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3章.Graduale

柔らかな肌

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 ルシエルがおもむろに言う。

「よし、服屋に行こう」
「おまえ、制服しかなかったもんな。ちょうどいいか」

 ミカエルはちょっとワクワクしていた。森にいた頃、バラキエルが一人で行っていた所へ、ミカエルも行くのだ。

「なんだか楽しそうだね」
「行ったことねえからよ」

 そうしてやって来たのは、たくさんの上着や装飾品で埋め尽くされた店。
 二人は往来を眺め、行き交う人々の服装をチェックする。周りに溶け込める服装でなければ、意味がない。

「こんな感じか?」

 ミカエルはベージュの羽織りを手に取った。袖の大きな折り返し部分に刺繍が施されている。それが今のトレンドなのか、大抵の羽織りがそうだった。
 ルシエルはどんな物を選んだのだろう。そちらへ目をやったミカエルは、思わず呟いた。

「黒っ」

 刺繍なども全てが黒い。ちょっとした濃淡や生地の違いはあるが、真っ黒だ。

「黒い羽織りの人も見かけた」
「ズボンも靴も黒にしたら、全身真っ黒じゃねえか」

 さすがにそれは目立つ気がする。頭から靴先まで眺めて紅の瞳へ視線を戻したミカエルは、ウッと固まった。

「そうとも。知っての通り、俺は爪も髪も真っ黒だ。おかしな事に?」

 皮肉な笑みを浮かべる目が笑っていない。
 艶を含んだ声にヒクリと頬が痙攣する。

「……たまには違う色もいいんじゃねえの」

 ミカエルは視線を外し、目についた皮製の茶系の羽織りを手に取ると、彼の身体に当ててみた。

「ちゃんと似合うって」

 嘘ではない。よく似合っていた。
 ルシエルは黒い服ばかり着てきたのかもしれない。なんだか妙な顔をしている。

「こっちにしとけよ」
「落ち着かない」
「慣れるだろ。これでいいな」

 数秒の後、ルシエルが口を開いた。

「俺が着なかったら君が着ればいいか。ああ、君には少し大きいかな」

 冴え冴えとした美貌がわざとらしくミカエルを見下ろす。

「うるせえ」

 ミカエルは眉尻を上げて睨みつけ、二人分の服と帽子を持って会計へ向かった。
 その後ろ姿を、ルシエルがぼんやり見ていた。

 さて、店内で買った服に着替えた二人は、再びいかがわしい通りにいた。
 ちなみに軍服や聖剣は、ルシエルが育ての親からもらったという巾着袋の中である。入口を閉めると小さくなる術が施された便利な袋で、今はルシエルの腰のベルトからぶら下がっている。

「お兄さんたち、寄っといでよ」
「ねーぇ、今夜どう?」
「やだ好み! サービスするわ。うちに来て」

 軍服で訪れたときと異なり、四方から掛けられる声にミカエルは驚いた。腕を取り、纏わりついてくる人までいる。女性相手に乱暴なこともできず困っていたところ、おもむろに肩を抱かれた。

「今夜は二人で楽しむ予定だ」
「っやだわ、早く言いなさいよ」
「まぁ、お兄さんたち…」

 すーっと進行方向が空く。
 ミカエルはルシエルの顔を見上げた。悪戯な笑みを見て、半目になってしまった。

「今夜は二人でなんだって?」
「怒るなよ。良い部屋取るから」
「おまえ、楽しんでるだろ」
「君のお誘いなら、いつでも喜んで」
「っだから耳許で言うんじゃねえッ」

 言い合っているうちに、例のお店に着いていた。ドアを開くと、さっきぶりの派手な女性がこちらを向いた。

「おや、仕事は終わったのかい」
「今度は正真正銘のお客」
「そのようだ。ようこそ、お客様。どのような子をお望みで?」
「俺ではなく、彼に。彼は――」

 こ慣れた様子で女性と話すルシエルをボンヤリ見ていたミカエルは、いまいち現実味を感じられずにいた。
 予期せず、異なる世界に迷い込んでしまった気分だ。ルシエルと話す女性はどこか楽しげで、一風変わった色味など、まったく気にならないようである。そういえば、ここへ来るまでに話しかけて来た女性たちも、うっとりとルシエルを見詰めていた気がする。

「あちらの方、えらい美貌ね」
「どちらの貴族かしら」
「あの気品。お忍びで来られた他国の王子様かもしれないわ」

 ふと耳に入った会話の方を向くと、こっそり顔を出していた女性たちが引っ込んだ。
 そこへしずしずとやって来た銀髪の女性。
 小麦色の肌に、あの夜の女性を思い出した。

「ダイアと申します」
「彼女は予約が取れないことで有名なんだ。今日はたまたまお偉いさんがキャンセルしてね。こんなこと、滅多にないよ」

  ルシエルが視線を寄越す。

「マイケル、彼女をどう思う?」
「……ああ、」
「彼女で」

 どうやら、マイケルとはミカエルのことらしい。ぼんやり答えると、奥の部屋に通された。
 ルシエルはルシエルで、女性に案内されて異なる部屋へ向かったようだ。シックで高級そうな調度品の置かれた廊下を歩いていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。

「そんなに珍しいかしら」
「城の中みてぇ…」
「どうぞ、マイケルさん」

 ここでは偽名が当たり前なのかもしれない。そんな事を思いつつ、ミカエルは誘われるまま部屋に入った。控えめに灯された燭台の明かりがムードを高める。

「上着を」

 するりと脱がされ、丁寧にラックにかけられた。腕を引かれてベッドのほうへ。
 彼女はいい香りがする。
 気付けばシャツを脱がされて、彼女も裸に近かった。豊かな胸にキュッとくびれた細い腰。
 誘われ、柔らかな肌に触れた。温かで、滑らかだ。ずっと触っていたくなる。

「そう…優しく…いいわ…」

 乱れた呼吸はどちらのものか。
 ミカエルを導く彼女は慣れた様子だ。雰囲気に呑まれて夢心地でいるうちに、女性特有のその場所へ指が触れそうになっていた。

「こうするのよ」

 ミカエルの手に重ねられた手がそっと触れさせる。彼女は官能的な表情で腰を揺らめかせ、ミカエルの情欲を高めようとした。
 それはとっくに反応していたが、ミカエルには衝動が起こらない。

「こわい?」
「……ちげぇ」
 
 どうやら、彼女に触れたい気持ちと彼女の中に挿れたい気持ちは、ミカエルにとって異なるものだった。
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