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第三章
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しおりを挟む――水の、流れる音がする。
(……川の、音……?)
旭はハッと頭の靄が晴れたような気分になった。
辺りを見回して、紫鴉に術をかけられて意識を奪われていたのだと気づく。
「――ちょ……っと! 離して、ください!」
腕を大きく振ると、今度は振りほどくことが出来た。
振り返った紫鴉が煩わしそうに手を横に振って、自身の手を見つめる。
「あら、もう覚めちゃった?やっぱもうあんまり力が無くなってきてるんだなあ」
「何の、話ですか」
「前も言ったと思うけど、俺、社追い出されちゃったの。お願い聞く代わりに色んなものを要求してたら勝手に争いごと始めちゃって、あげくそれを俺のせいにされたから穢れ始めてさあ。力がどんどん減っていってるのが分かる。このまま力が無くなったら、俺死んじゃうしさ。……助けてよ」
真剣な声に、紫鴉の目を見ようとして――途中で動きを止めた。
(いつも……目が合ってから、おかしくなる気がする)
旭は、顔を逸らす。
あの瞳と目が合うと、良くない方向へ導かれてしまう。
「あーあ。気づいちゃった?俺の力の発動条件」
「……わかり、ません」
目を逸らしたまま答えた旭に、紫鴉は舌打ちをした。
「まあいいや。本当は俺の社の近くまで連れてくつもりだったんだけど……。ねえ、何か俺に頂戴」
「え?」
「奉納。分かるでしょ。俺は力が欲しい。君が俺に奉納してよ。そうすれば、白蛇の社まで帰してあげる」
嘘だ、と思った。
この強欲そうな男が、ひとつ奉納されただけで満足するわけがない。
ひとつ奉納すれば、また次を要求される。
(おれが力尽きるまで、きっとずっと、搾取されることになる)
それならばいっそ、ひとつも渡したくはなかった。
旭は横を向いて、水の音がする方へと駆け出した。
「待て!」
慌てた紫鴉の声を振り払うように走ると、川が見えた。
ビュウ、と音を立てて山颪の風が吹く。
川を背にして振り返ると、追いついた紫鴉が旭を嘲笑う。
「入水でもする気?」
「……いいえ」
旭は、むざむざと死にに来たわけではない。
冬の川を渡って、紫鴉から逃げるつもりだった。
「……貴方は、もう飛ぶことが出来ないのではないですか」
「――何?」
「一度目は、木の上にいたのに……二度目は、茂みの中だった」
「それがどうした?視界に入るところにいただけかもしれないだろう?」
「……痙攣していた時。貴方の羽は、明らかにおかしかった。まるで、油でも被ったみたいに……」
穢れによって、羽が使い物にならなくなっているのではないか。
旭の言葉に、紫鴉は答えない。
もし飛ぶことが出来ないのならば、旭は川を渡って逃げることが出来る。
冬の川は凍てつくように冷たく、渡りきるまで体力が持つかは不安だったが、白蛇が『絶対に死ぬな』と言った以上、旭は意地でも生きて川を渡るつもりだった。
「それに……。さっきよりも、瞳の色が……」
じりじりと後ずさりながら、旭は、ちら、と紫鴉の瞳を見る。
意図的に何かに導こうとする時、おそらく紫鴉は言葉を使っている。
黙っているのならば、術は使えないはずだ。
どんよりと淀んだ瞳は、殆ど黒くなりつつあった。
旭を連れ出すとき、旭は社から離れたくない、と思っていたのだ。
それをねじ曲げてまで力を使った上、旭が紫鴉へ嫌悪感を抱いている。
穢れが進んでもおかしくはなかった。
「は、ははは、あははははははは」
突然大口を開けて笑い出した紫鴉に、旭は肩をすくませる。
「はー。そこまで分かってて、俺を助けてはくれないんだ。ひどいね、あんた。自分が助かるためだったら、俺は死んでもいいって?」
「……正しき行いをすれば、生きることは出来る。白蛇さまは、そう仰っていました」
「そういうの、もういいんだって。俺は手っ取り早く力を取り戻して、元の生活に戻りたいわけ。正しき行い?俺はずっと、自分が正しいと思うことをしてる」
(これが、正しいことなわけ、ない)
嫌がる人間を無理矢理連れてきて、何かを差し出せと要求する行為を、正しいとは思えない。
強奪。強請り。
そんな言葉が、当てはまる。
(白蛇さまは……そんなこと、一度だってしなかった)
いつだって、白蛇は旭の意見を尊重してくれた。
困っているときに手を差し伸べてくれて、体調が悪ければ心配してくれて、快適に過ごせるように準備までしてくれた。
最初に助けられた出来事だけでも、白蛇を十年思うには十分だった。
贄として社を訪れてからは、白蛇への思いは募るばかりだ。
自分が白蛇のためにしたいと思うことよりもずっと、白蛇がしてくれたことのほうが多い。
だからこそ、白蛇のためなら何だってできると、そう強く思うのだ。
「……おれは、白蛇さまの贄です。だから……貴方にお渡しできるものは、何もありません」
旭は、胸元をぎゅっと握った。
ここには、白蛇に渡した守り袋の端切れが入っている。
白蛇と自分を繋ぐ、心のよすが。
「何か、持ってるんだ」
旭の無意識の仕草に目ざとく食いついた紫鴉が、にたあ、と口角を上げた。
勢いよく近づいてきて、旭の襟のあたりをを掴もうと手を伸ばす。
旭は後ずさって、川の浅瀬に生えた苔に足を取られ、尻餅をついた。
凍えるほど冷たい水が、旭の着物を濡らす。
「それを、渡せ!」
「い、いやです……!」
紫鴉に馬乗りになられ、ぐいっと懐を開けられた。
旭は必死に身を捩ったが、抵抗虚しくあっさりと端切れが奪われる。
「なんだよ……これ……」
ひらりとその端切れを眼前に広げた紫鴉が、呆れたような声を出した。
「――返せ!」
奪われた端切れを、旭は掴んだ。
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