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3章.Graduale
青のざわめき
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海風が見事な金髪を巻き上げる。じとっとした風だ。果てしなく広がる大海原を前に、ミカエルはポカンと口を開けていた。遠くの色は深い深い青。煌めく水面が目に眩しい。
ザザン、さらさらさら…。
寄せては返すダイナミックな波の音。黄金色の砂浜は、踏み出すたびにブーツが埋まる。この歩き心地も新鮮だ。ミカエルは押し寄せる波に近づいて、手で触れてみた。
冷たい。
海水に浸かった指先をペロリと舐める。
「しょっぱ」
「だろうね」
ミカエルは冷静に佇むルシエルに目を向け、首を傾げる。波の音に負けぬよう、少し声を張り上げた。
「海。来たことあんの?」
「……教会から逃げているとき、通りがかった」
「へぇ…。ぅおっ」
うっかりブーツのつま先が波に濡れそうになった。
ミカエルは靴を脱ぎ去り、素足で砂浜を踏み締める。寄せては返す波に呑まれて、足の裏の砂が引いていく感覚が面白い。
後ろでクールに佇むルシエルを見やったミカエルは、波に手を突っこんで彼目掛け、海水をビシャっとかけた。
海水はルシエルに届くことなく、瞬時に出現した闇に呑まれて消える。
「……」
無言で海水をかけようとするミカエル。闇に阻まれてルシエルまで届かない。
「このっ」
躍起になって波に手を突っこんだとき、風に巻き上げられた海水がミカエルの顔に直撃した。
「ぶふっ」
ルシエルが風の力を使ったのだ。ミカエルはよたりと波から下がって振り返る。
「てめ、」
「……っくく、」
ルシエルは口許に手をやり、笑っていた。
緑の目がかすかに丸くなる。
ミカエルは前髪を顔に張りつけたまま、文句を言うのも忘れて彼を見ていた。
遠くに目をやると、雲間から射した光が幻想的に海へ降り注いでいる。
「明日は雨かもな」
「雨の結婚式は幸せをもたらす」
「あ?」
「言い伝えだ。聞いたことがある」
二人は街道へ向け砂浜を歩く。ミカエルは首を傾げた。
「恵みの雨ってやつか?」
「これから先に流す涙の代わりに、雨が降ってくれている……だったかな」
「雨が肩代わりってわけか」
「雨というより、カミサマだろう」
そういえばミカエルも、贖いの供えものだとかで、生贄として考えられていたりするのだ。――ラファエルの言葉なので、どこまで本当かはわからないが。どうにも微妙な気分になってしまった。
ミカエルはよいせと石畳を踏みしめ、顔を上げる。見覚えのある人物がいて、目を瞬いた。
アンティークゴールドの色の髪。王やラジエルに似た、優しげな目許。少なくとも彼は、雰囲気も優しそうだった。メアリエルが会いたがっていた、アルビー兄様だ。
「知り合いでも?」
「ああ、パーティーで会った。ブルーノ伯アダルベル」
ブルーノ卿。ゾフィエルが、そう呼んでいた。
ふっと彼が振り返る。目が合うと、かすかに眉を上げ、微笑を浮かべた。こちらへやって来る。
「やぁ、君も来ていたか。ミカエル殿。そちらは…」
「相棒のルシフェルです。あなたも来てたんですね、ブルーノ卿」
「招待状をもらったんだ。さすがに来ないわけにはいかないだろう」
アダルベルは肩をすくめた。それから、眉尻を下げる。
「普通に話してくれて構わないよ。私も、そうしてしまっているし。パーティーのときは殿下のことで頭がいっぱいだったんだ。いきなり慣れ慣れしくしてしまって、すまなかった」
「いえ。あー、それじゃあ」
もしかして、血縁を感じているのだろうか。――それはさておき。彼はどこまで知っているのだろう。ミカエルはなんとなく聞いてみる。
「殿下、結婚する相手が変わったって聞いたけど」
「……ああ。今度の相手は、前の奴よりマシだろう。女好きではないらしいから」
茶化すような言い方だが、一瞬、軽蔑のこもった眼差しが鈍く光ったようだった。
「前の人は…」
「その感じだと、聞いているようだな。殺害された、と」
「あなたはどうして知ってるんだ?」
「ツィヴィーネの者だからと言えば、大抵納得される」
どうやら、ツィヴィーネという国は情報を得るのに長けているらしい。
「女が捕まったようだ」
ミカエルは頷いて首を傾げた。
「メアリエル殿下は安全だと思うか?」
「そう思ったから、君はこんな所をブラブラしてるんだろうな」
「……まぁ」
海の誘惑に負けたとは言えまい。
アダルベルはうっすらと胡乱な眼差しでミカエルを捉えた。それから、小さく苦笑する。
「海を見たのは初めてかい?」
「……」
ミカエルは目をそらして頷いた。
どうやら、モロバレのようである。
「大丈夫、メアリエル殿下が狙われることはないだろう」
「だけど死因は、」
「毒殺だ。そんなに珍しいことじゃない」
優しげな目許に抱かれた、感情の読めないダークブルーの瞳。その目はラジエルとよく似ていた。
「結婚式は明日。それまで観光を楽しむといいさ」
アダルベルは軽やかに言って去った。
彼が消えた雑踏を目に映したまま、ミカエルは口を開く。
「俺らが知ってる以上のことを知ってそうだな」
「そのようだ」
毒の出所――女の影にいる者や、前当主が殺害された理由など。けれど、それを話すつもりはなさそうだ。
――メアリに危害が加えられないならいい。
ミカエルは短く息を吐き、観光に頭を切り替えた。
ザザン、さらさらさら…。
寄せては返すダイナミックな波の音。黄金色の砂浜は、踏み出すたびにブーツが埋まる。この歩き心地も新鮮だ。ミカエルは押し寄せる波に近づいて、手で触れてみた。
冷たい。
海水に浸かった指先をペロリと舐める。
「しょっぱ」
「だろうね」
ミカエルは冷静に佇むルシエルに目を向け、首を傾げる。波の音に負けぬよう、少し声を張り上げた。
「海。来たことあんの?」
「……教会から逃げているとき、通りがかった」
「へぇ…。ぅおっ」
うっかりブーツのつま先が波に濡れそうになった。
ミカエルは靴を脱ぎ去り、素足で砂浜を踏み締める。寄せては返す波に呑まれて、足の裏の砂が引いていく感覚が面白い。
後ろでクールに佇むルシエルを見やったミカエルは、波に手を突っこんで彼目掛け、海水をビシャっとかけた。
海水はルシエルに届くことなく、瞬時に出現した闇に呑まれて消える。
「……」
無言で海水をかけようとするミカエル。闇に阻まれてルシエルまで届かない。
「このっ」
躍起になって波に手を突っこんだとき、風に巻き上げられた海水がミカエルの顔に直撃した。
「ぶふっ」
ルシエルが風の力を使ったのだ。ミカエルはよたりと波から下がって振り返る。
「てめ、」
「……っくく、」
ルシエルは口許に手をやり、笑っていた。
緑の目がかすかに丸くなる。
ミカエルは前髪を顔に張りつけたまま、文句を言うのも忘れて彼を見ていた。
遠くに目をやると、雲間から射した光が幻想的に海へ降り注いでいる。
「明日は雨かもな」
「雨の結婚式は幸せをもたらす」
「あ?」
「言い伝えだ。聞いたことがある」
二人は街道へ向け砂浜を歩く。ミカエルは首を傾げた。
「恵みの雨ってやつか?」
「これから先に流す涙の代わりに、雨が降ってくれている……だったかな」
「雨が肩代わりってわけか」
「雨というより、カミサマだろう」
そういえばミカエルも、贖いの供えものだとかで、生贄として考えられていたりするのだ。――ラファエルの言葉なので、どこまで本当かはわからないが。どうにも微妙な気分になってしまった。
ミカエルはよいせと石畳を踏みしめ、顔を上げる。見覚えのある人物がいて、目を瞬いた。
アンティークゴールドの色の髪。王やラジエルに似た、優しげな目許。少なくとも彼は、雰囲気も優しそうだった。メアリエルが会いたがっていた、アルビー兄様だ。
「知り合いでも?」
「ああ、パーティーで会った。ブルーノ伯アダルベル」
ブルーノ卿。ゾフィエルが、そう呼んでいた。
ふっと彼が振り返る。目が合うと、かすかに眉を上げ、微笑を浮かべた。こちらへやって来る。
「やぁ、君も来ていたか。ミカエル殿。そちらは…」
「相棒のルシフェルです。あなたも来てたんですね、ブルーノ卿」
「招待状をもらったんだ。さすがに来ないわけにはいかないだろう」
アダルベルは肩をすくめた。それから、眉尻を下げる。
「普通に話してくれて構わないよ。私も、そうしてしまっているし。パーティーのときは殿下のことで頭がいっぱいだったんだ。いきなり慣れ慣れしくしてしまって、すまなかった」
「いえ。あー、それじゃあ」
もしかして、血縁を感じているのだろうか。――それはさておき。彼はどこまで知っているのだろう。ミカエルはなんとなく聞いてみる。
「殿下、結婚する相手が変わったって聞いたけど」
「……ああ。今度の相手は、前の奴よりマシだろう。女好きではないらしいから」
茶化すような言い方だが、一瞬、軽蔑のこもった眼差しが鈍く光ったようだった。
「前の人は…」
「その感じだと、聞いているようだな。殺害された、と」
「あなたはどうして知ってるんだ?」
「ツィヴィーネの者だからと言えば、大抵納得される」
どうやら、ツィヴィーネという国は情報を得るのに長けているらしい。
「女が捕まったようだ」
ミカエルは頷いて首を傾げた。
「メアリエル殿下は安全だと思うか?」
「そう思ったから、君はこんな所をブラブラしてるんだろうな」
「……まぁ」
海の誘惑に負けたとは言えまい。
アダルベルはうっすらと胡乱な眼差しでミカエルを捉えた。それから、小さく苦笑する。
「海を見たのは初めてかい?」
「……」
ミカエルは目をそらして頷いた。
どうやら、モロバレのようである。
「大丈夫、メアリエル殿下が狙われることはないだろう」
「だけど死因は、」
「毒殺だ。そんなに珍しいことじゃない」
優しげな目許に抱かれた、感情の読めないダークブルーの瞳。その目はラジエルとよく似ていた。
「結婚式は明日。それまで観光を楽しむといいさ」
アダルベルは軽やかに言って去った。
彼が消えた雑踏を目に映したまま、ミカエルは口を開く。
「俺らが知ってる以上のことを知ってそうだな」
「そのようだ」
毒の出所――女の影にいる者や、前当主が殺害された理由など。けれど、それを話すつもりはなさそうだ。
――メアリに危害が加えられないならいい。
ミカエルは短く息を吐き、観光に頭を切り替えた。
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