誰かの望んだ世界

日灯

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前篇

混濁 (sideアスファー

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 午前に終業式を終えてしまったので、帰省するために荷物を纏めた。この休暇は課題が出ないため、持ち帰る物は少ない。
 肩から革製のバックを下げて隣の部屋を軽くノックする。

「準備できたか?」
「ああ」

 部屋から出てきたジンも、やはり荷物は小振りの旅行バック一つだった。

 外へ出ると、ジンが白い息を吐いてローブの襟を立てる。――こいつは寒いのが苦手だ。
 今日は快晴だが、積もった雪はまだ敷き詰められており、辺りは一面銀世界である。
 俺は早足で進むジンの半歩後ろを歩く。
 いつか、マイペースに歩いていたら、俺より背の低いジンが文句を言ってきたのが切っ掛けだったと思う。今では視界にジンが居るのが当たり前になっていた。
 ざくり、ざくりと、雪を踏み締める音だけが聞こえる。
 いつも賑やかなのは、イオがいるからだとぼんやり思った。

 校門に着くと、ジンが上向き加減で振り返った。俺が見下ろす形になるのは仕方がない。
 長めの飴色の前髪から覗く朱色の瞳に、赤々と燃える暖炉を連想する。

「明日から世話になると、ボルによろしく伝えてくれ」
「ああ」

 それだけ言って、ジンはさっさと魔方陣を作り、実家へ行ってしまった。
 どうせ明日にはまた会うからとはいえ、別れの挨拶くらい欲しいものだとうっすら思う。
 白い息を吐き、俺も実家へ向かった。

 黒塗りの扉を開き、エントランスへ入る。螺旋状の階段を上がって角部屋へ。
 自室には、机とベッドと本棚しかない。
 部屋は学園の寮より広いが、中身は大差なかった。

 ――俺の両親は、最後の紛争を止めに行って命を落とした。ジンの母親も、救護班として向かって遂に帰って来なかったと聞く。
 今は父の弟が当代を務めているが、それも俺がまだ小さかったからで、格好だけの代理のようなものだ。

 ローブと上着を脱いでベッドへ腰掛ける。
 もう慣れてしまった怠さに負けて、そのまま後ろへ倒れ込んだ。

 ――いつまで続くんだ。

 健康な身体の有り難さを沁々と感じる。一度横になると、起き上がる気力はもう湧かなかった。

 ―――…‥

 高まる人々の欲望と、打ち寄せる高揚感。俺の意思は簡単にその渦へ呑まれてしまう。

「俺たちが世界を統一するのだ。偉大な土の結晶石クォーツに祝福された、俺たちが」

 結晶石クォーツに優劣などないことは、魔力を持つ者なら皆感じている。

「母なる大地よ、歓喜せよ! 汝より生まれし土の結晶石クォーツを讃える我らこそ、世界を統べるに相応しい」

 結晶石クォーツはこの星の意思、グノームが生み出したものだ。

「さあ、次は火だ。水の領土を横切れば早い。序でにそちらも落としてくれよう」

 ――おい、先日訪れた風の王と当代はどうした?

「見せつけに公死刑にしてやった。これで逆らう者も居るまい」

 何故だ!? 降伏したのだろう? 民の総意でやって来たのではないのか。

「ああ、そうだ。風の民は俺らのものだ」

 違う、同士になったんだ。

「馬鹿を言うんじゃない。奴らと俺たちが同じわけがない。さあ、次だ。次こそは火の奴らだ。水も高みの見物はこれで終わりだ」

 水の領土は中立だ。あそこは怪我人を救うのに、今やてんてこ舞いだろう。そこへ攻め込むなど、

「この世界に土の領土でない場所などあってはならない。光と闇は戦を好まないという。いずれ我らに膝を折るだろう」

 驕り高ぶるな。こんな暴挙に、彼らが快く従う筈がない。

「進め、我らの偉大さを高らかに見せつけてやろう。我らに敵わぬものはない」

 待て、俺は、

「さあ、エルデ。我らを勝利に導く結晶石クォーツに愛されし者よ。いざ、憎き火の奴らに怒りの鉄槌を」

 憎い? 何故…?

「我らの崇高な意思を阻む者を憎まぬわけがない。奴らのせいで、同胞がどれだけ命を落としたと思っている」

 しかし、戦を仕掛けたのはこちらでは――。

「我らは使命を達する義務がある。世界を統一するのだ。そうすれば戦も消えよう。火の奴らに鉄槌を。裁きの雷を! エルデ、我らを勝利へ導け! 望む世界のために!!」

 そこに調和があるのか? 安寧が?

「ああ、そうだ。我らが必ず創り出そう。あと少しだ。希望を抱き、進むのだ!」

 舞い散る血飛沫 赤に染まる視界
 耳を突ん裂く悲鳴 粟立つ肌
  積み上がる屍 凍る心
   漂う腐臭 麻痺した感覚

    恨み    憎しみ

  悲しみ   哀しみ

 歓喜
    狂喜

  喚起

      狂気 

 ――ほとほと疲れてしまった。

 頭が回らない。
 心はすっかり空虚に占領され、もはや感情すら湧かなかった。

 ‥…―――

 ぼんやりする頭をもたげて窓の外を見る。
 閉じたままのカーテンから漏れる日差し。
 のっそりと起き上がって机に置いた懐中時計を見れば、なんともう、昼食の時間である。

「……、いけねッ!」

 晩飯も食わずに翌日になってしまったと、頭が理解するまでに少々時間がかかった。
 急いでシャワーを浴びてダイニングへ向かう途中、ちょうど良く鳴った玄関のベル。扉を開ければジンの姿が。
 ジンの視線はすぐさま俺の髪へ行き、無言で見てくる。
 俺は乾ききっていない髪を後ろへ流し、取り敢えず中へ入るよう促した。

「今まで寝てたのか」
「……疲れてたんだよ」

 そうして、使われていない俺の隣の部屋に荷物を置いたジンと共に、今度こそダイニングへ向かった。
 「家にいると、たまに帰る親父が煩いから」と、ジンが俺の家に来るのは、もう恒例となっている。

「よう、来ると思ったぜ、火の坊主」

 シェフのボルの言葉に、ジンがじっとりとした目を向けてきた。

「晩飯も食わずに寝込むほど疲れていたのか」
「……ああ、」
「なんだ、やっぱ昨日帰ったのか。部屋ノックしても返事がねぇから、火の坊主んち行ったのかと思ってたぜ」
「わるい」

 ボルは気にすんなと笑ってキッチンへ向かった。
 スキンヘッドで筋肉質な褐色の肌をした彼は、多忙で家にあまり帰れない叔父が俺のために雇ったシェフだ。俺が帰省する長期休暇の間だけ、この家に来てくれる。

「……おまえ、そんなに体調悪いのか?」

 眉根を寄せてこちらを見上げてくるジンに、ガシガシと頭を掻いてしまう。

「そんなに悪かねぇと思ってんだが…」

 一日の半分以上寝ていたなど、自分でも驚きだ。

「ほれ、たんと食いな」

 少し気まずい雰囲気で食事を取る俺たちを、ボルが腕を組んで穏やかに見守っていた。

 午後、温室にて書庫から持ってきた本を読み耽るジンを尻目に、俺は土属性の住民から届いた手紙を読み漁る。
 その多くが、全快にならない体調についてと、減った気のしない魔物について。または、結晶石クォーツの現状を問うものだった。
 ――夏頃から何も変わっていない。気掛かりが不安に変わるのも、時間の問題だろう。
 結晶石クォーツが曇るなど前代未聞の話だ。戦になどかまけている暇はない。早く原因を調べねば。世界の根幹に関わる事態にならぬとも限らない――。

「――…、……アス、聞いてるか?」

 視線を送れば、眉根を寄せているヒューゴと目が合った。

「すまない、もう一度言ってくれ」

 奴はため息を吐く。

「黒の結晶石クォーツがなくなって、原因が取り除かれたはずなのに。現状が変わらないということは、やはり他にも、何か要因があるとしか考えられない」
「黒の結晶石クォーツ…?」
「……おい、おまえ本当に大丈夫かよ?」

 心配そうな顔を向けられ、少し驚く。俺はヒューゴとここまで親しかっただろうか。

「特に問題はないが」
「……とにかく、ラウレルが言ってたように、そこに固執せずに可能性を広げないとな」
「可能性と言われてもな…」
「たしかに、すべてが憶測の域から出ない現状では、なんとも言えないが…」

 記録があればなと髪を掻き上げる奴に肩を竦める。
 過去に事例があれば、苦労はしないだろう。

「光や闇は、俺たちより詳しく把握しているだろうか」
「どうだかな。いつかイオが言ってたが、勘のようなものが働くのかもしれない。たまに鋭いこと言うからな…」

 顎に肘をつき、どこか遠くを見るようにして言うヒューゴ。

「黒のエネルギーを扱える闇の者たちなら、何か分かりそうだと思ってしまうが…」

 黒のエネルギーだって? それを扱う…。闇の者、が――

 ――黒 く 重い 霧 
 押し寄 せる気持 ちの悪 い感 情
 憎悪 が 肥大し破 壊を産み 出 す――

 闇の者は我らより精妙な気質を持ち、より根源に近い存在ではなかったか。――ああ、それ故か。呑まれてしまっては、最早手がつけられない。それもこれも俺たちの行いが、

「アス!!」

 焦燥感を滲ませる顔。
 間近にある朱色の瞳が揺れている。
 掴まれた肩が痛い。

「……なんだよ?」
「おまえ…」

 それきり黙ってしまったジンを不審に思う。

「ジン?」

 呼べばハッと我に返ったらしいジンは、ため息を吐いて頭を叩いてきた。

「おい…?」
「なんでもない」

 なんでもないのなら、何故そんなに苦々しい顔をしているんだと、言ってやりたかった。
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