40 / 51
第7章 聖女の解放、そして
7-3・連れていってやるよ
しおりを挟む
宝冠に触れた瞬間、ラギウスの中に女の声が響き渡った。
青い海を揺蕩う、海と同じ色の髪をした女。ルーテリエルだ。
海へ投げ捨てられた宝冠は、いつか祖国へ帰ることを夢見て、海底に祈りの種を撒く。それは一本の樹となって、花をつけるように真珠の涙をこぼした。
真珠に込められたルーテリエルの思いは海を漂い、無作為に命を選んだ。それは真珠を食べた魚を介して、人の中へ宿り、新たな聖女を生む。
願いが届かずとも、何度でもくりかえし、くりかえし。聖女の寿命が尽きれば、また海底の樹が涙を流す。そうして生まれる聖女は、けれどもルーテリエルの思いとは裏腹にイスラ・レウスで管理され、再び癒やしの力を与えるための道具になってしまった。
それでも魔石に残った思いは、永遠に続く。
くりかえし、くりかえし。聖女を生んでは、ただひたすらに願う。
聖女たちが祈花の儀式で見る彼女は、魔石に残されたルーテリエルの願いの残滓だったのだ。
「ラギウスっ!」
緊迫したパトリックの声に、ラギウスがハッと目を見開いた。
海の紺碧を映す視界に飛び散る鮮血。目を奪うような赤が自分の血であることを、ラギウスは自身の体に走る激痛で知った。
「がは……っ」
あと少し。手を伸ばせば剣の刃が届く距離で、ラギウスの体は蔓のように伸びた木の枝によって捕らえられていた。触手のように蠢く枝は枯れているとは思えないほど柔軟性に富み、そのうちの一本がラギウスの腹部を貫いている。せり上げる嘔気に咳き込めば、口から大量の血が吐き出された。
「ラギウス、無事か!? 返事をしろっ」
炎の剣を振るうパトリックも、今はウミヘビの魔物によってその場に足止めをされている状態だ。視界の端にちらりと見えた光景も襲い来る魔物の影によって覆い隠されてしまい、現状を把握できない焦りにパトリックの炎が精細さを欠く。その隙を突いて飛びかかった一匹の魔物が、パトリックの右肩に鋭く喰らい付いた。
「くっ!」
肉が裂けるのも構わずに、魔物を鷲掴みにして強引に肩から引き剥がす。辺りに満ちる二人分の血のにおいに興奮した魔物が、声なのか震動なのかわからない音を立てて騒ぎ出した。
「……るせぇ、な」
「ラギウス!」
かすかに拾った声は弱かったが、まだ諦めの色には染まっていない。
「リッキー、作戦変更だ。振り返ったら、そのまま一気に地上へ戻れ」
「何だと!? 君はどうするつもりだ!」
「もちろん俺も逃げるさ。……コイツを、叩っ切ったあとでなっ!」
ラギウスの剣の切っ先が、わずかに宝冠の赤い宝石に触れた。
呪われた魔法具を葬るために作られたのが、ラギウスの持つ黒い魔石の剣だ。全属性の魔法を無効化する黒い魔石、その力を帯びた刃がわずかでも触れれば、強い呪いを秘めた魔石とてわずかに隙が生じる。
体を拘束していた枝の力がかすかに緩んだ瞬間に、ラギウスが動く。体を捕らえる枝すべてを切り落とす必要はない。ラギウスが自由にするべきは、黒い魔石の剣を握る右腕だ。
「俺を待ってたわりには、随分な仕打ちじゃねぇか」
腹を貫かれた激痛に汗を滲ませながら、それでも口元に浮かぶ微笑は消えない。
「連れていってやるよ。お前の帰りたい、ヴァーシオンへ」
まるで恋人にむけた甘いささやきだ。
宝冠を見つめるマリンブルーに憐れみや恐れと言った感情はなく、ただどこまでも優しくて。そのまなざしに触れた赤い宝石が、目を覚ましたようにキラリと光を反射した瞬間。
ラギウスの持つ黒い魔石の剣が、宝冠の赤い宝石を真っ二つに斬り裂いた。
***
ずっとせき止められていた水が、暴力的な速さで押し寄せてくるような感覚だった。渇いた心に染み渡る優しいさざなみなどではない。それはまるで、すべてを飲み込んで荒れ狂う洪水といってもいいほどだ。
かなしみも、憎しみも。つらく苦しい記憶も、全部剥ぎ取って連れていく。体に、心に纏わり付いていた黒い靄を失って、ずっと捕らわれていた闇の中から本当の姿が剥き出しになる。
頬に触れた清浄な水の感触に意識をぐんっと引き寄せられ、メルヴィオラはベッドから転がり落ちる勢いで飛び起きた。
「ラギウスっ!」
ぐらりと傾ぐ体を支えてくれたのはセラスだ。メルヴィオラがいきなり飛び起きたので、何かあったのかと険しい顔を向けてくる。
けれどメルヴィオラは、詳しく説明することができなかった。
時間がないことも、行かなければいけないことも理解しているのに、その理由がメルヴィオラの中には見つからない。ただ体の奥で、何かがメルヴィオラを急かしている。
「セラス。ラギウスが……っ。私、行かなくちゃ!」
「待て! どこに行くつもりだ!」
「わからない。……でもっ、呼ばれてる気がする」
「そんな曖昧な感覚で、君をノルバドの遺跡へやるわけにはいかない。私はラギウスから、君を任されているんだ」
メルヴィオラが原因不明の焦りを覚える傍ら、セラスも肌をちくちくと刺すような嫌な気配を感じている。けれども非戦闘員のセラスでは、メルヴィオラを連れて魔物の蔓延る遺跡を奥へ進むことはできないのだ。
せめてメーファが残ってくれていればとも思ったが、同じ精霊の末路に彼自身も思うところがあったのだろう。今回ばかりは自分から率先して、ノルバドの遺跡へ同行すると告げたのだった。
「せめて外を見せて。甲板に出てもいいわよね?」
それくらいならとセラスが先に甲板に出たところで、見計らったかのようにメーファの声が頭上から降り注いだ。
「あっ、セラス! お姉さんは!? 精霊の波動が変わったから、もしかしてと思って来てみたんだけど」
「メーファ!?」
「お姉さん、起きてるよね!? 今すぐ連れていきたいんだけど、いい?」
「待て。一体何が……」
「説明してる時間がもったいないよ。二人まとめて連れていくから、僕の手につかまって!」
しゅるりと白い風が絡みついたかと思うと、メーファの幼い体が解けて、いつか見た美しい青年の姿に変化する。体が大人になれば力も増すのか、メーファは片腕ごとにメルヴィオラとセラスを抱きかかえて、再び空高くへと舞い上がった。
眼下に広がるのは黒い大樹と、その根を張り巡らせて地を固めたノルバドの遺跡。空から見下ろせば、それが変形した巨大な一本の樹であることはメルヴィオラにもわかった。
とてつもなく大きな樹だ。葉の一枚もない枝には、闇から生まれたような鳥の影がびっしりと群がっている。それらは近付くメルヴィオラたちを見て一斉に襲いかかってきたが、メーファの風によってあっけなく細切れにされてしまった。
その残骸がはらはらと落ちる先、大樹の根元にイーゴンと――横たわるパトリックの姿が見えた。
「ヴィオラ!」
「イーゴン、お兄さんの様子は? まだ意識は戻らないの?」
「肩の噛み傷が呪いも含んでるみたいで……右腕のほとんどが壊死しかけてるのよ。うっすら目は開けるけど、意識は曖昧だわ」
右肩に巻かれた布は既に血でぐっしょり濡れている。治療の際に袖を破いたのか、剥き出しになったパトリックの右腕は肘の辺りまで黒く変色していた。
傷付いたパトリックを目にすると、祈るまでもなくメルヴィオラの瞳が涙に濡れる。こぼれ落ちた聖女の涙は、まろやかな光を取り戻した乳白色。しばらく見ていても、涙が黒く染まることはなさそうだ。
一瞬飲み込めないのではと心配したが、どうやら口に入れた瞬間に真珠は溶けていったようだ。苦しげに眉を顰めるパトリックの表情はすぐに和らぎ、黒色に変化していた腕も波が引くように元通りに戻っていく。
四カ所の聖地に残されたルーテリエルの力をすべて取り戻しただけあって、メルヴィオラの癒やしの力は今までよりもはるかに強くなっている。治癒にかかる時間も短く、パトリックの肩には傷跡ひとつ残っていない。それに澱んだ空気すら浄化しているようで、魔物たちは一定の距離を置いてこちら側へは近付くことができないようだった。
「……メル……ヴィ、オラ様……っ!」
うっすらと目を開けたかと思うと、パトリックが物凄い勢いで飛び起きた。案の定ぐらりと傾いた体を、イーゴンが咄嗟に受け止めて支えてやる。
「急に動いちゃだめよン。傷はヴィオラが治してくれたけど、体力は消耗してるはずだから」
「……私だけか?」
「え?」
「戻ったのは、私だけか? ラギウスは……」
「巨木の根から大量の海水が溢れ出したかと思ったら、一緒にお兄さんが飛び出してきたんだよ。でも……ラギウスは、ここにはいない。――中で何があったの?」
訊ねておきながら、それがいい内容ではないことをメーファ自身も何となく察していた。一緒に降りたパトリックが呪いの傷を受けて戻ってきたのだ。青ざめているパトリックの様子からもそれが伝わって、メルヴィオラは無意識にスカートの裾をぎゅっと握りしめてしまった。
「宝冠の魔石をラギウスが砕くのを見た。それと同時に海底の空間が壊れ、私たちは波に……」
途中まで、ラギウスと一緒に地上を目指して走っていたはずだと、パトリックは朦朧とする意識の中でかすかな記憶を手繰り寄せる。迫り来る波に追いつかれないように、なおも襲いかかる魔物を薙ぎ払いながら、ただひたすらに走る。
互いに深手を負っていたが、重傷なのは腹に穴の開いたラギウスの方だ。それなのに彼は魔狼の身体能力を最大限に引き出して、パトリックを肩に担ぎ上げたかと思うと一気に木の根を駆け上がったのだ。
そして気付けば、戻った地上にはパトリック一人しかいない。
ラギウスは――波に飲まれてしまった。
青い海を揺蕩う、海と同じ色の髪をした女。ルーテリエルだ。
海へ投げ捨てられた宝冠は、いつか祖国へ帰ることを夢見て、海底に祈りの種を撒く。それは一本の樹となって、花をつけるように真珠の涙をこぼした。
真珠に込められたルーテリエルの思いは海を漂い、無作為に命を選んだ。それは真珠を食べた魚を介して、人の中へ宿り、新たな聖女を生む。
願いが届かずとも、何度でもくりかえし、くりかえし。聖女の寿命が尽きれば、また海底の樹が涙を流す。そうして生まれる聖女は、けれどもルーテリエルの思いとは裏腹にイスラ・レウスで管理され、再び癒やしの力を与えるための道具になってしまった。
それでも魔石に残った思いは、永遠に続く。
くりかえし、くりかえし。聖女を生んでは、ただひたすらに願う。
聖女たちが祈花の儀式で見る彼女は、魔石に残されたルーテリエルの願いの残滓だったのだ。
「ラギウスっ!」
緊迫したパトリックの声に、ラギウスがハッと目を見開いた。
海の紺碧を映す視界に飛び散る鮮血。目を奪うような赤が自分の血であることを、ラギウスは自身の体に走る激痛で知った。
「がは……っ」
あと少し。手を伸ばせば剣の刃が届く距離で、ラギウスの体は蔓のように伸びた木の枝によって捕らえられていた。触手のように蠢く枝は枯れているとは思えないほど柔軟性に富み、そのうちの一本がラギウスの腹部を貫いている。せり上げる嘔気に咳き込めば、口から大量の血が吐き出された。
「ラギウス、無事か!? 返事をしろっ」
炎の剣を振るうパトリックも、今はウミヘビの魔物によってその場に足止めをされている状態だ。視界の端にちらりと見えた光景も襲い来る魔物の影によって覆い隠されてしまい、現状を把握できない焦りにパトリックの炎が精細さを欠く。その隙を突いて飛びかかった一匹の魔物が、パトリックの右肩に鋭く喰らい付いた。
「くっ!」
肉が裂けるのも構わずに、魔物を鷲掴みにして強引に肩から引き剥がす。辺りに満ちる二人分の血のにおいに興奮した魔物が、声なのか震動なのかわからない音を立てて騒ぎ出した。
「……るせぇ、な」
「ラギウス!」
かすかに拾った声は弱かったが、まだ諦めの色には染まっていない。
「リッキー、作戦変更だ。振り返ったら、そのまま一気に地上へ戻れ」
「何だと!? 君はどうするつもりだ!」
「もちろん俺も逃げるさ。……コイツを、叩っ切ったあとでなっ!」
ラギウスの剣の切っ先が、わずかに宝冠の赤い宝石に触れた。
呪われた魔法具を葬るために作られたのが、ラギウスの持つ黒い魔石の剣だ。全属性の魔法を無効化する黒い魔石、その力を帯びた刃がわずかでも触れれば、強い呪いを秘めた魔石とてわずかに隙が生じる。
体を拘束していた枝の力がかすかに緩んだ瞬間に、ラギウスが動く。体を捕らえる枝すべてを切り落とす必要はない。ラギウスが自由にするべきは、黒い魔石の剣を握る右腕だ。
「俺を待ってたわりには、随分な仕打ちじゃねぇか」
腹を貫かれた激痛に汗を滲ませながら、それでも口元に浮かぶ微笑は消えない。
「連れていってやるよ。お前の帰りたい、ヴァーシオンへ」
まるで恋人にむけた甘いささやきだ。
宝冠を見つめるマリンブルーに憐れみや恐れと言った感情はなく、ただどこまでも優しくて。そのまなざしに触れた赤い宝石が、目を覚ましたようにキラリと光を反射した瞬間。
ラギウスの持つ黒い魔石の剣が、宝冠の赤い宝石を真っ二つに斬り裂いた。
***
ずっとせき止められていた水が、暴力的な速さで押し寄せてくるような感覚だった。渇いた心に染み渡る優しいさざなみなどではない。それはまるで、すべてを飲み込んで荒れ狂う洪水といってもいいほどだ。
かなしみも、憎しみも。つらく苦しい記憶も、全部剥ぎ取って連れていく。体に、心に纏わり付いていた黒い靄を失って、ずっと捕らわれていた闇の中から本当の姿が剥き出しになる。
頬に触れた清浄な水の感触に意識をぐんっと引き寄せられ、メルヴィオラはベッドから転がり落ちる勢いで飛び起きた。
「ラギウスっ!」
ぐらりと傾ぐ体を支えてくれたのはセラスだ。メルヴィオラがいきなり飛び起きたので、何かあったのかと険しい顔を向けてくる。
けれどメルヴィオラは、詳しく説明することができなかった。
時間がないことも、行かなければいけないことも理解しているのに、その理由がメルヴィオラの中には見つからない。ただ体の奥で、何かがメルヴィオラを急かしている。
「セラス。ラギウスが……っ。私、行かなくちゃ!」
「待て! どこに行くつもりだ!」
「わからない。……でもっ、呼ばれてる気がする」
「そんな曖昧な感覚で、君をノルバドの遺跡へやるわけにはいかない。私はラギウスから、君を任されているんだ」
メルヴィオラが原因不明の焦りを覚える傍ら、セラスも肌をちくちくと刺すような嫌な気配を感じている。けれども非戦闘員のセラスでは、メルヴィオラを連れて魔物の蔓延る遺跡を奥へ進むことはできないのだ。
せめてメーファが残ってくれていればとも思ったが、同じ精霊の末路に彼自身も思うところがあったのだろう。今回ばかりは自分から率先して、ノルバドの遺跡へ同行すると告げたのだった。
「せめて外を見せて。甲板に出てもいいわよね?」
それくらいならとセラスが先に甲板に出たところで、見計らったかのようにメーファの声が頭上から降り注いだ。
「あっ、セラス! お姉さんは!? 精霊の波動が変わったから、もしかしてと思って来てみたんだけど」
「メーファ!?」
「お姉さん、起きてるよね!? 今すぐ連れていきたいんだけど、いい?」
「待て。一体何が……」
「説明してる時間がもったいないよ。二人まとめて連れていくから、僕の手につかまって!」
しゅるりと白い風が絡みついたかと思うと、メーファの幼い体が解けて、いつか見た美しい青年の姿に変化する。体が大人になれば力も増すのか、メーファは片腕ごとにメルヴィオラとセラスを抱きかかえて、再び空高くへと舞い上がった。
眼下に広がるのは黒い大樹と、その根を張り巡らせて地を固めたノルバドの遺跡。空から見下ろせば、それが変形した巨大な一本の樹であることはメルヴィオラにもわかった。
とてつもなく大きな樹だ。葉の一枚もない枝には、闇から生まれたような鳥の影がびっしりと群がっている。それらは近付くメルヴィオラたちを見て一斉に襲いかかってきたが、メーファの風によってあっけなく細切れにされてしまった。
その残骸がはらはらと落ちる先、大樹の根元にイーゴンと――横たわるパトリックの姿が見えた。
「ヴィオラ!」
「イーゴン、お兄さんの様子は? まだ意識は戻らないの?」
「肩の噛み傷が呪いも含んでるみたいで……右腕のほとんどが壊死しかけてるのよ。うっすら目は開けるけど、意識は曖昧だわ」
右肩に巻かれた布は既に血でぐっしょり濡れている。治療の際に袖を破いたのか、剥き出しになったパトリックの右腕は肘の辺りまで黒く変色していた。
傷付いたパトリックを目にすると、祈るまでもなくメルヴィオラの瞳が涙に濡れる。こぼれ落ちた聖女の涙は、まろやかな光を取り戻した乳白色。しばらく見ていても、涙が黒く染まることはなさそうだ。
一瞬飲み込めないのではと心配したが、どうやら口に入れた瞬間に真珠は溶けていったようだ。苦しげに眉を顰めるパトリックの表情はすぐに和らぎ、黒色に変化していた腕も波が引くように元通りに戻っていく。
四カ所の聖地に残されたルーテリエルの力をすべて取り戻しただけあって、メルヴィオラの癒やしの力は今までよりもはるかに強くなっている。治癒にかかる時間も短く、パトリックの肩には傷跡ひとつ残っていない。それに澱んだ空気すら浄化しているようで、魔物たちは一定の距離を置いてこちら側へは近付くことができないようだった。
「……メル……ヴィ、オラ様……っ!」
うっすらと目を開けたかと思うと、パトリックが物凄い勢いで飛び起きた。案の定ぐらりと傾いた体を、イーゴンが咄嗟に受け止めて支えてやる。
「急に動いちゃだめよン。傷はヴィオラが治してくれたけど、体力は消耗してるはずだから」
「……私だけか?」
「え?」
「戻ったのは、私だけか? ラギウスは……」
「巨木の根から大量の海水が溢れ出したかと思ったら、一緒にお兄さんが飛び出してきたんだよ。でも……ラギウスは、ここにはいない。――中で何があったの?」
訊ねておきながら、それがいい内容ではないことをメーファ自身も何となく察していた。一緒に降りたパトリックが呪いの傷を受けて戻ってきたのだ。青ざめているパトリックの様子からもそれが伝わって、メルヴィオラは無意識にスカートの裾をぎゅっと握りしめてしまった。
「宝冠の魔石をラギウスが砕くのを見た。それと同時に海底の空間が壊れ、私たちは波に……」
途中まで、ラギウスと一緒に地上を目指して走っていたはずだと、パトリックは朦朧とする意識の中でかすかな記憶を手繰り寄せる。迫り来る波に追いつかれないように、なおも襲いかかる魔物を薙ぎ払いながら、ただひたすらに走る。
互いに深手を負っていたが、重傷なのは腹に穴の開いたラギウスの方だ。それなのに彼は魔狼の身体能力を最大限に引き出して、パトリックを肩に担ぎ上げたかと思うと一気に木の根を駆け上がったのだ。
そして気付けば、戻った地上にはパトリック一人しかいない。
ラギウスは――波に飲まれてしまった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
運命の歯車が壊れるとき
和泉鷹央
恋愛
戦争に行くから、君とは結婚できない。
恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。
他の投稿サイトでも掲載しております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる