愛玩少女

月咲やまな

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追憶

灰色の記憶(桜子談)

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 好きなものも嫌いなものも、私には何も無い。
 今までを思い返しても、その日その日を必死に乗り越えていくだけの人生だった気がする。自分の意思で何かをする事を許してはもらえず、ただただ日々が過ぎていくだけのせわしない人生だった。

 同じ屋根の下に住む家人とは、どうやら血の繋がりは無い様だ。直接そうだとは言われていないが、彼女達の言葉の端々からそう認識している。そもそも彼女らと私は見た目が全く違うので、言葉から察する必要も無いのだが…… 。

『あの子、どこかいい嫁がせ先は無いかしら?どうせなら、やっぱりお金持ちの家よね』
『当然じゃない。ここまで育てた恩義を返してもらわないと。その為にあんな子を育てたのだものねぇ。結納金をたっぷりもらわないと割に合わないわ。親戚になった私達をも養ってくれる様な、ちょっと馬鹿な男がいいわ…… うふふふ』
『その為にも、たっぷり磨きをかけてもらわないと。あの子は見た目しか売りが無い子なのだし。あんなぼぉっとした性格では、今から話術を身に付けさせるのは無理そうだけど……そうだわ、いっそ性技でも磨かせたらどうかしら』
『あら、ソレいいわねぇ。夫を骨抜きに出来れば、お金を搾り取る事も簡単そうだわ。でもまぁ…… 商品価値が下がるから、あの子の年ならば、処女のままの方がいいんでしょうけど』
『そういえばそうよね。あはははは——』

(私をぼぉっとしていると非難するけど、何もしない貴女達よりはずっとマシだと思うけど……)

 殴ったり、蹴られたりといった虐待は体の価値が下がるからなのかされてはいないが、気味の悪い会話が毎日毎日毎日聞こえてくる。同じ様な内容を何度も何度も何度も…… 私の心を疲弊させてくる言葉を、よくまぁここまで飽きないで言えるものだ。

 どうやら私は、恋愛というものを経験する間も無く、高校へ進学すらもさせてもらえぬままに、何処かへ売り払うみたいに嫁がされてしまうみたいだ。血縁が無いだろうとはいえ、その為だけに私を育てたのだろうなと思わせる事を、こちらにまで聞こえる様に言う貴女達の神経が理解出来ない。私の話をしながらも、まるで居ないみたいな扱いだ。

 恩を返してもらわねばと言ってはいるが、私が彼女達から何かをしてもらった事があっただろうか?

 まだ小さかった私を育ててくれたのは、その当時居たお手伝いさん達だったし、その方々を雇えなくなってからは、自力で全てをこなしてきた。彼女らの生活の世話をしているのは、今は私ではないか。
 この家は血筋だけは良いらしいが、日々資産を食い潰し、仕事もせずに、私をどこへ嫁がせるとお金になるかしか考えずに毎日を浪費していくだけの人生に何の意味があるのだろう。気位だけが高く、美意識があるらしい割には家でゴロゴロとしていて、まるで妖怪だ。同じ会話を繰り返せる事からみて、脳みそだって入っているのか怪しいレベルで、申し訳ないが…… 無駄な存在に思える。
 まともに彼女達と接していては心が疲れ切ってしまうので、生きて行く為に仕方なく、無心になって世話をする。食事を用意し、洗濯や掃除をこなし…… 忙しくって今までだってずっと学校にはほとんど通えなかったが、『ウチの子は体が弱いので』と誤魔化していたみたいだ。

 逃げ出したい。それが無理ならば、このままいっそ眠ったまま消えてしまいたい——

 毎晩毎晩同じ事を願いながら眠りにつくが、新しい朝はどうしたってきてしまう。自分から呼吸を止めてしまう度胸も無く、ただただ見知らぬ誰かに、愛情も無しに嫁がされてしまう日がいつきてしまうのかと怯え、でもそれすらも今よりはマシなのかどうなのか、判断出来ずに震えて過ごす一日がまたきてしまった。

「おはようございます」
「今日のご飯は何かしら」
「さっさとしてよね」
「…… はい」
 最年少である私が世話をする事を当然の様に受け止め、家人達が欠伸をしながら目の前を通りすぎて行く。挨拶も無し、か。毎日の事だとはいえ、ちょっと切ない。

「今日は隣のお宅に手伝いを頼まれてね、桜子が行って来てくれないかしら」
 テーブルの上に朝食を並べていると、突然そう頼み事をされた。
「あぁソレがいいわ。お隣の若旦那ったら、いっつも桜子ばかりに目がいっているもの。いっそ輿入れさせてもらえるように、アンタから誘ったらいいのよ」
 ニタニタと笑う口元が少し怖い。どうやら冗談で…… 言っている訳ではなさそうだ。
「お隣さんはかなりのお金持ちだからねぇ。アンタが嫁いでくれればウチだって安泰だ。まぁ、若旦那とか言うわりには、もうあそこの長男は随分と歳がいっているはずだけどね、ふふふ」
「そういえば、若旦那さんって…… 何度も何度も嫁候補に逃げられてるそうじゃない。ならもう、なりふり構ってもいられないだろうから…… よかったわねぇ。真っ白い、化け物みたいなアンタでも、脱いで押し倒せば何とかなるかもよ?あはは!」
「いっつもぼけぇっとしているアンタでも、そのくらいは出来るでしょう?うふふふ」
 価値を守る為に清くあれと言う割には、話す内容のなんと下品な事か。そんな事を言うのならば、もう貴女が自分で嫁げばいいのに。
「…… わかりました。お手伝いに行って来ますね」
 お隣にあるお屋敷は、ウチよりも更に大きくこの辺りでは一番の名家だ。名前だけのこの家とは違って金銭的に余裕のあるお宅でもある。なのでずっと前からウチの家人達が目を付けているのだが、隣人なのでウチが没落気味な事はもちろん知られており、縁談話が上手くまとまらないでくれているのが唯一の救いだった。


       ◇


「やっぱり貴女が来てくれたのねぇ、桜子ちゃん」
「はい。今日はよろしくお願いします」
「あらあら、こちらこそよろしくね。今日は大事なお客さんが来るそうだから、人手が多いと本当に助かるわぁ」
 笑顔で向かい入れてくれたのは、長年このお宅に勤めるお手伝いさんの一人だ。
 ここの家人もかなり個性的な方々らしく、なかなか他のお手伝いさんが長く居付いてくれないらしい。なので、お客様が多くて人手が足りない時は、今回の様に近隣のお宅のお手伝いさんに声をかけている。今のウチにはお手伝いさんが一人も居ないので、来るのは私だろうと予測済みだったみたいだ。
「…… これ食べてくれない?今日はこれをお客様に出そうと思っているのだけどね、味見がまだで美味しいのかもわからないのよぉ。でもオバちゃんこれ以上食べたらもっと太っちゃうから、桜子ちゃんに食べてもらえると嬉しいわ」
「い、いいんですか?」
 有名な菓子店の名前が入る箱を差し出されてそう頼まれたが、味見などせずとも美味しいに決まっているので、どうしたって躊躇してしまう。
「いいもなにも、これが貴女の最初のお仕事よ。手伝ってもらえる?」
 にこやかな笑顔で微笑んでもらえ、胸の奥が熱くなる。母とは、こういう人を指すのだろうなと思うと、ちょっと泣きそうだ。
 ウチでの私の待遇はこの方にも話してはいないが、お隣だとどうしたって色々見えてしまうのだろう。だけど、お手伝いさんの立場では、大人だろうが無責任に手助けも出来ない。これがこの方の精一杯の優しさなのだと思うと、少しだけ歯がゆいながらも、本当に嬉しかった。
「ありがとうございます」
 素直に礼を言い、手を洗って、箱から出した綺麗に形作られた和菓子を一つ手に取る。お菓子など、前にここでお手伝いを頼まれた時以来なので、どうしたって気分が上がる。
「いただき、ます」
 両手を合わせ、拝むみたいに食事前の挨拶を言う。大事に、大事に食べた和菓子の味は、すすった鼻水のせいで、ちょっとしょっぱい味がしてしまったのだった。


       ◇


「あぁ、君か。すまないが、手伝ってくれないか?」
 廊下の拭き掃除をしていると、このお宅の若旦那に声を掛けられた。
「ほら、これから客人が来るだろう?珍しい花器でも出して差し上げようかと思うんだ」
 神経質そうな瞳を細め、ニヤニヤと笑っている。
 この人は正直苦手だ。まるで人を値踏みするみたいな視線が全身に纏わり付き、気持ちが悪い。だが今の私はこの家のお手伝いの様な立場なので、若旦那の頼みを断る理由は無い。仕方なく、「わかりました」と素直に応じる。向かう先がどこかはわからないが、ある程度の時間がかかるかもしれないので、ひとまず掃除道具は隅の方へ避けておこう。
「ほら、早くおいで」
「はい、ただいま」
 そう答え、私は若旦那の後について行った。


 長い廊下を奥へ奥へと歩き、行き着いた先は屋敷内からも直接入る事の出来る薄暗い蔵だった。とても古い、時代劇にでも出て来そうな米倉の様な建物で、扉がとても重たく、女性が一人で開けるのは大変そうだ。
「この蔵の二階にね、花器がしまってあるんだよ。だがあの通りちょっと階段が狭くてね、私が口頭で指示をするから、小柄な君が上がって持って来て欲しいんだ」
 なるほど、確かに奥に見える木造の古い階段はとても狭く、大人の男性が上がって行くのは大変そうだ。
「わかりました」と納得しながら頷いて答え、私は若旦那よりも先に蔵の中に入った。

 数歩中へと進み、階段を目指す。薄暗いせいで、人が他に居ようともちょっと怖い。行った事は無いが、きっとお化け屋敷ってこんな感じなのではないだろうか。そんな事を私が考えていると、ギギギッと扉を閉める音が背後から聞こえてきた。
 何故閉める必要が?物を下ろして来たらすぐに出るのに、かなり重たそうな物をわざわざ一度閉めてしまう意味がわからない。
「警戒心の欠片も無いとは、本当にお前は馬鹿だな。まぁその方が都合がいいんだが…… 」
 出入り口の側から、若旦那の低い声が響いた。暗い蔵の中では小声だろうが妙に反響して聞こえ、背筋がザワッと粟立つ。
「…… え?」と声をこぼしながら慌てて私が振り返ると、ニタニタと笑うイヤラシイ瞳と目が合った。
「あんな薄気味悪い男に、俺がもてなしなんかすると思うか?ホント、つくづくお気楽なもんだ。…… そういや、お前らは随分似てるな。まぁそんな事はどうでもいいか」
 くっくっくと笑い、若旦那が着ている服のボタンを一つ、二つと外しながら、じわりじわりとこちらへ近づいて来る。

 怖い、気持ち悪い、何が起きているの?何が起きるの?こっちへ来ないで欲しい。

 状況の全てを理解出来た訳ではないが、自分にとってとてもマズイ事態である事だけは理解出来る。…… い、いやだ、来るな、止めて、誰か、誰か助けて!

「いや、いやぁぁぁ、いやああああああ!来ないで!」
「うるせえ!黙れって。叫んでもこんな場所、誰も来ない事ぐらいわかってんだろぉ?」
 若旦那が、怒りに満ちた表情で声を張り上げた。
 蔵の中からぶら下がる小さな裸電球が男の行動を照らし出す。興奮気味に鼻息を荒くし、ベルトを外し、穿いているズボンの前を開こうとしていた。
「大人しくしてれば殴ったりはしないでやるから、暴れんなよぉ?はははは!」

「来るな、来るな来るな来るな…… いや、いやいやいや!触らないで。助けて、誰か——」

 必死に距離を取ろうと、蔵の中を奥へと逃げていく。そんな事をしてもより不利になり、無駄な行為だと分かってはいても、何もしないではいられなかった。
 目の前の男が何をしようとしているのか想像が追いつかないけど、本能的に自分が汚される事だけはなんとなくわかる。ダメだ、どうにかして、何をしてでも逃げないと。壊れた玩具になってしまっては、ウチで自堕落にしている家人達が私に対して取る行動など、ロクなものでは無くなるに決まっている。

 助けて、いやだ、助けて助けて助けて…… 。

 必死に願うが、この世には神も仏もいないんだって事は充分過ぎる程に体感していて、何にすがっていいのか浮かばない。もうこの際、悪魔だろうか化け物だろうがなんでもいい。今この瞬間に私を助けてくれるのなら、代償として何だって差し出せるのに。
 ボロボロと涙が瞳から零れ落ち、祈る様に組んだ手に力を入れる。蔵の隅っこに追いやられ、もう自分に逃げ場は無い。いっそ殺して欲しいけど、多分違う。もっと、もっと酷い目に合うんだ。
 気味の悪い異物をボロンとズボンから出し、「ほら、女はみんなコレが欲しいんだろぉ?お前らが子種を欲しがるのは本能だもんなぁ」と言われたが、吐き気しかしない。この男は一体何の話をしているのだ。そんなモノを欲しがる者などいる筈が無い。男の手がヌッとこちらの方へ伸びてきて、とんでもない思い込みで自分が追い詰められているのかと思うと、嫌悪感で気が遠くなりそうだ。

 あぁもうダメだ、舌でも噛もうか。

 私がそう決意し、思いっ切り口を大きく開けた瞬間——
 ゴッ!と、鈍い音と共に「あがっ…… 」と若旦那が声をこぼした。
 何が…… 起きたのか、薄暗くて詳細がわからない。頭部が不自然にへこみ、額からは赤い血が流れ、若旦那の体が膝から崩れ落ちていった。…… 倒れた若旦那の後ろに、誰か背の高い男の人が立っているのが何となく感じ取れるが、闇に溶けていて顔がよく見えない。

「間に合ってよかった…… 大丈夫かい?」

 優しく声を掛けられ、手を差し出されたが、ガタガタと冷水でも浴びたみたいに震える体は硬直していて意思に反して全く動けない。早く手を取らないと失礼だ。でも、でも…… 一気に気が緩み、意識が薄れていく。

 礼も言えず、ごめんなさい。
 あぁ…… だけど、次に目を覚ましたら…… 彼の為なら、自分は何だってしなければとだけ、胸に刻みながら、私は意識から手を離した。


【終わり】
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