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3章.Graduale

モンテナー辺境伯領にて

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 翌朝、コルセ伯と貴族らに見送られ、ミカエルたちは出立した。今日も良い天気だ。街の上空をバイロン車で駆けていると、相変わらずあちこちから祝いの言葉をかけられる。メアリエルは窓から身を乗り出し手を振って、笑顔で人々に応えていた。
 街を過ぎるとバイロンの速度が上がった。
 窓から見える景色が田園になり、森になる。小さな町を幾つか越えて、山を越え、どんどん僻地へ向かった。
 映りゆく景色をメアリエルがぼんやり眺めている。そんな光景を、ミカエルは黙って見ていた。

 高々と日が昇るころ、バイロン車は大きな山脈に差し掛かった。晴れているのに、空からきらきらとみぞれが降ってくる。天気雨ならぬ天気霙だ。

「きれい」

 メアリエルは大きな瞳を輝かせて空を見上げた。まるで空が彼女を祝福しているかのようだ。

「山脈を越えれば、モンテナー辺境伯領です。我が国の領土ですが、自治権を多く与えられており、独立国のようになっています」

 後半はミカエルに向けた説明だろう。「へぇ」と呟くと、浅緑の瞳が窺うようにミカエルを捉えた。

「なんだよ」
「……いえ」
「わたし、この山脈を越えるの初めて」
 
 ポツリと呟かれた声に誘われ、ミカエルは眼下に目をやった。
 山々が白に覆われている。標高が高そうだ。それより高い場所を駆けるバイロン車の中にいて、まったく寒さは感じない。意識的に感じてみると、車全体を覆うように術がほどこされていた。

「どうかした?」

 ルシエルが氣の動きを敏感に察知し、視線を寄越す。

「ああ、快適だなと思ってよ」
「施された術が、車内に外の冷気が入ってこないようにしている」
「おう」

 この術を家に施せば、室内は暑すぎず寒すぎず、一年中過ごしやすいことだろう。
 バラキエルなら、これくらいできる気がする。けれど森の家は、暑さはそれほどではないが、冬はとにかく寒かった。寒い冬に暖炉の火を焚いて、二人して背中を丸めて炎に手をかざした夜があった。酒に弱いミカエルのためにバラキエルが作ってくれた、ジンジャー入りの蜂蜜レモン。ホッと身体が暖まる味だった。

 ――ああ、だから師匠は術を施さなかったのか。

 あえて体験することで得られるものを、バラキエルは知っていたのだ。

「城壁が見えてきたわ」

 バイロン車は入口の門に向って降下した。そこには門番がいたが、敬礼してバイロン車を通してくれた。そこから先は地上を行くという。瞬間移動と同じで、天を駆けるのも礼節に欠けるものらしい。

「地上での移動になりますが、暗くなる前に到着できます」

 車輪から伝わる振動で、地面の上を走っていることを実感する。速度は馬車と同じくらいか。車窓を流れる景色がゆっくりに感じた。茶色いレンガ造りの建物は、この地特有のものかもしれない。
 沿道に、メアリエルを一目見ようと人々が押しかける。メアリエルはやはり手を振って彼らに応えた。

「異国に来たって感じね…」
「左様でございますね」

 感慨深い声である。
 ついこの間まで森しか知らなかったミカエルには、メアリエルの感じていることがわからなかった。
 ゆるゆると日が落ち、空の色が変化していく。鮮やかな色合いはやがて消え、薄暮となった。夜の気配が濃厚になった頃、ようやくバイロン車が止まった。レレルが小さく息を吐く。ギリギリ暗くなる前に間に合った。

「あら、何かあったのかしら…」

 開かれたドアから降り立ったメアリエルが眉を上げる。出迎えてくれた男性は、気配がおどおどしていた。

「メアリエル殿下、ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ…」

 それから、ミカエルたちにも城へ入るよう促す。急ぎたいのを必死に堪えているような雰囲気だ。
 開かれた扉から中へ入ったところで、近くの部屋から男が出てきた。案内人の紹介によると、彼はモンテナー辺境伯オリサティヴェル・エグレージェ。この城の主。二十代に見える。焦げ茶の髪に、赤銅色の瞳。色味がバラキエルと似ている。

 ――バラキエルはこの辺りの産まれかもしれない。

 それにしても、風格が感じられない男だ。眉尻を下げてメアリエルと話す姿は、使用人より落ち着きがなかった。

「――あの、ご到着されたばかりで申し訳ないのですが、レグリアから使いの者が来ておりまして。お会いしていただけますでしょうか」
「……ええ」

 メアリエルがかすかに小首を傾げる。嫁ぎ先の国からの使者。明日にはレグリアに着くというのに、何事だろう。
 ミカエルはルシエルに目をやった。肩をすくめられ、いよいよわからなくなる。

「彼らも同席してよろしいかしら」
「は、はい。どうぞ」

 メアリエルの視線を受け、ミカエルとルシエルも部屋に入る。そこにいた男が頭を下げ、メアリエルに巻物を差し出した。紐を解いたメアリエルの表情は、文章を読み進めるごとに驚愕に染まった。

「亡くなられた――」

 それはまさに、青天の霹靂へきれきだった。
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