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第1部
佳人葬送・Ⅰ
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風が死んだ夜。
無音の闇に、扉を叩く音が妖しげに響き渡っていた。
開かれた扉の向こう、飲み込まれそうな深い黒の闇に紛れて、一瞬だけ細い月光が涙を落す。その雫の指し示す先に、黒薔薇の花束が置かれていた。
闇を吸い取ったかの如き花弁。その香りに包まれて、赤い封蝋を施した一通の手紙が舞い落ちる。
黒い便箋に美しく流れる真紅の羅列は、誰からも祝福されない結婚の儀を記した訃報に他ならなかった。
むせ返る黒薔薇の香り。
鼻を突くそれは、どこか死の香りがした。
† † † †
静まり返った教会。かつては光と慈愛に満ちていたこの場所も、今では誰ひとり寄りつかない汚れた聖地へと成り下がっていた。
崩れ落ちた十字架。なぎ倒された祭壇を中心に飛び散った赤黒い染みは、己の存在を無理に知らさずとも事足りる程であった。
何度拭っても取れなかった血痕が未だ生々しく残る礼拝堂に、闇を纏う漆黒の影が舞い降りた。片腕には、同じように漆黒に身を包んだ麗しき花嫁を抱いている。黒いレースのヴェールからのぞく無感情の瞳が、目の前の崩れ去った十字架を見つめていた。
「罪と卑しい鮮血に清められた禁断の聖地」
呟いて、未だその場に残る血臭を胸一杯に吸い込んだシアンが、恍惚とした表情を浮かべながら深い紫の瞳を傍らのレベッカへと向けた。
「君を迎え入れるのに、これほど相応しい場所はないと思うよ。レベッカ?」
何も答えないレベッカの顎を捕え、顔を隠すヴェールをゆっくりと剥ぎ取ったシアンが、自身の手を口元へと運んだ。その細い指先が、シアンの血に染まる。
「こちら側へ君を向かえよう。美しき花嫁」
血に濡れた指先をレベッカの唇へ這わせて、そこを鮮やかな真紅に染める。闇色に染まった世界、そこだけが妖しいほどに美しい。
レベッカの唇に見惚れていたシアンが、そのまま引き寄せられるようにゆっくりと身を屈める。されるがまま人形のように動かないレベッカへ、その血の唇へ、静かに己のそれを重ね合わせようとする。
それは、呪われた儀式を告げる合図。互いのそれが触れ合う瞬間に、シアンが唇をかすめてかすかに笑った。
「死んでからも愛してあげる」
† † † †
『怒ってる?』
屋敷を出る間際、そう聞いてきたイヴの顔が瞼に焼き付いて離れない。
キールの重荷を背負い、彼の苦しみを分かち合いたいと願ったレベッカを冷酷に突き放した。その時の、胸を刺すようなレベッカの表情。それが目の前のイヴと重なり合って、キールは居たたまれない気持ちに唇を噛み締めた。
何より呪いたいのは、己の弱さ。
『私、あいつが来たのを気配で悟ったわ。……でも、助けにいかなかった。死んじゃえばいいと、思ったもの』
弱い声音で懺悔を続けるイヴの言葉は、半分も耳に入っていなかった。未だ濃く残る、『彼』を示す香り。黒薔薇に巧みに隠された、かすかな死臭。それだけでキールの鼓動がどくんっと跳ね上がる。連れ去られたレベッカを思うだけで、体は引き裂かれたような鋭い痛みを訴えた。
一刻も早く連れ戻さねばならない。『彼』は生きたレベッカには何の興味も示さないのだ。『彼』が求めるのは命ではなく、熱を持たない人形の体だけなのだから。
『キール! キール、ごめんなさい! 私、謝るからっ。何度でも謝るから、だから……戻ってきて!』
置いていかれた子供のように泣きじゃくるイヴの声が、闇にいつまでも木霊していた。
無音の闇に、扉を叩く音が妖しげに響き渡っていた。
開かれた扉の向こう、飲み込まれそうな深い黒の闇に紛れて、一瞬だけ細い月光が涙を落す。その雫の指し示す先に、黒薔薇の花束が置かれていた。
闇を吸い取ったかの如き花弁。その香りに包まれて、赤い封蝋を施した一通の手紙が舞い落ちる。
黒い便箋に美しく流れる真紅の羅列は、誰からも祝福されない結婚の儀を記した訃報に他ならなかった。
むせ返る黒薔薇の香り。
鼻を突くそれは、どこか死の香りがした。
† † † †
静まり返った教会。かつては光と慈愛に満ちていたこの場所も、今では誰ひとり寄りつかない汚れた聖地へと成り下がっていた。
崩れ落ちた十字架。なぎ倒された祭壇を中心に飛び散った赤黒い染みは、己の存在を無理に知らさずとも事足りる程であった。
何度拭っても取れなかった血痕が未だ生々しく残る礼拝堂に、闇を纏う漆黒の影が舞い降りた。片腕には、同じように漆黒に身を包んだ麗しき花嫁を抱いている。黒いレースのヴェールからのぞく無感情の瞳が、目の前の崩れ去った十字架を見つめていた。
「罪と卑しい鮮血に清められた禁断の聖地」
呟いて、未だその場に残る血臭を胸一杯に吸い込んだシアンが、恍惚とした表情を浮かべながら深い紫の瞳を傍らのレベッカへと向けた。
「君を迎え入れるのに、これほど相応しい場所はないと思うよ。レベッカ?」
何も答えないレベッカの顎を捕え、顔を隠すヴェールをゆっくりと剥ぎ取ったシアンが、自身の手を口元へと運んだ。その細い指先が、シアンの血に染まる。
「こちら側へ君を向かえよう。美しき花嫁」
血に濡れた指先をレベッカの唇へ這わせて、そこを鮮やかな真紅に染める。闇色に染まった世界、そこだけが妖しいほどに美しい。
レベッカの唇に見惚れていたシアンが、そのまま引き寄せられるようにゆっくりと身を屈める。されるがまま人形のように動かないレベッカへ、その血の唇へ、静かに己のそれを重ね合わせようとする。
それは、呪われた儀式を告げる合図。互いのそれが触れ合う瞬間に、シアンが唇をかすめてかすかに笑った。
「死んでからも愛してあげる」
† † † †
『怒ってる?』
屋敷を出る間際、そう聞いてきたイヴの顔が瞼に焼き付いて離れない。
キールの重荷を背負い、彼の苦しみを分かち合いたいと願ったレベッカを冷酷に突き放した。その時の、胸を刺すようなレベッカの表情。それが目の前のイヴと重なり合って、キールは居たたまれない気持ちに唇を噛み締めた。
何より呪いたいのは、己の弱さ。
『私、あいつが来たのを気配で悟ったわ。……でも、助けにいかなかった。死んじゃえばいいと、思ったもの』
弱い声音で懺悔を続けるイヴの言葉は、半分も耳に入っていなかった。未だ濃く残る、『彼』を示す香り。黒薔薇に巧みに隠された、かすかな死臭。それだけでキールの鼓動がどくんっと跳ね上がる。連れ去られたレベッカを思うだけで、体は引き裂かれたような鋭い痛みを訴えた。
一刻も早く連れ戻さねばならない。『彼』は生きたレベッカには何の興味も示さないのだ。『彼』が求めるのは命ではなく、熱を持たない人形の体だけなのだから。
『キール! キール、ごめんなさい! 私、謝るからっ。何度でも謝るから、だから……戻ってきて!』
置いていかれた子供のように泣きじゃくるイヴの声が、闇にいつまでも木霊していた。
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