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これまでのこと

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神よ、我等に信仰を、いかなる困難の前にも屈せず、いかなる災厄の前にも揺るがぬ信仰をお与えください。我等をあなたの忠実な僕とする信仰をお与えください。
あなたの威光を、たとえ盲者になろうとも、この目に映すことをお許しください。
あなたの福音を、たとえ聾者になろうとも、この耳で聴くことをお許しください。
我等に愛を、許す愛を、救う愛を、与える愛をお与えください。
我等の祈りを命の糧で満たし、あなたの内の愛の一部としてください。
愛と許しの源である神によってこの祈りを捧げ奉ります。




 セルシスの低く澄んだ声が地下の礼拝堂に響き渡る。直前まで場を満たしていた興奮に満ち満ちたざわめきは嘘のように静まり返っていた。

 明朗な祈りの言葉にあっけにとられ自らの置かれた状況も忘れて聞き入っていた時、ミオの視界の端に異常な光景が映りこんだ。

 セルシスの声の残響が鳴りやまないうちに、フロアに設置された席にいた人々がぐねぐねと動き始めたのだ。手を組み、目を瞑っていたセルシスが祈りを終えたのを合図に、その動きは礼拝堂全体へと伝播してゆく。

 互いの身体をまさぐり、貪り合う。その合間に隠しもしない嬌声がそこかしこから響き始める。おぞましいことに、そこいたのは大人ばかりではなかった。見知った、勉強会で何度か顔を見たことのある少年たちが自分より数倍大きな体の大人に蹂躙されている。しかし、彼らの顔はどうしてか恍惚としていて。

 その光景から目を離せない。頭から血の気が引く。心臓が大きな音を立てて脈打つ。


「ミオさん」


 いつの間にかミオのすぐ近くに迫っていたレミに動きを封じるように抱き着かれる。縋るように彼に視線を向けるけれど、頭がくらくらとしてすぐそばにいるはずのレミに焦点が合わない。


「びっくりしてる? 大丈夫だよ。すぐに何にもわからなくなるから」


 そう言うとレミは背後に立っていた男から細い筒状のものを受け取り、その先端を咥えて大きく息を吸った。辺りにたちこめる煙の香りに勝手に身体が逃げを打つ。しかし、それも難なく封じられると、レミはミオの顎を掴んで唇を重ねてきた。


「なっ……! んっ、ふ、ぁ……うぐ、っげほっ、げほっ……!」


 咥内にレミの舌とともに甘だるい煙がたっぷりと侵入してくる。口の中をかき混ぜられ、鼻をつままれてしまえば、否応なくその煙を肺へ吸い込んでしまう。


「あ……? ぇ……」


 がくん、と急激に足から力が抜けて床に膝をつきそうになったところを、両脇の下から差し入れられた太い腕に支えられる。目の前に見たこともない鮮やかな万華鏡のような模様がいくつも踊り、目が回りそうになる。


「あはは、いつもより強いやつだからめっちゃ効いてるね。いいよ、司祭様のところに連れってったげて」


 ぐわんぐわんと脳みそが揺れている。相変わらず不明瞭な視界に浮かぶ奇妙な模様の向こうにきらきらとしたシャンデリアが見えた。それに触れようと伸ばした手が頭の横に押さえつけられる。鈍い痛みとひんやりとした温度が伝わってくる。


「今宵の祝祭は特別なものとなる。我らが王国をお救いくださった御使い様がいらしているのです」


 すぐそばからセルシスの声が聞こえる。焦点の合わない視界で懸命に目を凝らすと、どこか別の方向を向いているセルシスの顎先が見えた。


「我々の祈りが通じこの場にいらした御使い様と聖婚を行えること、ここに感謝いたします」


 天井から吊り下げられたシャンデリアが2重にも3重にも重なって見える。それを背にミオの上に誰かが覆い被さってくる。

 思うように動かない身体の上を大きな手がしきりに動き回る。熱くごつごつとした感触が薄膜を1枚隔てたようにどこかぼんやりと伝わってくる。

 何かを引き裂くようなひどい音がしたあと、視界にいくつもシャツのボタンが映りこんだ。それに紛れて銀色の小さな髪留めが舞台の上に転がったのが見えた。六角形の幾何学模様のなかに遠慮がちに埋め込まれた透明な石が、光を反射して強く光った。あの人がくれた、だいじな髪留め。

 ──いやだ
 いやだ、いやだいやだいやだ、こんなの、ぜったいにいやだ

 清浄な風が吹いたかのように、ミオの頭がわずかに明瞭さを取り戻す。無意識に魔力を体に巡らそうとして何かに阻まれる。魔法の発動が叶わないと判断してすぐに手足を必死で動かそうとする。

 ぬかるみの中に落とされたかのように腕も足もうまく動かせない。それでも懸命に持ち上げた手を再び押さえつけられそうになったのを力任せに振りほどいた。その勢いでミオの上にのしかかっていたセルシスの顔に手の甲が当たった。

 次の瞬間、耳元でばちん、と大きな音がした。遅れて頬がカッと熱を持つ。じんじんとした痛みが起きるのを感じながら、呆然と視線だけを自分を組み敷いている男に向けた。逆光のせいで影になった顔が嘲りに歪む。


「おやおや、抵抗は無駄だとご存じなのでは?」


 あくまでも穏やかな口調で発せられる声に再び全身が硬直していく。男の指先が下腹部を撫で、腹の上を滑り、胸の真ん中で止まる。


「ここにナイフでも突き立ててから犯して差し上げましょうか」


 ゆっくりと男の顔が迫ってくる。耳に寄せられた唇からうっすらと息を吸う音が聞こえる。
 聞きたくない。その先の言葉は聞きたくない。聞いてしまったら、きっともう、元には戻れない。


「あなたの────」


 男の言葉がどろり、とねばつくような質感でもって身体の中に這入りこんでくる気がした。

 いや、多分もうすでに這入りこまれていた。そして暴かれていたのだ。自分のずっと奥にある、だれにも、己にさえも触れられたくなかった、やわらかくて、きたないもの。


 ばちばちと視界が白く爆ぜる。出口のない魔力が己の身を焦がすほどに熱を持って身体を巡る。ごうごうという音が聞こえてくるほどだった。吹きすさぶ強い風が窓ガラスをガタガタと揺らし、開け放たれた扉から凍えるような冷気が吹き込んでくる。

 ──自分はただ見ていたのだ。見ているだけだった。獣のように貪る醜悪な姿を。薄暗い家の中で揺れる生ッ白いあしを。その、おぞましい地獄を。

 堰を切ったように全身を駆け巡る魔力が、氷のように冷え切った手足の鋭敏な感覚を取り戻す。ミオが抵抗をやめたと思っているのか、いまだにのしかかったまま耳朶から頬を舐め上げている男の顎に掌底を叩きこんだ。ぐらついたその忌々しい身体を祭壇から蹴り落とす。

 視界の端でレミがこちらに向かって何か叫んでいるのが見えた。いまだに悪趣味な乱交が行われる観客席では、何事かと騒ぎだす者もいれば、露とも気付かず淫蕩にふける者もいる。


 もうどうでもいい。
 なにもかもどうでもいい。
 自分がどう生きるかとか、どう生きるべきだとか、愛とか、救いとか、許しとか。サミュエルも、ケイも、べーヴェルシュタムも、騎士団も、

 ──リヒトだって。

 もうどうだっていい。みんな嫌いだ。みんな、みんな死んでしまえ。



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