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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第十ニ話】診察に行くには②(十六夜・談)

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「——お、久しぶりだなぁ。元気にしてたか?」
「あら。買い物かい?随分と大荷物ねぇ。…… な、何を買ったんだい、アンタはもう」
「ハデスー。洗濯は出来たわよ!後で宅配に行くけど、何時なら在宅だい?」

 距離があるとくぐもっていてきちんと聞こえない時もあるが、色々な人の声が次々に聞こえてくる。ちょっと歩くだけでこれではハデスさんが出無精になるのも納得だ。村全体の人数が少ないからなのか若者を気に掛けるのは当たり前の事なのか。誰相手だろうがこんな感じである可能性も高そうだ。

 そんな事を考える余裕が自分にある事に驚きを隠せない。…… だって今の私は、彼の最初の提案通り、大きめのローブを着て彼に抱き抱えられているとかそんな状況ではなく——

 ハデスさんが肩から下げている大きな鞄の中に潜んでいる状況なのだから。


       ◇


 話は少し遡る。
 最初は順当に、彼の提案通りに進むはずだった。ハデスさんが普段使っている深緑色のローブを受け取り、白いシャツ一枚しか着込んでいない姿のまま、それを羽織る。前側のボタンを留めてフードを被り、くるっと振り返った途端、彼は急に『駄目だ。こんな姿で外に出るなんて、誘拐される』と世迷い言を言い出し始めた。真顔でだ。本気で言っていると理解は出来たが、大きなローブにすっかりほぼ全てが隠れ、見えているのは口元と足首から下くらいだというのに、そんな姿の者を誰が誘拐しようと思うのか。しかもこんな狭い村の中で誘拐なんかしたってどうせすぐにバレる。営利誘拐なんて発想はそもそも無いだろうし、いや…… そもそも誘拐なんて事を思い付くような人が居るんだろうか?この村に。

『下着も着ずに大きな白いシャツを一枚羽織っているだけの姿だってだけでもアレなのに、分厚い布のローブでそれらを全て覆い隠している状態だなんて…… 』
 その後何やらずっとブツブツと小声で何やらこぼしながらハデスさんは部屋から立ち去ってしまい、続きの言葉は全然聞こえなかった。


 五分程後。
 寝室にハデスさんが戻って来た。手には何やら大きな袋を抱えている。
『それは?』と問いながらフードを脱ぐと、ハデスさんが『うっ』と短い声をあげ、口元を引き結んだ。耳も頬を赤いがどうしたというんだろうか?
『え、えっと。これに入れて運ぶのはどうかなと思って持って来たんだ』
 そう言ってハデスさんが運んで来た袋を広げた。ナイロン製の丈夫そうな黒い袋だ。

 こ、これには見覚えがある気がする。

 過去の遺物として残っていた映像群の中には映画とかドラマといった物が混じっていた。その中でも刑事ドラマやサスペンスといったジャンルの中で見た様な…… 。瞼を閉じて必死に記憶の中に探りを入れる。そして私は目の前の物の正体を思い出し、ハッとしながらクワッと目を見開いた。

 これ、死体袋だ!

『こ、これ、あの、これに、私が?』
 声が震え、目の前にある袋を指差す。
『大丈夫、新品だよ』

 そういう問題だろうか?

『…… 死体袋を抱えて、病院へ?』
『うん』
 彼には顔色一つ変える気配がない。怪我人を死体袋に入れて運ぶと思い付いたのは別に苦肉の策とかではなく、素の発想の様だ。
『逆なら、まぁ不審には思わないでしょう。誰が亡くなったんだと追求はされるかもしれませんけど。でも、中身の入った死体袋を病院へ運ぶのはどういう状況なんでしょう?返ってオカシイに思われて、何かしら追求されるのでは?』
『確かに』とすぐに納得し、ハデスさんは頷いてくれた。

『不審に思った奴に中を暴かれて、真っ白い肌と銀糸の様な髪を持つ君の、黒を纏う美しい姿を見られたら意味が無いな』

 うーんと唸り、ハデスさんが口元に手を当てる。発言が微妙に変な気がするが、真剣に悩む姿は彫刻のように美しい。
『あ、待って。そういえばもっと良い物があるな』
『待ってね』と言って、ハデスさんはまた一旦部屋を離れると、今度は大きな物を数点持って戻って来た。死体袋は部屋の隅に置き、新たに持って来た物を私の前に並べる。
 昔の人々が海外旅行などに行く時に使っていたと聞いたことのあるキャスター付きのキャリーケース、運動服などを詰め込んでいたらしいダッフルバッグ、引っ越しなどに使う感じの大きい段ボールだ。
『これならどうかな。十六夜は、どれだったら周囲の気を引かないで病院まで行けそうだなって思う?』

 人間の考える事って…… 全っ然わかんないや。

 そんな事を考えてしまったけど、笑顔は崩さなかった。偉いぞ私。——さて、この中から選ぶのか。
 今着ているローブ姿が一番良いと思うのだが、既に一度却下されているから『このローブで』と言ったってきっと無駄だろう。ならもう提案通りこの中から選ぶしかない。
 …… 確か、村の中は道が全く整備されていない。アスファルト?何それ美味しいの状態のはずだ。レンガや平たい石を敷き詰めた様な箇所も極端に少ないと事前に聞いている。そんな道ではキャリーケースを引き摺るのは到底無理だろう。ヒトの入っている段ボールなのに怪しくは思われないで済むのなんて、過去の遺産の中でも人気がある、声が渋くってアゴ髭の似合うゲームキャラくらいなものだ。

『…… ダッフルバッグ、ですかね』

 消去法で選んだが、私はこの中に入るのだろうか?確かにバッグ自体は大きい。大鷲の姿に鳥獣化している時ならまだしも、今はヒトの姿だ。到底無理では?と思っていたのに、ハデスさんは『了解。じゃあ早速——』と言いながら用意を始める。バッグを目一杯開き、私の着ていたローブを脱がす。そして膝の後ろに手を回して背中に触れると、そのまま私を抱き上げてバッグの中に座らせた。そして負傷している私の左腕を庇うみたいに気遣いながら状態を整えていく。膝を抱えた様な状態で右側を下にして寝転がらせ、長い髪がファスナーに引っかからないよう頭を布で包んでくれた。
『バッチリだね』
 彼の言う通り、私の体がダッフルバッグの中にすっぽり入っている。しかもちょっと余裕まであるじゃないか。

 …… 私、ホント体小さいんだな。

 わかっていたつもりだったけど、ショックだった。大鷲の姿でも同種より小さめで子供みたいだと揶揄われていたが、ここまで小さいとは流石に自覚してはいなかったからだ。
 泣きそうな気持ちをぐっと堪えて視線だけを上に向けると、何故か恍惚とした表情をしているハデスさんと目が合った。呼吸は雑で、服の胸元をぎゅっと掴んで何かに耐えている。

『あ、あの…… 行かないん、ですか?』
『うん、今すぐにでもイキたいね』

 何でか会話が噛み合っていない気がするが、その原因がわからない。私が困惑していると、ハデスさんは作り物くさい顔でニコッと笑い、『じゃあ出発しようか。今夜もちゃんと眠れる様に、お薬…… またちゃんと出してもらわないとね』と言いながらダッフルバッグのファスナーをゆっくり閉めたのだった。
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