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第二章
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――それから、一週間。
とうとう、一反分の糸が完成した。
灰汁で茹でて繊維を柔らかくする精錬という工程を終わらせた絹糸を、機織り機に通していく。
部屋の隅に積まれていた蚕のさなぎたちの死骸の入った袋は、白蛇が獣に食わせる、とどこかへ持って行った。
神の土地で殺生をすることが気になって旭が尋ねたら、「何も問題はない」という答えが返ってきた。
生きていくために、殺すこと。
生きとし生けるものは全て、そうした循環に組み込まれている。
『おまえのその殺生も、巡り巡ってお前の血肉となるのだから、何も問題はない』
白蛇はそう言って、袋を全て抱えて去って行った。
手伝いを申し出たが、自分の仕事をこなせと言われてしまったので、旭は機織り機の前に座っている。
手のひらを軽く振って、深呼吸。
(――よし、やるぞ)
気合いを入れて、旭は機織りを始めた。
とんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
慣れた手つきで、旭はどんどん織り進めていく。
体に染みついた動きは、機械が変わっても淀むことはない。
それに糸繰りの作業とは違って朝起きて食事を取ったら、すぐに取りかかれる。
部屋が明るいので、夜も織れそうだ。
杼を左右に滑らせては、筬を打ち込む。
力加減を一定に保ちながら、丁寧に。
この反物で着物を着るのは、どんな人だろう。
(白蛇さまは、白いままでも似合いそう)
結局、思い浮かべるのはたったひとりだった。
どんな色でも着こなすだろうなと思う。初めて会った時は見たことのない装束だったが、普段邸内にいるときは着物をよく着ていたから、想像に容易(たやす)かった。
濃い色ならば、白蛇の白い肌がよく映える。
薄い色ならば、赤い瞳が余計に輝いて見える。
(これからの季節は寒くなるから、袷や羽織にしてもいいな)
白蛇の羽織姿を想像して、旭はうんうんと一人頷く。
今織っている反物は緑狸に渡す予定だが、これからも仕事を貰えそうなら白蛇のために着物を仕立てたい。
(そのためには、ちゃんとこれを完成させなきゃ)
地道な作業は、何一つ苦にならない。
たった一人のことばかりを考え、旭は機織りをしていた。
「……日が暮れるのが、早くなったな」
旭は、手元が暗くなってきた頃、顔を上げる。
良い調子で織れていた。もう少しやりたいと思う気持ちを飲み込んで、旭は立ち上がる。
白蛇と約束した、一日二回の食事は絶対に外せなかった。
一緒に食事をするようになってから、旭は人と食べることの幸せを感じていた。
ただ死なない程度に食べる、動ける程度に食べるのではなく、よく働けるように、ちゃんと食べる。
今までおろそかにしてきたことを、取り戻したいと思う。
(でもそれはきっと、白蛇さまがいるから)
今日は、里芋の煮物だ。山菜を酢と味噌で和えたものときのこの味噌汁で、秋のはじまりらしい夕餉になったと思う。
一緒にする食事も、少しずつ慣れてきた。
苦手なものはないという言葉通り、白蛇は何でもよく食べてくれる。
作りがいがあるな、としみじみ思う。
「今日から、機織りを始めました」
「あと一週間で、一反になりそうか?」
「はい。順調にいけば、少し早めに終えられるかもしれません」
「そうか」
仕事の進捗を、白蛇に報告する。これは習慣になりつつあった。
白蛇が一日をどう過ごしているのか、気にならないと言えば嘘になる。
だが、私室に籠もる白蛇のことを根掘り葉掘り尋ねるのは気が引けて、旭はいつも無難な話ばかりしてしまうのだった。
食事を片付けて、旭は機織りを再開する。
思っていたとおり、部屋は真っ暗というわけではない。
縁側の方の障子を開いていれば、そこそこの光源になった。
規則正しい音で、どれぐらいの時間織っただろう。
風が頬を撫でる感触に、旭はふと顔を上げた。
「――っ!し、白蛇さま……!」
(いつから、そこに)
襖にもたれるようにして白蛇が立っていたので、旭は息を飲んだ。
「ふ。随分集中していたな」
「気づかずすみません……!何かご用でしたか?」
「機織りの音が止まないから、様子を見に来た」
「うるさかったですか……?」
「いや。……おまえが機を織るのを、見てみたかった」
近づいてきた白蛇が、そっと旭の織った布を撫でた。
まるで慈しむような優しい手つきに、裸を見られたあの日のことを思い出し、旭は肌が粟立つ。
「明日も、見に来ていいか?」
「は、はい。もちろんです」
断る理由もないので、旭は頷く。
「――今日はもう遅い。そろそろ切り上げて寝ろ。明日も朝餉を作ってくれるのだろう?」
旭に仕事を切り上げる理由を持たせる言い方だった。
そう言われてしまえば、旭は今日の仕事は終わりにして、寝床につかざるを得ない。
けれど確かに、白蛇が来なければ一晩中機を織っていたかもしれないとも思う。
(一晩中機織りの音がするのは寝づらいだろうな)
「はい。明日は、握り飯にしようと思います」
旭が白蛇の問いに答えると、白蛇は「それはいいな」と柔らかな声で肯定する。
明日は、うんと大きな握り飯を作ろうと旭は思案するのだった。
とうとう、一反分の糸が完成した。
灰汁で茹でて繊維を柔らかくする精錬という工程を終わらせた絹糸を、機織り機に通していく。
部屋の隅に積まれていた蚕のさなぎたちの死骸の入った袋は、白蛇が獣に食わせる、とどこかへ持って行った。
神の土地で殺生をすることが気になって旭が尋ねたら、「何も問題はない」という答えが返ってきた。
生きていくために、殺すこと。
生きとし生けるものは全て、そうした循環に組み込まれている。
『おまえのその殺生も、巡り巡ってお前の血肉となるのだから、何も問題はない』
白蛇はそう言って、袋を全て抱えて去って行った。
手伝いを申し出たが、自分の仕事をこなせと言われてしまったので、旭は機織り機の前に座っている。
手のひらを軽く振って、深呼吸。
(――よし、やるぞ)
気合いを入れて、旭は機織りを始めた。
とんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
慣れた手つきで、旭はどんどん織り進めていく。
体に染みついた動きは、機械が変わっても淀むことはない。
それに糸繰りの作業とは違って朝起きて食事を取ったら、すぐに取りかかれる。
部屋が明るいので、夜も織れそうだ。
杼を左右に滑らせては、筬を打ち込む。
力加減を一定に保ちながら、丁寧に。
この反物で着物を着るのは、どんな人だろう。
(白蛇さまは、白いままでも似合いそう)
結局、思い浮かべるのはたったひとりだった。
どんな色でも着こなすだろうなと思う。初めて会った時は見たことのない装束だったが、普段邸内にいるときは着物をよく着ていたから、想像に容易(たやす)かった。
濃い色ならば、白蛇の白い肌がよく映える。
薄い色ならば、赤い瞳が余計に輝いて見える。
(これからの季節は寒くなるから、袷や羽織にしてもいいな)
白蛇の羽織姿を想像して、旭はうんうんと一人頷く。
今織っている反物は緑狸に渡す予定だが、これからも仕事を貰えそうなら白蛇のために着物を仕立てたい。
(そのためには、ちゃんとこれを完成させなきゃ)
地道な作業は、何一つ苦にならない。
たった一人のことばかりを考え、旭は機織りをしていた。
「……日が暮れるのが、早くなったな」
旭は、手元が暗くなってきた頃、顔を上げる。
良い調子で織れていた。もう少しやりたいと思う気持ちを飲み込んで、旭は立ち上がる。
白蛇と約束した、一日二回の食事は絶対に外せなかった。
一緒に食事をするようになってから、旭は人と食べることの幸せを感じていた。
ただ死なない程度に食べる、動ける程度に食べるのではなく、よく働けるように、ちゃんと食べる。
今までおろそかにしてきたことを、取り戻したいと思う。
(でもそれはきっと、白蛇さまがいるから)
今日は、里芋の煮物だ。山菜を酢と味噌で和えたものときのこの味噌汁で、秋のはじまりらしい夕餉になったと思う。
一緒にする食事も、少しずつ慣れてきた。
苦手なものはないという言葉通り、白蛇は何でもよく食べてくれる。
作りがいがあるな、としみじみ思う。
「今日から、機織りを始めました」
「あと一週間で、一反になりそうか?」
「はい。順調にいけば、少し早めに終えられるかもしれません」
「そうか」
仕事の進捗を、白蛇に報告する。これは習慣になりつつあった。
白蛇が一日をどう過ごしているのか、気にならないと言えば嘘になる。
だが、私室に籠もる白蛇のことを根掘り葉掘り尋ねるのは気が引けて、旭はいつも無難な話ばかりしてしまうのだった。
食事を片付けて、旭は機織りを再開する。
思っていたとおり、部屋は真っ暗というわけではない。
縁側の方の障子を開いていれば、そこそこの光源になった。
規則正しい音で、どれぐらいの時間織っただろう。
風が頬を撫でる感触に、旭はふと顔を上げた。
「――っ!し、白蛇さま……!」
(いつから、そこに)
襖にもたれるようにして白蛇が立っていたので、旭は息を飲んだ。
「ふ。随分集中していたな」
「気づかずすみません……!何かご用でしたか?」
「機織りの音が止まないから、様子を見に来た」
「うるさかったですか……?」
「いや。……おまえが機を織るのを、見てみたかった」
近づいてきた白蛇が、そっと旭の織った布を撫でた。
まるで慈しむような優しい手つきに、裸を見られたあの日のことを思い出し、旭は肌が粟立つ。
「明日も、見に来ていいか?」
「は、はい。もちろんです」
断る理由もないので、旭は頷く。
「――今日はもう遅い。そろそろ切り上げて寝ろ。明日も朝餉を作ってくれるのだろう?」
旭に仕事を切り上げる理由を持たせる言い方だった。
そう言われてしまえば、旭は今日の仕事は終わりにして、寝床につかざるを得ない。
けれど確かに、白蛇が来なければ一晩中機を織っていたかもしれないとも思う。
(一晩中機織りの音がするのは寝づらいだろうな)
「はい。明日は、握り飯にしようと思います」
旭が白蛇の問いに答えると、白蛇は「それはいいな」と柔らかな声で肯定する。
明日は、うんと大きな握り飯を作ろうと旭は思案するのだった。
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