落ちこぼれ御曹司のおれが歴史に名を残すまで。

第一章 幸せが壊れるのはあまりにも呆気なく

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『───……っ』

　撮影が始まった。兄さんが涙を流すのにかかった時間は約一秒。一瞬にして現場の空気が変わったのが分かった。……今まで兄さんと一緒に仕事をしてきた人はすごいね。どれだけ自分の演技に自信があっても、台詞もなくただ泣くだけと言う行為にここまで様々な感情を込めて表現するなんて、普通の人には出来ない。
　憑依型って、恐ろしいね。もちろん努力もあるのは知ってるけど画面越しに見るのと生の演技を見るのとでは全然違う。気圧されるよ。兄さんの演技を見て目標に出来た人と挫折した人、どれくらいの割合になるんだろ…………

「カット！完璧です」
「ありがとうございます」

　早い。短いシーンでも何度もやり直しが出るのは普通。一発で「OK」じゃなくて「完璧」なんだから兄さんの演技力の高さが伺える。
　ちなみにだけど、涙が止まるのも一瞬だったね。そりゃあ本当に悲しんでいるわけではないんだからすぐに泣き止むことは出来るだろうけど、兄さんの場合は雰囲気が変わり過ぎ。何て言うか、一気に空気が緩くなった気がする。撮影中だから全然そんなことはないんだろうけど、緊張感が凄かったから。

「ナオくん、レオンくん」
「監督？なんでしょう」
「佐倉くんの演技、しっかり見ていましたか？」
「もちろんです。あの短い場面ですが並みの努力では演じきれるものではないと感じました」

　次のシーンの準備をする間、兄さんの演技を思い出しながら台本を確認していると兄さんと話していたはずの本郷監督に声をかけられた。

　本郷監督は映画関係の仕事をしている人ならだれでも知っているくらい有名な人だ。本郷監督が担当した映画は見事な采配で、ヒットは間違いないと言われている。完全に実力派な人だから、そんな人に選ばれた役者は間違いなく実力のある人。あるいは見込みのある人。つまり、おれは本郷監督に見込みがあると判断されて代役に立てて頂けたと言うことだからその期待に応えられる演技をしないといけない。

「そうですね。今回の映画のキャストで私が一番重視したことは何か分かりますか？」
「やっぱり実力ですか？」
「もちろんそれもあります。ですが、それで言うなら貴方たちのように役者としての経験が少ない人も多くいると思いませんか？私が一番重視したことは今後の見込みです。この場にいる全員が今すぐに完璧な演技をしろと言って出来る人達ではないと思います。と言うか、佐倉くん以外は無理でしょうね」

　まあそうだよね。遠回しにおれ達ではまだ実力不足と言っているようなものだけど、それは本当のことだからむしろ包み隠さずに言ってくれる方が良い。そういう人の言葉は信用できるからね。