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第1章
来客と本音
しおりを挟む予想外の来訪者にアルフォルトをはじめとした全員が戸惑っていたが、一番驚いていたのはその張本人であるシャルワールだった。
「立ち話もなんだからとりあえず座ろうか」
気まずい空気が流れているが、このままでは埒が明かないと、応接室のソファに座わらせた。
促されるまま座るシャルワールは、居心地が悪そうに周囲を見渡している。
「こんな所まで来てどうしたの?」
「来たら行けないか?」
質問に質問で返して、ツンと顔を背ける。シャルワールの背後にいるライノアは、見えていないのをいい事に物凄く不機嫌な顔をしていた。
大人気無いライノアに苦笑いし、アルフォルトは首を振った。
「シャルワールならいつでも歓迎するよ」
メリアンヌが新しい紅茶を運んでくる。
手際良く二人の前にセットしてくれる侍女を、シャルワールは何とも言えない表情で見つめる。
近くで見たのがはじめてのようで、メリアンヌの外見に脳みそが混乱しているのがわかった。
おそらく色々気になるが不躾な事を言わないよう努めている。
少しおかしくて、アルフォルトは誤魔化すように微笑んだ。
メリアンヌが淹れてくれたお茶から良い香りがするが、シャルワールは一向に手を付けようとしなかった。
「もしかして、紅茶は嫌い?」
「そういう訳では無い······」
歯切れが悪いシャルワールをじっと見つめると、なにやら顔色が悪い。心做しかやつれていて目の下には薄っすらと隈ができている。
「──毒は入ってないよ?」
先に紅茶を飲んで見せると、ハッとした顔をして、結局何も言わずにシャルワールは俯いた。
アルフォルトはメリアンヌを手招きし、準備して欲しいものを伝えて紅茶を下げさせた。
俯いたままのシャルワールはどうやら項垂れているようで、何かを言いかけては口を閉じてため息を吐く。アルフォルトは敢えて無理に話しかけずに、弟を見守る事にした。シャルワールの後ろに立つライノアは、先程からずっと目つきが鋭く、頼むから人の弟を睨むなと言ってやりたい。
暫くして、メリアンヌがワゴンを運んで来た。
ワゴンには温かいスープと柔らかい白パン、 蒸し鶏と葉物野菜のサラダが乗っていて、手際よくシャルワールの前に並べられる。
アルフォルトはスープの皿に手を伸ばす。
何をする気なのかと、シャルワールが顔をあげた。
「ちょっとお行儀悪いけど我慢してね」
そう言って、スプーンでかき混ぜると、一口分掬って口に入れた。
「?」
不思議そうに見つめてくるシャルワールに構わず、サラダとパンも一口ずつ食べて見せた。
ゆっくり咀嚼して飲み込む。
「見ての通り毒は入ってないからお食べ」
勿論、メリアンヌが毒を入れるとは全く思っていないが、安心させるためだ。
アルフォルトの行動が毒味だと気づき、シャルワールは物凄く渋い顔をした。
「貴方って人は······」
「勿論、僕の側近は毒なんか盛らないけど、食べて見せた方が安心でしょう?」
なんでもない事の様に笑うアルフォルトに、シャルワールは手で顔を覆った。手が震えているのに気づき、アルフォルトは立ち上がると弟の隣に座る。
そっと、シャルワールを抱きしめた。
突然の行動に、シャルワールは驚いて身体を離そうとするが、アルフォルトが離さなかったので諦めたようだ。そもそも、抵抗する気力なんて無いのだろう。
それ程、シャルワールは憔悴していた。
「ご飯、食べれてないんでしょう?」
アルフォルトの言葉に、ビクリと肩を震わせたので図星だろう。
「大丈夫、ここに君の敵は居ないから安心して」
ポンポン、とシャルワールの背中を叩き、懐かしさにアルフォルトは自然と笑みが零れた。二人がまだ小さかった頃。アリアがまだ存命の頃は、今程対立がなく、よく二人で遊んでいた。泣き虫だったシャルワールを、アルフォルトはいつも抱きしめていた。
小さくて柔らかかったシャルワールは、今ではアルフォルトよりも大きく、逞しい身体になっていて、少しだけ寂しい気持ちになる。
久しぶりにシャルワールの温もりを感じていると、腕の中から、小さな声が聞こえた。
「······俺の代わりに、毒入の菓子を食べたと聞いた」
「僕が勝手に食べただけだよ。それより、お茶会台無しにしてごめんね」
シャルワールは顔を上げ、左右に首を振った。
「正直、憤りはあった。でも、参加したくない茶会だったから······母上には悪いけど助かったと思った」
弟の意外な本音にアルフォルトは驚いて、目を見開いた。
「シャルルもそういう事思うんだね」
昔使っていた愛称で呼ばれ、シャルワールは照れくさそうに顔を逸らした。
「か、身体はもう大丈夫なのか?」
話を逸らす為とはいえ、心配してくれた事が嬉しくてアルフォルトは頷いた。
「毒くらい大丈······ばない、いや、もうだいぶ?良くなったヨ、アクウンガツヨカッタノデ」
ライノアが鬼の形相で「病弱設定忘れるな」と圧力を掛けてきたので、視線を逸らして慌てて答える。たどたどしいアルフォルトにシャルワールは怪訝な顔になる。
「何故途中からカタコトになる」
「あーうん、とりあえず落ち着いたならご飯食べようか!
シャルワールから離れて立ち上がり、誤魔化すように食事を促す。スプーンを手にしたシャルワールは、ホッとしたら急激にお腹が空いたのだろう。スープもパンもおかわりをしていた。
「こんな時間に急に来て、悪かった」
食事を終えて気分も落ち着いたのだろう。シャルワールの顔色は、来た時に比べると格段に良くなっていた。
「心配で······気づいたらここに来ていた」
もじもじと、指先を合わせて言葉を選ぶ弟が可愛い。
「久しぶりにシャルルと普通に話せて、僕は嬉しいよ。てっきり、嫌わてると思ってたから」
アルフォルトの言葉にシャルワールはガバッと顔を上げた。
「嫌いになった事は一度もない!」
思ったより大きい声に自分で驚いたのだろう。耳を真っ赤にしてシャルワールはまた俯いた。
「······貴方の立ち居振る舞いに腹が立つ事はある。それに、母上の手前馴れ馴れしくはできないからな」
シャルワールの肩に手を置いて、アルフォルトは微笑んだ。
「公の場では今まで通りの方がいいね」
無言で頷いたシャルワールは、伺うようにアルフォルトを見つめた。
「······また、来てもいいか?」
予想外の反応に、アルフォルトは嬉しくて大きく頷いた。
「いつでも歓迎するよ」
弟と、こんなにゆっくり話したのは何年振りだろう。嫌われているとばかり思っていたアルフォルトは、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
♢♢♢
夜も更けた頃、アルフォルトはベッドに押し倒されていた。
「えーっと、ライノア?」
就寝の挨拶に来たライノアに、シャルワールの話をしたら、何故か押し倒された。
自分に影を落とす従者は、不機嫌さを隠そうともせずにじっとアルフォルトを見つめてくる。
(なんで怒ってるの······?)
「僕、何かしたかな」
「いえ、別に」
(じゃあなんでそんな不機嫌そうなの?!)
上から退く気配もなく、睨みつけてくるので正直怖い。綺麗な顔というのは怒ってると凄みがあってより怖い。
「シャルワール様と、随分仲よくされてたようで」
シャルワール、と聞いてアルフォルトの顔がぱっと明るくなる。
「うん、シャルルに嫌われてなかったみたいで僕嬉しくてさ」
そういえば、昔から照れ屋さんだった事を思い出す。ひとりでくふくふと笑っていたら、ライノアが肩に噛み付いてきた。
「痛っ······え、ライノア?」
ガシガシと噛み付くライノアをバジバジ叩くが、離してくれない。
「ちょっと、どうしたの?さっきから変だよ?僕を噛んでも美味しくないだろ」
「······なんか、むしゃくしゃしたので」
ようやく肩を噛むのをやめたライノアが、ボソボソと呟いた。理由がハチャメチャだ。
「僕だから良いけど、他の人は急に噛まれたらびっくりするからダメだよ」
犬の躾か、と突っ込みたい衝動をぐっと堪えた。
「つまり、貴方なら噛んでも良い、と」
「うん?······まぁ、どうしても噛みたいなら」
完全無欠の従者にこんな悪癖があるだなんて今の今まで知らなかった。
うっかり他の人を噛んでは迷惑になる。それなら自分を噛んで満足してもらうしかない。
返答に満足したのか、ライノアはアルフォルトを離してベッドに腰掛けた。
「シャルワール様は、大層繊細でいらっしゃる」
ライノアは、面白くなさそうに呟いた。
「そりゃあ、毒を盛られたって思ったら怖いんじゃない?」
誰かに命を狙われている状況は、誰だって怖いだろう。シャルワールは毒に耐性がない。ローザンヌは公爵家出身で後ろ盾がしっかりしていたので、シャルワールはアルフォルトほど命の危険はなかった。なによりローザンヌは耐性を作るためとはいえ、微量の毒を小さい子供に与えるなど、言語道断のはずた。
「······ルトは、定期的に命を狙われています」
「僕の母上は身分が低かったし、第二王妃の息子なのに、長男だからね。政治的に見ると煩わしい存在なんだよ」
今でこそ減ったが、一時期は毎晩のように暗殺者の脅威に晒されていた。ライノアと出会う前も、ライノアと出会った後もずっと狙われていた。
ローザンヌが直接指示をしなくても、周りの人間は意志を汲んで勝手に動く。それに、アルフォルトが居ない方が都合がいい貴族は多い。
「貴方は常に悪意に晒されていてもあのように弱ったりはしない」
皮肉に笑うライノアに、アルフォルトはムッとした。
「弟が女々しいって言いたい訳?そして僕は図太い神経だと」
「いえ、そのような事は」
シレッと返すライノアだが、実際そう思っているのだろう。
「僕はそこそこ壊れてるからね。今更殺意を向けられてもあまり何も感じなくなっちゃった」
慣れとは恐ろしいもので、刃物を向けられても毒を自ら食べる時も今はそこまで怖くはない。
漠然と今度こそ死ぬかも、とは思うが殺意に対しての恐怖は然程なかった。
それよりも怖いものがアルフォルトにはあるが、頭の隅に追いやる。
「それに、なにかあってもライノアがいたから平気だったんだよね」
震える夜は、眠るまで傍に居てくれた。怖くて人前に出られなくなった時は、仮面で覆えば良いと教えてくれた。
ニコニコと微笑めば、従者は顔を逸らす。照れた時のライノアの癖だが、耳がほんのり赤くなるのですぐわかる。
「無自覚に人を誑し込むの、貴方の悪い癖ですね」
「え?なんか言った?」
小さく呟いた声が聞き取れなくて尋ねるが、ライノアは首を振っただけだった。
「いえ······シャルワール様だからって、油断し過ぎないでください。あんな無防備に抱きしめるなんて私の精神衛生上良くないです」
「ライノアが何を言ってるのかわからないけど言いたいことは理解した」
弟を守ために行動しているが、シャルワールには常にローザンヌの影が付きまとう。彼女なら、息子を言いくるめてアルフォルトを亡きものにする事だって有り得る。
ここ最近のきな臭さを考えると、警戒するに越したことはない。
守りたい相手すら信用してはいけないのだ 。
「でも、何かあってもライノアは必ず守ってくれるでしょう?」
弟は好きだ。でも信用してはいけない。
「勿論、命に変えてもお守りします」
ライノアが微笑んだ。身を屈め、鼻と鼻が触れ合いそうな距離で見つめてくる。蒼い瞳に自分が映り込む程近くにいて、ここまで近くにいてもいいのはライノアだけだ。
「自分の命は大事にしてよ」
アルフォルトの言葉にライノアは苦笑いして、自分のせいで少し乱れた寝具を直す。
「その言葉、そっくりお返しします──おやすみ、ルト」
「うん、おやすみライノア」
アルフォルトの頭を撫でて、ライノアは部屋を後にした。
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