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番外編
あなたの帰りをここで待つ。
しおりを挟む彼女にはじめて会ったのは、東雲先生に付いて唐棣家のお屋敷に来た時だった。
精神を病んでずっと床に臥せっていると聞いていた彼女を見た時、僕の心には憐れみとは違う、何か強い思いが芽生えたような気がする。それが淡い恋心だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
ただでさえ線の細い体はすっかり痩せこけており、以前はふっくらと艶やかだったはずの唇は乾いて血色も悪い。瞳は開いているのに焦点はいつもずれていて、彼女の視線が僕を映すことはなかった。
その瞳が生気を取り戻したのは、庭に咲く藤の木が花をつけるようになってからだ。
春も終わろうとする頃に花をつけた藤は初夏を過ぎても咲き乱れ、命の眠る真冬の最中にあってもなお紫の花びらを散らすことはなかった。
一年中、花を咲かせる唐棣家の藤。その下に白髪の鬼の姿を見たという者も現れ、それはいつしか「鬼憑きの藤」と呼ばれるようになった。
僕は正直、この藤が苦手だった。
藤を見て、彼女が元気になったのは喜ばしいことだ。自分の足で歩けるまでに回復したし、それに良く笑うようになった。往診の間ずっと交わることのなかった視線が重なった時には、その瞳の美しさに見惚れてしまったくらいだ。
だからこそ、僕は彼女を癒やした藤が――恐ろしかったのだ。
いつか彼女を攫ってしまうのではないかと。未だ見たこともない鬼の姿に恐怖する。
なぜなら藤を見つめる彼女の瞳が、彼女を見つめる僕のそれと……全く同じだったから。
「青磁さん」
声をかけられて、はっとする。目の前には旅装束に身を包んだ女性が立っている。
「青磁さんと、東雲先生には本当にお世話になりました」
「常磐さん。もう行かれるのですか?」
「はい。お屋敷には、もう……お嬢様もおられませんし。わたしも実家へ帰ろうかと」
「そうですか。……お気をつけて」
「青磁さんも、お元気で」
去って行く後ろ姿を見つめていると、どうしようもなく胸が軋んだ。またひとつ、彼女に繋がるものが僕のそばから失われていく。
はらり、はらりと散っていく藤の花びらのように、僕の前から彼女にまつわる思い出が消えていくようだ。彼女を攫っていっただけでなく、僕の中に残るかすかな思い出さえも奪い取ろうとする。
だから、嫌いなんだ。彼女を奪った藤が。枯れてなお、彼女のすべてを吸い尽くすあの藤が。
『青磁さん』
あぁ、彼女の声がする。
彼女を元気にするのも、幸せにするのも、全部僕でありたかった。彼女のすべてを知って、それでも共に歩むことを望んで差し伸べた手のひらだったけれど、掴めたのはたったひとひら――。あの縁側でお茶を飲んだわずかなひとときだけだった。
彼女はいってしまった。
彼女が求める、藤の木の鬼と共に。
その先に彼女の幸せが続くことを願わずにはいられないけれど――。
それでも、諦めきれない僕はあなたの帰りをここで待つ。
あなたの藤にはなれないけれど、あなたに寄り添う野菊のように。
この命が続く間に、再びあなたに巡り会えることを切に願って――僕は今日も、唐棣家の枯れた藤を見に行くことをやめられないんだ。
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