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【33】
しおりを挟むそれは、酷い雨降りの日の夕方だった。
予報では一日曇りで、降水確率は30%と低かった。
なのに予報は大外れ。
帰るまでに止むといいな………なんて思いながら窓を叩く大きな雨粒を眺めて、小さく溜め息を吐いた。
「うーわ………凄い降ってんじゃん!」
「予報が外れましたね」
「まずったなぁ……会社に置き傘ねーよ」
「折り畳み持ち歩いてるんで一緒にどうです?」
「え、あ……野郎と相合い傘か……まぁ、濡れるよりマシか…」
そんな会話が近くから聞こえてきて、思わずマスクの下で微笑んだ。
予想外の雨の為、定時を迎えた多くの従業員がいそいそと帰宅していく。
それを見守りながら業務をこなしていた私の目に、挙動が怪しい佐伯さんの姿が映る。
「佐伯さん……?」
不思議に思いながら様子を窺っていると、彼女はキョロキョロと辺りを警戒している様子。
まさかのサボりか?と思いながら、そっと佐伯さんのあとをつける。
すると、佐伯さんの数10メートル前に男性が歩いているのに気付く。
それは見慣れた背中だった。
帰宅していく従業員達の流れに逆らうように奥へ進む彼。
どうやら、佐伯さんは彼をつけているようで……
「………何で?」
疑問を抱きながらついて行くと、その彼は現在使われていない筈のミーティングルームへと消えた。
佐伯さんは、その扉の前でしゃがみ、耳を貼り付ける。
「何やってんですか?」
何となく大きな声を出しちゃいけないような気がして、声量を抑えめにして佐伯さんに声を掛けた。
にも拘わらず、佐伯さんはビクッと大袈裟に肩を揺らす。
「な、凪ちゃん……」
「お、驚かせてすみません………というか、そんなに驚かなくても…」
怯えたような目を向けられたら、こちらが悪い事をしているような気になる。
「で、何してるんですか?ここに何かあるんですか?」
私の問いに佐伯さんはニヤリと不気味に笑う。
「いや、さっきね、青柳くんが帯ちゃんを呼び出している場面に遭遇しちゃって……」
「え……」
「青柳くんと帯ちゃんといったら、きっと凪ちゃんがらみでしょう?こりゃ聞かない手はないと思って。ふふっ……」
「…………」
楽しそうに笑う佐伯さん。
「盗み聞きなんて駄目ですよ」
佐伯さんを窘めつつ、隣にしゃがむ。
扉に耳を付けると、ひんやりとしていて硬い無機質な感触が伝わってきた。
「凪ちゃんだって、聞く気満々じゃないの」
盗み聞きは悪い事だって認識してるけど、今は好奇心の方が勝ってる。
「悪いね、わざわざご足労頂いちゃって」
「いーえ」
厚い扉を隔てているとはいえ、20人程度が入るそこそこ広いミーティングルームの中では、声が響く。
耳を当てなくても十分に声を拾えた。
「帯刀くん……だよね?君の評判は聞いてるよ。有能らしいじゃない。女子の人気も高いようで、羨ましいよ」
「そらどーも。けど、青柳さんが言うと嫌味にしか聞こえないけど?」
ここで中の様子が見たいと、佐伯さんが扉を少しだけスライドさせた。
バレたらどうすんの?!という思いと、佐伯さんナイス!!という正反対の感情に板挟みにされる。
幸い中の二人には気付かれていない。
薄暗い部屋の中にある二つの影。
窓際の方に立っているのが青柳さんで、手前の方でテーブルに腰掛けているのが帯刀さんだとシルエットで何となく判断出来た。
「俺も色々と聞いてますよ、青柳さんの噂」
「へぇ」
「良い噂も悪い噂も………まぁ、噂ってのは大抵は盛ってある話で、信憑性なんて殆ど0だけど」
帯刀さんの言葉に、一部引っ掛かりを感じる箇所があった。
「非常に興味深いね。良ければどんな内容か教えてよ」
笑いを含んだ青柳さんの声に余裕を感じる。
「総務課のエースの青柳さんは、責任感が強く、どんな仕事を頼んでもパーフェクトに仕上げる。とても優秀で青柳さんが企画して仕切る社内イベントはどれも大成功。誰にでも分け隔てなく接するから信頼も人望も厚い……」
「何だかこそばゆいね」
謙遜しつつも青柳さんはどこか満更ではなさそうだ。
「………というのは表向きで、実際は他人を蹴落としてでものし上がりたいタイプで、能力が劣ると見なした一部の人間には冷酷な態度を取る、非情で無慈悲な男…」
「………なるほど」
明らかに青柳さんの声のトーンが下がった。
「ま、あくまで噂だし、どこまで本当かは分からないけどね」
「噂はあくまでも噂だよ」
「信じてるのは青柳さんを疎ましく思ってるごく一部の人間だけ。ましてや青柳さんは外面が良いようだし?誰も悪評なんて信じちゃいないよ」
「……外面が良いとは聞こえが悪いな」
「あっはは、誠実ぶってるけど、本当は腹の黒い人間なんじゃない?聖人のような完璧な人間なんて、この世に一人も存在しないだろうし」
青柳さんと帯刀さんの言葉の応酬に、私は呆然。
隣にいる佐伯さんは逆に目を輝かせている。
「こ、こういうの、ワクワクしちゃう」
「佐伯さん……」
この状況を楽しめるのは、第三者だからだと思う。
私はハラハラと落ち着かない。
でも、好奇心からその場を離れる事が出来ない。
「それで、話というのは………凪ちゃんの事でしょ?」
突然自分の名前を出されてドキッとした。
「大方、ちょっかい出すなって釘を刺したい感じ?」
「分かってるなら話は早い」
佐伯さんが私の方を見て意味ありげに微笑む。
「はっきり言わせて貰うと、迷惑なんだよ。凪に近付かないで欲しい」
「凪だなんて呼び捨てにしちゃって……もうそんな深い関係なの?」
「それは君には関係ないよね。とにかく彼女に馴れ馴れしくして欲しくない。彼女は俺が先に目を付けたんだ」
「あっはは、俺が先に目を付けたって………意外と子供じみた事言うのねぇ~」
「茶化しはいらない。こっちは真面目な話をしているんだよ。今後一切凪に近付かないと約束してくれないかな?」
青柳さんは、初めこそ穏やかな口調だったものの、途中から厳しい口調になった。
「折角上手く事が運びそうなのに、邪魔をされたくないんだよ」
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