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3章.Graduale

山道登り

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 向けられた瞳に、特に感情は見られなかった。

「俺、おまえのことも大切だから」

 白皙はくせきの美貌が固まる。
 ミカエルは気にせず続けた。

「もっと自分を大事にしろよ」
「……なぜそんな話に?」
「ずっと思ってたんだ。俺は信用できるヤツにしか、自分のこと話す気にならねえ。けど、おまえは違うんだろうなって」

 ルシエルは首を傾げる。

「俺も誰にでも話そうとは思わない。むしろ、会話したいと思う相手は稀だ」
「俺とは会話したいと思ってんだな」
「言っただろう。気に入ってるって」

 ミカエルは目を瞬いて、話を戻した。

「おまえ、俺にどう思われてもいいと思って話してるだろ」
「どう思うも君の勝手だ」
「そうだけど、嫌われたくねえとか、思わねえのかよ」
「君は思うんだ?」

 紅の瞳が楽しげに見下ろしてくるので、眉根を寄せて目をそらす。

「……思うもんだろ」

 ――いや。正しくは、"思うようになった" のだ。
 森で暮らしていた頃のミカエルは考えたこともなかった。聖学校に入れられてからも、考えていなかった。しかし、記憶を失くしたミカエルは違った。自分という存在が覚束なくて、必要としてくれるラファエルの信頼を失いたくない、嫌われたくないと、思っていた。……例え、利用されているだけなのだとしても。
 記憶を取り戻したミカエルは、あの頃の自分が抱いていた恐怖や心細さを知っている。
 ミカエルにはバラキエルがいる。師匠との繋がりは揺るぎない。それは家族だからだ。それ以外の繋がりは、柔軟に変化する。そう思ったら、大切にしたいと思った。――失いたくないものを、失わないように。

「俺にも?」
「耳許で言うんじゃねえッ」

 思わず飛び退けば、ルシエルはくつくつ笑った。

「俺じゃなくておまえの話してんだよ。おまえは、自分が嫌われんのは当然だって顔して、」
「それが?」
「だからっ、自分大事にしろって言ったんだ。おまえ見てると、砂嵐のなかに裸で突っ込んでくみてえで痛々しいんだよ」
「俺を露出狂扱いしないでくれる?」
「言いてえのはそこじゃねえ!」

 ミカエルは空々しく答えた相手をキッと睨んだ。
 ルシエルはやれやれと首を振り、肩をすくめる。

「君の言い方をするなら、俺は教会に捕らわれたあと、砂嵐のなかに引きづり込まれて素っ裸にされたんだろう」
「おまえはもう、だいたいそこにはいねえ」
「そう、だいたい」

 ルシエルは小さく息を吐く。

「光を知るほど、たまに訪れる闇が耐えがたく暗く感じる。だから俺は、強い光は知りたくない。それなのに君といるなんて、矛盾してる」

 自分が理解できないとばかりに眉を上げたルシエルに歩み寄り、ミカエルはまっすぐに彼を見上げた。
 
「おまえは闇より光が好きだから、ここにいるんだろ」
「そうかな」
「そうだろ。だから、苦しくても手ぇ放すな」

 ぐいと手を引かれ、ルシエルはかすかに目を丸くした。

「あの山越えて、コルセに行く」
「……イエッサー」

 こうして歩みを再開させた二人。

「いつまで手ぇ繋いでんだよ」
「放すなって言ったのは君」
「……歩きにきぃだろ山道だぞ、ッ」
「っごめん滑った」

 倒れそうになったルシエルと繋いだ手がグンと引かれ、ミカエルは後ろに倒れて尻餅をついた。そのキョトンとした顔を見て、ルシエルが口許に手をやり笑う。

「山道で、手を繋ぐのはっ、危険、だっ」
「なんでおまえ倒れねえし」
「誰かさんが代わりに倒れてくれたから。上着、汚れただろう。大丈夫?」
「上着の心配してんのか俺の心配してんのかわかんねえ」
「うーん、君?」
「迷うんじゃねえよ。大丈夫だっつの」

 差し伸ばされた手を掴み、ミカエルは立ち上がる。

「暗くなる前にあの山越えてぇからな。急ぐぞ」
「りょーかい」

 その後、二人は黙々と歩いた。道中、デビルの気配を感じることはない。
 ミカエルは通りがかりの人に聞いてみる。

「デビルはいなかったか?」
「いないさ。倒したんだろ? こっちから来たのが言ってたが」
「衛兵がやったのか?」
「いや、強そうな男がでっかい剣で倒したってよ」

 やはり、師匠が倒したのだ。
 後から来たルシエルが小さく息を吐いた。

「つかれたか?」
「山登り、慣れてないから」
「あそこの小川で一休みしようぜ」

 ルシエルのひょろさは知っていたので、ミカエルは少し休憩することにした。冷たい水で喉を潤し、汚れていた上着の後ろを洗う。ルシエルの疲れた姿は新鮮だ。

「あーー生き返る」
「口空けて歩いてっから喉乾くんだよ」
「阿呆みたいに口開けてるような言い方しないでくれる? しんどくて、気付くと口呼吸になってるだけだから」
「なら、意識して口閉じとけ。おまえもそのうち、体力つくだろ」

 ルシエルはゆるりとミカエルの方を向く。

「……いま、君を師匠と呼びたくなった」
「なんだそれ」

 ミカエルは手帳に報告を書きながら、片眉を上げて笑った。
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