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今日も元気だ、ザーマスおばさん

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「それにしても、これだけ少ない人数で全国全てのATMを面倒みてるなんて、凄いですね」

色々なオペレーターさんの話をつまみ食いしながら、少し落ち着いてきた岩寺裕子さんは、リーダ―の小田さんに尋ねました。

「そうね、ATMって故障する事が少ないのよね。それに平日の夜は、本当に困っている人と訳アリの人しか電話してこないからね」

リーダの小田さんは、何やら不思議な事を言っています。

たしかに、岩寺裕子さんが思っているように、日本全国、北海道から沖縄まで約二万台のATMに付いている電話機からの着信が、このオペレーションセンターにいる限られた人数だけで運用出来ているのは凄い事です。それだけ、故障やトラブルが少ないという事でもありますね。

しかし、給料日やボーナス日、後は五十日ごとび(毎月五のつく日と十の付く日の事です。商店とかでは掛け金の支払いの締め日『締め切り日』に当たるため、一般的に忙しい日だと言われています)では、一日中ひっきりなしに電話がかかって来るので、少し多めのオペレータさんを配置するのだそうです。

でも、リーダの小田さんが言うように、平日の夜中から深夜にかけては、本当に掛かって来る電話の本数は少ないそうです。そして、そういう時に掛かって来る電話の内容には個性的なものが多いんですって。

……

例えば、先ほどのような酔っ払いの独り言相手。それから、うっかり者の取り忘れ。後は、なぜか人生相談の時もあるし、道案内もした事があるそうですよ。

……

でも、一番困るのがクレーマさんです。

クレーマーさんには、本人が意識していない場合と、意識している場合の二通りがあります。

一つは、本人がクレーマーだとは意識していない場合ですね。本人は普通に喋っているつもりなんですよ。たまたまATMやヘルプ用の電話に関して気が付いた点があるから善意と思って連絡してくるのです。

「私が意見してあげないと、きっと気が付かないんだわ。私だって忙しいから、わざわざATMの横に付いてる電話機を使って話す時間なんか無いのよ。本当よ。暇で暇で時間潰しのためにATMの電話を使って電話なんかしてないわ。もー、しょうがないからキチンと教えてあげないとダメなのね」

そう思って、わざわざコンビニまで行ってATMの電話機を取ってオペレーションセンターに電話してくるんです。

ATMでお金を下ろしたり入金したりするのではなく、オペレーションセンターの人に意見するんですね。

その電話が一回や二回なら、「貴重なご意見ありがとうございます。本部の業務改善室に伝えておきます」で終わりなんです。でも、それではクレーマーさんではありません。本当のクレーマーさんはほぼ毎日同じ時間にかけてくるんです。

オペレーターさんは、大体同じ時間帯でシフトに入っているので、たとえ複数のオペレーターさんがいても結局常連さんになっちゃうんです。

オペレーターさんの前には何処のコンビニから発信されている電話かが一目で分かります。でも、誰が掛けて来たのかまでは分かりません。それに、呼び出し音二回で電話に出なければいけないので躊躇している時間はありません。

「あちゃー!高円寺北店から着信だー。確かこの店にはザーマスオバちゃんだがいるんだよなー」

そう言って、今日は最悪な日になる事を覚悟して、チョット憂鬱ゆううつになりながらも、元気よく電話に出るんです。もしかしたら、別のお客様で本当にATMのトラブルにあって困っている方かもしれませんからね。

プル、プル、カチャ。

「おはようございます。ニコニコATMセンターの電話オペレーター××です。どうなさいましたか?」

ドキドキしながら、電話機の向こうからの声を待ちます……

「ンモォー、チョット聞いて頂戴。ザーマス!」

うわぁー、当たってしまいましたね。この人が高円寺北店舗名物の『ザーマスおばさん』ですね。

「もうー、お宅のコンビニ、従業員の仕付けがなってないわよ。そんな事じゃあ売り上げも伸びないでしょう?さっき私が店員に意見したから、あなたからもコンビニの業務改善室にも連絡して頂戴。ザーマス」

随分な剣幕のようです。でもこの電話機はコンビニとは全く関係ない、ATMを管理している会社が運営しているのですね。だから、電話機で文句を言われても直接コンビニには連絡する立場にはありません。

一応毎月一回程度の業務連絡会が開かれるので、今のザーマスおばさんの話も数百枚の連絡文章の中の数行の中に記述されますが、それで終わりです。

オペレーターさんは、ザーマスおばさんが電話を掛けて来るたびに、ATMの電話はコンビニとは関係ないんですよと説明しているんですけどね。

それでも、コンビニで気に入らない事があるとATMの電話機を使って丁寧にオペレーターさんに、コンビニ従業員の不備な所や、商品の陳列方法の悪い所を教えてくれるのです。

ひとしきり、話し続けて疲れると、満足したようで電話機を切ってくれるのです。勝手に喋って勝手に終わるので、オペレーターさんはその時が来るまで時々相槌あいづちを打ちながらメモに落書きしたり、隣のオペレーターさんとたわいのないお喋りをして時間を潰す事になります。

これはサボっているわけでは無いですよ。時々相槌を打つ大事なお仕事ですからね。

ちなみに、全ての通話記録は電子的に記録されているので、新人オペレーターの岩寺裕子さんも、後で研修の一環として聞かされると思いますよ。
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