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謎の絵画
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サウナが好きな八菱銀行の役員が、丸の内本部に行員専用サウナを建設した。以来、八菱銀行の株価は下落を続けている。
この報道をテレビで耳にした時、私はリビングで二歳次女のオムツを脱がせていた。この銀行は他でもない、私が新卒の頃から働く日本最大のメガバンクだった。七年間の勤務で得た学びは、人間とは集まるとバカになるということだ。それが、一流大学の出身者だとしても。
ニュースの話題は、全国の紅葉模様に移った。外苑前の銀杏がピークらしいが、今はそんな場合ではない。女子アナの声をかき消す程の音量で、キッチンから女児の鋭い悲鳴が聞こえてくる。四歳になる長女の声だった。
脱いだオムツを手に現場へ向かうと、長女は牛乳の海の上で呆然としていた。
「ななちゃん、落ち着いて。大丈夫だから。」
今にも泣き出しそう彼女に声をかける。泣きたいのはこちらだが、涙は阻止しなければならない。年少児は一度癇癪を起こすと、天使から悪魔へ豹変する。つまり手がつけられなくなる。動画を見せようとスマホを取り出すと、画面は午後三時を示していた。それは、約束の時間を二時間も過ぎていたことを意味していた。
姉の家でベビーシッターをするのは、一時までのはずだった。
『何時に帰ってくる?』
姉にLINEを送ると、間髪入れずに返事が来た。
『ごめん! すぐ帰る』
直後に送られてきた額に汗を流すクマのスタンプは、文面に何の説得力も与えなかった。
双子の姉、礼華が時間通りに帰ってきた試しはない。時間だけではない。彼女は約束を守らない類の人間だった。
そんな姉が許されてきたのは愛嬌と、それなりに整った顔のお陰だった。姉の遺伝子を受け継いだ長女は、期待を込めた目でスマホをじっと見つめている。透き通るような肌は姉譲りだが、何をどう間違えたか目は私に似た切れ目だった。
かつて流行った雪の女王を連想させる編み込みの髪を見ながら、彼女にスマホを渡した。すると長男の耳障りな笑い声が、家中に響き渡った。
「おい、礼子! うんち! うんち!」
六歳を迎えた彼は私の名前と卑猥な言葉を、繰り返し叫んでいる。発狂しそうになる自分を何とか抑え込んで、私は言った。
「汚い言葉使うんじゃねえよ……」
人のことを言えた義理ではないが、相手が相手なので良いとした。舌を出して私を煽る卸し難いクソガキを無視して、リビングへ戻った。そこでは次女が、脱糞していた。
ふかふかの布地のカーペットの上で、黄色と茶色の混じった物体が鎮座している。
「こ、これ。どうやって掃除するんだ?」
あわてふためく私に、長男が小馬鹿にした顔で言い放った。
「スマホで調べれば良いじゃん」
六歳の年長児が、こんな口を聞く。で、私はその通りにした。
ネットで検索すると、商品を買わせたいばかりのアフィリエイト乞食で溢れかえっていた。まともな記事が見つからない。資本主義の行き着く先を憂いながら、長男に聞いた。
「ママ、どうやって掃除してた?」
「ん? 分かんない」
彼は別の大仕事に取り掛かっているようで、こちらを見ずに言い放った。チョコクロワッサンのチョコ棒を中からほじくり出すので忙しいようだ。私は能力を使うことにした。
まずカーペットに触れ(「うわ、きたねえ!」という長男の歓声は無視した)、意識を集中させる。目を、耳を、鼻を、指を、心を。全て『読む取る』ことに向ける。
目の前に映像が現れた。それは掃除のシーンではない。幼児の糞を除去する方法を知るという意味では、失敗したようだった。しかしカーペットの記憶を見ることに関しては成功しており、私に新たな発見を与えてくれた。
飛び込んできた映像は姉の結婚生活という、悲劇だった。
「誰のお陰でこの家に住めてると思ってんの?」
休日の昼下がり、ダイニングルームで姉は夫から大声で罵倒されていた。だいたい要領良く生きてきた姉の人生における、最大の汚点。それはこの男を夫に選んだことだろう。
彼は姉のひとつ上の三十歳で、年齢にしてはかなりの白髪が黒髪に交じっていた。高身長だが横にも大きく、家にいると物理的にも邪魔そうだ。
「お前が俺くらい稼げるの? 無理だろ? じゃあ家事や育児、ちゃんとやれよ」
きゃんきゃんと犬のように吠え立てる巨体を横に、姉は黙って机の上にある食器を片付けていた。夫はキッチンから目ざとくスーパーの惣菜を見つけ、わめいている。手作りでないことに腹を立てているらしい。
「何か言えよ。それとも出ていくか? 黙っているってことは、イエスと取るぞ?」
子供たちは両親から少し離れたリビングでテレビを視て、冷たい無関心を示している。姉が子供たちをちらりと見た。その顔は、ぞっとさせるほど感情を欠いた顔だった。記憶の中にある姉、天真爛漫で優しくて明るい彼女とはかけ離れている。能面のように感情を押し殺した顔は、これが今日に始まったことではないことを語っていた。姉は精神的虐待を受け続けていたのだ。
呆然としている私の肩に、手が置かれる感触があった。その手の持ち主は、姉だった。カーペットから見た記憶と違い、やわらかく笑っている。
「ただいま。礼子、ひどい顔してるわよ。大丈夫?」
私はリビングに置かれた鏡を見た。そこに映る私は義兄への怒りから、世の中のすべてを破壊しそうな二十九歳がうつっていた。
彼女に「ゆっくりできた?」と口から出かけた言葉は、舌の上で溶かした。その言葉は禁句だ。「子供を見てくれた人に、ゆっくりできた? って聞かれるのムカつく。少しの時間のくせに恩着せがましい」という愚痴を、職場の同僚から聞いたことがある。代わりに、おかえり、と言って、カーペットを指差した。
「ごめん、汚した。ねねちゃんのウンチが付いてる」
「いいの、いいの。三人目が生まれてから、インテリアにキラキラは求めてないから」
「雑誌で組まれてる『子供のいる家』。綺麗なのは撮影スペースだけで、あとはぐちゃぐちゃな家ばっかりらしいね」
姉は声を上げて笑った。美容院でピンクブラウンに染めたばかりの、綺麗にカールされた髪が揺れる。裏表のない、きれいな笑みだ。三児の母となった今も、昔と変わらない。
「美容院行けて良かったね。似合ってるよ、髪の毛」
「ありがと。ゆっくりしていって欲しいんだけど……」
姉の表情に影が落ちた。
「今日は、夫が帰ってくるの」
「気にしないで。私も出張が早めに終わったから、寄っただけだし」
今日は木曜日で、本来なら出張は明日までかかる予定だった。中途半端に時間が余り、出社するわけにもいかず、姉の家に寄ったのだった。出社は明日にすれば良い。
支度をしながら姉のバッグを見ると、処方箋の袋が見えた。妻が美容院の頻度に合わせて精神科にも行っているなど、主語を『俺』でしか考えないクソ旦那は気付かないのだろう。ここで裕福な暮らしをさせてくれたとしても、姉を悲しませる男は好きになれない。
怒りを霧散させるためにガキどもとテンション高めのハイタッチをし、姉の家を出た。広々としたマンションのエントランスを抜け、高級住宅街の中を歩く。その間、不思議なことに、ガキどものことが頭から離れなかった。子供というものは不思議だ。数秒前まで忌々しい存在だった筈が、離れた瞬間にすぐ顔を見たくなる。
出張を前倒して切り上げたことで、良いことと悪いことがあった。
良いことは姉に喜んでもらえたことだった。子供が生まれてから専業主婦になった姉は、なかなか一人になれる時間がない。
映像を見る前から、姉の夫が亭主関白であることは知っていた。令和の現在に、昭和の価値観を引きずっている。そしてイクメンを馬鹿にしていた。「育児に参加しない方が周囲の評価を下げる」という現実に一生かかっても気づかない、ハッピー野郎だった。家事も何ひとつしないくせに、皿の洗い残しとか床の汚れは目ざとく見つけて指摘してくる。
私は帰路につきながら、数年前に「別れなよ」と姉に言った時のことを思い出していた。
「まだ子供たち小さいし、私だけじゃ養いきれないわよ」
あれは三人目の妊娠が発覚したタイミングだった。姉にしては珍しく、歯に物が詰まった言い方をしている。その様子にイラつきながら返した。
「じゃあ、実家に戻れば? お父さんとお母さん、まだ元気だし。部屋も余ってるし」
姉は無言で首を振った。分かるでしょう、と言いたげな悲しい目をしていた。
未就学児は明らかに田舎の方が育てやすい。面倒を見てくれる両親と、無駄に広い家がある。お犬様へ愛情を注ぐ子なしの金持ち夫婦もいなければ、周りに迷惑をかけないことだけが秀でた東京出身の両親もいない。
しかし一度でも東京に住んでしまうと、何があっても田舎に帰ることができない。それは大学進学を機に上京した姉も同じだった。たとえクソ旦那との共同生活と、絶え間ない悪夢のようなワンオペ育児を強いられても。
八菱銀行の女子寮に到着し、空を見上げた。十一月の美しい夕暮れに、くっきりと飛行機雲が伸びている。あの雲が現れると、次の日は雨が降るという。天気予報を確認しようと手をポケットに伸ばし、軽く舌打ちをした。悪いことはスマホに牛乳がかかり、ほぼ壊れたも同然であることだった。
「ま、良いか。明日金曜だし、その後に直せば」
強がりを言って、寮に入る。玄関横にある受付は無人だった。受付のおばちゃんは、昼食と夕食を作るために受付を空ける時間帯がある。男を連れ込む行員は、その時間帯に受付を通るらしい。私にとっては縁のない話だった。
受付を通り、エレベーターへ乗り込んだ。早くベッドに横になりたかった。ガキどもにやることなすこと中断される時間は、無意識のうちに体力と気力を削られる。世の中の母親は大変だな、と心から同情した。
三階へ上がり、廊下を足早に歩く。勝手に誰かが上がり込んできて酒盛りを始めると噂の男子寮と違い、女子寮は全体的に静謐を保っていた。銀行からあてがわれた部屋はベッドと机とクローゼットのみのシンプルなワンルームで、おおむね満足していた。運良く角部屋を割り当てられた上に、隣人は大阪へ異動して空室だった。
勢いよく部屋のドアを空けると、そこでスマホを壊されることよりも、もっと悪いことが起きていた。私の部下にあたる同僚が、女とベッドで寝ていたのだった。
銀行員に不倫をする者は多い。男性も女性も仕事において、多大なストレスを強いられる。取引先や銀行内の関係部署に嘘を付き、どちらの要望をも通さなくてはならない。自分を殺し、欺く日々の連続なのだ。
特に東京の店は出世へのパスと引き換えに、ストレスフルな毎日が待っている。客は銀行に愛着がなく、取引条件で日々メインバンクを入れ替えるからだ。『創業者が学生の頃に起業した、勢いだけは負けないスタートアップ』という類のカモは渋谷あたりにごろごろいるが、あいにくメガバンクでは相手にしない。取引先は自分の年齢より上の会社、自分の祖父や父ほどの経営者という強敵ばかりだった。
もっと大変なのは客からの要望を稟議書に書いて、銀行内部で承認をもらうことだった。銀行に永年勤めていると、重箱の隅をつつく天才になれる。彼らの指摘をかいくぐり、客の要望を通すことが難儀であることは、五十歳までに全行員が胃潰瘍を経験することからも明らかだ。
「あ、あれ? 黒川代理、戻るの明日じゃなかったんですか?」
部下の伊藤は茶色い猫毛を直しながら、慌てた様子で言った。彼の茶色い目は横の女を捉え、大きく見開かれた。あの女は伊藤とどういう間柄なのだろう、という疑問が湧いたが、それを開口一番に聞くのは彼女でもない女がするべきではないと判断した。
「今夜の接待が変更になって、昨日になった」
役付者である黒川代理として、上司の声を作り、努めて冷静に返す。
「違うんです。これは……」
「帰れ。今すぐ」
健康的で日に焼けた彼の肌が、手術を終えたばかりの患者のように青白くなっていった。
彼の横にいる女は興味深そうにこちらを見ていた。豪華なブロンドと大きな目は、ミス慶應を思わせた。美貌とセットでついてくる、あざとさと、がめつさ。おそらく伊藤と同じ新卒だろう。若さも美しさも育ちの良さも備える女が、八菱銀行には多い。
彼女は寝起きにしては口紅がしっかり塗られた唇を開いた。
「あたしは彼と一緒の、三田会で……」
「黙れ。店に通報するぞ」
沈黙が重い霧のように三人を包んだ。伊藤はうるんだ目で私を見つめた。五歳上の私としては心が大きく揺さぶられたが、無言で目を逸らすだけにした。
視線の先には鏡が立てかけてある。そこには出張後で家に帰るだけの、色気のない姿の女性が映っていた。伸ばしっぱなしの黒い髪、化粧気のない顔、白いワイシャツに黒いパンツ。シャツは甥や姪の鼻水や食べこぼしで汚れている。
ただでさえ悪い目つきは、人を一人殺してきたかのような凶悪な輝きを放っていた。
二人が出ていき、椅子に腰を下ろした。温もりが残るベッドに、横になる気は起こらなかった。
「はっ。シーツ代くらい置いていけよ」
自虐的な呟きが宙に舞う。私は窓から差し込む秋の夕日を見つめながら、伊藤と初めて会った約半年前の八菱銀行目黒支店へ入っていった。
新人が店に配属される、四月の終わり。「イケメンの慶應ボーイが来る」と、店は朝から沸いていた。法人営業課に配属される新人は二人の予定だったが、一人は研修中に退職という異例の事態を引き起こしていた。結果として、一人だけ来る予定になっていた。
「慶應ボーイなんて、この銀行じゃ珍しくないだろうが」
私は文句を言いながら、朝礼が行われるロビーへ向かっていた。
「松永課長も慶應ボーイだしね。卒業したの、二十年前も前だけど」
法人事務課の前川さんが文句を拾ってくれて、思わず笑ってしまう。
「こらこら、お前たち何話してるんだ」
私の顔から笑みが消えた。背後から課長ご本人に声をかけられたからではなかった。ロビーに立つ伊藤の姿を見て、人生初の一目惚れを経験してしまったのだった。そんな彼の指導担を任命されたことは、ここ一年で最も嬉しい出来事だと言っても良い。しかし今では、浮かれていた自分を殴りたくてたまらなかった。
スマホに手を伸ばし、壊れていることを思い出した。今すぐ携帯ショップで直してもらえば、彼の連絡を確認できるだろう。しかし、もし連絡が来ていなかったら? 絶望に耐えきれる自信はなかった。
私は大声で泣こうとし、コンビニで酒を仕入れて暴飲しようとし、結局どちらもしないことにした。代わりに荷物をまとめて、部屋を出た。姉の家へ行くことにしたのだった。ここにいては、おかしくなってしまう。
広尾駅を出て五分ほど歩くと、街頭に照らされている豪邸たちが見えてきた。姉の住むこのエリアは共働きのサラリーマンでも到底住めないような高級住宅街だと思っていたが、意外とボロアパートもちらほら目についた。それらは家賃二百万円ほどのささやかな一軒家の隙間に、申し訳無さそうに立っていた。「広尾に住んでいる」と言えればボロアパートも厭わない姿勢は、人間のいじらしい自己顕示欲を思い出させてくれた。しかしそれは十一月の凍てついた夜に、身も心もあたためてくれる程では無かった。
歩くうちに、私は考えを改めた。部屋から漏れる光は、芸能人が住むマンションも、家賃八万円のボロ屋も、どれも不思議とぬくもりを感じられた。幸せの度合いに、家の広さや富の豊かさは関係ないのかもしれない。住めば一定の幸せを享受する街、それが広尾なのだ。
だから姉のマンションに着いた時、オートロック前でうずくまる女性は、ひどく目立っていた。
平日夜に家の外にいる人間は、何かしらの問題を抱えている。これが渋谷や新宿なら、珍しくはない。問題を抱えていない人間は、渋谷や新宿に寄り付かないからだ。しかし広尾となると、事情が違ってくる。
「ねえ、どうしたの」
彼女はびくっと肩を震わせ、顔を上げた。ありとあらゆる暴力がなされてきた者が持つ、空虚な瞳でこちらを見た。
精神的DVは厄介だ。身体的DVと違い、周囲から気づかれにくい。身体の傷はいつかは消える一方で、心の傷は癒えることがない。その傷とともに生きていかなくてはならない。
その瞳の持ち主は、他でもない私の姉だった。
「……礼子こそ、何しに来たのよ」
「部屋に戻ると、好きな男が女と寝てた」
「誰?」
「銀行の後輩、五つ下の新人」
「相手は?」
「私たちが持ってないものを、全部持ってる女。自分が好き、育ちが良い、かわいい系」
姉から笑いを引き出せたことは、それが自虐ネタであれ、私を幸せにさせた。
「ねえ。エントランスのロビーで話そうか。あそこなら座れるし」
彼女は立ち上がり、入り口のロックを解錠した。
広々としたロビーの中央には人工的な池がある。そこに月が映っていた。そういえば今日は満月だ。外では目立っていた月も、ロビーの明るさに比べると地味に思えた。
私は伊藤の横で寝ていた女子の、人の感情を揺さぶって構ってもらおうとする態度を思い出した。あの子も慶應幼稚舎では、ぱっとしなかったのかもしれない。急に私は彼女を許せるような気がしてきた。しかし伊藤を許すには、まだ時間を要しそうだった。
三人掛けのソファに姉が腰掛け、私は横に座った。手触りは最高級のもので、ここで一晩過ごせと言われたら喜んで身を投げだしただろう。
姉はソファに負けず劣らず高そうなパンプスを脱ぎ、足をぶらぶらしていた。その靴を見つめて、私は言った。
「礼華って、何でも持ってると思ってた」
「礼子の方が自由で羨ましいわ」
池に映る私たちは同じ顔をしていた。まるでお互いが鏡のようだと思った。私が持っていないものを彼女は持っている。彼女が持っていないものを私が持っている。
ふと、悪魔が私に囁いた。
――交換すれば、良いんじゃないか?
双子というのは不思議なもので、ある瞬間に全く同じ考えがひらめくことがある。
先に口を開いたのは、姉だった。
「ねえ。取り替えてみない? お互いの人生」
「いいな。昔みたい。いつにする? 土曜とか?」
「週末は子供の習い事がたくさんあって大変だと思う。平日が良いな」
「無理だろ。私、仕事あるし」
口に出してから考え直した。
「あ。明日なら大丈夫かも。金曜は会議続きだから」
「発言を求められたらどうするの?」
「目標の数字をペアで追ってる伊藤が発言する。最近は勉強のために、そうしてるから」
引き継ぎは私から彼女に対してだけで良かった。私は姉の日常をだいたい把握していたし、何かあれば物に触れて記憶を見れば良い。それを伝えると、姉はぎょっとして言った。
「最近も使ってるの? あの力」
「いや」
数時間前に姉の家で過去を見たばかりだとは、言えなかった。彼女の夫がどんなひどい仕打ちをしているか、記憶が蘇ってきた。それを悟られないよう、自虐的な笑みを浮かべて言った。
「伊藤の持ち物に触れて過去を見れば、好きにならずに済んだのかもな」
姉は私の言葉を、頭の上を通り過ぎるままにした。私が嘘を付いている時や何かを隠している時、姉はだんまりを決め込む。
金曜の段取りを最終確認し、別れ間際に言葉を交わした。
「銀行で問題、起こすなよ」
「うん、大丈夫。約束するわ」
あの時、私は忘れていた。彼女は約束を守らないことを。
すり替えの翌日、土曜の朝。
私と伊藤は目黒支店専属の運転手である、小竹さんの車に揺られていた。
「だから、お前に聞いてるんだよ。金曜の私、変なことしてなかったか」
「んー。ほぼ会議で座ってるだけでしたし。あんまりしゃべらないなって思いましたけど」
彼は車の後部座席で揺られながら、視線を窓の外から隣に座る私へ移し、続けた。
「クロさんって機嫌悪い時、無口になるから。怒ってるんだなって思ってました。その割にニコニコしてたから、変っちゃ変でしたね」
小竹さんが小さな声で悪態をついた。渋滞している道路に対してらしい。彼は五十歳を過ぎる巨体で、つるつるの頭にサングラスをかけている。黒いスーツでヘビースモカーの彼は、反社会的勢力のように見えなくもなかった。
「金曜だけじゃなくて、週末も交換しようってならなかったんですか?」
「子供のうちどれかが風邪ひいて、心配だから自分で見るって」
「なんだかんだ言って、子供がかわいんですね」
「親なんてみんな、そんなもんだよ」
信号が代わり、小竹さんは車を急発進させた。しかしすぐに進みは遅くなる。外苑西通りは銀杏祭りによって、大渋滞が引き起こされていたのだった。それは一昨日見たニュースを思い出させた。
毎年十一月下旬には外苑銀杏並木に人が押し寄せ、こぞって撮影大会が行われる。四季折々の変化を楽しむ日本人というよりは、いかにSNSに映える写真を載せるか競い合う戦闘民族といった様子だった。
小竹さんは盛大にため息を付いた。
「だめだ、進まねえ」
苛立たしげにハンドルをトントンと叩く彼に、伊藤が言った。
「煙草ですか?」
「あぁ。二人とも、銀杏でも見てきたらどうだ?」
「良いですね。クロさん、行きます?」
私は返事の代わりに不愉快な顔で彼を見た。男というものは分からない。昨日と別の女を、何もない顔で誘える生き物。それは私の理解の範疇を越えていた。
二日前の私なら喜んで行っただろうな、と痛む胸を抑えて、小竹さんに言った。
「すみません。このまま店に急いで下さい」
完全な沈黙が十秒ほど続いた。小竹さんはサングラス越しに意味ありげな眼差しを寄越し、小さく頷いた。銀行の運転手という職業は特殊な仕事で、何を聞いても聞かなかったことにする達人なのだ。
目黒支店が入居する東急系列の駅ビル前に車を停め、小竹さんは短く言った。
「着いたよ、降りな」
伊藤が車を降り、私が降りるとドアを丁寧に閉めた。彼のひとつひとつを丁寧に行う姿勢が好きだった。そんな彼をまだ好きでいる自分は、たまらなく嫌いだった
店に入る前に、空を見上げた。深い秋の青色をしている。日本随一の淀んだ気が漂う山手線沿線ですら、空気が澄んでいるように思えた。こんな日に働いていることがバカらしい。もっと愚かなことに、今日は土曜日なのだ。
東急系列の駅ビルは一足先にクリスマスイベントが行われており、華やかな装飾が施されていた。浮足立った音楽と、安ぴかな装飾にあふれていた。
それらに目もくれず、スーツ姿の私たちは無言でビルの突き当りを目指した。
「はあ。就活の軸、土日休みだったんですけど……」
突き当りにある従業員通用口が見えてきたところで、伊藤が文句を垂れた。半年前の選択を後悔しているのだろう。それは銀行の誰もが、入行してから辞めるまで抱き続ける類の後悔だった。
「法人営業第二課としては、休日出勤は無いだろ」
「特命部隊に入ると土日も働かされるなんて、聞いてなかったっす」
「我慢しろ。その分、給料も別で出るんだから」
灰色の重い扉を開き、地下へと続くエレベーターへ乗り込む。行員通用口がある地下四階のボタンを伊藤が押した。爪は短く、きれいに整えられている。私はその指先を、物欲しそうな目つきにならないよう、気をつけて眺めた。
「特命部隊の理念、覚えてるか?『銀行の健全な経営を脅かす魔を退治する、秘密組織』。経営を脅かすに、休日もクソもないだろ」
「ま、そうですね。今回の現場、我らが目黒支店ですし。僕たちが働く店です!」
ふざける伊藤に苛ついた目で説明を促すと、彼は気まずそうに続けた。
「人を消す金庫。金庫に入った後、しばらく出こなくなるらしいです。別の人が探しに入っても見つからない。数分経つと、けろっとした顔で出てくる」
「中で起きたことは?」
「覚えてないみたいです」
「で、行員たちが気味悪がるから、何とかしてくれってことか」
その程度の仕事では、恐らく点数は稼げない。特命部隊として出世し、給料を上げ、姉さんの借金を返すには、まだまだ遠い道のりが残されていた。
舌打ちとともに、エレベーターの到着音が鳴った。ギシギシと重苦しい音を立て、扉が開いていった。
無機質な地下通路は、いつにも増して薄暗い。このビルを設計した者は、駅ビルに恨みを抱いていたのかもしれない。紛いなりにもデザインを勉強した者なら、従業員の通路として、灰色のトンネルなんて配置しないはずだ。
かつて支店長が懇意にしていた風水師に、間取り全般を見てもらったことがある。
「悪い気が漂っていますね」
身の毛のよだつようなけばけばしい化粧をした風水師は、真っ青な顔で口を開いた。今すぐ出て行きたいのだと伝えるかのように、 落ち着かない様子で体をさすっていた。
「何か大きな厄災が起こります。特に行員の仕事運、恋愛運にまつわるものが」
支店長は紳士なので、にこやかにお引き取りいただくよう告げた。家に帰って孫の世話をするように、と慈悲の心を携えた微笑みで伝えた。独身の風水師は皮肉をものともせず、喜んで立ち去って行った。 残されたのは店全体に漂う気まずさと、土産として彼女が置いていった浄化塩とお香だけだった。
後日、私たちは知ることになる。普段にこやかにしている人間ほど怒らせると怖いのだと。 翌週、彼女の住宅ローン金利は引き上げられていた。
どちらともなく押し黙り、エレベーターから十メートルほど先の行員専用口通用口から中へ入る。廊下を歩き、角を曲がり、金庫の前にたどり着いた。
黒くて大きな扉の向こうには、ワンルームマンションほどの広い空間が広がっているはずだ。そこが今回の現場だった。
「ちょっと待ってろ。ロビーに鍵取りに行ってくる」
私はロビーの奥にあるキーボックスを目指して歩いた。ポケットに入っていた行員証ホルダーを首からかけて、そこに映された写真を見た。
行員証の写真は十年毎に交換する。そのため今の行員証に映る私は入行当時、七年前のものだ。私は写真を見つめた。見えたのは七年前のある昼間、八菱銀行丸の内本部だった。
「これが最終面接だよ。おめでとう。ようこそ、八菱銀行へ」
本部ビル八階の役員室には、当時の役員と私が二人で向かい合って座っていた。窓からは丸ビルや新丸ビル、皇居を見下ろせる。革張りの椅子、見るからに高そうな重厚感のある机、分厚い本が並ぶ棚。男がくつろいで過ごせるだいたいのものが揃っているように思えた。大学四年生は、誰もが自分はいつかあの席に座れるものだと信じてやってくる。
「ありがとうございます」
「入行にあたっての必要書類は、追って送られるからね。何か質問はあるかい?」
就活の終わりを告げられると同時に投げかけられた質問。おそらく、こう返すべきなのだ。どうしたら貴方の席に座れますか、と。
「どうしたら、特命部隊に入れますか?」
しかし私は全く別の質問を投げかけていた。
西日がブラインドの合間から漏れて、逆光で役員の姿はよく見えない。確かなことは、彼に冷ややかな目で観察されているということだった。
「……何の話かな」
「選ばれた行員だけが入れる、秘密組織の話をしています」
嫌な沈黙が流れた。窓から見える東京駅前の広場では、外国人観光客たちが嬉しそうに写真を撮っている。この役員はおそらく旅行には久しく出かけていないだろう。上品な紺色のスーツからのぞく肌の白さが物語っている。白い肌を少し赤らめて、彼は言った。
「何かの間違いじゃないかな。最近はネットで変な噂も飛び交うからね」
「御行の行員から聞きました」
「早稲田のOBに?」
「まず私の質問に答えてもらっても良いですか?」
彼は表情を欠いた顔で私を見つめた。次の瞬間、彼の背後で視えていた筈の太陽は大きく黒い球体に変貌した。視界がぐにゃりと歪み、椅子が意志を持ったかのように私を弾き飛ばす。床に叩きつけられ、うつ伏せのまま彼を見上げた。
「特命の仕事は、命がけだよ」
いつの間に立ち上がったらしい彼は、窓から黒い太陽を眺めながら言った。
「家族が抱える、何代かけても返済できない債務。それを負う者だけが、贖罪を兼ねて務めるんだ。一般人には縁のない世界だよ」
彼は机の上にあるファイルを手に取った。顔を上げて睨む私を一瞥し、興味がなさそうに書かれているものを読み上げた。
「黒川礼子。二十九歳。早稲田大学商学部卒業。出身は会津若松。医師と結婚した姉が一人、早稲田在学の妹が一人。両親はお茶の小売業を営む。経営者資質に問題なし、風評被害なし。無借金経営」
ファイルを閉じ、再び机の上に投げた。私が立ち上がると、椅子がこちらへやってきた。まるで意思を持っているかのように、人間が歩いている印象さえ受けた。
「立ち上がって良いって、誰が言った?」
かわいらしいと思っていた椅子は宙に浮いたかと思うと、足で後頭部を勢いよく打ち付けてきた。激痛に耐えきれず、私は呻き声を上げて床に伏せた。
「生い立ちは普通、抱えているものもない。君みたいな小娘が、遊びで入る組織じゃない」
「抱えているものがない? 調査会社、変えたほうが良いですよ」
私は痛む頭に涙が出そうになりながら、言葉を絞り出した。
「姉の戸籍を調べて下さい。離婚歴がある。前の夫の借金を抱えてる」
「当行の借金でなければ問題ないね」
「合併予定の銀行だとしても?」
彼が動揺を見せた隙に、私は窓へと走った。椅子が襲いかかってくる中、役員室のブラインドを勢いよく閉めた。黒い太陽は見えなくなり、椅子が倒れる。私は立ち上がり、役員に向かって歩きながら言った。
「特命に入るには、二つ条件が必要ですよね。一つは動機。姉が負った債務を返す」
彼と向き合う形となった。失礼します、と胸ポケットにある万年筆を手に取り、続けた。
「もう一つは能力。私は相手の持ち物を触ると、その記憶を見ることができます」
万年筆に意識を集中させる。目で、耳で、鼻で、指先で、そして心で。
「園 譲二。東大法学部卒。慶應チアリーダーの娘、東工大でバレーボール部の息子。奥さんは森ビルの社長令嬢」
彼は鼻で笑った。嫌な笑い方は様になっていた。きっとここの席に座るまで、何回も練習してきたのだろう。
「相手の経歴が分かるのかい。でもそんなもの、調べればいくらでも出せるからね」
「娘はパパ活でハメ撮りされて、恐喝されてる。息子は就活を全落ちして、博士号に進もうとしている。でも地頭が良くないので、研究者としては不向き。奥さんは若い不倫相手との情事に忙しい。家事が疎かになっていて、夕食はデパートの惣菜。今までは、オーガニックにこだわっていたはずなのに……」
真実かどうかは、園専務の真っ青な顔を見れば明らかだった。しかし彼の口から真偽を聞くことは、叶わなかった。強烈な眠気に襲われ、意識を手放したのだった。後から知ったのだが、全ての能力者は力を使うと副反応を伴うらしい。
穏やかな夕刻の会合は終わりを告げ、数日後には新入行員研修や健康診断の案内と同時に、特命部隊の誓約書が送られてきた。
後頭部に激しい痛みを覚えて我に返る。今はその七年後、場所は丸の内でなく目黒だ。姉の幸せを一瞬にして奪い、長く苦しめてきた膨大な借金。ただでさえ、姉にひどい仕打ちをする夫だ。彼にばれたら、何をされるか分からない。
そして子供たち。一緒に過ごしている時はひたすら相手を疲弊させ、微塵も愛情を抱かない。しかし手を離れた瞬間、不思議と力が湧いてくる。彼らの未来を守るためなら何だってしてやろう、と。
「クロさん?」
背後から名前を呼ばれる。振り向くと、心配そうな目をした伊藤が立っていた。
「特命虎の巻、第三章一項。『任務は警察と同様、必ず二人一組で行動すること』」
「あぁ、ありがとう」
「片方に何か起きた際、もう片方が本部に連絡することができる。そんな理由ですよね」
伊藤は疲労と哀れの混じった笑みを浮かべた。彼にそんな顔をさせているのは、かつて彼が単独で行動をしたせいで別の行員が意識不明の重体になったからだった。過去の話を出そうとしたが、やめておいた。今さら何になる? 誰だって地中深くに埋めてしまいたい過去の一つや二つを抱えているものなのだ。
キーボックスに行員証をスライドさせ、金庫の鍵を取り出した。伊藤は大きい目で、まじまじと鍵を見ていた。ある程度の階級以上の者しか鍵を取り出せないため、珍しいのだろう。
ロビーを抜けて、金庫へ向かった。暗証番号を入れて鍵を差し込む。ピー、という電子音に続いて、カチッと解錠の音が響いた。
「事件が起きたのは?」
「金曜、立て続けで三件ですね」
私は扉を開けようとしていた手を止め、驚いて伊藤を見た。
「騒ぎが起きてるって、気づかなかったのか?」
彼は申し訳無さそうな顔をしてうつむき、呟いた。
「会議の発言のことで、頭がいっぱいでした」
「そうか。ま、良いよ。すり替えてた、私も悪いし」
今度こそ金庫の扉を押す。耳障りな金切り音を立てて、ゆっくりと開いていった。まるで地獄へ案内するかのように。
金庫の中は、すえたカビの臭いが充満していた。アルミの棚に段ボール箱が並ぶ。箱の中にはいつの時代のものか分からないほど年季の入った契約書や稟議書が、どっさりと入っている。それらは使われなくなった子供部屋を彷彿とさせた。かつての宝物、今や見向きもされない物たち。伊藤はそれらを興味深く眺め、声を上げた。
「見てくださいよ! この稟議書」
そこには小さく池井戸、と書かれた印鑑が押されていた。
「あの著者か。うちの銀行だったもんな」
「これメルカリに出したら売れますかね?」
「出品と同時に飛ばされるだろうな」
棚と段ボール意外、変わった物は何も見られない。安心感から軽口を叩き合っていると、金庫の最奥にたどり着いた。
棚の上に、金属製のボックスが置かれている。中には現金や小切手が入っているものだ。
「ここに現物を出し入れすると、その後に戻れなくなるって話でしたよね」
箱の鍵を開け、念のために中身を確認した。一見、何か盗まれた形跡はない。それもそうだ。金銭目当てなら目黒のような四グループの弱小店でなくて、大きい店に行った方が良い。人口の大きさに比例して銀行の店は大きくなる。新宿、渋谷、丸の内あたりは名店と呼ばれていた。銀行員の中でしか通用しないが、それのみを誇りに生きている行員が一定数いることも事実だった。
箱を施錠して辺りを見渡す。変わった様子はない。
「何も起こらないな」
「発生条件が平日なんでしょうか」
「あり得る。とにかく、戻ろうか」
私たちは来た道を歩き始めた。おかしな噂が立つ以前から、銀行の金庫というのはあまり長居したくない場所だ。だいたいは地下にあり、窓がない。厚い扉で覆われているせいか、圧迫感がある。人や植物といった温かみがまるでない、ただの無機質な空間。一刻も早く立ち去りたい。
「クロさん」
伊藤が不安気に尋ねてくる。
「この金庫、こんなに広くなかった気がします」
しかしいくら歩いても、入り口へたどり着けないのだった。
「おそらく、私たちは同じところを何度も行ったり来たりしてる」
私は右手にある段ボールを指さした。伊藤が騒いでいた池井戸印の書類が入っている。
「この段ボールの前を通るの、これで三度目だ」
横にいる伊藤が足を止め、こちらを見た。かたちの良い鼻も、唇も、すべてに恐怖の色が浮かんでいる。二十二歳の好青年に嗜虐心をくすぐられそうになったが、そんなものと今は戦っている場合ではない。
「今回の被害者は?」
「前川ふみ、出口ちかこ、大山ありさ」
「年齢と家族構成」
「四十歳で夫と息子、三八歳で夫と娘、三十五歳で夫と娘と息子」
私は伊藤に向かい、彼の驚異的な記憶力へ礼を言った。これが彼を特命部隊に入らせる要因の一つだった。金庫のように電波が入らない場所で、役に立つばかりでない。
「被害者たちの証言に、おかしなところは?」
「思い出してみます。ううん。回数を負う毎に話が盛られるのは、よくあるから……」
彼は顎に手をあて、思考の末に言った。
「ひとつだけ。前川さんが言ったんです。『中で見たことは覚えていません』って。『中で何も起きてない』はずなのに」
彼は過去の発言を全て覚えている。そのため幾回に渡る取り調べの証言を照合し、違和感を炙り出せるのだった。
伊藤の顔が少しずつ青くなる。能力を使って思い出していたのだろう。
「ありがとう。座ってて良いよ」
彼は黙って頷き、壁を背もたれにしゃがみ込んだ。私は伊藤を見つめながら、彼の言葉を頭の中で繰り返していた。
中で見たことは覚えてない。これは通常の人間から出る言葉ではない。被害者たちには、何かが起きていた。語らない理由は口止めをされたか、あるいは言いたくないか。被害者たちは何を見ていたのだろう?
私は辺りを見渡した。人の気配はない。出入りできる扉はひとつだけ。今日は土曜日で、金庫はおろか店に入ることも難しい。行員通用口からしか入れないし、開閉履歴はログで残るからだ。金曜からずっと金庫の中にいることも考えられるが、あまり現実的ではない。最終退行時に必ず店や金庫の中を見回るからだ。これらから、一つの仮定が導かれた。
「おそらく人間の仕業じゃない。金庫にある何かが、悪さをしてるんだ」
私の声に応えるかのように、金庫の中の空気が薄くなった。風水師がこの部屋を見たら何と言うだろう。気の通り道が棚で塞がれている。窓がなく、気が流れていかない。植物がなくて生気がない。色は灰色の壁とクリーム色の棚、黒色の扉の三色のみ。運を溜め込むことが出来ない全ての要素を兼ね揃えているように思えた。
悪さをしている何かを、探しに行く必要はなかった。だいたいの災難は、こちらから探しに行かずともやってくる。いつの間にか伊藤の頭上には、一枚の絵がかかっていた。
下にはご丁寧にも作者名とタイトルが書かれている。
『ルノワール/ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
絵の中では広場で、多数の男女が愉しそうに食事をしていた。酒を飲み、踊っていた。各々が楽しい晩を過ごしているようだ。
しばらく絵を眺めていたが、何も起こらない。伊藤も立ち上がり、一緒に絵を眺めた。横目で彼を見ると、顔色はすっかり良くなり、回復しているようだった。若さを羨ましく思いながら、どちらかというと彼の上下する喉仏を見ながら、言った。
「この絵、どう思う?」
「あれ思い出しますね。外苑前のビアガーデン」
彼が言っているのは今年の夏に行われた、支店長の誕生日会のことだった。当時は平日の夜かつ突発的な飲み会だったため、ママさんたちは参加することができなかった。保育園の送迎があるからだ。
それは姉のことを思い出した。彼女は子供が生まれる前はよく飲み会に出かけていた。今はもうこのように出かけることなどできない。じゃあ何で気分転換をしているのだろう。
ある仮定が脳裏をかすめた。
「被害者の共通点は?」
「女性。全員、子持ち。」
「ありがとう。背中を頼む」
それは過去を見る時の合図だった。伊藤が硬い顔で頷き、私のすぐ横に立った。
手を伸ばし、絵に触れる。目で、耳で、臭いで、心で。全神経を絵が持つ記憶に集中させる。目の前に数日前に起きたであろう、金庫での出来事が映像となって流れ込んできた。
「え。何、この絵?」
前川さんが金庫にある絵の前で、立ち尽くしていた。薄手のカーディガンにふんわりとしたスカート。服装から察するに法人営業の事務を処理するミドル課員は、まるで制服のようにこの類の男受けがよろしい服に身を包んでいる。
「あ、やばい。お迎え行かなきゃ……」
彼女は立ち去ろうとし、足を止めた。縦横無尽に伸びた絵に、行き先を阻まれているのだった。絵は縦に、横に、斜めに伸び、金庫の壁を覆っていく。絵に描かれた近代ヨーロッパの服を着た男女が、まるで絵から抜け出してきたかのように、愉しそうに踊っている。
「う、うそ。どうしよう」
立ちすくむ彼女に、紳士が話しかけた。
「マドモアゼル、踊りませんか?」
四十過ぎの男性が微笑みかける。彼はダンディだった。シックなスーツ、口ひげ、長い髪は丁寧にカールされていて、少しも老いを感じさせない。
「で、でも私は子供もいて、今は業務中なんです」
今にも泣き出しそうな前川さんは、まるで少女のようだった。
「ここは絵の中。今はママでも会社員でもありません。一人の女性として楽しんで下さい」
紳士が再び微笑んだ。入佐さんは何かを決意したように頷き、紳士の手を取った。
それからの光景は、見ていて心温まるものだった。彼女は酒を飲み、美味しいものを食べ、おしゃべりに興じていた。母でも妻でもない、一人の人間としての解放。仕事と育児を両立している間に、このような顔が出来ただろうか。まるで絵画に描かれた女性のように幸せそうな前川さんだが、時おり不安げな表情が気にかかった。彼女の表情にタイトルを付けるとしたら、「子供を置いて、私だけ楽しんで良いのかな」。
意識を現実に戻すと、崩れそうになる身体を伊藤が支えてくれた。
「クロさん、大丈夫ですか?」
「……私のポケットに、薬が入ってる。それ出してくれ」
伊藤は言われた通りにして、錠剤を私の口に含ませてくれた。それを噛み砕き、身体から離れていきそうになる意識をなんとか繋ぎ止めることに成功した。
「口移してあげた方が良かったですか?」
「死ね」
彼はきれいな歯並びで笑って見せた。
私は絵の下に座り込み、壁に背中を預けた。伊藤も横に続いた。立って歩けるようになるまでには、数分を要しそうだった。
「おそらく絵が私たちに何かを見せてくることはないよ」
「どうしてですか?」
「独身で子供が居ない人間は、自分が自分でいられる時間があるから」
私は端的に見た映像を説明した。仕事中は会社員として、仕事前後は母親として、休めるところのない彼女の実情を。
「絵が休憩場所だったってことですね」
「あぁ。だから何が起きたか黙ってたんだろう」
「あの絵は撤去しない方が良い気がしてきましたけど」
「特命の理念、忘れたか? 『銀行の健全な経営を脅かす魔を退治する』。行員に現実逃避をさせないと維持できない経営なんて、健全じゃない」
あくびをしながら言い、金庫の中を見渡した。相変わらず灰色の壁とクリーム色の棚が並ぶ味気ない空間だった。しかし淀んでいた気は、いくらかマシになっていた。
「家庭も同じだよ。現実逃避しないと保てないのは、根本的に破綻してる」
「じゃ、どうすれば良いんですか?」
「どっちも手抜いてやれば良いんだよ。全部頑張ろうとするから死ぬんだ。仕事は五十%の力で、家庭も五十%の力で。隙間時間を自分のために充てる」
立ち上がり、絵を見て言った。
「この紳士も気に食わないな。フェミニストみたいな面して言いやがって。前川さんも素直すぎるんだよな。人の言うことなんて、話半分に聞かなきゃだめなんだ」
伊藤は、言いたいことがあるなら好きなだけ良いな、という気だるげな顔をしていた。彼は元々、人の話をあまり聞かない。その方が良いのだろう。誰もが自分の人生を正当化したいがために、アドバイスの餌食を探している。
「そろそろ運び出すぞ」
「はい。この絵、重そうだなぁ?」
彼は胸ポケットから茶色の手袋を取り出した。スウェードの高級そうな手袋で、丸ビルで売られていそうなシンプルなデザインだ。現物に触る時は必ず装着するように指示されている。絵を運び出して棚の間を歩いていると、金庫の扉が現れていた。
金庫の鍵をロビーへ戻し、自分の名前を台帳へ記入する。そこには被害者の名前を含め、金庫の鍵を開けた行員の名前が並んでいた。
『前川ふみ、出口ちかこ、大山ありさ、黒川礼子』
私は顔を上げた。伊藤は絵を脇に抱え、片手でスマホをいじっている。
「小竹さん、もう着いたみたいですよ。本部に絵を渡して、あがりましょう……クロさん?」
「本部の前に」
ためらいながら、私は口を開いた。
「ひとつだけ、寄りたい場所がある」
まるで決戦の場へ向かうかのような重い口調が、二人だけの店内に響いた。
車に乗り込み、小竹さんに住所を告げた。発進して、しばらく後部座席に座る私たちは無言で窓の外を見ていた。特命の任務は今回のような軽いものでも、疲れを伴うのだった。
隣に座る伊藤に、私は言った。
「誰がこの絵を置いたと思う?」
伊藤は視線を窓からこちらへ移し、言った。
「行員で、目黒支店の誰かだと思います」
「あぁ。しかも代理以上の役職だ。金庫の鍵を取れるのは役付者だけだからな。鍵を取ったら必ず台帳に記入も必要だ。忌々しい監査が入った時に、ログと照らし合わせるからな。ちゃんと台帳に記入されてるか」
金融庁監査の苦い想い出が蘇る。顔をしかめる私を見ながら、伊藤は何かを思いついた顔をして言った。
「そういえば台帳、見てましたよね」
「あぁ。ご丁寧にしっかり名前が書いてあったよ。犯人のな」
伊藤は目を見開いた。
「今、犯人の家に向かってる。今日は土曜の昼間だから、確実に家に居るはずだ」
車がマンションの前で停まり、小竹さんが着いたよ、と声をかけてきた。その家は数日前に私が逃げ込んできた場所で、姉の家だった。
玄関先で絵を見せると、姉は偽りの笑みを浮かべた。
「こんなところで立ち話じゃなんだから、あがっていかない?」
「いや、良い。外で車を待たせてる」
「そう、せっかく噂の彼もいるのに残念ね」
意味ありげに見つめる姉に向かって、伊藤は挨拶代わりに軽く頭を下げた。
「どうしてこの絵を金庫に置いたんだ」
リビングからテレビの音が聞こえる。子どもたちが静かなのはそのお陰だろう。リビングに気を配りながら、姉は言った。
「礼子と入れ替わった朝、トイレで彼女たちが話してたの。家に帰れば家事育児で、やっと終わった頃に旦那が帰ってくる。有給は子供の行事や風邪で潰れて休めない、って」
姉は手をじっと見つめた。きれいな指先だが、ネイルが少し伸びかかっている。彼女はそれを疲れた顔で眺めていた。
「だから細工をした絵を金庫に隠したのか」
「ご褒美と呼んで欲しいわね」
「素敵な響きだ」
大人気なく相手を睨みつける上司を前に、伊藤がおずおずと口を開いた。
「あの、クロさんが犯人ってことになっちゃいませんか? 監視カメラに映るんじゃ……」
「それなら大丈夫よ。絵の大きさはね、」
彼女は絵に向けて手を伸ばした。指先が触れると、絵は握りこぶしサイズに変形した。
「自由に変えることができるから。これをポケットに入れて、金庫に入ったの」
言い終わると、リビングが騒々しくなった。長男と長女が喧嘩しているようだ。年の近い兄妹は小説やドラマで美談として好まれる題材だが、実際は小競り合いの連続なのだ。
様子を見てきた姉が、うんざりしている様子で戻ってきた。お菓子のおまけでついてきたキーホルダーを取り合っていたらしい。そんなものに振り回される母親業というのは、確かに絵の中で休みでもしないとやっていけないのかもしれない。
気がつくと私は口に出していた。
「犯人を私にも礼華にもしない方法、思いついたんだけど……」
そのために必要となるものを口に出すと、姉は目を見開いた。そして、たぶん子供部屋にあると思う、と言って足早に廊下を駆けていった。
後ろ姿を見て、昔のことを思い出した。お化け退治をする為に、二人で廊下を走っていた時のこと。怖がる姉の手を繋ぎ、一緒に子供部屋へ入ったこと。
今や姉は一人で部屋へ行き、一人で入っていく。どこか胸に寂しい思いを抱えながら、私は姉から手渡されたものを受け取り、別れを告げた。
車に乗って丸の内本部へ向かう途中、伊藤が言った。
「本部に何て報告するつもりですか?」
「誰かがうっかり、絵を金庫に落としてしまった。それが金庫にある悪い気を吸って、幻覚を見せるようになった」
ほら、と伊藤に小さなフレーム付きのキーホルダーを渡した。フレームに収まる先程の絵を見て、伊藤はため息をついた。
「クロさんってシスコンですよね」
「彼女には一生かかっても返せない恩があるからな」
「そうじゃなくて。嫌だったんじゃないですか? お姉さんの愛情が子供や、他の行員に行ったのが。だからあんなに怒ったのかなって」
沈黙。普段はふざけてばかりの伊藤は、たまに驚くほど鋭い指摘をよこすのだった。
「それはあるかもな。でも、だからって彼女を好きなのは変わらないよ」
窓の外には、道路沿いにある公園が見えた。排気ガスにも負けず子供たちが遊具で遊んでいる。それを親たちはスマホをいじったり、濁った目で眺めたりしていた。
「愛情が返ってくるかどうかは、問題じゃない。姉さんの借金を返す為に特命で働くのも、姉さんの罪を隠すのも、好かれたくてやってるわけじゃない。私が好きでやってるんだ」
車が赤信号で止まる。横断歩道を親子が渡っていた。片手でベビーカーを押しながら、泣きわめく子どもを引っ張るかたちで歩いている。
「育児もそうなんじゃないか? てめえ殺すぞって思うくらいムカつく時もあるけどさ。かわいい時もあるし。別に好かれなくても……」
私は言葉を最後まで続けることができなかった。部屋で他の女と寝ていた伊藤の姿を思い出したからだ。何事にも例外はある。異性においては、愛情を返して欲しい。自分だけを見て欲しい。
「俺は嫉妬してますよ、お姉さんに」
「は?」
「だって、嫌に決まってるじゃないですか。好きな人が、他の奴のこと見てたら」
またもや沈黙が立ち込めた。しかし先日のように嫌なものではなかった。視線をフロントガラスにうつすと、小竹さんのニヤついた顔がサングラス越しでも伝わってきた。
「寝てたじゃねえか、他の女と。私の部屋で」
「あればクロさんの部屋で寝て待ってたら、知らない間に奴が横にいたんです!」
「最初からそう言え!」
「クロさんが説明する暇くれなかったんです! 連絡もつかないし!」
その言葉で、壊れたスマホを思い出した。特に誰とも連絡を取る必要がなかったため、忘れていたのだった。急に車が停まり、私たちは小竹さんを見た。
「ほら、銀杏祭り。お二人で行ってきたらどうです?」
車の外にはちょうど見頃となった、外苑の銀杏並木が続いている。確かに絵が大きかった時は、運搬のために車が必要だった。しかし絵がキーホルダーに収まっている今、本部へ向かうこともできる。断る理由は何も無いように思えた。
「あの、スマホが壊れたんで携帯ショップに……」
言ってから、しまったと思った。つい休むことや遊ぶことに拒否反応が出てしまうのだ。姉は母として妻として、働いている。私だけが好きに生きていて良いのだろうか。罪悪感を拭いたいがために、誰かのために動いているのかもしれない。でも、それは誰のための人生なのだろう。
「行きましょうよ、クロさん。誰にだって休憩は必要でしょ?」
その迷いを断ち切るように、伊藤が明るく誘ってくれた。私は小さく頷いた。本部のサウナに行くという小竹さんにキーホルダーを託し、別れを告げた。
十一月下旬だというのに暖かく、明るい日だった。木立ちで鳥がさえずっている。伊藤と並んで歩いていると、彼は口を開いた。
「手を繋ぐと、相手の過去も見えるんですか?」
「うん。やろうと思えば。だから、やめといた方が……」
そして手を繋いできた。見られて困るもん無いんで、と笑いながら。
外苑前の銀杏並木は、辺り一面を黄色の世界に彩っていた。黄金色に輝く太陽と相まって、まるで別の世界にいるかのような感覚を与えてくれた。
自撮りに必死な自己愛にまみれた人間の中、何組かの家族連れも存在している。母親たちは落ち葉をばらまいてはしゃぐ子供へ、愛情に満ちた視線を向けていた。あたたかく、深い眼差しだった。誰もが自分の為に必死な世界で、誰よりも輝いて見えた。
「あぁ、そうか」
同じく家族連れを眺めていた伊藤が、声を上げた。
「僕、なんか勘違いしてました。他人の為の時間をゼロにして、自分に使う時間が百にすぐことがゴールだって。だからママたち絵に逃げてたんだって」
「違ったのか?」
「はい。誰かのために尽くしている時間も、自分を幸せにしてくれるんです」
私は姉のことを考えた。勝手に同情していたが、彼女は彼女なりに幸せのかたちを見出しているのかもしれない。子供たちにうんざりさせられているには違いないが、それ以上の何かを、彼女は受け取っているはずだ。
「ま、程度の問題だよな。好きにやれば良いんだ。外野の声は無視して」
「クロさん。また、お姉さんのこと考えてました?」
手が強く握られる感覚とともに、伊藤が言った。不機嫌そうな彼を笑顔にさせるために、何をしようか思いを巡らせた。シェイクシャックでハンバーガーを食べても良い。ロイヤルガーデンカフェのパンケーキも悪くない。奮発してベルコモまで足を伸ばそうか。
「……いや。今は、伊藤のことを考えてるよ」
程よく色づいた銀杏が、彼の笑顔に降り注ぐ。やれやれ、と思った。どちらかと言うと、私は誰かの為に時間を使う方が、性に合ってるらしい。
この報道をテレビで耳にした時、私はリビングで二歳次女のオムツを脱がせていた。この銀行は他でもない、私が新卒の頃から働く日本最大のメガバンクだった。七年間の勤務で得た学びは、人間とは集まるとバカになるということだ。それが、一流大学の出身者だとしても。
ニュースの話題は、全国の紅葉模様に移った。外苑前の銀杏がピークらしいが、今はそんな場合ではない。女子アナの声をかき消す程の音量で、キッチンから女児の鋭い悲鳴が聞こえてくる。四歳になる長女の声だった。
脱いだオムツを手に現場へ向かうと、長女は牛乳の海の上で呆然としていた。
「ななちゃん、落ち着いて。大丈夫だから。」
今にも泣き出しそう彼女に声をかける。泣きたいのはこちらだが、涙は阻止しなければならない。年少児は一度癇癪を起こすと、天使から悪魔へ豹変する。つまり手がつけられなくなる。動画を見せようとスマホを取り出すと、画面は午後三時を示していた。それは、約束の時間を二時間も過ぎていたことを意味していた。
姉の家でベビーシッターをするのは、一時までのはずだった。
『何時に帰ってくる?』
姉にLINEを送ると、間髪入れずに返事が来た。
『ごめん! すぐ帰る』
直後に送られてきた額に汗を流すクマのスタンプは、文面に何の説得力も与えなかった。
双子の姉、礼華が時間通りに帰ってきた試しはない。時間だけではない。彼女は約束を守らない類の人間だった。
そんな姉が許されてきたのは愛嬌と、それなりに整った顔のお陰だった。姉の遺伝子を受け継いだ長女は、期待を込めた目でスマホをじっと見つめている。透き通るような肌は姉譲りだが、何をどう間違えたか目は私に似た切れ目だった。
かつて流行った雪の女王を連想させる編み込みの髪を見ながら、彼女にスマホを渡した。すると長男の耳障りな笑い声が、家中に響き渡った。
「おい、礼子! うんち! うんち!」
六歳を迎えた彼は私の名前と卑猥な言葉を、繰り返し叫んでいる。発狂しそうになる自分を何とか抑え込んで、私は言った。
「汚い言葉使うんじゃねえよ……」
人のことを言えた義理ではないが、相手が相手なので良いとした。舌を出して私を煽る卸し難いクソガキを無視して、リビングへ戻った。そこでは次女が、脱糞していた。
ふかふかの布地のカーペットの上で、黄色と茶色の混じった物体が鎮座している。
「こ、これ。どうやって掃除するんだ?」
あわてふためく私に、長男が小馬鹿にした顔で言い放った。
「スマホで調べれば良いじゃん」
六歳の年長児が、こんな口を聞く。で、私はその通りにした。
ネットで検索すると、商品を買わせたいばかりのアフィリエイト乞食で溢れかえっていた。まともな記事が見つからない。資本主義の行き着く先を憂いながら、長男に聞いた。
「ママ、どうやって掃除してた?」
「ん? 分かんない」
彼は別の大仕事に取り掛かっているようで、こちらを見ずに言い放った。チョコクロワッサンのチョコ棒を中からほじくり出すので忙しいようだ。私は能力を使うことにした。
まずカーペットに触れ(「うわ、きたねえ!」という長男の歓声は無視した)、意識を集中させる。目を、耳を、鼻を、指を、心を。全て『読む取る』ことに向ける。
目の前に映像が現れた。それは掃除のシーンではない。幼児の糞を除去する方法を知るという意味では、失敗したようだった。しかしカーペットの記憶を見ることに関しては成功しており、私に新たな発見を与えてくれた。
飛び込んできた映像は姉の結婚生活という、悲劇だった。
「誰のお陰でこの家に住めてると思ってんの?」
休日の昼下がり、ダイニングルームで姉は夫から大声で罵倒されていた。だいたい要領良く生きてきた姉の人生における、最大の汚点。それはこの男を夫に選んだことだろう。
彼は姉のひとつ上の三十歳で、年齢にしてはかなりの白髪が黒髪に交じっていた。高身長だが横にも大きく、家にいると物理的にも邪魔そうだ。
「お前が俺くらい稼げるの? 無理だろ? じゃあ家事や育児、ちゃんとやれよ」
きゃんきゃんと犬のように吠え立てる巨体を横に、姉は黙って机の上にある食器を片付けていた。夫はキッチンから目ざとくスーパーの惣菜を見つけ、わめいている。手作りでないことに腹を立てているらしい。
「何か言えよ。それとも出ていくか? 黙っているってことは、イエスと取るぞ?」
子供たちは両親から少し離れたリビングでテレビを視て、冷たい無関心を示している。姉が子供たちをちらりと見た。その顔は、ぞっとさせるほど感情を欠いた顔だった。記憶の中にある姉、天真爛漫で優しくて明るい彼女とはかけ離れている。能面のように感情を押し殺した顔は、これが今日に始まったことではないことを語っていた。姉は精神的虐待を受け続けていたのだ。
呆然としている私の肩に、手が置かれる感触があった。その手の持ち主は、姉だった。カーペットから見た記憶と違い、やわらかく笑っている。
「ただいま。礼子、ひどい顔してるわよ。大丈夫?」
私はリビングに置かれた鏡を見た。そこに映る私は義兄への怒りから、世の中のすべてを破壊しそうな二十九歳がうつっていた。
彼女に「ゆっくりできた?」と口から出かけた言葉は、舌の上で溶かした。その言葉は禁句だ。「子供を見てくれた人に、ゆっくりできた? って聞かれるのムカつく。少しの時間のくせに恩着せがましい」という愚痴を、職場の同僚から聞いたことがある。代わりに、おかえり、と言って、カーペットを指差した。
「ごめん、汚した。ねねちゃんのウンチが付いてる」
「いいの、いいの。三人目が生まれてから、インテリアにキラキラは求めてないから」
「雑誌で組まれてる『子供のいる家』。綺麗なのは撮影スペースだけで、あとはぐちゃぐちゃな家ばっかりらしいね」
姉は声を上げて笑った。美容院でピンクブラウンに染めたばかりの、綺麗にカールされた髪が揺れる。裏表のない、きれいな笑みだ。三児の母となった今も、昔と変わらない。
「美容院行けて良かったね。似合ってるよ、髪の毛」
「ありがと。ゆっくりしていって欲しいんだけど……」
姉の表情に影が落ちた。
「今日は、夫が帰ってくるの」
「気にしないで。私も出張が早めに終わったから、寄っただけだし」
今日は木曜日で、本来なら出張は明日までかかる予定だった。中途半端に時間が余り、出社するわけにもいかず、姉の家に寄ったのだった。出社は明日にすれば良い。
支度をしながら姉のバッグを見ると、処方箋の袋が見えた。妻が美容院の頻度に合わせて精神科にも行っているなど、主語を『俺』でしか考えないクソ旦那は気付かないのだろう。ここで裕福な暮らしをさせてくれたとしても、姉を悲しませる男は好きになれない。
怒りを霧散させるためにガキどもとテンション高めのハイタッチをし、姉の家を出た。広々としたマンションのエントランスを抜け、高級住宅街の中を歩く。その間、不思議なことに、ガキどものことが頭から離れなかった。子供というものは不思議だ。数秒前まで忌々しい存在だった筈が、離れた瞬間にすぐ顔を見たくなる。
出張を前倒して切り上げたことで、良いことと悪いことがあった。
良いことは姉に喜んでもらえたことだった。子供が生まれてから専業主婦になった姉は、なかなか一人になれる時間がない。
映像を見る前から、姉の夫が亭主関白であることは知っていた。令和の現在に、昭和の価値観を引きずっている。そしてイクメンを馬鹿にしていた。「育児に参加しない方が周囲の評価を下げる」という現実に一生かかっても気づかない、ハッピー野郎だった。家事も何ひとつしないくせに、皿の洗い残しとか床の汚れは目ざとく見つけて指摘してくる。
私は帰路につきながら、数年前に「別れなよ」と姉に言った時のことを思い出していた。
「まだ子供たち小さいし、私だけじゃ養いきれないわよ」
あれは三人目の妊娠が発覚したタイミングだった。姉にしては珍しく、歯に物が詰まった言い方をしている。その様子にイラつきながら返した。
「じゃあ、実家に戻れば? お父さんとお母さん、まだ元気だし。部屋も余ってるし」
姉は無言で首を振った。分かるでしょう、と言いたげな悲しい目をしていた。
未就学児は明らかに田舎の方が育てやすい。面倒を見てくれる両親と、無駄に広い家がある。お犬様へ愛情を注ぐ子なしの金持ち夫婦もいなければ、周りに迷惑をかけないことだけが秀でた東京出身の両親もいない。
しかし一度でも東京に住んでしまうと、何があっても田舎に帰ることができない。それは大学進学を機に上京した姉も同じだった。たとえクソ旦那との共同生活と、絶え間ない悪夢のようなワンオペ育児を強いられても。
八菱銀行の女子寮に到着し、空を見上げた。十一月の美しい夕暮れに、くっきりと飛行機雲が伸びている。あの雲が現れると、次の日は雨が降るという。天気予報を確認しようと手をポケットに伸ばし、軽く舌打ちをした。悪いことはスマホに牛乳がかかり、ほぼ壊れたも同然であることだった。
「ま、良いか。明日金曜だし、その後に直せば」
強がりを言って、寮に入る。玄関横にある受付は無人だった。受付のおばちゃんは、昼食と夕食を作るために受付を空ける時間帯がある。男を連れ込む行員は、その時間帯に受付を通るらしい。私にとっては縁のない話だった。
受付を通り、エレベーターへ乗り込んだ。早くベッドに横になりたかった。ガキどもにやることなすこと中断される時間は、無意識のうちに体力と気力を削られる。世の中の母親は大変だな、と心から同情した。
三階へ上がり、廊下を足早に歩く。勝手に誰かが上がり込んできて酒盛りを始めると噂の男子寮と違い、女子寮は全体的に静謐を保っていた。銀行からあてがわれた部屋はベッドと机とクローゼットのみのシンプルなワンルームで、おおむね満足していた。運良く角部屋を割り当てられた上に、隣人は大阪へ異動して空室だった。
勢いよく部屋のドアを空けると、そこでスマホを壊されることよりも、もっと悪いことが起きていた。私の部下にあたる同僚が、女とベッドで寝ていたのだった。
銀行員に不倫をする者は多い。男性も女性も仕事において、多大なストレスを強いられる。取引先や銀行内の関係部署に嘘を付き、どちらの要望をも通さなくてはならない。自分を殺し、欺く日々の連続なのだ。
特に東京の店は出世へのパスと引き換えに、ストレスフルな毎日が待っている。客は銀行に愛着がなく、取引条件で日々メインバンクを入れ替えるからだ。『創業者が学生の頃に起業した、勢いだけは負けないスタートアップ』という類のカモは渋谷あたりにごろごろいるが、あいにくメガバンクでは相手にしない。取引先は自分の年齢より上の会社、自分の祖父や父ほどの経営者という強敵ばかりだった。
もっと大変なのは客からの要望を稟議書に書いて、銀行内部で承認をもらうことだった。銀行に永年勤めていると、重箱の隅をつつく天才になれる。彼らの指摘をかいくぐり、客の要望を通すことが難儀であることは、五十歳までに全行員が胃潰瘍を経験することからも明らかだ。
「あ、あれ? 黒川代理、戻るの明日じゃなかったんですか?」
部下の伊藤は茶色い猫毛を直しながら、慌てた様子で言った。彼の茶色い目は横の女を捉え、大きく見開かれた。あの女は伊藤とどういう間柄なのだろう、という疑問が湧いたが、それを開口一番に聞くのは彼女でもない女がするべきではないと判断した。
「今夜の接待が変更になって、昨日になった」
役付者である黒川代理として、上司の声を作り、努めて冷静に返す。
「違うんです。これは……」
「帰れ。今すぐ」
健康的で日に焼けた彼の肌が、手術を終えたばかりの患者のように青白くなっていった。
彼の横にいる女は興味深そうにこちらを見ていた。豪華なブロンドと大きな目は、ミス慶應を思わせた。美貌とセットでついてくる、あざとさと、がめつさ。おそらく伊藤と同じ新卒だろう。若さも美しさも育ちの良さも備える女が、八菱銀行には多い。
彼女は寝起きにしては口紅がしっかり塗られた唇を開いた。
「あたしは彼と一緒の、三田会で……」
「黙れ。店に通報するぞ」
沈黙が重い霧のように三人を包んだ。伊藤はうるんだ目で私を見つめた。五歳上の私としては心が大きく揺さぶられたが、無言で目を逸らすだけにした。
視線の先には鏡が立てかけてある。そこには出張後で家に帰るだけの、色気のない姿の女性が映っていた。伸ばしっぱなしの黒い髪、化粧気のない顔、白いワイシャツに黒いパンツ。シャツは甥や姪の鼻水や食べこぼしで汚れている。
ただでさえ悪い目つきは、人を一人殺してきたかのような凶悪な輝きを放っていた。
二人が出ていき、椅子に腰を下ろした。温もりが残るベッドに、横になる気は起こらなかった。
「はっ。シーツ代くらい置いていけよ」
自虐的な呟きが宙に舞う。私は窓から差し込む秋の夕日を見つめながら、伊藤と初めて会った約半年前の八菱銀行目黒支店へ入っていった。
新人が店に配属される、四月の終わり。「イケメンの慶應ボーイが来る」と、店は朝から沸いていた。法人営業課に配属される新人は二人の予定だったが、一人は研修中に退職という異例の事態を引き起こしていた。結果として、一人だけ来る予定になっていた。
「慶應ボーイなんて、この銀行じゃ珍しくないだろうが」
私は文句を言いながら、朝礼が行われるロビーへ向かっていた。
「松永課長も慶應ボーイだしね。卒業したの、二十年前も前だけど」
法人事務課の前川さんが文句を拾ってくれて、思わず笑ってしまう。
「こらこら、お前たち何話してるんだ」
私の顔から笑みが消えた。背後から課長ご本人に声をかけられたからではなかった。ロビーに立つ伊藤の姿を見て、人生初の一目惚れを経験してしまったのだった。そんな彼の指導担を任命されたことは、ここ一年で最も嬉しい出来事だと言っても良い。しかし今では、浮かれていた自分を殴りたくてたまらなかった。
スマホに手を伸ばし、壊れていることを思い出した。今すぐ携帯ショップで直してもらえば、彼の連絡を確認できるだろう。しかし、もし連絡が来ていなかったら? 絶望に耐えきれる自信はなかった。
私は大声で泣こうとし、コンビニで酒を仕入れて暴飲しようとし、結局どちらもしないことにした。代わりに荷物をまとめて、部屋を出た。姉の家へ行くことにしたのだった。ここにいては、おかしくなってしまう。
広尾駅を出て五分ほど歩くと、街頭に照らされている豪邸たちが見えてきた。姉の住むこのエリアは共働きのサラリーマンでも到底住めないような高級住宅街だと思っていたが、意外とボロアパートもちらほら目についた。それらは家賃二百万円ほどのささやかな一軒家の隙間に、申し訳無さそうに立っていた。「広尾に住んでいる」と言えればボロアパートも厭わない姿勢は、人間のいじらしい自己顕示欲を思い出させてくれた。しかしそれは十一月の凍てついた夜に、身も心もあたためてくれる程では無かった。
歩くうちに、私は考えを改めた。部屋から漏れる光は、芸能人が住むマンションも、家賃八万円のボロ屋も、どれも不思議とぬくもりを感じられた。幸せの度合いに、家の広さや富の豊かさは関係ないのかもしれない。住めば一定の幸せを享受する街、それが広尾なのだ。
だから姉のマンションに着いた時、オートロック前でうずくまる女性は、ひどく目立っていた。
平日夜に家の外にいる人間は、何かしらの問題を抱えている。これが渋谷や新宿なら、珍しくはない。問題を抱えていない人間は、渋谷や新宿に寄り付かないからだ。しかし広尾となると、事情が違ってくる。
「ねえ、どうしたの」
彼女はびくっと肩を震わせ、顔を上げた。ありとあらゆる暴力がなされてきた者が持つ、空虚な瞳でこちらを見た。
精神的DVは厄介だ。身体的DVと違い、周囲から気づかれにくい。身体の傷はいつかは消える一方で、心の傷は癒えることがない。その傷とともに生きていかなくてはならない。
その瞳の持ち主は、他でもない私の姉だった。
「……礼子こそ、何しに来たのよ」
「部屋に戻ると、好きな男が女と寝てた」
「誰?」
「銀行の後輩、五つ下の新人」
「相手は?」
「私たちが持ってないものを、全部持ってる女。自分が好き、育ちが良い、かわいい系」
姉から笑いを引き出せたことは、それが自虐ネタであれ、私を幸せにさせた。
「ねえ。エントランスのロビーで話そうか。あそこなら座れるし」
彼女は立ち上がり、入り口のロックを解錠した。
広々としたロビーの中央には人工的な池がある。そこに月が映っていた。そういえば今日は満月だ。外では目立っていた月も、ロビーの明るさに比べると地味に思えた。
私は伊藤の横で寝ていた女子の、人の感情を揺さぶって構ってもらおうとする態度を思い出した。あの子も慶應幼稚舎では、ぱっとしなかったのかもしれない。急に私は彼女を許せるような気がしてきた。しかし伊藤を許すには、まだ時間を要しそうだった。
三人掛けのソファに姉が腰掛け、私は横に座った。手触りは最高級のもので、ここで一晩過ごせと言われたら喜んで身を投げだしただろう。
姉はソファに負けず劣らず高そうなパンプスを脱ぎ、足をぶらぶらしていた。その靴を見つめて、私は言った。
「礼華って、何でも持ってると思ってた」
「礼子の方が自由で羨ましいわ」
池に映る私たちは同じ顔をしていた。まるでお互いが鏡のようだと思った。私が持っていないものを彼女は持っている。彼女が持っていないものを私が持っている。
ふと、悪魔が私に囁いた。
――交換すれば、良いんじゃないか?
双子というのは不思議なもので、ある瞬間に全く同じ考えがひらめくことがある。
先に口を開いたのは、姉だった。
「ねえ。取り替えてみない? お互いの人生」
「いいな。昔みたい。いつにする? 土曜とか?」
「週末は子供の習い事がたくさんあって大変だと思う。平日が良いな」
「無理だろ。私、仕事あるし」
口に出してから考え直した。
「あ。明日なら大丈夫かも。金曜は会議続きだから」
「発言を求められたらどうするの?」
「目標の数字をペアで追ってる伊藤が発言する。最近は勉強のために、そうしてるから」
引き継ぎは私から彼女に対してだけで良かった。私は姉の日常をだいたい把握していたし、何かあれば物に触れて記憶を見れば良い。それを伝えると、姉はぎょっとして言った。
「最近も使ってるの? あの力」
「いや」
数時間前に姉の家で過去を見たばかりだとは、言えなかった。彼女の夫がどんなひどい仕打ちをしているか、記憶が蘇ってきた。それを悟られないよう、自虐的な笑みを浮かべて言った。
「伊藤の持ち物に触れて過去を見れば、好きにならずに済んだのかもな」
姉は私の言葉を、頭の上を通り過ぎるままにした。私が嘘を付いている時や何かを隠している時、姉はだんまりを決め込む。
金曜の段取りを最終確認し、別れ間際に言葉を交わした。
「銀行で問題、起こすなよ」
「うん、大丈夫。約束するわ」
あの時、私は忘れていた。彼女は約束を守らないことを。
すり替えの翌日、土曜の朝。
私と伊藤は目黒支店専属の運転手である、小竹さんの車に揺られていた。
「だから、お前に聞いてるんだよ。金曜の私、変なことしてなかったか」
「んー。ほぼ会議で座ってるだけでしたし。あんまりしゃべらないなって思いましたけど」
彼は車の後部座席で揺られながら、視線を窓の外から隣に座る私へ移し、続けた。
「クロさんって機嫌悪い時、無口になるから。怒ってるんだなって思ってました。その割にニコニコしてたから、変っちゃ変でしたね」
小竹さんが小さな声で悪態をついた。渋滞している道路に対してらしい。彼は五十歳を過ぎる巨体で、つるつるの頭にサングラスをかけている。黒いスーツでヘビースモカーの彼は、反社会的勢力のように見えなくもなかった。
「金曜だけじゃなくて、週末も交換しようってならなかったんですか?」
「子供のうちどれかが風邪ひいて、心配だから自分で見るって」
「なんだかんだ言って、子供がかわいんですね」
「親なんてみんな、そんなもんだよ」
信号が代わり、小竹さんは車を急発進させた。しかしすぐに進みは遅くなる。外苑西通りは銀杏祭りによって、大渋滞が引き起こされていたのだった。それは一昨日見たニュースを思い出させた。
毎年十一月下旬には外苑銀杏並木に人が押し寄せ、こぞって撮影大会が行われる。四季折々の変化を楽しむ日本人というよりは、いかにSNSに映える写真を載せるか競い合う戦闘民族といった様子だった。
小竹さんは盛大にため息を付いた。
「だめだ、進まねえ」
苛立たしげにハンドルをトントンと叩く彼に、伊藤が言った。
「煙草ですか?」
「あぁ。二人とも、銀杏でも見てきたらどうだ?」
「良いですね。クロさん、行きます?」
私は返事の代わりに不愉快な顔で彼を見た。男というものは分からない。昨日と別の女を、何もない顔で誘える生き物。それは私の理解の範疇を越えていた。
二日前の私なら喜んで行っただろうな、と痛む胸を抑えて、小竹さんに言った。
「すみません。このまま店に急いで下さい」
完全な沈黙が十秒ほど続いた。小竹さんはサングラス越しに意味ありげな眼差しを寄越し、小さく頷いた。銀行の運転手という職業は特殊な仕事で、何を聞いても聞かなかったことにする達人なのだ。
目黒支店が入居する東急系列の駅ビル前に車を停め、小竹さんは短く言った。
「着いたよ、降りな」
伊藤が車を降り、私が降りるとドアを丁寧に閉めた。彼のひとつひとつを丁寧に行う姿勢が好きだった。そんな彼をまだ好きでいる自分は、たまらなく嫌いだった
店に入る前に、空を見上げた。深い秋の青色をしている。日本随一の淀んだ気が漂う山手線沿線ですら、空気が澄んでいるように思えた。こんな日に働いていることがバカらしい。もっと愚かなことに、今日は土曜日なのだ。
東急系列の駅ビルは一足先にクリスマスイベントが行われており、華やかな装飾が施されていた。浮足立った音楽と、安ぴかな装飾にあふれていた。
それらに目もくれず、スーツ姿の私たちは無言でビルの突き当りを目指した。
「はあ。就活の軸、土日休みだったんですけど……」
突き当りにある従業員通用口が見えてきたところで、伊藤が文句を垂れた。半年前の選択を後悔しているのだろう。それは銀行の誰もが、入行してから辞めるまで抱き続ける類の後悔だった。
「法人営業第二課としては、休日出勤は無いだろ」
「特命部隊に入ると土日も働かされるなんて、聞いてなかったっす」
「我慢しろ。その分、給料も別で出るんだから」
灰色の重い扉を開き、地下へと続くエレベーターへ乗り込む。行員通用口がある地下四階のボタンを伊藤が押した。爪は短く、きれいに整えられている。私はその指先を、物欲しそうな目つきにならないよう、気をつけて眺めた。
「特命部隊の理念、覚えてるか?『銀行の健全な経営を脅かす魔を退治する、秘密組織』。経営を脅かすに、休日もクソもないだろ」
「ま、そうですね。今回の現場、我らが目黒支店ですし。僕たちが働く店です!」
ふざける伊藤に苛ついた目で説明を促すと、彼は気まずそうに続けた。
「人を消す金庫。金庫に入った後、しばらく出こなくなるらしいです。別の人が探しに入っても見つからない。数分経つと、けろっとした顔で出てくる」
「中で起きたことは?」
「覚えてないみたいです」
「で、行員たちが気味悪がるから、何とかしてくれってことか」
その程度の仕事では、恐らく点数は稼げない。特命部隊として出世し、給料を上げ、姉さんの借金を返すには、まだまだ遠い道のりが残されていた。
舌打ちとともに、エレベーターの到着音が鳴った。ギシギシと重苦しい音を立て、扉が開いていった。
無機質な地下通路は、いつにも増して薄暗い。このビルを設計した者は、駅ビルに恨みを抱いていたのかもしれない。紛いなりにもデザインを勉強した者なら、従業員の通路として、灰色のトンネルなんて配置しないはずだ。
かつて支店長が懇意にしていた風水師に、間取り全般を見てもらったことがある。
「悪い気が漂っていますね」
身の毛のよだつようなけばけばしい化粧をした風水師は、真っ青な顔で口を開いた。今すぐ出て行きたいのだと伝えるかのように、 落ち着かない様子で体をさすっていた。
「何か大きな厄災が起こります。特に行員の仕事運、恋愛運にまつわるものが」
支店長は紳士なので、にこやかにお引き取りいただくよう告げた。家に帰って孫の世話をするように、と慈悲の心を携えた微笑みで伝えた。独身の風水師は皮肉をものともせず、喜んで立ち去って行った。 残されたのは店全体に漂う気まずさと、土産として彼女が置いていった浄化塩とお香だけだった。
後日、私たちは知ることになる。普段にこやかにしている人間ほど怒らせると怖いのだと。 翌週、彼女の住宅ローン金利は引き上げられていた。
どちらともなく押し黙り、エレベーターから十メートルほど先の行員専用口通用口から中へ入る。廊下を歩き、角を曲がり、金庫の前にたどり着いた。
黒くて大きな扉の向こうには、ワンルームマンションほどの広い空間が広がっているはずだ。そこが今回の現場だった。
「ちょっと待ってろ。ロビーに鍵取りに行ってくる」
私はロビーの奥にあるキーボックスを目指して歩いた。ポケットに入っていた行員証ホルダーを首からかけて、そこに映された写真を見た。
行員証の写真は十年毎に交換する。そのため今の行員証に映る私は入行当時、七年前のものだ。私は写真を見つめた。見えたのは七年前のある昼間、八菱銀行丸の内本部だった。
「これが最終面接だよ。おめでとう。ようこそ、八菱銀行へ」
本部ビル八階の役員室には、当時の役員と私が二人で向かい合って座っていた。窓からは丸ビルや新丸ビル、皇居を見下ろせる。革張りの椅子、見るからに高そうな重厚感のある机、分厚い本が並ぶ棚。男がくつろいで過ごせるだいたいのものが揃っているように思えた。大学四年生は、誰もが自分はいつかあの席に座れるものだと信じてやってくる。
「ありがとうございます」
「入行にあたっての必要書類は、追って送られるからね。何か質問はあるかい?」
就活の終わりを告げられると同時に投げかけられた質問。おそらく、こう返すべきなのだ。どうしたら貴方の席に座れますか、と。
「どうしたら、特命部隊に入れますか?」
しかし私は全く別の質問を投げかけていた。
西日がブラインドの合間から漏れて、逆光で役員の姿はよく見えない。確かなことは、彼に冷ややかな目で観察されているということだった。
「……何の話かな」
「選ばれた行員だけが入れる、秘密組織の話をしています」
嫌な沈黙が流れた。窓から見える東京駅前の広場では、外国人観光客たちが嬉しそうに写真を撮っている。この役員はおそらく旅行には久しく出かけていないだろう。上品な紺色のスーツからのぞく肌の白さが物語っている。白い肌を少し赤らめて、彼は言った。
「何かの間違いじゃないかな。最近はネットで変な噂も飛び交うからね」
「御行の行員から聞きました」
「早稲田のOBに?」
「まず私の質問に答えてもらっても良いですか?」
彼は表情を欠いた顔で私を見つめた。次の瞬間、彼の背後で視えていた筈の太陽は大きく黒い球体に変貌した。視界がぐにゃりと歪み、椅子が意志を持ったかのように私を弾き飛ばす。床に叩きつけられ、うつ伏せのまま彼を見上げた。
「特命の仕事は、命がけだよ」
いつの間に立ち上がったらしい彼は、窓から黒い太陽を眺めながら言った。
「家族が抱える、何代かけても返済できない債務。それを負う者だけが、贖罪を兼ねて務めるんだ。一般人には縁のない世界だよ」
彼は机の上にあるファイルを手に取った。顔を上げて睨む私を一瞥し、興味がなさそうに書かれているものを読み上げた。
「黒川礼子。二十九歳。早稲田大学商学部卒業。出身は会津若松。医師と結婚した姉が一人、早稲田在学の妹が一人。両親はお茶の小売業を営む。経営者資質に問題なし、風評被害なし。無借金経営」
ファイルを閉じ、再び机の上に投げた。私が立ち上がると、椅子がこちらへやってきた。まるで意思を持っているかのように、人間が歩いている印象さえ受けた。
「立ち上がって良いって、誰が言った?」
かわいらしいと思っていた椅子は宙に浮いたかと思うと、足で後頭部を勢いよく打ち付けてきた。激痛に耐えきれず、私は呻き声を上げて床に伏せた。
「生い立ちは普通、抱えているものもない。君みたいな小娘が、遊びで入る組織じゃない」
「抱えているものがない? 調査会社、変えたほうが良いですよ」
私は痛む頭に涙が出そうになりながら、言葉を絞り出した。
「姉の戸籍を調べて下さい。離婚歴がある。前の夫の借金を抱えてる」
「当行の借金でなければ問題ないね」
「合併予定の銀行だとしても?」
彼が動揺を見せた隙に、私は窓へと走った。椅子が襲いかかってくる中、役員室のブラインドを勢いよく閉めた。黒い太陽は見えなくなり、椅子が倒れる。私は立ち上がり、役員に向かって歩きながら言った。
「特命に入るには、二つ条件が必要ですよね。一つは動機。姉が負った債務を返す」
彼と向き合う形となった。失礼します、と胸ポケットにある万年筆を手に取り、続けた。
「もう一つは能力。私は相手の持ち物を触ると、その記憶を見ることができます」
万年筆に意識を集中させる。目で、耳で、鼻で、指先で、そして心で。
「園 譲二。東大法学部卒。慶應チアリーダーの娘、東工大でバレーボール部の息子。奥さんは森ビルの社長令嬢」
彼は鼻で笑った。嫌な笑い方は様になっていた。きっとここの席に座るまで、何回も練習してきたのだろう。
「相手の経歴が分かるのかい。でもそんなもの、調べればいくらでも出せるからね」
「娘はパパ活でハメ撮りされて、恐喝されてる。息子は就活を全落ちして、博士号に進もうとしている。でも地頭が良くないので、研究者としては不向き。奥さんは若い不倫相手との情事に忙しい。家事が疎かになっていて、夕食はデパートの惣菜。今までは、オーガニックにこだわっていたはずなのに……」
真実かどうかは、園専務の真っ青な顔を見れば明らかだった。しかし彼の口から真偽を聞くことは、叶わなかった。強烈な眠気に襲われ、意識を手放したのだった。後から知ったのだが、全ての能力者は力を使うと副反応を伴うらしい。
穏やかな夕刻の会合は終わりを告げ、数日後には新入行員研修や健康診断の案内と同時に、特命部隊の誓約書が送られてきた。
後頭部に激しい痛みを覚えて我に返る。今はその七年後、場所は丸の内でなく目黒だ。姉の幸せを一瞬にして奪い、長く苦しめてきた膨大な借金。ただでさえ、姉にひどい仕打ちをする夫だ。彼にばれたら、何をされるか分からない。
そして子供たち。一緒に過ごしている時はひたすら相手を疲弊させ、微塵も愛情を抱かない。しかし手を離れた瞬間、不思議と力が湧いてくる。彼らの未来を守るためなら何だってしてやろう、と。
「クロさん?」
背後から名前を呼ばれる。振り向くと、心配そうな目をした伊藤が立っていた。
「特命虎の巻、第三章一項。『任務は警察と同様、必ず二人一組で行動すること』」
「あぁ、ありがとう」
「片方に何か起きた際、もう片方が本部に連絡することができる。そんな理由ですよね」
伊藤は疲労と哀れの混じった笑みを浮かべた。彼にそんな顔をさせているのは、かつて彼が単独で行動をしたせいで別の行員が意識不明の重体になったからだった。過去の話を出そうとしたが、やめておいた。今さら何になる? 誰だって地中深くに埋めてしまいたい過去の一つや二つを抱えているものなのだ。
キーボックスに行員証をスライドさせ、金庫の鍵を取り出した。伊藤は大きい目で、まじまじと鍵を見ていた。ある程度の階級以上の者しか鍵を取り出せないため、珍しいのだろう。
ロビーを抜けて、金庫へ向かった。暗証番号を入れて鍵を差し込む。ピー、という電子音に続いて、カチッと解錠の音が響いた。
「事件が起きたのは?」
「金曜、立て続けで三件ですね」
私は扉を開けようとしていた手を止め、驚いて伊藤を見た。
「騒ぎが起きてるって、気づかなかったのか?」
彼は申し訳無さそうな顔をしてうつむき、呟いた。
「会議の発言のことで、頭がいっぱいでした」
「そうか。ま、良いよ。すり替えてた、私も悪いし」
今度こそ金庫の扉を押す。耳障りな金切り音を立てて、ゆっくりと開いていった。まるで地獄へ案内するかのように。
金庫の中は、すえたカビの臭いが充満していた。アルミの棚に段ボール箱が並ぶ。箱の中にはいつの時代のものか分からないほど年季の入った契約書や稟議書が、どっさりと入っている。それらは使われなくなった子供部屋を彷彿とさせた。かつての宝物、今や見向きもされない物たち。伊藤はそれらを興味深く眺め、声を上げた。
「見てくださいよ! この稟議書」
そこには小さく池井戸、と書かれた印鑑が押されていた。
「あの著者か。うちの銀行だったもんな」
「これメルカリに出したら売れますかね?」
「出品と同時に飛ばされるだろうな」
棚と段ボール意外、変わった物は何も見られない。安心感から軽口を叩き合っていると、金庫の最奥にたどり着いた。
棚の上に、金属製のボックスが置かれている。中には現金や小切手が入っているものだ。
「ここに現物を出し入れすると、その後に戻れなくなるって話でしたよね」
箱の鍵を開け、念のために中身を確認した。一見、何か盗まれた形跡はない。それもそうだ。金銭目当てなら目黒のような四グループの弱小店でなくて、大きい店に行った方が良い。人口の大きさに比例して銀行の店は大きくなる。新宿、渋谷、丸の内あたりは名店と呼ばれていた。銀行員の中でしか通用しないが、それのみを誇りに生きている行員が一定数いることも事実だった。
箱を施錠して辺りを見渡す。変わった様子はない。
「何も起こらないな」
「発生条件が平日なんでしょうか」
「あり得る。とにかく、戻ろうか」
私たちは来た道を歩き始めた。おかしな噂が立つ以前から、銀行の金庫というのはあまり長居したくない場所だ。だいたいは地下にあり、窓がない。厚い扉で覆われているせいか、圧迫感がある。人や植物といった温かみがまるでない、ただの無機質な空間。一刻も早く立ち去りたい。
「クロさん」
伊藤が不安気に尋ねてくる。
「この金庫、こんなに広くなかった気がします」
しかしいくら歩いても、入り口へたどり着けないのだった。
「おそらく、私たちは同じところを何度も行ったり来たりしてる」
私は右手にある段ボールを指さした。伊藤が騒いでいた池井戸印の書類が入っている。
「この段ボールの前を通るの、これで三度目だ」
横にいる伊藤が足を止め、こちらを見た。かたちの良い鼻も、唇も、すべてに恐怖の色が浮かんでいる。二十二歳の好青年に嗜虐心をくすぐられそうになったが、そんなものと今は戦っている場合ではない。
「今回の被害者は?」
「前川ふみ、出口ちかこ、大山ありさ」
「年齢と家族構成」
「四十歳で夫と息子、三八歳で夫と娘、三十五歳で夫と娘と息子」
私は伊藤に向かい、彼の驚異的な記憶力へ礼を言った。これが彼を特命部隊に入らせる要因の一つだった。金庫のように電波が入らない場所で、役に立つばかりでない。
「被害者たちの証言に、おかしなところは?」
「思い出してみます。ううん。回数を負う毎に話が盛られるのは、よくあるから……」
彼は顎に手をあて、思考の末に言った。
「ひとつだけ。前川さんが言ったんです。『中で見たことは覚えていません』って。『中で何も起きてない』はずなのに」
彼は過去の発言を全て覚えている。そのため幾回に渡る取り調べの証言を照合し、違和感を炙り出せるのだった。
伊藤の顔が少しずつ青くなる。能力を使って思い出していたのだろう。
「ありがとう。座ってて良いよ」
彼は黙って頷き、壁を背もたれにしゃがみ込んだ。私は伊藤を見つめながら、彼の言葉を頭の中で繰り返していた。
中で見たことは覚えてない。これは通常の人間から出る言葉ではない。被害者たちには、何かが起きていた。語らない理由は口止めをされたか、あるいは言いたくないか。被害者たちは何を見ていたのだろう?
私は辺りを見渡した。人の気配はない。出入りできる扉はひとつだけ。今日は土曜日で、金庫はおろか店に入ることも難しい。行員通用口からしか入れないし、開閉履歴はログで残るからだ。金曜からずっと金庫の中にいることも考えられるが、あまり現実的ではない。最終退行時に必ず店や金庫の中を見回るからだ。これらから、一つの仮定が導かれた。
「おそらく人間の仕業じゃない。金庫にある何かが、悪さをしてるんだ」
私の声に応えるかのように、金庫の中の空気が薄くなった。風水師がこの部屋を見たら何と言うだろう。気の通り道が棚で塞がれている。窓がなく、気が流れていかない。植物がなくて生気がない。色は灰色の壁とクリーム色の棚、黒色の扉の三色のみ。運を溜め込むことが出来ない全ての要素を兼ね揃えているように思えた。
悪さをしている何かを、探しに行く必要はなかった。だいたいの災難は、こちらから探しに行かずともやってくる。いつの間にか伊藤の頭上には、一枚の絵がかかっていた。
下にはご丁寧にも作者名とタイトルが書かれている。
『ルノワール/ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
絵の中では広場で、多数の男女が愉しそうに食事をしていた。酒を飲み、踊っていた。各々が楽しい晩を過ごしているようだ。
しばらく絵を眺めていたが、何も起こらない。伊藤も立ち上がり、一緒に絵を眺めた。横目で彼を見ると、顔色はすっかり良くなり、回復しているようだった。若さを羨ましく思いながら、どちらかというと彼の上下する喉仏を見ながら、言った。
「この絵、どう思う?」
「あれ思い出しますね。外苑前のビアガーデン」
彼が言っているのは今年の夏に行われた、支店長の誕生日会のことだった。当時は平日の夜かつ突発的な飲み会だったため、ママさんたちは参加することができなかった。保育園の送迎があるからだ。
それは姉のことを思い出した。彼女は子供が生まれる前はよく飲み会に出かけていた。今はもうこのように出かけることなどできない。じゃあ何で気分転換をしているのだろう。
ある仮定が脳裏をかすめた。
「被害者の共通点は?」
「女性。全員、子持ち。」
「ありがとう。背中を頼む」
それは過去を見る時の合図だった。伊藤が硬い顔で頷き、私のすぐ横に立った。
手を伸ばし、絵に触れる。目で、耳で、臭いで、心で。全神経を絵が持つ記憶に集中させる。目の前に数日前に起きたであろう、金庫での出来事が映像となって流れ込んできた。
「え。何、この絵?」
前川さんが金庫にある絵の前で、立ち尽くしていた。薄手のカーディガンにふんわりとしたスカート。服装から察するに法人営業の事務を処理するミドル課員は、まるで制服のようにこの類の男受けがよろしい服に身を包んでいる。
「あ、やばい。お迎え行かなきゃ……」
彼女は立ち去ろうとし、足を止めた。縦横無尽に伸びた絵に、行き先を阻まれているのだった。絵は縦に、横に、斜めに伸び、金庫の壁を覆っていく。絵に描かれた近代ヨーロッパの服を着た男女が、まるで絵から抜け出してきたかのように、愉しそうに踊っている。
「う、うそ。どうしよう」
立ちすくむ彼女に、紳士が話しかけた。
「マドモアゼル、踊りませんか?」
四十過ぎの男性が微笑みかける。彼はダンディだった。シックなスーツ、口ひげ、長い髪は丁寧にカールされていて、少しも老いを感じさせない。
「で、でも私は子供もいて、今は業務中なんです」
今にも泣き出しそうな前川さんは、まるで少女のようだった。
「ここは絵の中。今はママでも会社員でもありません。一人の女性として楽しんで下さい」
紳士が再び微笑んだ。入佐さんは何かを決意したように頷き、紳士の手を取った。
それからの光景は、見ていて心温まるものだった。彼女は酒を飲み、美味しいものを食べ、おしゃべりに興じていた。母でも妻でもない、一人の人間としての解放。仕事と育児を両立している間に、このような顔が出来ただろうか。まるで絵画に描かれた女性のように幸せそうな前川さんだが、時おり不安げな表情が気にかかった。彼女の表情にタイトルを付けるとしたら、「子供を置いて、私だけ楽しんで良いのかな」。
意識を現実に戻すと、崩れそうになる身体を伊藤が支えてくれた。
「クロさん、大丈夫ですか?」
「……私のポケットに、薬が入ってる。それ出してくれ」
伊藤は言われた通りにして、錠剤を私の口に含ませてくれた。それを噛み砕き、身体から離れていきそうになる意識をなんとか繋ぎ止めることに成功した。
「口移してあげた方が良かったですか?」
「死ね」
彼はきれいな歯並びで笑って見せた。
私は絵の下に座り込み、壁に背中を預けた。伊藤も横に続いた。立って歩けるようになるまでには、数分を要しそうだった。
「おそらく絵が私たちに何かを見せてくることはないよ」
「どうしてですか?」
「独身で子供が居ない人間は、自分が自分でいられる時間があるから」
私は端的に見た映像を説明した。仕事中は会社員として、仕事前後は母親として、休めるところのない彼女の実情を。
「絵が休憩場所だったってことですね」
「あぁ。だから何が起きたか黙ってたんだろう」
「あの絵は撤去しない方が良い気がしてきましたけど」
「特命の理念、忘れたか? 『銀行の健全な経営を脅かす魔を退治する』。行員に現実逃避をさせないと維持できない経営なんて、健全じゃない」
あくびをしながら言い、金庫の中を見渡した。相変わらず灰色の壁とクリーム色の棚が並ぶ味気ない空間だった。しかし淀んでいた気は、いくらかマシになっていた。
「家庭も同じだよ。現実逃避しないと保てないのは、根本的に破綻してる」
「じゃ、どうすれば良いんですか?」
「どっちも手抜いてやれば良いんだよ。全部頑張ろうとするから死ぬんだ。仕事は五十%の力で、家庭も五十%の力で。隙間時間を自分のために充てる」
立ち上がり、絵を見て言った。
「この紳士も気に食わないな。フェミニストみたいな面して言いやがって。前川さんも素直すぎるんだよな。人の言うことなんて、話半分に聞かなきゃだめなんだ」
伊藤は、言いたいことがあるなら好きなだけ良いな、という気だるげな顔をしていた。彼は元々、人の話をあまり聞かない。その方が良いのだろう。誰もが自分の人生を正当化したいがために、アドバイスの餌食を探している。
「そろそろ運び出すぞ」
「はい。この絵、重そうだなぁ?」
彼は胸ポケットから茶色の手袋を取り出した。スウェードの高級そうな手袋で、丸ビルで売られていそうなシンプルなデザインだ。現物に触る時は必ず装着するように指示されている。絵を運び出して棚の間を歩いていると、金庫の扉が現れていた。
金庫の鍵をロビーへ戻し、自分の名前を台帳へ記入する。そこには被害者の名前を含め、金庫の鍵を開けた行員の名前が並んでいた。
『前川ふみ、出口ちかこ、大山ありさ、黒川礼子』
私は顔を上げた。伊藤は絵を脇に抱え、片手でスマホをいじっている。
「小竹さん、もう着いたみたいですよ。本部に絵を渡して、あがりましょう……クロさん?」
「本部の前に」
ためらいながら、私は口を開いた。
「ひとつだけ、寄りたい場所がある」
まるで決戦の場へ向かうかのような重い口調が、二人だけの店内に響いた。
車に乗り込み、小竹さんに住所を告げた。発進して、しばらく後部座席に座る私たちは無言で窓の外を見ていた。特命の任務は今回のような軽いものでも、疲れを伴うのだった。
隣に座る伊藤に、私は言った。
「誰がこの絵を置いたと思う?」
伊藤は視線を窓からこちらへ移し、言った。
「行員で、目黒支店の誰かだと思います」
「あぁ。しかも代理以上の役職だ。金庫の鍵を取れるのは役付者だけだからな。鍵を取ったら必ず台帳に記入も必要だ。忌々しい監査が入った時に、ログと照らし合わせるからな。ちゃんと台帳に記入されてるか」
金融庁監査の苦い想い出が蘇る。顔をしかめる私を見ながら、伊藤は何かを思いついた顔をして言った。
「そういえば台帳、見てましたよね」
「あぁ。ご丁寧にしっかり名前が書いてあったよ。犯人のな」
伊藤は目を見開いた。
「今、犯人の家に向かってる。今日は土曜の昼間だから、確実に家に居るはずだ」
車がマンションの前で停まり、小竹さんが着いたよ、と声をかけてきた。その家は数日前に私が逃げ込んできた場所で、姉の家だった。
玄関先で絵を見せると、姉は偽りの笑みを浮かべた。
「こんなところで立ち話じゃなんだから、あがっていかない?」
「いや、良い。外で車を待たせてる」
「そう、せっかく噂の彼もいるのに残念ね」
意味ありげに見つめる姉に向かって、伊藤は挨拶代わりに軽く頭を下げた。
「どうしてこの絵を金庫に置いたんだ」
リビングからテレビの音が聞こえる。子どもたちが静かなのはそのお陰だろう。リビングに気を配りながら、姉は言った。
「礼子と入れ替わった朝、トイレで彼女たちが話してたの。家に帰れば家事育児で、やっと終わった頃に旦那が帰ってくる。有給は子供の行事や風邪で潰れて休めない、って」
姉は手をじっと見つめた。きれいな指先だが、ネイルが少し伸びかかっている。彼女はそれを疲れた顔で眺めていた。
「だから細工をした絵を金庫に隠したのか」
「ご褒美と呼んで欲しいわね」
「素敵な響きだ」
大人気なく相手を睨みつける上司を前に、伊藤がおずおずと口を開いた。
「あの、クロさんが犯人ってことになっちゃいませんか? 監視カメラに映るんじゃ……」
「それなら大丈夫よ。絵の大きさはね、」
彼女は絵に向けて手を伸ばした。指先が触れると、絵は握りこぶしサイズに変形した。
「自由に変えることができるから。これをポケットに入れて、金庫に入ったの」
言い終わると、リビングが騒々しくなった。長男と長女が喧嘩しているようだ。年の近い兄妹は小説やドラマで美談として好まれる題材だが、実際は小競り合いの連続なのだ。
様子を見てきた姉が、うんざりしている様子で戻ってきた。お菓子のおまけでついてきたキーホルダーを取り合っていたらしい。そんなものに振り回される母親業というのは、確かに絵の中で休みでもしないとやっていけないのかもしれない。
気がつくと私は口に出していた。
「犯人を私にも礼華にもしない方法、思いついたんだけど……」
そのために必要となるものを口に出すと、姉は目を見開いた。そして、たぶん子供部屋にあると思う、と言って足早に廊下を駆けていった。
後ろ姿を見て、昔のことを思い出した。お化け退治をする為に、二人で廊下を走っていた時のこと。怖がる姉の手を繋ぎ、一緒に子供部屋へ入ったこと。
今や姉は一人で部屋へ行き、一人で入っていく。どこか胸に寂しい思いを抱えながら、私は姉から手渡されたものを受け取り、別れを告げた。
車に乗って丸の内本部へ向かう途中、伊藤が言った。
「本部に何て報告するつもりですか?」
「誰かがうっかり、絵を金庫に落としてしまった。それが金庫にある悪い気を吸って、幻覚を見せるようになった」
ほら、と伊藤に小さなフレーム付きのキーホルダーを渡した。フレームに収まる先程の絵を見て、伊藤はため息をついた。
「クロさんってシスコンですよね」
「彼女には一生かかっても返せない恩があるからな」
「そうじゃなくて。嫌だったんじゃないですか? お姉さんの愛情が子供や、他の行員に行ったのが。だからあんなに怒ったのかなって」
沈黙。普段はふざけてばかりの伊藤は、たまに驚くほど鋭い指摘をよこすのだった。
「それはあるかもな。でも、だからって彼女を好きなのは変わらないよ」
窓の外には、道路沿いにある公園が見えた。排気ガスにも負けず子供たちが遊具で遊んでいる。それを親たちはスマホをいじったり、濁った目で眺めたりしていた。
「愛情が返ってくるかどうかは、問題じゃない。姉さんの借金を返す為に特命で働くのも、姉さんの罪を隠すのも、好かれたくてやってるわけじゃない。私が好きでやってるんだ」
車が赤信号で止まる。横断歩道を親子が渡っていた。片手でベビーカーを押しながら、泣きわめく子どもを引っ張るかたちで歩いている。
「育児もそうなんじゃないか? てめえ殺すぞって思うくらいムカつく時もあるけどさ。かわいい時もあるし。別に好かれなくても……」
私は言葉を最後まで続けることができなかった。部屋で他の女と寝ていた伊藤の姿を思い出したからだ。何事にも例外はある。異性においては、愛情を返して欲しい。自分だけを見て欲しい。
「俺は嫉妬してますよ、お姉さんに」
「は?」
「だって、嫌に決まってるじゃないですか。好きな人が、他の奴のこと見てたら」
またもや沈黙が立ち込めた。しかし先日のように嫌なものではなかった。視線をフロントガラスにうつすと、小竹さんのニヤついた顔がサングラス越しでも伝わってきた。
「寝てたじゃねえか、他の女と。私の部屋で」
「あればクロさんの部屋で寝て待ってたら、知らない間に奴が横にいたんです!」
「最初からそう言え!」
「クロさんが説明する暇くれなかったんです! 連絡もつかないし!」
その言葉で、壊れたスマホを思い出した。特に誰とも連絡を取る必要がなかったため、忘れていたのだった。急に車が停まり、私たちは小竹さんを見た。
「ほら、銀杏祭り。お二人で行ってきたらどうです?」
車の外にはちょうど見頃となった、外苑の銀杏並木が続いている。確かに絵が大きかった時は、運搬のために車が必要だった。しかし絵がキーホルダーに収まっている今、本部へ向かうこともできる。断る理由は何も無いように思えた。
「あの、スマホが壊れたんで携帯ショップに……」
言ってから、しまったと思った。つい休むことや遊ぶことに拒否反応が出てしまうのだ。姉は母として妻として、働いている。私だけが好きに生きていて良いのだろうか。罪悪感を拭いたいがために、誰かのために動いているのかもしれない。でも、それは誰のための人生なのだろう。
「行きましょうよ、クロさん。誰にだって休憩は必要でしょ?」
その迷いを断ち切るように、伊藤が明るく誘ってくれた。私は小さく頷いた。本部のサウナに行くという小竹さんにキーホルダーを託し、別れを告げた。
十一月下旬だというのに暖かく、明るい日だった。木立ちで鳥がさえずっている。伊藤と並んで歩いていると、彼は口を開いた。
「手を繋ぐと、相手の過去も見えるんですか?」
「うん。やろうと思えば。だから、やめといた方が……」
そして手を繋いできた。見られて困るもん無いんで、と笑いながら。
外苑前の銀杏並木は、辺り一面を黄色の世界に彩っていた。黄金色に輝く太陽と相まって、まるで別の世界にいるかのような感覚を与えてくれた。
自撮りに必死な自己愛にまみれた人間の中、何組かの家族連れも存在している。母親たちは落ち葉をばらまいてはしゃぐ子供へ、愛情に満ちた視線を向けていた。あたたかく、深い眼差しだった。誰もが自分の為に必死な世界で、誰よりも輝いて見えた。
「あぁ、そうか」
同じく家族連れを眺めていた伊藤が、声を上げた。
「僕、なんか勘違いしてました。他人の為の時間をゼロにして、自分に使う時間が百にすぐことがゴールだって。だからママたち絵に逃げてたんだって」
「違ったのか?」
「はい。誰かのために尽くしている時間も、自分を幸せにしてくれるんです」
私は姉のことを考えた。勝手に同情していたが、彼女は彼女なりに幸せのかたちを見出しているのかもしれない。子供たちにうんざりさせられているには違いないが、それ以上の何かを、彼女は受け取っているはずだ。
「ま、程度の問題だよな。好きにやれば良いんだ。外野の声は無視して」
「クロさん。また、お姉さんのこと考えてました?」
手が強く握られる感覚とともに、伊藤が言った。不機嫌そうな彼を笑顔にさせるために、何をしようか思いを巡らせた。シェイクシャックでハンバーガーを食べても良い。ロイヤルガーデンカフェのパンケーキも悪くない。奮発してベルコモまで足を伸ばそうか。
「……いや。今は、伊藤のことを考えてるよ」
程よく色づいた銀杏が、彼の笑顔に降り注ぐ。やれやれ、と思った。どちらかと言うと、私は誰かの為に時間を使う方が、性に合ってるらしい。
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