232 / 324
第四十三話 月に揺りかご
43-1.なんか悪寒が
しおりを挟む
勤務中のガソリンスタンドに入ってきたクルマの助手席に小暮綾香の顔を認めたとき、池崎正人は比喩ではなく口から心臓が飛び出るかと思った。
とりあえず気づかなかった振りで給油をする。運転席の男がクルマを降りて喫煙所の方へ行くと、綾香は少しだけ助手席の扉を開けて話しかけてきた。
「バイト?」
「見りゃわかるだろ」
来月、旅行に行く約束をした。彼女は働き者で高給取りだから正人も労働に励まねば。
黙々と作業している正人を見ながら綾香は更に話しかけてくる。
「ここに来たのは偶然だから」
ハイシーズンの高原地に向かう国道沿いの大きなスタンドだ。こういうこともあるだろう。正人は特に反論しない。
喫煙所の方を窺いながら綾香は更にこそこそ話す。
「あの人が誰か聞かないの?」
「誰?」
「いちおうカレだけど」
心底ホッとしていると、サンダルのかかとで思い切り脛を蹴られた。
「何すんだ」
「安心してんじゃないわよ。あきらめたわけじゃないんだからね」
「……」
なんとか表情を取り繕って正人はクルマを離れた。
戻ってきた男が運転席に乗り込んで綾香も助手席の扉を閉める。
国道の車両の流れに乗って遠ざかるクルマを見ながら正人は重く息を吐いた。
背中合わせに座って本を読んでいた美登利が突然体を震わせた。一ノ瀬誠はページを繰る手を止めて声を押し出す。
「なんだ?」
「なんか悪寒が……」
翡翠荘の内庭の縁側で、風に揺られて高く音を鳴らしている風鈴を見上げながら中川美登利はつぶやく。
「浮気されてたりして」
本の頁に向かって誠はぽつりと落とす。少し振り返る美登利の気配。
「それ自虐?」
「そうだった」
「本気だって言われたらそれまでだけど」
「自虐か?」
「そうでした」
肩をすくめているのが背中の感触でわかる。
「暑いな」
「ねえ」
夕方風が涼しくなるのを待って隣の高台の別荘地に向かった。
「誰だよ、歩いて行こうなんて言ったの」
「あんたでしょ」
「おまえだろ」
幼馴染二人に突っ込まれて宮前仁は首をすくめる。
この度リフォームと引っ越しを終えたばかりの巽の自宅まで歩くと、二十分かかった。坂道を下って上がって、ちょうどいい運動だ。
以前はオープン外構だった境界は、こじゃれてはいるがどことなく堅牢さを感じるフェンスで囲まれていた。美術館めいた外観はそのままだが外壁もしゃれたサイディングに変わっていた。
「模倣的なセカンドハウスな……。にしちゃあ……」
とりあえず気づかなかった振りで給油をする。運転席の男がクルマを降りて喫煙所の方へ行くと、綾香は少しだけ助手席の扉を開けて話しかけてきた。
「バイト?」
「見りゃわかるだろ」
来月、旅行に行く約束をした。彼女は働き者で高給取りだから正人も労働に励まねば。
黙々と作業している正人を見ながら綾香は更に話しかけてくる。
「ここに来たのは偶然だから」
ハイシーズンの高原地に向かう国道沿いの大きなスタンドだ。こういうこともあるだろう。正人は特に反論しない。
喫煙所の方を窺いながら綾香は更にこそこそ話す。
「あの人が誰か聞かないの?」
「誰?」
「いちおうカレだけど」
心底ホッとしていると、サンダルのかかとで思い切り脛を蹴られた。
「何すんだ」
「安心してんじゃないわよ。あきらめたわけじゃないんだからね」
「……」
なんとか表情を取り繕って正人はクルマを離れた。
戻ってきた男が運転席に乗り込んで綾香も助手席の扉を閉める。
国道の車両の流れに乗って遠ざかるクルマを見ながら正人は重く息を吐いた。
背中合わせに座って本を読んでいた美登利が突然体を震わせた。一ノ瀬誠はページを繰る手を止めて声を押し出す。
「なんだ?」
「なんか悪寒が……」
翡翠荘の内庭の縁側で、風に揺られて高く音を鳴らしている風鈴を見上げながら中川美登利はつぶやく。
「浮気されてたりして」
本の頁に向かって誠はぽつりと落とす。少し振り返る美登利の気配。
「それ自虐?」
「そうだった」
「本気だって言われたらそれまでだけど」
「自虐か?」
「そうでした」
肩をすくめているのが背中の感触でわかる。
「暑いな」
「ねえ」
夕方風が涼しくなるのを待って隣の高台の別荘地に向かった。
「誰だよ、歩いて行こうなんて言ったの」
「あんたでしょ」
「おまえだろ」
幼馴染二人に突っ込まれて宮前仁は首をすくめる。
この度リフォームと引っ越しを終えたばかりの巽の自宅まで歩くと、二十分かかった。坂道を下って上がって、ちょうどいい運動だ。
以前はオープン外構だった境界は、こじゃれてはいるがどことなく堅牢さを感じるフェンスで囲まれていた。美術館めいた外観はそのままだが外壁もしゃれたサイディングに変わっていた。
「模倣的なセカンドハウスな……。にしちゃあ……」
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる