたんだよ」
「内にあるデビル成分のせいか、日光に直接当たりたくない」
そういえば、ルシエルは聖学校でよく日陰にいた。そんな彼と異なり、ノリで手に入れたものの、これまでそんなに帽子を使用したことがないミカエルである。
二人は目についた喫茶店に入って、目立たない場所に落ち着いた。
「俺も丸薬飲みてぇ…」
ミカエルの顔はうんざりしている。
「王が許さないだろう」
「なんで、」
「金髪といえば王族。イメージがいい。そのままの色で、君のイメージを定着させたいはずだ」
ミカエルは舌打ちしてしまった。ルシエルがまじまじ見てくる。
「なんだよ」
「君はつくづく面白いな。破門されたがっていたときにも思ったけれど」
「……俺は何かに縛られんのがイヤなんだ。この名前だって…」
望んだものではない。
「ご注文は?」
やって来たウェイターに交互に見られ、二人は軽食を頼んだ。レグリアではメジャーな果物と言われて注文したジュースは、ほろ苦い柑橘系だ。隣のテーブルに座った男たちの会話が耳に入ってくる。
「アグマエルのやつ、ついに死んだな」
「天罰だろ。あの女ったらしが」
「だが、憎めない人だった」
彼らは恰好からして商人のようだ。
「ツィヴィーネの航路に手ぇ出したときには、ヤバいと思ったな」
「あそこは触れちゃいけねえ場所だったと思うぜ」
「ああ。ツィビーネは団結感がある。好きにやってる俺らとは違うんだ」
「足並みそろえてなんて、俺らには無理だわな。出る杭は打たれるって言うじゃないか」
「同じツィヴィーネの商人にもそうなんだぜ。アグマエルの野郎がしゃしゃり出て無事に済むわけがねえ」
ミカエルは、特産果実のジュースが入ったグラスを優雅に傾けるルシエルに目をやる。
「しっかし、このタイミングになぁ」
「このタイミングだからだろ」
ルシエルは涼しい顔で肩をすくめた。
邸宅に戻り、夕食をいただく。この半日で打ち解けたのか、メアリエルとリトゥエルの間に流れる空気は穏やかなものだった。
――夜。なかなか寝付けず、ミカエルは静かに部屋を抜け出した。廊下を行くと、ちょっとした広間に出る。中庭を臨む窓際に、人がいた。
「オスタンリチード卿」
「……ああ、ミカエル殿。どうかされたか」
「いや、……」
メアリエルとの血の繋がりは、公にされていない。
リトゥエルはふっと息を吐き、窓の外に目をやる。雲に覆われた暗い空の下、暗闇に、何を見ているのだろう。
「兄が亡くなったばかりで、不謹慎だとお思いか」
「そういう取り決めと聞きました」
それとも、窓に映る己の姿を見ているのかもしれない。
「……兄は嵌められたのです。取引の話です。それでツィヴィーネの怒りを買って、殺された」
独白のように落とされる。
ミカエルはかすかに目を見開いた。
「結局、女絡みの私怨かもしれない。本当のところはわからない。あのような人だから、兄に非がないとは、言い切れない…」
下手人の女は精神が不安定になる "煎じ薬" を常用しており、心を落ち着かせると言われて買ったと話したという。女にそのような煎じ薬や毒を渡した人物は、一向に捕まらない。
「……私は当主となり、明日は結婚式です。兄の二の舞にはならない」
物事は思った以上に難解で、真実がどこにあるのかわからない。
リトゥエルが去ったあとも、ミカエルはしばしその場に立ち尽くしていた。
翌日、メアリエルとリトゥエルの結婚式は、歴史があるらしい聖堂で行われた。まさか教会の儀式とは思わず、ミカエルは半目になってしまった。
聖堂の前には、たくさんの人が詰めかけた。
純白のドレス。黄金色の髪に白銀のティアラが煌めくメアリエルは、それでも幼気な少女にしか見えなかった。
彼女の付き添いはミカエルが行った。当日の朝、突然言われて驚いた。「ゾフィエルからお聞きになったと思っていたの」とのことだった。
戸口で指輪を交換し、神に誓う。その後、聖堂内に入ってミサが厳かに行われた。久しぶりにアダルベルに会えたメアリエルは、とても嬉しそうだった。アダルベルは曇りなき笑顔で祝福していた。雨が降っているにも関わらず、街中がお祭り騒ぎで、素晴らしい日々の始まりを告げているようだった――。
にぎわいに満ちたパーティーも、終わってみれば夢のようだ。
「ミカエル兄様、」
別れぎわ、飛びこむ勢いで抱き着かれ、ミカエルは危うく倒れそうになった。
露草色の大きな瞳が一心にミカエルを見上げる。
「兄様、いつでもいらしてね」
「……ああ。メアリ、元気でな」
「ミカエル兄様も、お元気で」
腕を掴んでいた小さな手が、名残を惜しむように離される。ミカエルは黄金色の丸い頭をひと撫でし、微笑を浮かべた。――彼女に待ち受ける新たな日々が、幸いに溢れているように。心の中で、そっと願った。
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