バタフライトラップ

柏木あきら

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三、赤い扉とネクタイ

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岡が帰ったあと、拓也はグラスを拭きながら明彦に尋ねた。
「俊に会わせるんですか?」
キセルからの煙を吐き出して、明彦は天井に顔を向けた。
「そうね。あの子もこのままじゃ、前に進めないでしょ」
「……ですが、岡さんは」
「そうね、恐らくDomだわ」

明彦はこの店で長くいろんな客を見てきた。
いつのまにかDomやSubをほぼ見分けられるようになっていた。
また明彦自身がDomにもSubにも自分の意思でなれるという特異体質の『Switch』だから見分けられるのかもしれない。どちらにしろ大抵当たっているのだ。
拓也は同じDomだから、気がついたのだろう。

「穏やかそうに見えますけどね」
その拓也の言葉に、明彦は答える。
「あらアンタも、穏やかなDomでしょ? プレイ中は違うけど」 

その日の店内の片付けが終わり、俊が拓也と一緒に帰宅しようとしたとき、明彦に手招きされた。
拓也は先に帰っておくからと店を出て行き、カウンターだけあかりが灯された暗い店内に明彦と俊の二人きりになった。
「俊。最近眠れてる? 以前よりは調子良いみたいだけど」
前に比べて調子はいいのは確かだが、不眠は相変わらずだった。
気持ちの浮き沈みもひどい時は一日中部屋に閉じこもってしまうときもあり、どうしても店に出勤できそうにないときは、拓也が明彦に休みの連絡をしている。

「人よりは、眠れてないかも」
「そうね。ねぇ、俊。岡ちゃんがカウンセラーをしてるみたいなの。カウンセリング、受けてみない?」

それを聞いて、俊は沈黙する。
カウンセリングや通院はずっと断ってきた。自分を曝け出すことが苦手な俊は、明彦に言われても頭を縦に降らなかった。今回も断ろうと口を開きかけた時……

(このままでほんとにいいのか?)

佳紀のマンションから逃げ出し、【ロジウラ】に転がりこんで一年が過ぎた。
労働をしているとはいえ明彦と拓也に甘えてばかりいる。
いつまでもこのままではいけないと、何度も思っているものの、己の意志の弱さを払拭できずにいた。

今回の話がいいキッカケになるだろうか。今のうちに動かないといけないのではないだろうか。
こうやって明彦が心配してくれている間に。いつかは【ロジウラ】から離れなければならないのだから。

「あとね、岡ちゃんが俊に美味しいおつまみをいつも作ってくれているから、そのお礼もしたいんですって」
「えっ」
その言葉に俊は思わず顔を上げた。
岡に会ったことはないが、レシピを作るのが楽しくて、自分の作ったものを食べて喜んでくれている顔を想像していた。自分の作ったおつまみをどんな顔で食べてくれているのだろうか、と俊は思っていた。
(お礼をしたいだなんて。いつも食べてくれて嬉しいのに)
俊はゆっくりと口を開く。
「カウンセリング受けます。俺も岡さんに直接お礼を言いたいです」
一瞬明彦は驚くが、すぐに笑顔になり俊を抱きしめた。

***

カウンセリングを受けると俊が明彦に答えた五日後に、岡と俊は初めての対面をすることとなった。
明彦に呼ばれ、蝶ネクタイが曲がってないかを確かめたのちに、カウンターにむかう。
拓也以外の制服姿の店員が珍しいのか、客の視線に緊張した俊だったが、何とか我慢して、黒髪の客の前に立つ。

「はじめまして。岡です。いつも美味しいおつまみを、ありがとう」

わざわざ立ち上がり、岡は手を差し伸べた。
俊は慌てて会釈をするが差し伸べた手には触れることができない。
「手の込んだものは作っていないので、かえって恐縮します。こちらこそオーダーありがとうございます」
ちゃんと話せているだろうか、と自分自身を落ち着かせながら挨拶をすると、岡は手を引っ込める。

そして一瞬の沈黙のあとにあっ、と俊が声を出す。
「すみません!名前……!安田俊です」
その慌て様に、岡は手で口元を押さえてクックックと笑う。
そんなに緊張しなさんな、と明彦に肩を揉まれ、俊は真っ赤になっていく。
隣でシェイカーを振っていた拓也も、口元を緩ませていた。

やがて明彦と拓也は他の客のところに行き、岡と俊は二人でゆっくりと話をする。
俊は岡の優しい声に緊張が解けて、初対面の割には話が出来る様になっていた。
「ようやく話できて嬉しいです。カウンセリングは急ぎませんよ。もう少し仲良くなってからがいいかな?」
岡のその提案に、俊は首を振りすぐでも構わないと答えた。
岡としては俊と顔見知りになってからの方が安心できるのではと配慮したのだが、俊は逆に早くカウンセリングをしたいと思っていた。その方が明彦も安心するだろうと。

「わかりました。じゃあ、来週の月曜日に名刺の住所に来ていただけますか」
名刺をカウンターに置くと俊はそれを受け取った。
住所はここからそんなに遠いところではない。
あまり土地勘のない俊でも通えそうなところだったので、ホッとした。

「はい。あの、俺カウンセリング初めてで」
「なあに、緊張しなくて大丈夫ですよ。世間話をする様な感覚で……ああ、敬語と余計に緊張するかな?」
砕けた口調になると俊は少し笑う。
「ありがとうございます」
「月曜日、待ってるからゆっくりおいで」

初対面なのに滲み出る優しさ。
カウンセラーというのはこんなに安心させることができるんだなあと俊は改めて感心した。
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