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本編
【最終話】ラベンダーの花言葉
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「……なんていうか、随分赤裸々なお話だね」
パタンっと茶色い革製の本を閉じて、神子・カイルがボソッと呟いた。
顔は赤く、どう反応して良いのかわからない。童話調で綴られた物語だったので、つい人前で読み始めてしまったが、その事を彼は後悔した。
「お年頃なカイル様には、このくらいが丁度いいかと思いまして」
カイルに仕える神官・ブレンが、しれっとした顔のまま答えた。
レクター・ブレン・ライモンド。記憶を保持したまま『輪廻の輪』により転生を繰り返す神官・ブレンとして何度もカイルに仕える彼は、今までにも様々な物語をカイルへと伝えてきた者の一人だ。でも、この様な内容の本をブレンが持って来たのは初めての事だったので、カイルが動揺するのも無理は無かった。
「……いやまぁ、うん。でも僕はお年頃って訳ではないよね?もう何歳かもわかんない超高齢者だよ?」
「では、尚更この様な内容でも問題無いですね」
ニコッと微笑んで返されてしまい、カイルは反応に困った。
この、見聞録なのか、回顧録なのかわからない本の感想を言うべきなのか、否か。もっとも、感想を求められてもどう答えていいのか浮かばないのだが。
「えっと、で?ブレンはこれを僕に読ませて、何を期待してるんだい?」
期待に添える気はしないが、訊かない事にはこの状況を変えられないと思い、カイルは一応訊いてみる事を選んだ。ただカイルを楽しませる為だけに持って来たとは思えない。その為にしては、内容が今までと懸け離れ過ぎている。
「実は、先日戻りましたサビィルから、探し人を見付けたと報告があったのです」
「サビィルから?え、待って、ブレン何を彼に頼んでんの。あの子は僕の伝達係だよ?」
白梟のサビィル。カイルの伝達役として仕えている、話す事が出来る梟だ。あくまで伝達役なので、誰かを探す様な仕事をする役目は無い。カイルが呆れた声をあげるのは当然だった。
「ついで、です。仕事の邪魔に成る程の事は頼んでいません。『休憩時間に少しぐるっと周囲を見て欲しい』くらいのものです」
ブレンの悪びれ無い態度に、カイルが溜息をついた。
「……それで?」
「カイル様は話が早くて助かります」
柔かに微笑み、ブレンが銀とも金ともいえる不思議な色の髪をした頭を軽く下げ、カイルに向かい礼をした。
「ずっと探していた妻を、妻を迎えに行って来てもよろしいでしょうか?」
「妻?ブレン、君はまだ結婚は……。もしかして、前世のかい?」
「はい。“前世持ち”としては生まれられなかった前世での妻です。神官ブレンとして生まれ変わってからずっと探して来たのですが、辺境の深い森の中で暮らしている彼女を見付けるのはなかなか困難でした。ここに戻るまでの間、物語を探しつつ妻を探す旅にも出てみてはいましたが、似た様な景色ばかりで、一人では上手くいかなかったのです」
「……賛成は出来ないよ、それ」
渋い顔をして、カイルは言った。
「何故ですか?」
「だって、今君が逢いに行っても彼女は君を知らないんだよ?」
「それを、カイル様が言いますか!」
ブレンが呆れた声をあげた。
天寿で他界した妻・黒猫のイレイラの生まれ変わりを異世界から召喚して呼び戻し、再び妻として迎えた経緯を持つカイルが言っていい台詞ではな無かったので当然だろう。
「僕達はほら、魂の婚姻を果たした仲だし……」
図星を突かれ、どう答えていいのか思い付かぬまま、カイルはまたブレンの勘に触る言葉を続けてしまった。
「カイル様はズルイです!僕だってそうやって彼女を縛りたいのに!」
悲痛な声が、カイルの執務室の中に響く。
似た様な気質を持つ者同士、お互いの気持ちを察する事が出来る分、カイルはブレンの言い分に反論し難かった。
「で、でも君達では向いてないよ。僕みたいに、待ち続ける事が出来ない分すれ違いが起きやすい。巡り会う土台を作り難い者達には……」
「わかっています、カイル様。わかっています……なので、他の者同様古代魔法の使用をお願いする気はありません」
ブレンがそう言い首をゆるゆると横に降ったが、本音では頼みたいのだなとカイルは察した。が、そこは気が付かなかった事にした。
「カイル様、お願いです。まだ妻は生きています、生きているうちは彼女の側に居たいのです」
悲痛な声に、カイルの気持ちがブレた。あれだけ愛した相手がまだ生きているとあっては、逢いたいと思うのは仕方がないと。でも、会う事が互いのためになるかどうかは何ともいえない。
額を押さえて、カイルが深い溜息を吐いた。どうしていいのか迷っている。止められる気がしない。行くなと止めたとして、諦められるわけがないだろう。そうなると、ここはあえて行かせた方がスッキリするのかも。
「わかった、わかったよ。僕の負けだ」
カイルは座っていた椅子から立ち上がり、ブレンに近づく。彼の前に立つと、カイルが肩に手をおいた。
「何があっても、受け入れる。無理強いはしない。約束できる?僕の、神官として」
ブレンはくっと声を詰まらせた。無理矢理にでも彼女を連れて帰る気満々だった事がバレたと思った。似ているがゆえに。
「……わかりました。説得してみせます」
口を引き結び、頷くブレン。
期待していた答えとは違ったが、カレンは彼を送り出すしかなかった。
◇
カイル様を祀る神殿から旅立って一週間。
目的の辺境の森までは、世界各地に設置してある転移ポータルという物を使って近くまで移動して来た。
転移ポータルはこの広過ぎる世界の各地に散らばる、古代遺跡の一つだ。主な街の周辺に必ずあり、ポータル間で自由に各地を移動できるとても便利なものだ。
その便利な代物を使っても、辺境の森というヒントのみで前世の妻を探し出すのは本当に大変だった。僕が前世で住んでいた辺境の村の名前なんか其処彼処に溢れていたし、辺境の森なんて街から遠く離れればもう『辺境の森』だ。フザケンナと言いたかった。そんな中から妻を見つけるとか、藁の中から針を探すようなもんだ。
それでも、見つける事が出来た。という事は、これはまた巡り会う運命だったんだと思う。
そうだ……そうだよ、そう思うと心が踊って仕方がない。
逢える、また逢えるんだ、妻のミリアに。
街からは馬を借りて移動する事にした。前程僕は運動が得意では無いので、そうするしか無いのが残念だ。
最低限の荷物を持ち、点在する村々で泊まりながら森を目指す。
目的の森の入り口まで行く事が出来れば、そこからもう着いたも同然だ。流石に森の中は覚えている。しかも、ラベンダーの香りが目印になるとサビィルが言っていたのできっとすぐに見つけられる筈だ。香りを追うのは妻の様に得意では無いが、ラベンダーの香りはよく知っているし何とかなるだろう。
昔住んでいた、一番森から近い村へと着いた。
とても小さい集落だし、観光客が来る様な地域でも無いので宿泊施設は無い。せめて水だけでも譲ってもらおうと、昔住んでいた家のドアをノックした。
出てきた女性に水を譲ってもらい、礼を言う。
彼女等が前世の自分の血縁者だとすぐに気が付いたが、その事には触れなかった。転生して姿形も違う私に色々言われても困らせるだけだ。
愛想よく見送ってくれる姿を見て、少し複雑な気持ちになった。自分の子供だった者に親だと名乗れない。懐かしさに浸る間も無く別れねばならない事に。転生を繰り返し、何度似たような状況を経験しても、こればっかりは慣れない。
その事が少し、これからミリアに逢いに行こうとしている気持ちに影を落とす。『だって、今君が逢いに行っても彼女は君を知らないんだよ?』と、カイルに言われた言葉が頭をよぎった。
「不安がるな、何度も拒絶されたってあんなに諦めないでいたじゃないか」
森の入り口に立ち、自分へ言い聞かせる。
逢いたい、逢いたい、生まれ変わったというのに君を諦められないんだ。
大丈夫、だって目印は“ラベンダー”なんだし。
馬を進ませて、森へと入っていく。
入り口横には相変わらず【凶暴な魔物・獣出没!注意!】の看板が掲げられていて、人が出入りしている痕跡は無い。誰かが来る事があったとしても痕跡を残す様なヘマをするような者では無いのだろう。僕が昔、そうであった様に。子供の頃は多少の悪戯をして悪目立ちしてしまったりもあったが、そんなもの若気の至りだ。
思い当たる場所まで進むに連れて、記憶の中の森の姿と風景が一致していく。長年住み見慣れた森の景色に、懐かしさを感じた。
ここまで来る事が出来ればもう迷う事無くミリアを見付けられそうだ。そう思うと、不安よりも高揚感の方が勝ってくる。ドキドキと心が高鳴り、呼応して馬が速度を上げていく。
「ミリア、ミリア……」
妻の名前を勝手に呟いてしまう。逢いたいとしか考えられない。
顔を見たら暴走してしまいそうだ。そう思うくらい、気持ちが高ぶっていた。
一時間程経っただろうか。
獣道をひたすら進み、少しづつラベンダーの香りを感じられる様になってきた。目的地が近い証拠だ。
「まだあの家に住んでいたのか」
到着していなくても、確信出来た。ミリアは祖母から譲ってもらったログハウスにまだ住んでいる、と。
祖母は亡くなる直前、僕が最後まで会う事が無かった祖父と共に旅へ出ると言い出し、ログハウスを僕達に譲ってくれた。その後祖母とは二度と会えなかったが、二人ともほぼ同時に旅立ったとその後ミリアの仲間から教えてもらった。穏やかで、とても安らかな最期だったと聞けて羨ましく思った。
僕は馬から降りて、近くの木にその子をつないだ。
どちらの事も怯えさせてしまっては可哀想なので、この先は連れて行かない方がいいだろう。残念ながら、狼のミリアは動物にあまり好いてはもらえないから。
徒歩でログハウスの方へと向かう。
だんだんと木々が少なくなり、視界を薄紫色が占めていく。
綺麗な景色が目に映って嬉しい気持ちになるのに、それと同時に緊張で口から心臓が飛び出しそうにもなった。それを誤魔化す様に、外出用の神官服のフードを深く被り、顔を隠す。顔が強張り、手が震えるのもそっと服で隠した。
深呼吸を繰り返し、落ち着こうとするがなかなか上手くいかない。こんなに自分が臆病者だと思っていなかったので、悔しい気持ちにもなる。
「落ち着け、落ち着けって……」
繰り返し呟き、ラベンダー畑の間を進んでログハウスを目指しす。
もう建物も目前だと思ったら、ドアが開き中から探し人本人が出てきた。
彼女の姿が見え始め、時間の流れがやけにゆっくり感じられた。
銀色の髪に、狼の耳。白い肌、愛らしい顔立ち……ふっくらとした長い尻尾。狼の一族であるおかげで、妻の姿は最後に見た時から全く変わっていなかった。
前世からずっと追い求めてるその姿を、今世でも見られた事に感動して、呼吸をする事を忘れてしまう。
「その服は神子の神官だな。こんな場所に何の用だ?私達は神子では無いぞ」
聞こえた声に目眩がした。これ程までに嬉しい気持ちになったのは久方ぶりだ。
首を傾げ、不思議そうな顔をするミリアの仕草ににもドキドキする。
「わかっております」
声が少し震えた。それも構わず、胸に手を当てて頭を下げる。
「神子カイル様に仕える神官が一人、レクター・ブレン・ライモンドと申します」
「カイル……あぁ、羊の角の。じゃあますます私には無関係だ。早く帰った方がいい、この森は危ないぞ」
頷き、納得した様な顔をすると、即座に僕に向かい追い払う様な仕草をされた。
まだ僕が誰かを知らないのだ、この仕草に深い意味など無いとわかっていても、少し傷付いた。
フードを脱ぎ、顔を出そうとする手が震える。僕を見て顔をしかめる姿が安易に想像出来て、臆病な心をナイフで抉った。前世と比べ、随分小心者になったものだ。
それでも勇気を振り絞り、頭からフードを取る。そうしなければ、話は始まらないと思うから。顔を出し、恐る恐る入り口前に立つミリアの方を仰ぎ見る。
何と説明したらいいのか……。
思い付かず黙っていると、じっと僕を見ていたミリアの表情が緩んだ。
「お前は、ほんとボスに……祖父に似たのだな。お前は来られないと思っていたのに」
ふぅと息を吐き、ミリアは腕を組んでログハウスの壁に寄りかかった。
「私がこの家から離れられなくなったのは、お前が植えたラベンダーの呪いだな。まさかここまで増えるとは思っていなかったぞ?周囲の木を切って、切って、ここまで増えた。観光地みたいだろ、こんなになると。上からもさぞ目立つだろうなぁこれじゃ」
広いラベンダー畑をミリアが顎で指す。
促される様に、僕はラベンダーの畑に目をやった。昔は野菜畑の方がずっと面積が広かったのに、今はすっかり紫色の面積の方が大きい。この中で彼女が、ずっと暮らしていたと思うと、感慨深い気持ちになった。
『あなたを待っています』
『期待』
ミリアが僕を待っていてくれる事を期待して、僕の気持ちを花言葉にのせて、晩年この庭にラベンダーを植えた。
僕がいつか生まれ変わっても、また君に逢いたい。
まさか自分が神官・ブランの転生者だとは知らなかったので、記憶を持ったまま生まれ変わる事が出来るなんて、前世では微塵も思っていなかった。
それでも、この世界で輪廻転生する僕達ならいつかまた逢える事があるかもしれない。その程度の気持ちだったのに。
「驚いた……。僕が誰か、気が付いてくれるなんて思いもしなかったよ」
風が吹き、ラベンダーの香りが鼻孔をくすぐる。
僕の緊張は、この香りとミリアの言葉がすっかり吹き飛ばしてくれていた。
「お前くらいだろ、わざわざ危険を冒してまでこんな森の中へ、私に逢いに来る人間なんて。いつだって……そうだったろう?」
にっとした微笑みが、すぐに感慨深い表情へと変わる。
心がシンクロした気がした。
どちらかともなく、ギュッとお互いに抱きしめ合う。
「おかえりなさい、レン」
「あぁ、ただいま……ミリア」
“輪廻の輪”に囚われた僕達は、またこうして出逢いを繰り返す。
【終わり】
パタンっと茶色い革製の本を閉じて、神子・カイルがボソッと呟いた。
顔は赤く、どう反応して良いのかわからない。童話調で綴られた物語だったので、つい人前で読み始めてしまったが、その事を彼は後悔した。
「お年頃なカイル様には、このくらいが丁度いいかと思いまして」
カイルに仕える神官・ブレンが、しれっとした顔のまま答えた。
レクター・ブレン・ライモンド。記憶を保持したまま『輪廻の輪』により転生を繰り返す神官・ブレンとして何度もカイルに仕える彼は、今までにも様々な物語をカイルへと伝えてきた者の一人だ。でも、この様な内容の本をブレンが持って来たのは初めての事だったので、カイルが動揺するのも無理は無かった。
「……いやまぁ、うん。でも僕はお年頃って訳ではないよね?もう何歳かもわかんない超高齢者だよ?」
「では、尚更この様な内容でも問題無いですね」
ニコッと微笑んで返されてしまい、カイルは反応に困った。
この、見聞録なのか、回顧録なのかわからない本の感想を言うべきなのか、否か。もっとも、感想を求められてもどう答えていいのか浮かばないのだが。
「えっと、で?ブレンはこれを僕に読ませて、何を期待してるんだい?」
期待に添える気はしないが、訊かない事にはこの状況を変えられないと思い、カイルは一応訊いてみる事を選んだ。ただカイルを楽しませる為だけに持って来たとは思えない。その為にしては、内容が今までと懸け離れ過ぎている。
「実は、先日戻りましたサビィルから、探し人を見付けたと報告があったのです」
「サビィルから?え、待って、ブレン何を彼に頼んでんの。あの子は僕の伝達係だよ?」
白梟のサビィル。カイルの伝達役として仕えている、話す事が出来る梟だ。あくまで伝達役なので、誰かを探す様な仕事をする役目は無い。カイルが呆れた声をあげるのは当然だった。
「ついで、です。仕事の邪魔に成る程の事は頼んでいません。『休憩時間に少しぐるっと周囲を見て欲しい』くらいのものです」
ブレンの悪びれ無い態度に、カイルが溜息をついた。
「……それで?」
「カイル様は話が早くて助かります」
柔かに微笑み、ブレンが銀とも金ともいえる不思議な色の髪をした頭を軽く下げ、カイルに向かい礼をした。
「ずっと探していた妻を、妻を迎えに行って来てもよろしいでしょうか?」
「妻?ブレン、君はまだ結婚は……。もしかして、前世のかい?」
「はい。“前世持ち”としては生まれられなかった前世での妻です。神官ブレンとして生まれ変わってからずっと探して来たのですが、辺境の深い森の中で暮らしている彼女を見付けるのはなかなか困難でした。ここに戻るまでの間、物語を探しつつ妻を探す旅にも出てみてはいましたが、似た様な景色ばかりで、一人では上手くいかなかったのです」
「……賛成は出来ないよ、それ」
渋い顔をして、カイルは言った。
「何故ですか?」
「だって、今君が逢いに行っても彼女は君を知らないんだよ?」
「それを、カイル様が言いますか!」
ブレンが呆れた声をあげた。
天寿で他界した妻・黒猫のイレイラの生まれ変わりを異世界から召喚して呼び戻し、再び妻として迎えた経緯を持つカイルが言っていい台詞ではな無かったので当然だろう。
「僕達はほら、魂の婚姻を果たした仲だし……」
図星を突かれ、どう答えていいのか思い付かぬまま、カイルはまたブレンの勘に触る言葉を続けてしまった。
「カイル様はズルイです!僕だってそうやって彼女を縛りたいのに!」
悲痛な声が、カイルの執務室の中に響く。
似た様な気質を持つ者同士、お互いの気持ちを察する事が出来る分、カイルはブレンの言い分に反論し難かった。
「で、でも君達では向いてないよ。僕みたいに、待ち続ける事が出来ない分すれ違いが起きやすい。巡り会う土台を作り難い者達には……」
「わかっています、カイル様。わかっています……なので、他の者同様古代魔法の使用をお願いする気はありません」
ブレンがそう言い首をゆるゆると横に降ったが、本音では頼みたいのだなとカイルは察した。が、そこは気が付かなかった事にした。
「カイル様、お願いです。まだ妻は生きています、生きているうちは彼女の側に居たいのです」
悲痛な声に、カイルの気持ちがブレた。あれだけ愛した相手がまだ生きているとあっては、逢いたいと思うのは仕方がないと。でも、会う事が互いのためになるかどうかは何ともいえない。
額を押さえて、カイルが深い溜息を吐いた。どうしていいのか迷っている。止められる気がしない。行くなと止めたとして、諦められるわけがないだろう。そうなると、ここはあえて行かせた方がスッキリするのかも。
「わかった、わかったよ。僕の負けだ」
カイルは座っていた椅子から立ち上がり、ブレンに近づく。彼の前に立つと、カイルが肩に手をおいた。
「何があっても、受け入れる。無理強いはしない。約束できる?僕の、神官として」
ブレンはくっと声を詰まらせた。無理矢理にでも彼女を連れて帰る気満々だった事がバレたと思った。似ているがゆえに。
「……わかりました。説得してみせます」
口を引き結び、頷くブレン。
期待していた答えとは違ったが、カレンは彼を送り出すしかなかった。
◇
カイル様を祀る神殿から旅立って一週間。
目的の辺境の森までは、世界各地に設置してある転移ポータルという物を使って近くまで移動して来た。
転移ポータルはこの広過ぎる世界の各地に散らばる、古代遺跡の一つだ。主な街の周辺に必ずあり、ポータル間で自由に各地を移動できるとても便利なものだ。
その便利な代物を使っても、辺境の森というヒントのみで前世の妻を探し出すのは本当に大変だった。僕が前世で住んでいた辺境の村の名前なんか其処彼処に溢れていたし、辺境の森なんて街から遠く離れればもう『辺境の森』だ。フザケンナと言いたかった。そんな中から妻を見つけるとか、藁の中から針を探すようなもんだ。
それでも、見つける事が出来た。という事は、これはまた巡り会う運命だったんだと思う。
そうだ……そうだよ、そう思うと心が踊って仕方がない。
逢える、また逢えるんだ、妻のミリアに。
街からは馬を借りて移動する事にした。前程僕は運動が得意では無いので、そうするしか無いのが残念だ。
最低限の荷物を持ち、点在する村々で泊まりながら森を目指す。
目的の森の入り口まで行く事が出来れば、そこからもう着いたも同然だ。流石に森の中は覚えている。しかも、ラベンダーの香りが目印になるとサビィルが言っていたのできっとすぐに見つけられる筈だ。香りを追うのは妻の様に得意では無いが、ラベンダーの香りはよく知っているし何とかなるだろう。
昔住んでいた、一番森から近い村へと着いた。
とても小さい集落だし、観光客が来る様な地域でも無いので宿泊施設は無い。せめて水だけでも譲ってもらおうと、昔住んでいた家のドアをノックした。
出てきた女性に水を譲ってもらい、礼を言う。
彼女等が前世の自分の血縁者だとすぐに気が付いたが、その事には触れなかった。転生して姿形も違う私に色々言われても困らせるだけだ。
愛想よく見送ってくれる姿を見て、少し複雑な気持ちになった。自分の子供だった者に親だと名乗れない。懐かしさに浸る間も無く別れねばならない事に。転生を繰り返し、何度似たような状況を経験しても、こればっかりは慣れない。
その事が少し、これからミリアに逢いに行こうとしている気持ちに影を落とす。『だって、今君が逢いに行っても彼女は君を知らないんだよ?』と、カイルに言われた言葉が頭をよぎった。
「不安がるな、何度も拒絶されたってあんなに諦めないでいたじゃないか」
森の入り口に立ち、自分へ言い聞かせる。
逢いたい、逢いたい、生まれ変わったというのに君を諦められないんだ。
大丈夫、だって目印は“ラベンダー”なんだし。
馬を進ませて、森へと入っていく。
入り口横には相変わらず【凶暴な魔物・獣出没!注意!】の看板が掲げられていて、人が出入りしている痕跡は無い。誰かが来る事があったとしても痕跡を残す様なヘマをするような者では無いのだろう。僕が昔、そうであった様に。子供の頃は多少の悪戯をして悪目立ちしてしまったりもあったが、そんなもの若気の至りだ。
思い当たる場所まで進むに連れて、記憶の中の森の姿と風景が一致していく。長年住み見慣れた森の景色に、懐かしさを感じた。
ここまで来る事が出来ればもう迷う事無くミリアを見付けられそうだ。そう思うと、不安よりも高揚感の方が勝ってくる。ドキドキと心が高鳴り、呼応して馬が速度を上げていく。
「ミリア、ミリア……」
妻の名前を勝手に呟いてしまう。逢いたいとしか考えられない。
顔を見たら暴走してしまいそうだ。そう思うくらい、気持ちが高ぶっていた。
一時間程経っただろうか。
獣道をひたすら進み、少しづつラベンダーの香りを感じられる様になってきた。目的地が近い証拠だ。
「まだあの家に住んでいたのか」
到着していなくても、確信出来た。ミリアは祖母から譲ってもらったログハウスにまだ住んでいる、と。
祖母は亡くなる直前、僕が最後まで会う事が無かった祖父と共に旅へ出ると言い出し、ログハウスを僕達に譲ってくれた。その後祖母とは二度と会えなかったが、二人ともほぼ同時に旅立ったとその後ミリアの仲間から教えてもらった。穏やかで、とても安らかな最期だったと聞けて羨ましく思った。
僕は馬から降りて、近くの木にその子をつないだ。
どちらの事も怯えさせてしまっては可哀想なので、この先は連れて行かない方がいいだろう。残念ながら、狼のミリアは動物にあまり好いてはもらえないから。
徒歩でログハウスの方へと向かう。
だんだんと木々が少なくなり、視界を薄紫色が占めていく。
綺麗な景色が目に映って嬉しい気持ちになるのに、それと同時に緊張で口から心臓が飛び出しそうにもなった。それを誤魔化す様に、外出用の神官服のフードを深く被り、顔を隠す。顔が強張り、手が震えるのもそっと服で隠した。
深呼吸を繰り返し、落ち着こうとするがなかなか上手くいかない。こんなに自分が臆病者だと思っていなかったので、悔しい気持ちにもなる。
「落ち着け、落ち着けって……」
繰り返し呟き、ラベンダー畑の間を進んでログハウスを目指しす。
もう建物も目前だと思ったら、ドアが開き中から探し人本人が出てきた。
彼女の姿が見え始め、時間の流れがやけにゆっくり感じられた。
銀色の髪に、狼の耳。白い肌、愛らしい顔立ち……ふっくらとした長い尻尾。狼の一族であるおかげで、妻の姿は最後に見た時から全く変わっていなかった。
前世からずっと追い求めてるその姿を、今世でも見られた事に感動して、呼吸をする事を忘れてしまう。
「その服は神子の神官だな。こんな場所に何の用だ?私達は神子では無いぞ」
聞こえた声に目眩がした。これ程までに嬉しい気持ちになったのは久方ぶりだ。
首を傾げ、不思議そうな顔をするミリアの仕草ににもドキドキする。
「わかっております」
声が少し震えた。それも構わず、胸に手を当てて頭を下げる。
「神子カイル様に仕える神官が一人、レクター・ブレン・ライモンドと申します」
「カイル……あぁ、羊の角の。じゃあますます私には無関係だ。早く帰った方がいい、この森は危ないぞ」
頷き、納得した様な顔をすると、即座に僕に向かい追い払う様な仕草をされた。
まだ僕が誰かを知らないのだ、この仕草に深い意味など無いとわかっていても、少し傷付いた。
フードを脱ぎ、顔を出そうとする手が震える。僕を見て顔をしかめる姿が安易に想像出来て、臆病な心をナイフで抉った。前世と比べ、随分小心者になったものだ。
それでも勇気を振り絞り、頭からフードを取る。そうしなければ、話は始まらないと思うから。顔を出し、恐る恐る入り口前に立つミリアの方を仰ぎ見る。
何と説明したらいいのか……。
思い付かず黙っていると、じっと僕を見ていたミリアの表情が緩んだ。
「お前は、ほんとボスに……祖父に似たのだな。お前は来られないと思っていたのに」
ふぅと息を吐き、ミリアは腕を組んでログハウスの壁に寄りかかった。
「私がこの家から離れられなくなったのは、お前が植えたラベンダーの呪いだな。まさかここまで増えるとは思っていなかったぞ?周囲の木を切って、切って、ここまで増えた。観光地みたいだろ、こんなになると。上からもさぞ目立つだろうなぁこれじゃ」
広いラベンダー畑をミリアが顎で指す。
促される様に、僕はラベンダーの畑に目をやった。昔は野菜畑の方がずっと面積が広かったのに、今はすっかり紫色の面積の方が大きい。この中で彼女が、ずっと暮らしていたと思うと、感慨深い気持ちになった。
『あなたを待っています』
『期待』
ミリアが僕を待っていてくれる事を期待して、僕の気持ちを花言葉にのせて、晩年この庭にラベンダーを植えた。
僕がいつか生まれ変わっても、また君に逢いたい。
まさか自分が神官・ブランの転生者だとは知らなかったので、記憶を持ったまま生まれ変わる事が出来るなんて、前世では微塵も思っていなかった。
それでも、この世界で輪廻転生する僕達ならいつかまた逢える事があるかもしれない。その程度の気持ちだったのに。
「驚いた……。僕が誰か、気が付いてくれるなんて思いもしなかったよ」
風が吹き、ラベンダーの香りが鼻孔をくすぐる。
僕の緊張は、この香りとミリアの言葉がすっかり吹き飛ばしてくれていた。
「お前くらいだろ、わざわざ危険を冒してまでこんな森の中へ、私に逢いに来る人間なんて。いつだって……そうだったろう?」
にっとした微笑みが、すぐに感慨深い表情へと変わる。
心がシンクロした気がした。
どちらかともなく、ギュッとお互いに抱きしめ合う。
「おかえりなさい、レン」
「あぁ、ただいま……ミリア」
“輪廻の輪”に囚われた僕達は、またこうして出逢いを繰り返す。
【終わり】
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