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2章.Kyrie
伝播早い
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講義に戻ると、サリエルが何か言いたそうな顔をしていたが、ファロエルがいる手前、話す機会なく放課後となった。ちなみにファロエルには、トイレに籠っていたことを散々揶揄された。
巾着袋を投げてきた相手を見つけたときには衝動的に教科書を投げたくなった。
けれどもちょうど近くを教師が通りがかり、行動に至らなかった。
放課後、聖堂の扉を開き、コカビエルと目が合う。
どうやら、話は伝わっているようだ。
いつもの部屋で二人きりになると、さっそく話を振られた。
「聞いたぞ、ミカエル。まさか君が襲われるとはな、驚いた。ああいや、大丈夫か?」
「ハイ、センセー」
「酷い相手だったそうじゃないか。初めてだったんだろ?」
「ハイ、センセー」
「世の中、そんな奴ばかりじゃないからな。ちゃんと相手のことを考えてやれば、一緒に気持ちよくなれるんだ。もちろん、俺はいつもそうしてる」
「ハイ、センセー」
その後もコカビエルは何やら熱弁していたが、迫り来る補講に意識が向いていたミカエルには右から左だった。
寮への帰り道、聖歌隊の一人が珍しく話しかけてきた。
「おまえ、襲われたの?」
「あ?」
「教室で自慢げに話してるのが聞こえたんだ。まさかって思ったけど、コカビエル先生の顔見たら、本当かもって思って」
ミカエルは顔をしかめる。
「下級貴族はだいたい知ってると思う。あんまり信じてないけどね。みんな、そんな事できるわけないって思ってるんだ。相手がおまえだし、アイツは隅でグジグジしてるようなヤツだから」
そこへ、他の生徒と話していた生徒が話しかけてきた。
「なんの話?」
「なんでもない。明日までの課題終わった?」
「とーぜんっ。なになに、教えてほしい?」
「ちがうよ。天文学の先生が、流星群が見えるって、おっしゃってたからさ」
「ああ、ご飯食べたら――」
ミカエルはひとまず考えないことにして、サリエルが貸してくれた巻物を開き、目先のことに集中した。
「おかえり」
「おー」
「君、まさか襲われたりしてないよね」
寮部屋に帰り着くと、サリエルが待ち構えていたように言った。
「どこから聞いてくるんだよ」
「僕は耳が早いんだ。適当なことを言う人もいるけど、疑惑の生徒はツァドキエル先生に呼ばれてたし、信憑性があると思った」
ミカエルは横向きに椅子に座って息を吐く。
サリエルは振り返った状態で、じっとミカエルの顔を見ていた。
「おまえの推理は間違っちゃいねえな」
「……そう。信じがたいけど、本当なんだね。なんでそんな事に?」
サリエルの雰囲気は、信じがたいというより、信じたくないというふうだ。経緯を話せば、怒りを露わに相手を罵る。
驚いたのはミカエルだった。
優等生が決して口にしないような言葉もあって、サリエルが路地裏で生活していたことをリアルに感じた。
「君がポッと出の庶民だからって、何してもいいと思ってるんだ」
「おう」
「講義に戻ったときもそうだったけど、なんでそんなに落ち着いていられるんだよ。君が普通にしてるから、信じがたい気持ちに拍車がかかる。軽率に狙う人が増えないのは良いことだけどさ、嫌じゃなかったの?」
イライラ話すサリエルに、ミカエルは顎を引いて言う。
「俺のなかでは、そいつにやられたところで終わってねえから。ツァドキエルが来たとき、効果は続いてたんだよ。そんで、あー、その後のが長くてよ」
「ツァドキエル先生がヨくしてくれた記憶のほうが強いってこと?」
「……あの野郎はぶん殴りてぇが、できねえんだから考えたらイラつくだけだ。だったらよ、早く忘れたほうがいいだろ」
サリエルは髪をグシャっと握るように頭を抱え、深く息を吐きだした。
「君のポジティブには恐れ入るよ。たしかに、嫌なことはさっさと忘れるに限る。……僕もそうやって生きてたな。ヤなことばっかで、いちいち覚えていられないような日々だった。ここに来たとき、ぜんぶ忘れて、新しい人生を送るって決めたんだ」
ゆっくりと顔を上げたサリエルは、眼鏡を外してまっすぐにミカエルを捉える。
「ミカエル、キミを見てると、胸の奥がザワザワするんだ。オレはここに来て救われたような気になった。けど、本当にそうなのか…。安心して眠れて飯が食えて風呂にも入れて。でもさ、それ以上に大切なことがあるって、いまは思うんだ」
綺麗な灰色の瞳を見ているうちに、ミカエルは口を開いていた。
「おまえも来るか?」
「……誘ってもらえて嬉しいけど、オレ、ラファエルさんに恩があるから。ここを卒業して、聖職者になって、それから自分らしく生きようと思う」
ミカエルはかすかに頷いて、片眉を上げる。
「おまえは神を信じてるのか」
「どうかなぁ。この世界を創った存在という意味なら、否定はできない」
「教えは?」
「そうだね…。こんな人生だけど、だからこそ、この命の意味は自分で見つけたいかな」
サリエルは椅子の背に腕をつき、玄人のような雰囲気で肩をすくめる。
「オレは全部、自分で決めて生きてきたんだ」
「神の出る幕はねえってか?」
「キミと同じさ」
「聖職者になるんだろ」
「それは言いっこなしだ」
二人は目を見合わせてふっと笑う。
「キミのこと、大切な友だちだって思ってる。脱出、ちゃんと協力するからね。もちろん、ラファエルさんには言わない。聞かれても、話さない」
「恩があるんだろ?」
「それとこれとは話が別だ」
「信頼を裏切ることになってもか」
「……正直、いまはキミのほうが大切に思う」
その言葉に嘘はないと感じたミカエルは、決意を固める。
「話してえことがある。あとで、気持ちが変わってなかったら聞いてくれ」
「……オーケイ。まずは補講だね」
「おう」
そうして二人は、かすかな緊張を感じながら食堂へ向かった。
巾着袋を投げてきた相手を見つけたときには衝動的に教科書を投げたくなった。
けれどもちょうど近くを教師が通りがかり、行動に至らなかった。
放課後、聖堂の扉を開き、コカビエルと目が合う。
どうやら、話は伝わっているようだ。
いつもの部屋で二人きりになると、さっそく話を振られた。
「聞いたぞ、ミカエル。まさか君が襲われるとはな、驚いた。ああいや、大丈夫か?」
「ハイ、センセー」
「酷い相手だったそうじゃないか。初めてだったんだろ?」
「ハイ、センセー」
「世の中、そんな奴ばかりじゃないからな。ちゃんと相手のことを考えてやれば、一緒に気持ちよくなれるんだ。もちろん、俺はいつもそうしてる」
「ハイ、センセー」
その後もコカビエルは何やら熱弁していたが、迫り来る補講に意識が向いていたミカエルには右から左だった。
寮への帰り道、聖歌隊の一人が珍しく話しかけてきた。
「おまえ、襲われたの?」
「あ?」
「教室で自慢げに話してるのが聞こえたんだ。まさかって思ったけど、コカビエル先生の顔見たら、本当かもって思って」
ミカエルは顔をしかめる。
「下級貴族はだいたい知ってると思う。あんまり信じてないけどね。みんな、そんな事できるわけないって思ってるんだ。相手がおまえだし、アイツは隅でグジグジしてるようなヤツだから」
そこへ、他の生徒と話していた生徒が話しかけてきた。
「なんの話?」
「なんでもない。明日までの課題終わった?」
「とーぜんっ。なになに、教えてほしい?」
「ちがうよ。天文学の先生が、流星群が見えるって、おっしゃってたからさ」
「ああ、ご飯食べたら――」
ミカエルはひとまず考えないことにして、サリエルが貸してくれた巻物を開き、目先のことに集中した。
「おかえり」
「おー」
「君、まさか襲われたりしてないよね」
寮部屋に帰り着くと、サリエルが待ち構えていたように言った。
「どこから聞いてくるんだよ」
「僕は耳が早いんだ。適当なことを言う人もいるけど、疑惑の生徒はツァドキエル先生に呼ばれてたし、信憑性があると思った」
ミカエルは横向きに椅子に座って息を吐く。
サリエルは振り返った状態で、じっとミカエルの顔を見ていた。
「おまえの推理は間違っちゃいねえな」
「……そう。信じがたいけど、本当なんだね。なんでそんな事に?」
サリエルの雰囲気は、信じがたいというより、信じたくないというふうだ。経緯を話せば、怒りを露わに相手を罵る。
驚いたのはミカエルだった。
優等生が決して口にしないような言葉もあって、サリエルが路地裏で生活していたことをリアルに感じた。
「君がポッと出の庶民だからって、何してもいいと思ってるんだ」
「おう」
「講義に戻ったときもそうだったけど、なんでそんなに落ち着いていられるんだよ。君が普通にしてるから、信じがたい気持ちに拍車がかかる。軽率に狙う人が増えないのは良いことだけどさ、嫌じゃなかったの?」
イライラ話すサリエルに、ミカエルは顎を引いて言う。
「俺のなかでは、そいつにやられたところで終わってねえから。ツァドキエルが来たとき、効果は続いてたんだよ。そんで、あー、その後のが長くてよ」
「ツァドキエル先生がヨくしてくれた記憶のほうが強いってこと?」
「……あの野郎はぶん殴りてぇが、できねえんだから考えたらイラつくだけだ。だったらよ、早く忘れたほうがいいだろ」
サリエルは髪をグシャっと握るように頭を抱え、深く息を吐きだした。
「君のポジティブには恐れ入るよ。たしかに、嫌なことはさっさと忘れるに限る。……僕もそうやって生きてたな。ヤなことばっかで、いちいち覚えていられないような日々だった。ここに来たとき、ぜんぶ忘れて、新しい人生を送るって決めたんだ」
ゆっくりと顔を上げたサリエルは、眼鏡を外してまっすぐにミカエルを捉える。
「ミカエル、キミを見てると、胸の奥がザワザワするんだ。オレはここに来て救われたような気になった。けど、本当にそうなのか…。安心して眠れて飯が食えて風呂にも入れて。でもさ、それ以上に大切なことがあるって、いまは思うんだ」
綺麗な灰色の瞳を見ているうちに、ミカエルは口を開いていた。
「おまえも来るか?」
「……誘ってもらえて嬉しいけど、オレ、ラファエルさんに恩があるから。ここを卒業して、聖職者になって、それから自分らしく生きようと思う」
ミカエルはかすかに頷いて、片眉を上げる。
「おまえは神を信じてるのか」
「どうかなぁ。この世界を創った存在という意味なら、否定はできない」
「教えは?」
「そうだね…。こんな人生だけど、だからこそ、この命の意味は自分で見つけたいかな」
サリエルは椅子の背に腕をつき、玄人のような雰囲気で肩をすくめる。
「オレは全部、自分で決めて生きてきたんだ」
「神の出る幕はねえってか?」
「キミと同じさ」
「聖職者になるんだろ」
「それは言いっこなしだ」
二人は目を見合わせてふっと笑う。
「キミのこと、大切な友だちだって思ってる。脱出、ちゃんと協力するからね。もちろん、ラファエルさんには言わない。聞かれても、話さない」
「恩があるんだろ?」
「それとこれとは話が別だ」
「信頼を裏切ることになってもか」
「……正直、いまはキミのほうが大切に思う」
その言葉に嘘はないと感じたミカエルは、決意を固める。
「話してえことがある。あとで、気持ちが変わってなかったら聞いてくれ」
「……オーケイ。まずは補講だね」
「おう」
そうして二人は、かすかな緊張を感じながら食堂へ向かった。
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