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【第一章】初めての経験

【第七話】先行きへの不安

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 …… ——真っ白な空間には漆黒のベルベットをあしらった天蓋付きの大きなベッドが置かれている。前まではそれしか無かったのだが、今はベッドのすぐ隣に白い幹を持ち、樹冠の葉が薄紫色をした木が一本生えている。一般的にはナイトテーブルなどが置かれている位置だ。
 その木に寄り掛かり、膝を抱えて座る少女の様な容姿の女性が一人。彼女は銀色の美しき髪が顔にかかっているのも構わず、完全に塞ぎ込んでいる。

「…… こっちにおいでよ、十六夜」

 優しい声で彼女にそう声を掛けたのはハデスだ。
 巨大なベッドに腰掛け、手に持った薄紫色をした葉っぱを一枚掴み、くるくると回して手遊びをしている。もう何時間も同じ言葉を掛けているのだが、十六夜は首を横に振るだけで動く気配は無い。
 だが、さっきから同じやり取りを繰り返しているのに、ハデスは嬉しそうだ。自分の意思で落ち込んでいる彼女の姿が愛おしくってしょうがない。本音を言えば今すぐ無理にでも抱え上げてこのベッドに押し倒し、服を剥いて“物語の登場人物偽り”ではないその体を貪り尽くしたい。だが『ヘンゼルとグレーテル』の物語のおかげで、約二千年、溜まりに溜まった欲求不満を多少は解消出来たからか、今は気持ちに余裕があるので、このまま少しの間は我慢出来そうだ。

「ヤリ過ぎちゃった、かな?」

 ハデスは『何を』とは言わなかったが、十六夜の肩がビクッと跳ねた。髪の隙間から見える耳は少し赤く染まり、今彼女が何を思い出してしまったのか容易く見て取れる。クスッと嬉しそうに笑うと、ハデスはベッドから立ち上がり、漆黒のローブの裾をずるずると引きずりながら十六夜の傍に近づき、彼女の隣で腰を下ろした。

「怒っているのかい?」

 十六夜の耳にハデスの不安そうな声が届いた。そのせいか、十六夜は慌てて顔を上げ、「…… いいえ、違います」と即座に否定する。
「じゃあ、恥ずかしいのかな?照れている、とか?」
 首を傾げながら訊かれ、十六夜の無機質な表情が少しだけ揺らぐ。“グレーテル”の時の様に豊かな表情を見せてはくれないが、粉雪の様に真っ白な肌が桜色に染まる様子を見られただけで、ハデスの胸の中は温かな気持ちに包まれた。

「じゃあ、どうしてずっと、そんな場所に座っているんだい?」

 そう訊くと、ハデスを見上げている彼女が自分の胸元を両腕で隠している事に気が付いた。着ているブラウスの前ボタンが弾け飛んだのか、糸だけが布に残り、胸の谷間が微かに盛り上がっている。
 …… おかしいな、とハデスが軽く首を傾げ、真っ白な空を仰ぎ見た。
 記憶の中の十六夜の胸は真っ平らだったはずだ。子供並みの身長と体格。童話に登場する“赤ずきんちゃん”に似た服装がよく似合う体型だったはずなのに、今は記憶の中よりも体が大きくなっている気がする。穿いているスカートは短くなっていて太腿が丸見えだし、革製のブーツはキツかったみたいで十六夜の前に脱ぎ捨ててあった。

「成長、したんだね?」

 みたいです、と答えるみたいに頷き、十六夜は口元を戦慄かせた。服を駄目にしてしまった事でハデスに叱られるのではと不安が募る。だが、今までだったらそんな事にすら考えが及ばなかっただろうに、今はその事に気が付けた事だけ、不思議と嬉しかった。
「服をダメにしてしまい、すみません…… 」
 落ち込むみたいに俯く十六夜の頭をハデスが優しい手付きで撫でる。
「サイズを直さないとね。服のデザインも変えようか?体格に似合ったものにした方がいいかもしれないね」
「ハデス様がそうしたいのならお任せします」
「着てみたいデザインの服はないのかい?」
「ありません」と十六夜が即答した。安定の人形じみた対応だったが、ハデスはそれを気に留める事なく「わかった」と頷いた。

 パチンッとハデスが指を鳴らすと、瞬時に十六夜の着ている衣装が適正サイズの物へと変貌した。コンセプトは変更せず、“赤ずきんちゃん”を連想させるフード付きのポンチョ、袖や胸上部分をレースで作った白いブラウス、紺色をした膝上までのスカート、両サイドに淡いピンク色の蔦の刺繍をあしらった白いハイソックス。このまま彼女をベッドまで運ぶつもりなのでブーツは履いていないままだ。
「これでどうだい?」
 今までよりも少しだけ大人っぽいアレンジを加えたデザインへ変えたおかげか、とても良く似合っている。満足いく品に出来てハデスはご満悦顔だが、良し悪しのわからない十六夜は無表情のまま「ありがとうございます」と言っただけだった。

「——さて、と」
 ハデスは十六夜の体を横向きにして抱き上げると、ベッドの方へ移動し始めた。お姫様抱っこなのだが、十六夜が無表情なままなせいで、ちょっと大きめの人形を運んでいる様に見える。だがそんな彼女に対してハデスは愛おしそうに瞳を細め、「よく似合っているよ」と愛情をたっぷり込めた声色で褒めた。

「…… ありがとう、ございます」

 さっきよりも少し照れの混じる『ありがとう』だった。その事を嬉しく思い、ハデスが十六夜の額にそっと口付けを贈る。物語の中での経験が多少は彼女を変えたのだと思うと心が躍った。
 一番良かったのは体の成長だ。まな板だった胸が少し成長し、肉のない細いだけだった太腿は女性らしいラインが生まれていてとても美しい。体格差は相変わらずあまり埋まっていないが、『幼女と大人』だった二人が辛うじて『少女と大人』くらいまでは近づいたので良しとしよう。

 ベッドに腰掛け、ハデスが十六夜を自分の膝上に座らせる。後ろから腰を抱くと、ハデスはニコッと笑って彼女に話し掛けた。
「さて、次はどんな物語で休暇を楽しもうか」
「…… へ?」
 間の抜けた声が十六夜の口から出た。驚きに目を見開き、勢いよく振り返ってハデスの顔を見上げる。
「もう、休暇は終わったのでは?」
 彼女の体感的にはもう何年も休暇を取った気分だ。驚き過ぎて覚えていない部分も多く、身も心も休まる中身では無かった気もするが、『もうコレで充分です』と言いたくなる濃ゆい中身だった事は断言出来る。

「何を言っているんだい。休暇はむしろこれからだよ?」

「——っ」
 絶句し、十六夜の口から言葉が出てこない。
「『三匹の子豚』とかはどうだい?レンガの家のベッドの上に落っこちて来た狼を、美味しく頂くお話」
「却下します」
 あの童話は絶対にそんな話じゃなかった。このまま従えば『ヘンゼルとグレーテル』の二の舞になる事は火を見るよりも明らかだ。
「えー」と言うハデスが破顔する。十六夜から反対意見が出た事が嬉しいみたいだ。
「じゃあ『白雪姫』は?世界で一番可愛い君を魔女の継母がお城に監禁してもいいし、小人が森の中で君を囲うのも捨て難いね。あぁでも王道は王子様とのハッピーエンドか…… そうなると、王子との出会いからのスタートになるから、最短コースを突き進む感じになっちゃうなぁ」
「ろ、論外です」
 きっと“継母”も“七人の小人”も“王子様”も、中身は全てハデスに違いない。そう思うとどうしても『わかりました』とは同意出来ない。
「そっか、残念だよ。じゃあ書棚に並ぶ物語の中から何か選んでみようか」
「もう休暇を終えるという選択は…… 」と言った十六夜の言葉は、「無いね」の一言でハデスに切り捨てられた。
 今後への期待に満ちた鼻歌を歌い、子供をあやすみたいにハデスが十六夜の体を揺らす。頭を優しく撫でられながら十六夜の胸の中に不安がじわりと広がっていく。

(大丈夫、なんだろうか?またあんな執愛じみた泥沼に堕とされるだけなのでは?)

 無表情なまま抱えたその疑問はやり場が無く、十六夜の心の中に濁りを作る。それと共に彼女は『休暇』の定義がわからなくなっていった。
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