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3章.Graduale
もう一つの懸念
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レグリアからの使者も退室し、ミカエルとルシエルも部屋を出ようとしたとき、厳つい男性がやってきた。
四五十代で、鍛えられた筋肉を感じさせるどっしりとした身体つき。貴族の恰好をしているが、隙のない身のこなしからして軍人のようだ。どうしてか、バラキエルが頭に浮かぶ。
「閣下、よろしいですかな」
「ウィルエル副団長。それではミカエル殿、また後ほど」
モンテナー辺境伯はお辞儀して忙しなく出て行った。
足を踏み入れたときから感じていたが、この城はピリピリした空気に包まれている。その理由は、メアリエルの件だけではなさそうだった。
「ミカエル様、それからお付きの方々。お部屋にご案内致します」
綺麗にお辞儀して言ったのは、三十代半ばの男性だ。彼も茶系の髪だった。やはり、この地域に多い色合いなのだろう。それにしても、疲れた顔をしている。
廊下で軍人と思しき者とすれ違った。こちらは緊張感のある顔つきだ。ミカエルは前を行く男性に声をかけた。
「何かありましたか」
「隣国に戦の気配がありまして。勢いのある国です。次の標的は、このモンテナー辺境伯領ではないかと」
「ここで、戦が起こる…」
「……おそらく。国は動きません。他にやるべき事があるとか。それに、この地は自治権が多く認められておりますので、有事の際には、自力でなんとかせねばなりません」
本当に危うくなったら国が動くかもしれないが、今のところその気配はないという。戦となったら、あのおどおどと頼りない感じのモンテナー辺境伯が指揮を執るのだろう。ミカエルは他人事ながら、少々心配になった。
「なんとかなるんですか」
「なんとかするのが、主の役目です」
ミカエルは口を噤む。男性は、小さく息を吐いた。
「……主は戦の経験がございません。そもそも、家督を継がれるご予定ではありませんでした」
先の辺境伯である父親も、家督を継ぐはずだった兄たちも、参加した聖戦にて殉死したらしい。現辺境伯のオリサティヴェルは、聖職に就く予定だった。剣の手ほどきも兄たちほど受けていない。彼の人生において、戦に関わる予定などなかったのである。
「ウィルエル副団長がおられてよかった。あのお方は、バラキエル様と共に数々の戦で活躍された豪傑ですから」
ミカエルはハッと顔を上げた。
「バラキエル、」
「はい。バラキエル様は、主の叔父にあたります。雷光のバラキエルと言えば、知らぬ衛兵はおりません。枢機卿にまで推薦されたお方です」
かすかに目を見開く。
「……ですが、突然お隠れになってしまわれた。その後、ウィルエル副団長を枢機卿にという声もあったようですが、ウィルエル副団長は応じることなく、この地へお戻りになりました」
バラキエルはなぜ故郷へ戻らなかったのか、言外に非難するような声である。
「彼のお方は長らく行方知れずでしたが、近ごろ、風の噂でその名が聞かれるようになりました。……ご健在のようです。戦となれば駆けつけてくださると、私は信じております」
薄い唇がかすかに開く。
ミカエルは何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
「こちらのお部屋です。では、後ほど」
案内された部屋は一人部屋だった。広さはそれほどでもないが、手の込んだ調度品からして、重要な客人を招く部屋なのだろう。どうやら、ミカエルということで特別扱いされたようである。ルシエルを含む残り三名の護衛は、まとめて同じ部屋に泊まることになるかもしれない。
部屋で一番主張している物といえば、天蓋付きの立派なベッドだ。ミカエルは誘われるようにそちらに向かい、うつ伏せにボフリと倒れこむ。
――バラキエルにも血縁がいる。
そんな当たり前のことに、衝撃を受けていた。
かつてのように、共に暮らしたい。バラキエルも同じように思ってくれているはずだ。そう信じて疑わなかった。しかし――。
ミカエルはきつく目を瞑る。眼裏に浮かぶ森での日々は少しも色褪せない。それなのに、何も知らずに暮らしていたあの日々が、遠く感じた。
四五十代で、鍛えられた筋肉を感じさせるどっしりとした身体つき。貴族の恰好をしているが、隙のない身のこなしからして軍人のようだ。どうしてか、バラキエルが頭に浮かぶ。
「閣下、よろしいですかな」
「ウィルエル副団長。それではミカエル殿、また後ほど」
モンテナー辺境伯はお辞儀して忙しなく出て行った。
足を踏み入れたときから感じていたが、この城はピリピリした空気に包まれている。その理由は、メアリエルの件だけではなさそうだった。
「ミカエル様、それからお付きの方々。お部屋にご案内致します」
綺麗にお辞儀して言ったのは、三十代半ばの男性だ。彼も茶系の髪だった。やはり、この地域に多い色合いなのだろう。それにしても、疲れた顔をしている。
廊下で軍人と思しき者とすれ違った。こちらは緊張感のある顔つきだ。ミカエルは前を行く男性に声をかけた。
「何かありましたか」
「隣国に戦の気配がありまして。勢いのある国です。次の標的は、このモンテナー辺境伯領ではないかと」
「ここで、戦が起こる…」
「……おそらく。国は動きません。他にやるべき事があるとか。それに、この地は自治権が多く認められておりますので、有事の際には、自力でなんとかせねばなりません」
本当に危うくなったら国が動くかもしれないが、今のところその気配はないという。戦となったら、あのおどおどと頼りない感じのモンテナー辺境伯が指揮を執るのだろう。ミカエルは他人事ながら、少々心配になった。
「なんとかなるんですか」
「なんとかするのが、主の役目です」
ミカエルは口を噤む。男性は、小さく息を吐いた。
「……主は戦の経験がございません。そもそも、家督を継がれるご予定ではありませんでした」
先の辺境伯である父親も、家督を継ぐはずだった兄たちも、参加した聖戦にて殉死したらしい。現辺境伯のオリサティヴェルは、聖職に就く予定だった。剣の手ほどきも兄たちほど受けていない。彼の人生において、戦に関わる予定などなかったのである。
「ウィルエル副団長がおられてよかった。あのお方は、バラキエル様と共に数々の戦で活躍された豪傑ですから」
ミカエルはハッと顔を上げた。
「バラキエル、」
「はい。バラキエル様は、主の叔父にあたります。雷光のバラキエルと言えば、知らぬ衛兵はおりません。枢機卿にまで推薦されたお方です」
かすかに目を見開く。
「……ですが、突然お隠れになってしまわれた。その後、ウィルエル副団長を枢機卿にという声もあったようですが、ウィルエル副団長は応じることなく、この地へお戻りになりました」
バラキエルはなぜ故郷へ戻らなかったのか、言外に非難するような声である。
「彼のお方は長らく行方知れずでしたが、近ごろ、風の噂でその名が聞かれるようになりました。……ご健在のようです。戦となれば駆けつけてくださると、私は信じております」
薄い唇がかすかに開く。
ミカエルは何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
「こちらのお部屋です。では、後ほど」
案内された部屋は一人部屋だった。広さはそれほどでもないが、手の込んだ調度品からして、重要な客人を招く部屋なのだろう。どうやら、ミカエルということで特別扱いされたようである。ルシエルを含む残り三名の護衛は、まとめて同じ部屋に泊まることになるかもしれない。
部屋で一番主張している物といえば、天蓋付きの立派なベッドだ。ミカエルは誘われるようにそちらに向かい、うつ伏せにボフリと倒れこむ。
――バラキエルにも血縁がいる。
そんな当たり前のことに、衝撃を受けていた。
かつてのように、共に暮らしたい。バラキエルも同じように思ってくれているはずだ。そう信じて疑わなかった。しかし――。
ミカエルはきつく目を瞑る。眼裏に浮かぶ森での日々は少しも色褪せない。それなのに、何も知らずに暮らしていたあの日々が、遠く感じた。
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