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芝くんと城さん~元ヤン部長×ヤンデレ新人~

はっきりと色を変えるその存在感に、目をそらして

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「城さん、顔色が優れませんね」

 同僚にそう声をかけられて、城はぎくりとして顔を上げた。

「っは、戸破サン。そんな事ありませんよ。俺ァ見ての通り、元気です」
「そうですか? ああ、そういえばここ三日ほど、芝くんの姿を見かけませんね。もしかして、それで城さんも調子が出ないのでは?」
「……そ、そんな事っ…あるわけが無いじゃないですか。寧ろ、鬱陶しい顔が見えなくて清々してますよ。大体、俺は忙しいんです。稟議書のチェックに、報告書の作成、福利厚生の管理……オマケに子守なんて、とんでもない」

 ああ忙しい忙しい、と言いながら、わざとらしくデスクの上を片付け始めた城に、戸破は思わず笑ってしまう。

「素直じゃありませんねぇ、城さんも」
「あなたにだけは言われたくありません、あなたにだけは」
「はて、僕は自分に素直な方だと思いますが」
「だったらなんで桜井をあのままにしておくんですか」
「桜井くん? どうして彼の名前がそこに?」

 戸破はきょとんとして目を瞬く。本当に言われた意味が解らないという様子で、首を捻った。
 呆れたような表情を浮かべて、城は戸破を見上げる。

「……俺はたまに、あなたがどこまで天然なのか、作為なのか、疑いますよ」
「ふふ、どうでしょうね。……それは冗談としても、芝くんのことはちょっと心配ですね。身体を壊したりしていなければ良いんですが」

 学文路カムロディレクターに聞かれてみては?
 そう言われて、躊躇いながらも、結局その日の放課後、城は芝が所属する商品管理部を訪れた。終礼の後の一時、社員達の喧騒の中で共に声を上げて笑っている学文路を手招きする。
 正直に言えば、こうして自分からあの青年に関わろうとする事は、なんだか負けたようで悔しい。それでも、日課のようになっていた攻防戦から解き放たれたこの数日は、どことなく空虚で、物足りないのも事実だった。
 学文路は身軽に部下達の間を擦り抜けると、ひょこりと城の前に顔を出した。

「はい、なんでしょう城さん。あなたが商品部に直接いらっしゃるなんて、珍しいですね。どうかなさいましたか?」
「あー……芝のことなんだが」
「芝?」

 その名前に、学文路は僅かに眉を顰める。
 なんだ、あいつはこっちのチームにも迷惑をかけているのかと勘繰って、城はごくりと息を呑んだ。もしかして、あいつが追い掛け回しているのは自分だけじゃないのかもしれない。そう思った瞬間、もやっとしたものが胸に広がり、複雑な気持ちになる。
 なんだこれは。だからなんなんだこれは。

「もしかして、学文路サン……芝は――」
「そうなんですよ」
「やっぱり……」

 だが、憤慨した様子で口を尖らせた学文路の言葉は、城の予想とは大分違っていた。

「今朝、彼の家に電話してみたんですが……昨日雨の中、深夜に外出して、びしょ濡れで戻ってきたんだとか。それからずっと熱が下がらないそうですよ。まったく、昇進試験前の大事な時期に何をしてるんだか」

 自分から試験を受けたいって言ってきたのに、と。
 そういう梓に、城は驚いて目を見張る。
 昨夜……自分は何をしてた? 確か日中、彼に呼び出されて――どうしても話したいことがあるから会いたい、と――行かなかったんだ。どうせいつもの冗談だと思って。まさかあの雨の中、待っていた? それに、昇進試験だって? そんなことは聞いていない。

(そうだ、彼はきっとそれを話したかったんだ)

「あ、俺……」
「そういえば、芝は城さんをすごく尊敬してるって言ってたんですよ。試験を受けるのも、あなたに認めて欲しいからだって。あと、異動届けも……」
「……異動? あいつはどこに行こうっていうんです?」
「言って良いのかな……聞かなかったことにしてくださいね?」

 少し悩み、前置きしてから、学文路は言う。

「芝は、デザイン部を志望しています」

 俺、他に出来る事が思い浮かばないから。
 いつか、城さんに俺の作った服を着てもらいたいから。
 そんな風にはにかんで、笑ったのだそうだ。

「これまで、彼があんなに積極的に勉強に取り組んでいるのは、見たことが無くって。だから、城さんから良い影響をもらってるんだなって、安心してたんですが……まさか、こんなことになるなんて」
「すいません……」
「なんで城さんが謝るんです? これは芝の自己管理の問題です」
「いや、違うんです。俺が……すいません。詳しい話はまた後で。芝の住所、解りますか?」

 30分後、城は芝の家の前にいた。
 城のマンションからオフィスビルを挟んで正反対。彼はここから、毎日のように城の元に足を運んでいたのだろう。自分と違い、バイクという自由になる足もないというのに。毎日毎日、飽きもせず、よく通ったものだ。

「すいません、同僚の者ですが」

 チャイムを鳴らし、出てきた青年にそう告げる。
 容姿からして、それは芝が良く話していた「兄」だと思った。顔立ちが良く似ている。ただ、「現役ホストだ」という彼の方が、弟より余程垢抜けていたが。

「あ。……もしかしてあなたが城さん、ですか?」

 一目でそう見抜いた彼に、城は少し驚く。そしてそれだけ、芝がこの兄に自分の事を話していたのだと気付き、苦い笑みを浮かべた。

「はい。芝……十七つづなくんの調子は、如何ですか?」
「今は大分落ち着いたみたいですよ。どうぞ、上がってください」

 促されて、城は玄関に足を踏み入れる。室内は彼の母親の性格か、綺麗に整頓されており、居心地が良かった。
 階段を上がって一番奥が芝の部屋。そう示されて、城は手摺に手をかける。
 と、その前に引き止められた。

「あの、城さん」
「はい」

 キヅキサン。
 いつも自分を呼ぶのと良く似た声で呼ばれて、城はまたびくっとして振り返った。それはもう、条件反射だ。

「何でしょうか」
「十七は、ああいう奴なんで……ご迷惑、お掛けしてるでしょう?」
「はぁ、まぁ……」

 これまでに行われた数々のストーカー行為を思い描き、城は複雑な表情を浮かべる。
 ですよね、と笑う彼の兄は、弟とはまた違う人種に見えた。少なくとも、ホストという駆け引きの世界にいるからには、もう少し上手い恋愛をするだろう。

「それなのに、どうして今日は、来てくださったんですか?」
「え。いや……それは」
「迷惑なら、迷惑って言ってやってください。あいつ、本気で拒絶されないと止まらないんです。俺が止めても全然で。今度は平気、今度は大丈夫って」

 ホントに困った奴で、と溜息を吐く。
 そして彼は言った。

「同じ会社の上の立場で、邪険に出来ない気持ちも解りますが、あいつ本気なんです。本気で、あなたが手に入ると思ってる。見てて滑稽なほど」
「……そう、ですね」
「デザイン部に入るって言い出した時はまぁ、将来的に専門を持つのは良いことだと思って、俺も反対しませんでしたが。それでこんなことになるなら話は別です」
「……ええ」
「あんまり期待させないでやってください」

 じっと、弟に良く似た力強い印象的な眼で、兄が城を見上げる。城は僅かにたじろいだ。自分が押され負けるなんて。そう思いながらも、目を逸らす。
 確かにこの二人は、兄弟だ。そう思った。

「解りました。失礼します」

 そう応えて、早足に階段を上がる。その奥に、「TSUDUNA」と刻まれた可愛い木製のボードの掛かったドアがあった。
 城は躊躇いながら、ノックする。

「にーちゃ……?」
「違う。俺だ」
「き……きづきさん……?」

 驚いたような声が聞こえた。入るぞ、と一声かけて城はドアノブを回す。その向こうには、オレンジで統一され、少々乱雑に散らかった部屋があった。

「や、やだっ、きづきさ……なんで、いきなり」
「起きなくて良い。寝てろ」
「いや、だって……俺片付けもしてないしっ……」
「病人がそんなことしなくて良い。良いから寝てろ」

 起き上がろうとした芝にづかづかと近付くと、城はその頭を鷲掴んでベッドに沈めた。しばしもがいていた芝は、やがて体力尽きて大人しくなる。
 熱の為か、一瞬にして昂ぶった感情のせいか、半泣きの表情で城を見上げ、こう言った。

「……ごめんなさい」

 それが何に対する「ごめんなさい」なのか、城には解らなかった。
 心配させて「ごめんなさい」なのか、
 迷惑かけて「ごめんなさい」なのか、
 熱を出したことそのものに対する「ごめんなさい」なのか、
 それともその他の何かだったのか。

「気にすんな。らしくねぇぞ」

 ただ、笑いもせずにそう言って、城は芝の頭を撫でる。汗ばんだ髪が指に絡んで、彼の体温が伝わった。熱い。
 こんな熱まで出して。自分の為に、こいつはどこまでする気なんだろう。――ふと、城はそれが怖くなる。自分に認められるまで、彼は繰り返すんだろうか。こんな事を?

「芝、異動するんだってな」
「……あ。もう、知られちゃったんだ……俺の口から言いたかったのに」
「ばーか。俺は管理職だぞ。情報はすぐ伝わって来るんだよ」
「そっか……残念」
「試験前になにやってんだ。これで昇進も異動も出来なかったら……俺のせいみたいじゃねぇか」

 いや、事実そうなんだろう。
 だから敢えて、軽く口にしてみた。芝は城の想像通り、目を瞠って首を振る。

「そんなことっ……俺は城さんのせいにしたりしないよ」
「解ってる。解ってるよ」
「俺は、ただ……だって……俺っ」

 何かを言おうとして上手く言葉にならず、芝はごほごほと咳き込む。その姿に、城は口を噤んだ。
 いつも自分の背後から忍び寄ってくる彼。押し付けがましい愛情に、何故か背筋が凍るような思いがして、複雑な感情を湧かせる彼。だが、こうして弱っている姿はどうにも頼り無い。弱々しく自分に縋る手。自分に伸ばされる手を――どうして、自分は取ってしまったのか。

「出血大サービスだ。おまえが寝るまで傍にいてやる。目を閉じろ」
「……眠りたくない」
「だったら俺は帰るぞ」
「やだ」
「じゃあ、良い子で寝るんだ」
「……う、ん……」

 やがて、疲れ切った寝息が芝の唇から漏れ出した。やはり無理をして起きていたのだろう。熱はまだ高いのだ。

「馬鹿だな」

 本当に馬鹿だ。自分も、彼も。
 ゆっくりと指を解いて、彼の胸の上にその手を乗せてやる。
 起こさないように静かに、城は部屋を出た。玄関に下りたところで、再び彼の兄に遭遇する。

「お帰りですか?」
「はい。お邪魔しました」
「いえ、俺も出過ぎた事を言いました。すいません」

 そんな事は、と首を振って、城は靴を履く。
 その背中を見詰めたまま、兄が言った。

「俺ね、ゲイなんです」
「……え?」

 思わず振り返る。
 華のような優しい笑顔がそこにあった。まだ芝には無い大人の色香。男女とも惑わせるに足る、魔性の笑みが。

「あいつがあんな風になってしまったの、俺の影響なんです。多分」
「それは……関係ありませんよ。本人の問題だ」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、俺はあの子に負い目がある。だから……幸せになって欲しいんです。その為にならなんでもしますよ」
「それは」

 それは、俺だって。
 吐き出すようにそう言うと、彼がにっこりとまた笑った。城は、眩暈がしたような気がした。このままうっかり取り込まれそうだ、とすら思った。彼の為に、彼の笑顔の為に、何もかもを捧げる奴隷に――成り下がってしまいそうな。

「……揶揄わないでください」
「本気ですよ、俺は」

 本当にまったく、この兄弟は。
 大仰に溜息を吐いて、城は玄関のドアを開く。外は夕焼けで赤く染まっている。嫌な色だ。
 ゆっくりと振り返ると、兄と目が合った。今度こそ押し切られぬよう、力を込めて見詰め返す。

「芝に伝えてやってください」

 そして、最後に告げた。

「そんな必死にならなくても……俺は、逃げやしねぇよ、って」
「お人好し」
「っは、自分でもそう思います」

 笑って、身を翻す。もう振り返らなかった。
 ――それは思春期にありがちな、一夜の夢かもしれない。時が経てば消え去る、泡沫の幻かも知れない。それでも。

(それさえも、あいつが大人になる為に必要な階段なのだとしたら)

 それに付き合うのも、上司としての役目じゃないのか?
 そんな風に自分に言い訳して。
 城はバイクのエンジンをかける。ぐちゃぐちゃになった頭を空っぽにしたくて、冷たい風の中に飛び込むように車体は夕闇迫る街を走り始めた。
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