32 / 34
■第一部 R大学時代の友人「ワトスン君」の回想録より復刻
31.最後の挨拶 -Sherlockian’s Last Bow-
しおりを挟む■シャーロキアンのエピローグ-”An Epilogue of Sherlockian”-
その日はふわふわと雪が降っていた。
すでに太陽が沈んでから随分と時間が経っており、またぞろ池袋の空を覆う闇夜の曇天は、街の気温を奪っていくようだった。
いま俺がいる文学部研究棟の窓からは、いつもであれば池袋R大学の名物である赤煉瓦校舎の本館”モリス館”と、その中庭に植えられた二本のヒマラヤ大杉が見えるはずなのだが……。いまや外気温差によって白色に曇ってしまった研究室のガラス窓には、毎冬恒例の聖夜祭企画でイルミネーションが点灯された”ヒマラヤ大杉”の淡い明かりのシルエットだけが、ぼんやり見えているのだった…――。
さて、先ほどまでの”知的遊戯”で疲労した脳をゆっくり休ませながら――それでも俺は”挑戦状”に視線を向けた。
――”ジョン・H・ワトソン博士とは何者なのか?”――
車楽堂ほむら先生が手渡してきた”挑戦状”には、
非常に短文であり且つ難解な”謎かけ”が、とても簡潔に書かれていた――。
■31.最後の挨拶 -Sherlockian’s Last Bow-
『大空白時代-Great Hiatus-』
シリーズ中期に発表された短編『最後の事件-The Final Problem-』のこと――
一八九一年五月四日、名探偵ホームズは”犯罪界のナポレオン”と称されるロンドン闇世界の頭脳”モリアーティ教授”と死闘の末――”ライヘンバッハの滝壺”へと転落して、そのまま消息不明となってしまう。
そして、名探偵ホームズが宿敵”モリアーティ教授”の残党配下を逮捕するために『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』にて英国ロンドンに帰還、相棒の”ジョン・H・ワトソン博士”と再会したのは実に一八九四年四月五日…――実に”三年後”のことだった。
愛好家たちは”名探偵ホームズ”が消息を絶ったこの”三年間”を『大空白時代-Great Hiatus-』と呼称するのだが…――この”三年間”には大いなる関心が寄せられる事となる。
その最たるものは――”この大空白時代に名探偵ホームズは何を為していたのか”――というものだった。
だがしかし、そもそもの”謎”は――”なぜ名探偵ホームズは、三年間も消息を絶つ必要があったのだろうか”――という事である。
名探偵ホームズは『空き家の冒険』事件にて”ワトソン博士”と三年ぶりに再会すると、『大空白時代-Great Hiatus-』の狙いに関して、以下のように説明している…――
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「僕は”モリアーティ教授”の姿が滝壺の濁流へと消えた瞬間、これは大いなる”好機”が転がり込んできたと気づいたのさ。僕の抹殺を誓っている悪党は”モリアーティ教授”だけじゃない。首領が死んだことによって、僕への復讐心を滾らせるだろう連中が少なくとも三人はいたんだ。どいつも危険極まりない悪党で、きっと僕の命を狙ったはずだ。だが、もしも僕が死んだと全世界が信じたならば、ヤツらは油断して、きっとやりたい放題に振る舞うことだろう。そうなればヤツらの素性はすぐに露呈するから、遅かれ早かれヤツらを一網打尽に逮捕できるってわけさ。その時になれば、僕がまだ生きていたことを世界に公表しようという次第だよ」
<第三短編集『シャーロック・ホームズの帰還』収録~
『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』より>
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
つまり名探偵ホームズは”自身の死を偽装する”――所謂”死んだふり”をする事によって、犯罪界の帝王”モリアーティ教授”の残党配下どもを油断させ、犯罪者連中を一網打尽に捕まえようと計画したのだ。
窮地を脱した瞬間に”次なる最善策”を講じる様は、まさに世界屈指の”名探偵”といった感ではあるが…――実際にはここで名探偵ホームズに問題が発生する。
ライヘンバッハの崖っぷちでの死闘の末、名探偵ホームズが宿敵”モリアーティ教授”を倒した直後…――近くで監視していた”モリアーティ教授”の部下に一部始終を目撃された上に、落石事故を装った襲撃を受けるのだ。名探偵ホームズはこの時の出来事を――”次の瞬間、崖上を見上げると、そこには暗くなりかけた空を背後にした”男の頭”が見えたんだ。<略>”モリアーティ教授”は部下を連れていたのさ。それも少し見ただけで”危険な男”だと分かる悪党をね。そしてソイツはずっと僕らの死闘を監視していたんだよ。<略>あの恐ろしい顔が、また崖からこちらを覗き込むのが見えた。それが次の落石の前兆だと気づくと、僕は急いで崖下の道へ向かって岩棚を這い降りたんだ”――とワトソン博士に語っている。
近くで監視していた”モリアーティ教授”の部下に一部始終を監視され、お互いに顔を認識できる距離間から落石による襲撃を受け、最終的には”名探偵ホームズが崖下へ逃げる”ところを目撃されている――。
つまりは――”名探偵ホームズが死んだと思わせたい敵側”に対して、すでに”名探偵ホームズの生存がバレていた”という事になるのだ。
それなのに――
――”なぜ名探偵ホームズは死亡偽装を継続したのか”――
――”なぜ名探偵ホームズは三年間も消息を絶つ必要があったのか”――
――”名探偵ホームズが死んだと見せかけたかった人物は、本当に”モリアーティ教授”の残党連中だったのか”――
◆◇◆
さて、名探偵ホームズは『ノーウッドの建築家』の冒頭にて――
以下のような台詞を発言している。
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「犯罪専門家の見地からするとね」シャーロック・ホームズが言った。
「故”モリアーティ教授”が死去して以来、大英都市ロンドンは妙に面白くない街になってしまったよ」
<第三短編集『シャーロック・ホームズの帰還』収録~
『ノーウッドの建築家-The Adventure of the Norwood Builder-』より>
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
天才的探偵は”事件”を欲する――。
第二長編『四つの署名』の冒頭では、名探偵ホームズは暇潰しに”麻薬”を楽しみながら――”僕に事件をくれ。僕に仕事をくれ。僕に最も難解な暗号文をくれ。さもなくば最も複雑な分析を。<略>意味のない生活の繰り返しにはうんざりだよ”――とワトソン博士に語っている。この名探偵が見せた退廃的推理狂ぶりは、多くの読者を驚かせた事だろう――ちなみにこれは余談だが、現代では”麻薬”の使用は法律で禁じられているが、当時十九世紀末の英国では一般販売される嗜好品の類だった。まあワトソン博士が医学的見地から反対している事からも当時であって褒められた行為ではなかった様だが。
さて、かくも天才的探偵は”事件”を欲する――。
では、天才的犯罪者は”何を”欲するのだろうか――?
彼らは”事件”を求めない――なぜなら”事件を起こす側”だから。
彼らは”仕事”を求めない――なぜなら”仕事を作りだす側”だから。
彼らは”犯罪”を求めない――なぜなら”犯罪を生み出す側”だから。
”モリアーティ教授”とは何者なのか――?
彼は英国都市ロンドンの闇社会において”犯罪界のナポレオン”と称される”天才的犯罪者”――。
名探偵ホームズは『最後の事件』にてかく語る――”彼自身はほとんど何もしない。彼は計画を練るだけだ。しかし彼の手下は無数にいて、見事に組織化されている。例えば、書類を盗む、強盗に入る、人を殺すといった犯罪を謀る時、教授にひとこと言えば、それは計画され、実行される。手下は捕まるかもしれない。そんな場合は保釈や弁護の費用が準備される。そしてその手下を使っている”組織の中心”は決して捕まらない。疑われることさえないのさ”――
普通の”悪党”は、犯罪を成功させることで得られる”稼ぎ”が目的だ。
だが、犯罪界の頭脳”モリアーティ教授”は――すでに十全な”稼ぎ”を得られてなお犯罪界に君臨し続ける。
英国都市ロンドンの悪事の半分に関与するほど――彼は”犯罪”を愛している。
犯罪による”知的興奮”こそが天才的犯罪者――”モリアーティ教授”の欲するものだとしたら。
それならば”天才的犯罪者”は何を欲するのか――
それは――”真実を解き明かそうと事件に挑んでくる探偵役”――ではなかろうか。
名探偵ホームズが――”モリアーティ教授”がいない街を”面白くない”と言ったように。
”モリアーティ教授”もまた――名探偵ホームズがいない犯罪は”面白くない”と感じていたのではないか?
だからこそ――
犯罪界の頭脳”モリアーティ教授”は――名探偵ホームズに興味を示した。
彼らが直接対決した『最後の事件-The Final Problem-』では、
”モリアーティ教授”は大胆不敵にもベーカー街を訪れ、名探偵ホームズを興味深そうに観察した。
名探偵ホームズに銃を向けられても――”君は思ったより前頭葉が発達しとらんな。部屋着のポケットの中で弾丸の込められた銃をイジるのは危険な習慣だよ”――と実に冷静に”苦境”を楽しんでいた。
さらに想像を膨らませてみる…――
もしも天才的犯罪者”モリアーティ教授”が――最も”名探偵ホームズ”を愉しむとしたら?
それはやはり『最後の事件』で見た情景のように…――
もっと近くで、もっと一緒にいて、”名探偵”の行動を観察したいと思うのではないか…――
――”ジョン・H・ワトソン博士”――
愛妻メアリー夫人から――”ジェイムズ”――と呼ばれた男。
世界的”名探偵”ホームズと共に各地の事件現場を駆け巡った”聞き役”――。
民間の諮問探偵ホームズが最も信頼し、篤き友情で結ばれた無二の”友人”――。
『空き家の冒険』にてベーカー街へと三年ぶりに帰還した名探偵ホームズが――”この懐かしき部屋の安楽椅子に座り、そしてただ、かつて君がよく座っていた向かい側の椅子に、古き友人ワトソンの姿が見られたらと願っていた”――そう語りかけた永遠の”相棒”――。
その立ち位置は”天才的犯罪者”にとって――非常に”理想的”だとは思わないかね?
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!
ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。
ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。
そしていつも去り際に一言。
「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」
ティアナは思う。
別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか…
そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。
兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜
藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。
__婚約破棄、大歓迎だ。
そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った!
勝負は一瞬!王子は場外へ!
シスコン兄と無自覚ブラコン妹。
そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。
周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!?
短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています
カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。
BLショートショート
鳥羽ミワ
BL
オールハッピーエンド保証!現代設定BLショートショート集です。
~4000字程度のSSをあげます。
ほぼほぼ甘々です。
※この作品は、カクヨム様、小説家になろう様にも投稿されています。
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる