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第5章 ラギウスの秘密

5-3・君は関係者だ

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 天幕の下でお茶会を続行しているメルヴィオラたちを置いて、パトリックはいま船長室の扉の前に立っていた。
 右手に持った羅針盤をズボンのポケットにしまい、軽く二度ほどノックをして返事を待つ。気に食わない相手だからといって、許可なく部屋に入る厚かましさは持ち合わせていない。それに今は一時休戦中だ。不本意だが、最低限の礼儀だけは重んじることにした。

「何の用だ」
「話がある。入ってもいいか?」
「……好きにしろ」

 ラギウスは濡れたシャツを脱ぎ捨てて、上半身裸のまま酒をあおっていた。
 惜しげもなく晒された筋肉はイーゴンほどではないものの、割れた腹筋からもしっかりと鍛えられていることがわかる。まるでしなやかに野を駆ける獣のようだ。頭から生える狼の耳が、更にそのイメージを強くしているのかもしれない。
 右腕のタトゥーは何かの獣を抽象化しているのだろうか。牙を剥き出しにして威嚇しているようにも見えるが、パトリックにはそれが獣なのか記号なのかわからなかった。そもそも海賊のタトゥーに興味はないので、さっさと本題に入ることにした。

「これから少しの間だが、君と行動を共にするうえで、いくつか確認しておきたいことがある」
「俺とヴィオラの関係か?」

 にやりと笑うラギウスに言い返したい気持ちはあるものの、ここで挑発に乗れば相手の思うつぼだ。不快な表情だけはありありと見せつけて、パトリックは冷静に怒りを抑えながらラギウスを見据えるだけにした。

「今までも何度か君と剣を交えたが、私の炎が君に届かないことをずっと疑問に思っていた」
「自意識過剰もここまでくると清々しいな。テメェの腕が足りてねぇんだろ」
「だがティダールで大きくなった疑問が、ルオスノットの街で確信に変わった」
「スルーかよ」

 テーブルに両足を乗せて椅子に深く寄りかかったまま、ラギウスが苦笑いを浮かべながら再び酒瓶に口をつけた。その瞬間を見計らって、パトリックが右手の中指を弾いて小さな火球を投げつける。
 不安定な姿勢のまま、しかも酒を飲もうと顔を仰いだところに炎を投げられれば、当然避けることは難しい。けれどもパトリックの予想通り、炎はラギウスに触れる寸前で見えない壁に弾き返されて消滅した。

「あっぶね……っ。テメェ、何しやがる」
「やっぱりそうか」
「あぁ!? っとに人の話を聞かねぇ奴だな!」
「君は炎を無効化する魔法具を持っているんだな」

 パトリックの言葉に応えるように、ラギウスの左耳で揺れる黒い牙のピアスが鈍く光を反射した。

「おそらくその耳飾りの黒い魔石がそうだろう? 君の剣にも同じものを確認している。その色から、無効化するのは全属性の魔法かもしれない……とも思っているが」
「だったら何なんだよ。そんなに俺のことが気になるのか?」
「そうだな。全属性の魔法を無効化する稀少な魔法具を持ち、人と変わらない見た目の精霊を船に乗せている。ノルバドの遺跡で呪いにかかったと聞いた時には心底馬鹿かと思ったが……そういえば君は同胞からも『呪われた海賊』と言われていたな。そんなに危険が好きなのか?」
「んな物好きじゃねぇよ」
「では、何か理由があるんだろう? 君が危険な場所へ望んで身を投じるわけが」

 ラギウスが一瞬言葉に詰まったのを、パトリックは見逃さなかった。誤魔化すように酒瓶をあおってみるも既に空だったらしく、小さく舌打ちをこぼすラギウスがかすかな苛立ちを乗せて空瓶を床に放り投げた。

「それに答えたら、今後一切俺たちの邪魔はしないでくれるのか?」
「内容による」

 どちらも互いに無言のまま、真意を推し量るように相手の瞳をじっと見つめ返す。時間は数秒にも満たないが、室内に浸る静寂は数分のようにも感じられる。凪にも似た空気を揺らすのは、音もなく繰り返される互いの呼吸の音だけだ。

「魔法具に使われる魔石に、精霊そのものを封じ込めたものがある」

 わずかなさざなみを起こしたのは、ラギウスの方だった。

「閉じ込められた精霊はやがて闇に染まり、それは使用者を破滅に導く呪われた魔法具になる。俺たちはその呪われた魔法具を集める海賊だ」
「……呪われた、魔法具だと?」

 パトリックが無意識に自身の指輪へ目を落とすと、ラギウスがふんっと鼻を鳴らして小さく笑う。

「残念ながら、テメェのそれは正規品だ。呪われてれば、力に溺れて自滅する姿が見られたんだがな」
「そんなものが出回っていると言うのか?」
「普通の魔法具より効果は高ぇからな。そのぶん裏では高額で取引がされてんだよ。需要があれば呪われていようと魔法具は作られるし、リスクがあるとわかっていても力を求める者もいる」
「危険なものならば、国が全面的に取り締まるべきだ」
「大元を叩かなきゃ、完全にはなくならねぇよ」

 不意に席を立ったかと思うと、ラギウスが奥の棚からひとつの宝飾品を取り出した。テーブルの上に放り投げられたネックレスには、大ぶりの赤い宝石がついている。
 話の流れから、おそらくこれが呪われた魔法具なのだろうと予想がつく。見た目にわかるほどの何かがあるわけではない。けれど鮮やかな赤い宝石を見ていると、体の奥からぞわりとした気持ちの悪い感覚が押し寄せてきて、パトリックは慌てて首飾りから目を逸らした。

「魔法具を作る技術を持つのはヴァーシオン国だけだ。なぜヴァーシオンは呪われた魔法具を放置している?」
「知らねぇよ。俺らはただ、そういう魔法具を集めてるだけだ」
「知らないはずはないだろう。君は関係者だ」

 じゃらり、と。
 金色の鎖を揺らしてパトリックの右手からこぼれ落ちたそれに、ラギウスがおかしいくらいに体を震わせた。

「……っ。テメェ、それ……」

 瞠目したマリンブルーに揺れて映る、金色の羅針盤。かすかな反射光に目を細めるラギウスの顔からは、いつもの余裕が消えていた。

「君が投げて返した制服の上着に入っていた」
「……チッ」

 返せとも、違うとも言わない。羅針盤を見られた時点で、どんなに取り繕っても無駄だということを悟っている。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてこちらを睨んでくるラギウスに、パトリックは自身の仮説が遠からず当たっていることを確信した。

「ラギウス。君が何者なのか、この羅針盤に掘られている名前が教えてくれた」
「……そうかよ」
「本来ならば敬称をつけて呼ばねばならないのだろうが……」
「やめろ。んなガラじゃねぇだろ。気色悪ぃ」
「そう言うと思って、このままでいかせてもらうよ。私も若干、気持ち悪いしね」
「サラッとひでぇな」

 一応突っかかってはくるものの、ラギウスにいつものような覇気はない。尻尾は完全に垂れてしまい、頭の獣耳も先端がわずかにへたってしまっている。さすがのラギウスも、人並みに動揺はしているようだ。
 いつもからかわれているパトリックにしてみれば、この立場の逆転はほんの少しだけ心の中に優越感を生んだ。

「ラギウス・レオ・ノール・ヴァーシオン」

 名を呼ぶと、へたっていた耳がわずかにぴくりと動いた。

 本を読むことが嫌いではないパトリックは、ヴァーシオン国――その地に宿る精霊についての書物もいくつか読んだことがある。
 精霊に愛された国。かつては精霊の国だったともされるヴァーシオン。彼ら精霊の使う古い言葉で、「レオ」は「王」を指し、「ノール」は「二番目」の意味を持つ。それらが結びついた先に見えるもの、それは。

「君は、ヴァーシオン国の第二王子……だったんだな」

 パトリックが静かに真実を告げると、無言を貫くラギウスの代わりに、狼の尻尾が一度だけ大きく左右に揺れた。


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