8 / 10
8・冷たい地下牢
しおりを挟む
ジゼルは冷たい地下牢にいた。
森で対峙した男は開口一番にエドの名を口にした。それだけで彼の仲間が迎えに来たのだと胸が切なく音を立てたが、そうではないことをジゼルは男の歪んだ微笑から感じ取った。
魔女かと問われ、頷いた。
幸い雨合羽を着ているおかげで髪色も分からない状態だ。今までのジゼルなら、即座に否定しただろう。
けれど昨夜、ジゼルは魔女である事を恥じずに生きていこうと決意したばかりだ。恐れられるのは「魔女」であり、「ジゼル」ではない。自分という人間を知ってもらえば、魔女であっても受け入れられるのではないかと期待した。
期待した結果が、これだ。
冷たい石の床に座り込んだまま、膝を抱えて蹲る。体に張り付いた服が体温を奪いひとり寂しく震えていても、雨音さえ聞こえない地下牢はしんと静まり返っていて誰の気配もしなかった。
(……約束、破ってしまった)
抱えた膝に頭を埋めて、瞼を閉じる。
「……エドさん」
記憶によみがえるエドの、傲慢で不貞不貞しい笑みが瞼の裏に熱い雫を引き寄せてくる。泣いては駄目だと唇を強く噛んでゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、ジゼルは心を押し潰すような地下牢の凍えた空気に必死で耐えるしかなかった。
どれくらいそうしていただろう。
窓もなければ時計もない地下牢で、時間を知るのは難しい。ジゼルはゆっくりを顔を上げ、改めて地下牢を見回した。
森から連れて来られた場所は、イファヴァールを治める領主の城だった。そのまま地下牢へ放り込まれたジゼルは、ここに来るまでの間にブライアンと呼ばれていた男と騎士たちの会話からエドが何者であるのかを知った。
何となく身分の高い人間だとは思っていたが、まさか領主の息子だったとは……。そう思い返して、自嘲気味に笑う。
傲慢に見える態度も、買い物の仕方が大雑把なことも、纏う雰囲気も、全てがジゼルとは違う。彼は高貴な身分の人間で、本来ならばジゼルとあの森の粗末な家で寝食を共にする間柄ではないのだ。
自分とエドでは住む世界が違う。
現実を理解はしても、それを認めてしまうには、もう遅い。ジゼルはエドと長くいすぎてしまった。
(戻ってきて嬉しいなんて……そんなこと言える立場じゃなかった)
急に手の届かない場所に行ってしまったエドを思うと、途端に胸を締め付ける悲しみの名前に気が付いた。
あぁ、と声を漏らして、再度目を閉じる。
――自分はエドが好きだったのだ。
コツコツと、石の床を歩く足音が聞こえた。
地下牢の階段から聞こえてくるその足音は、少し早足で駆け下りてくる。ついに裁かれるのかと怯えて顔を上げたジゼルの瞳が、驚きとほんの少しの喜びに大きく見開かれた。
「エド……さん」
「勝手にいなくなったと思ったら、こんな所で何をしている」
言葉は乱暴だったが、それを口にしたエドは僅かに息が上がっている。心配して急いで来てくれたのだと思うと、箍が外れたようにジゼルの瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「エドさん……。エドさん!」
子供のように泣きじゃくるジゼルの声に急かされて鍵を開け、足早に中へ入ると、その勢いのままジゼルの体をかき抱いた。濡れた体はすっかり冷えてしまい、小さく震えるジゼルを暖めるように更に強く力を込めると、胸に縋ったジゼルの手がエドの服をぎゅっと握りしめた。
「俺の側を離れるからだ。阿呆が」
そう言って、ひどく優しい手つきでジゼルの髪を撫でてやる。そのぬくもりに気持ちの落ち着いたジゼルが、泣くのを止めて躊躇いがちにエドを見上げた。
涙に濡れたエメラルドの瞳がやけに煽情的で、こんな状況下であるにもかかわらずエドが引き寄せられるように唇を寄せる。その背後で、これでもかと言うほどわざとらしい咳払いがした。
「エリック……」
恨めしげに振り返ったエドに、エリックが同情的な眼差しを向けている。
「申し訳ありませんが、今はそれどころではないかと」
「主人に向かって随分な物言いだな」
いつものエドとは違い、エリックの前では少しだけ雰囲気が柔らかい。おそらく長い付き合いでお互いを信頼し合う仲なのだろうと思うと、自然にジゼルの頬が緩んだ。
「それで、そちらが例の女性ですか。なるほど……見事な黒髪ですね」
「あ、ジゼルと言います。助けて頂いてありがとうございました」
律儀にお辞儀をしたジゼルに、エリックの方が面食らってしまう。素直で礼儀正しいジゼルを一目見ただけで、エリックの中にあった「魔女」の概念が崩れ去る。人の噂とは分からないものだと、改めて思い知らされた気がした。
「では、行くぞ」
「どこにですか?」
手を引かれ牢を出たジゼルが問うと、振り返ったエドがにやりと笑った。
「魔女よりも金獅子の方が恐ろしいことを教えてやる」
森で対峙した男は開口一番にエドの名を口にした。それだけで彼の仲間が迎えに来たのだと胸が切なく音を立てたが、そうではないことをジゼルは男の歪んだ微笑から感じ取った。
魔女かと問われ、頷いた。
幸い雨合羽を着ているおかげで髪色も分からない状態だ。今までのジゼルなら、即座に否定しただろう。
けれど昨夜、ジゼルは魔女である事を恥じずに生きていこうと決意したばかりだ。恐れられるのは「魔女」であり、「ジゼル」ではない。自分という人間を知ってもらえば、魔女であっても受け入れられるのではないかと期待した。
期待した結果が、これだ。
冷たい石の床に座り込んだまま、膝を抱えて蹲る。体に張り付いた服が体温を奪いひとり寂しく震えていても、雨音さえ聞こえない地下牢はしんと静まり返っていて誰の気配もしなかった。
(……約束、破ってしまった)
抱えた膝に頭を埋めて、瞼を閉じる。
「……エドさん」
記憶によみがえるエドの、傲慢で不貞不貞しい笑みが瞼の裏に熱い雫を引き寄せてくる。泣いては駄目だと唇を強く噛んでゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、ジゼルは心を押し潰すような地下牢の凍えた空気に必死で耐えるしかなかった。
どれくらいそうしていただろう。
窓もなければ時計もない地下牢で、時間を知るのは難しい。ジゼルはゆっくりを顔を上げ、改めて地下牢を見回した。
森から連れて来られた場所は、イファヴァールを治める領主の城だった。そのまま地下牢へ放り込まれたジゼルは、ここに来るまでの間にブライアンと呼ばれていた男と騎士たちの会話からエドが何者であるのかを知った。
何となく身分の高い人間だとは思っていたが、まさか領主の息子だったとは……。そう思い返して、自嘲気味に笑う。
傲慢に見える態度も、買い物の仕方が大雑把なことも、纏う雰囲気も、全てがジゼルとは違う。彼は高貴な身分の人間で、本来ならばジゼルとあの森の粗末な家で寝食を共にする間柄ではないのだ。
自分とエドでは住む世界が違う。
現実を理解はしても、それを認めてしまうには、もう遅い。ジゼルはエドと長くいすぎてしまった。
(戻ってきて嬉しいなんて……そんなこと言える立場じゃなかった)
急に手の届かない場所に行ってしまったエドを思うと、途端に胸を締め付ける悲しみの名前に気が付いた。
あぁ、と声を漏らして、再度目を閉じる。
――自分はエドが好きだったのだ。
コツコツと、石の床を歩く足音が聞こえた。
地下牢の階段から聞こえてくるその足音は、少し早足で駆け下りてくる。ついに裁かれるのかと怯えて顔を上げたジゼルの瞳が、驚きとほんの少しの喜びに大きく見開かれた。
「エド……さん」
「勝手にいなくなったと思ったら、こんな所で何をしている」
言葉は乱暴だったが、それを口にしたエドは僅かに息が上がっている。心配して急いで来てくれたのだと思うと、箍が外れたようにジゼルの瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「エドさん……。エドさん!」
子供のように泣きじゃくるジゼルの声に急かされて鍵を開け、足早に中へ入ると、その勢いのままジゼルの体をかき抱いた。濡れた体はすっかり冷えてしまい、小さく震えるジゼルを暖めるように更に強く力を込めると、胸に縋ったジゼルの手がエドの服をぎゅっと握りしめた。
「俺の側を離れるからだ。阿呆が」
そう言って、ひどく優しい手つきでジゼルの髪を撫でてやる。そのぬくもりに気持ちの落ち着いたジゼルが、泣くのを止めて躊躇いがちにエドを見上げた。
涙に濡れたエメラルドの瞳がやけに煽情的で、こんな状況下であるにもかかわらずエドが引き寄せられるように唇を寄せる。その背後で、これでもかと言うほどわざとらしい咳払いがした。
「エリック……」
恨めしげに振り返ったエドに、エリックが同情的な眼差しを向けている。
「申し訳ありませんが、今はそれどころではないかと」
「主人に向かって随分な物言いだな」
いつものエドとは違い、エリックの前では少しだけ雰囲気が柔らかい。おそらく長い付き合いでお互いを信頼し合う仲なのだろうと思うと、自然にジゼルの頬が緩んだ。
「それで、そちらが例の女性ですか。なるほど……見事な黒髪ですね」
「あ、ジゼルと言います。助けて頂いてありがとうございました」
律儀にお辞儀をしたジゼルに、エリックの方が面食らってしまう。素直で礼儀正しいジゼルを一目見ただけで、エリックの中にあった「魔女」の概念が崩れ去る。人の噂とは分からないものだと、改めて思い知らされた気がした。
「では、行くぞ」
「どこにですか?」
手を引かれ牢を出たジゼルが問うと、振り返ったエドがにやりと笑った。
「魔女よりも金獅子の方が恐ろしいことを教えてやる」
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
【完結】辺境の白百合と帝国の黒鷲
もわゆぬ
恋愛
美しく可憐な白百合は、
強く凛々しい帝国の黒鷲に恋をする。
黒鷲を強く望んだ白百合は、運良く黒鷲と夫婦となる。
白百合(男)と黒鷲(女)の男女逆転?の恋模様。
これは、そんな二人が本当の夫婦になる迄のお話し。
※小説家になろう、ノベルアップ+様にも投稿しています。
【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました
かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中!
そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……?
可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです!
そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!?
イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!!
毎日17時と19時に更新します。
全12話完結+番外編
「小説家になろう」でも掲載しています。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】『私に譲って?』と言っていたら、幸せになりましたわ。{『私に譲って?』…の姉が主人公です。}
まりぃべる
恋愛
『私に譲って?』
そう私は、いつも妹に言うの。だって、私は病弱なんだもの。
活発な妹を見ていると苛つくのよ。
そう言っていたら、私、いろいろあったけれど、幸せになりましたわ。
☆★
『私に譲って?』そう言うお姉様はそれで幸せなのかしら?譲って差し上げてたら、私は幸せになったので良いですけれど!の作品で出てきた姉がおもな主人公です。
作品のカラーが上の作品と全く違うので、別作品にしました。
多分これだけでも話は分かると思います。
有難い事に読者様のご要望が思いがけずありましたので、短いですが書いてみました。急いで書き上げたので、上手く書けているかどうか…。
期待は…多分裏切ってしまって申し訳ないですけれど。
全7話です。出来てますので随時更新していきます。
読んで下さると嬉しいです。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
たとえこの想いが届かなくても
白雲八鈴
恋愛
恋に落ちるというのはこういう事なのでしょうか。ああ、でもそれは駄目なこと、目の前の人物は隣国の王で、私はこの国の王太子妃。報われぬ恋。たとえこの想いが届かなくても・・・。
王太子は愛妾を愛し、自分はお飾りの王太子妃。しかし、自分の立場ではこの思いを言葉にすることはできないと恋心を己の中に押し込めていく。そんな彼女の生き様とは。
*いつもどおり誤字脱字はほどほどにあります。
*主人公に少々問題があるかもしれません。(これもいつもどおり?)
婚約破棄された男爵令嬢〜盤面のラブゲーム
清水花
恋愛
チェスター王国のポーンドット男爵家に生を受けたローレライ・ポーンドット十五歳。
彼女は決して高位とは言えない身分の中でありながらも父の言いつけを守り貴族たる誇りを持って、近々サーキスタ子爵令息のアシュトレイ・サーキスタ卿と結婚する予定だった。
だが、とある公爵家にて行われた盛大な茶会の会場で彼女は突然、サーキスタ卿から婚約破棄を突きつけられてしまう。
突然の出来事に理解が出来ず慌てるローレライだったが、その婚約破棄を皮切りに更なる困難が彼女を苦しめていく。
貴族たる誇りを持って生きるとは何なのか。
人間らしく生きるとは何なのか。
今、壮絶な悪意が彼女に牙を剥く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる