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これからのこと
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しおりを挟む「これ見て!」
ヘレナの頭が逃亡という答えを導くよりも早く、ミオは花の玩具を彼女に向かって突き出してそう叫んだ。彼女の視線がふざけた花を捉えた途端、そのアイスブルーの瞳に好奇心が宿るのが見えた。
「……」
「……」
お互い無言のまま、間に挟まれた花は暢気にゆらゆら踊り続ける。その様子に釘付けになったヘレナは目を輝かせたままじりじりとこちらに近づいてくる。
いい調子だ。ものすごくいい調子だ。ヘレナがミオの手がぎりぎり届く距離まで近づいたところで、満を辞して玩具へ注ぐ魔力を増やした。
「きゃー!!」
次の瞬間、ヘレナは小さな手で拍手をしながらその場でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。ミオは肩から指先までに起きる痛みを堪えながら手の中にある花を見る。人の顔を模した花はかけたサングラスが吹き飛ばないか心配になるくらい頭部と思しき部分を振りたくっていた。さらには。
「わー! きれーい! あははは! ぴかぴかー!」
顔が七色に点滅している。ギラギラ、という表現がぴったりなほど、原色に近い眩しい光が次々とその色を変える様はミオからしたら相当に不気味なのだが、ヘレナにとっては随分と愉快なものらしい。
ただ、この狂喜乱舞は通常の踊りよりもかなり多くの魔力を必要とする。その分痛みも増すので、両手で花を支えているのが段々と困難になってくる。
魔力を止めて花の玩具を腰掛けた花壇の縁に置いてからビリビリと痺れる両手を揉むように合わせつつ、恐る恐るヘレナの様子をうかがう。彼女は興奮のせいか頬を紅潮させ動きを止めた花をなおも見つめていたが、もう踊り出さないと判断したのか、すいっとこちらに視線を向けた。
「あ、あの……」
ヘレナと目を合わせたまま、コートの懐からマフラーを取り出そうとするが、まだ感覚の戻らない指先が思うように動かないせいで手間取ってしまう。そんなミオを前にしてヘレナの表情がみるみる凍り付いていく。何か言わなくては、そう思って必死で言葉を探していたところでヘレナは油の足りないからくり人形のようなぎこちない仕草で回れ右をすると、弾かれたように走り出した。
「あっ! まって!」
ミオの声は彼女の耳には届かなかったのか、あっという間に距離が離れていく。どうしよう、どうしようどうしよう。
「まっ、マフラー!!」
咄嗟にそう叫んでミオは自分のコートに手をねじ込み、きれいな袋に包まれたマフラーを無理矢理引っ張り出した。そして少々乱暴に袋から取り出した真っ赤なマフラーを顔の横にささげ持った。ミオの大きな声につい、といったふうに振り返ったヘレナの目がマフラーを捉えると同時に彼女は目と口をまん丸く開いて「あ!」と声を上げた。
「これ、貸してくれてありがとう。すぐに返せなくてごめんね」
ヘレナの目線の高さに合わせるようにその場でゆっくりとしゃがみ込み、両手でマフラーを差し出した。彼女はほんの少しだけ逡巡してからパタパタと軽やかな足音を立ててミオのもとへと駆け寄って来てくれる。
「……ううん、いいの。風邪を引かなかった?」
「引かなかったよ」
少し不安げな瞳をじっと見つめて、ミオはなるたけ優しく、柔らかく、熾火のような温もりの笑顔を思い浮かべて笑ってみせた。
「このマフラーが暖かかったおかげだよ」
ミオの言葉を聞いた瞬間、ヘレナのアイスブルーの瞳がまるで花火が弾けたみたいにきらきらと輝いた。
「そうでしょう! ママは編み物が村で一番上手なのよ!」
例えなどではなく本当にその場でぴょんぴょんと飛び跳ね始めたヘレナにミオもようやく肩の力が抜けてこっそりと息を吐いた。ひとしきり喜び終えたヘレナは自慢のマフラーがまだミオの手のひらの上にあることをようやく思い出したようだった。彼女は息を弾ませながらその場で両腕を体の横につけて、ぴっと背筋を伸ばした。気をつけの格好をしたヘレナの意図が分からず、目を瞬かせるミオに彼女はふっくらとした輪郭の顎を上げて指先まで揃えていた両腕をぱたぱたと振った。
その瞳にどこか急かすような色を見てとってミオははたと思い当たった。己の手の中にあるマフラーを広げて見せるとヘレナは待っていましたとばかりににこにこと笑った。
どうしよう、と思った。ふわふわとした毛糸が整然と編み目を作るマフラーとヘレナの細い首を見比べて心臓がぎゅっと縮み上がった。
「ねえ、はやく!」
いい加減痺れを切らせたヘレナがミオの腕を持ち上げて自分でマフラーを巻き始めてしまった。
「ちょ、ちょっと! 危ないから!」
「なにがあ? 危なくないよ」
「俺がやる! やるから下手に動かないで!」
えー、と不満げな声を上げたものの大人しく気をつけの姿勢に戻ったヘレナにミオはマフラーの両端を握りしめてごくりと生唾を飲み込んだ。意を決してマフラーの真ん中あたりをヘレナの首にかけ、痺れてうまく動かない手を何とか叱咤して左右の端を交互に巻きつける。力を入れないようにごくごく気をつけて今度はミオの方が出来の悪い人形みたいなぎこちない動きになりながらも、なんとか幼子の首にマフラーを巻くという難行をやり遂げた。いつのまにか止めていた息を吐き出すとカタカタと手が震えていた。
「んむーーー!」
「えっ!」
息をついたのも束の間、すぐにくぐもった唸り声が目の前から上がった。よく見ると、ヘレナの顔がすっぽりマフラーの下に埋もれているではないか。
「ごっ、ごめん!」
毛玉のようになったヘレナを前におろおろとしている間に、彼女は自分でぐいぐいと顔にかかったマフラーを引き下げた。
「ちょっと下手っぴだったね」
「す……すみません……」
至極真っ当な評価に素直に謝るとヘレナはくりっとした目をぱちぱちと瞬かせて不思議なものを見るような顔でこちらを見つめてきた。
「なんだかパパと話してた時と別の人みたい」
なんの屈託もないヘレナの言葉に思わず笑いそうになる。
「俺もそう思う」
ミオの返答にわかりやすく首をひねったヘレナに今度こそ笑いが漏れた。
「あはは。あの時の俺、怖かったよね」
「あなたのことは怖くなかった。パパの方がずーっと怖かったんだよ! こーんなに怖い顔して『だめだろー!』って……」
目尻に人差し指を当てて吊り上げながら幾分早口に話始めたヘレナは急に口を噤み、また不安げにミオを見つめた。
「……続きを教えてくれないのか?」
「パパがね、貴族様と話してはいけないと言うの。ヘレナとかパパとはいきる世界が違うからって」
不格好に巻き付いたマフラーの端についたポンポンをいじりながら唇を尖らせてヘレナはそう言った。予想していた答えではあったが、面と向かって言われると少しだけ胸が冷たくなる。
「ヘレナみたいにおてんばだといつかこわい目にあうんだぞって。だから、おしゃべり……できないなって……」
ヘレナの言葉は凍てつく冬の空気に紛れて消えていった。しょんぼりと消沈した声を聞いて、ミオは己と彼女の間に横たわるわだかまりの形が急に理解できた。繰り返し与えられてきた優しい言葉たちはその寒々しい形を照らし、そして解きほどいてくれることをミオはよく知っていた。
いつかあの人からもらった言葉が自然とまろびでた。
「俺が──」
すい、とヘレナの顔が上がった。ふっくらとまるい頬にマフラーとおなじ赤色が差している。
「俺が話したい相手を、俺が決めてはいけないのか?」
ミオの言葉をゆっくりと飲み込むようにヘレナは薄く口を開いて息を大きく息を吸い込んだ。それからませた仕草で腕を組んでしばらく虚空を見つめてから、上目遣いにミオを見つめた。
「それは別にいいと思うなあ」
真剣そのものといった表情で、あっけらかんとそう言ったヘレナの様子があんまり愛らしくてミオは思わず噴き出した。そんなミオの様子に彼女も緊張が解けたのか、笑顔を浮かべてミオと同じようにしゃがみこんでじっとこちらを見上げて言う。
「ねえ、お名前なんていうの?」
「ミオ、だよ」
「ミオくんね。うふふ、あたしヘレナっていうの」
恥ずかしそうに両手で口を押さえてそう名乗ったヘレナにミオは答える。
「知ってるよ」
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