哀しき鬼女のものがたり

杉 孝子

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プロローグ 古墳

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 災厄はいつも突然にやって来る。前触れも無くやって来る。都会から離れた田んぼが広がる郊外。5月に入り日中は暖かい日も増えてきた。連休中に植えられた米の苗は等間隔で水田から先端を覗かしている。天気は快晴だが、強い風が水田に波紋を広げていた。

 この辺りには小さな古墳が点在しており、近くには有名な観光スポットもある。白井友里は人気のない道路を歩きながらリックからペットボトルを取り出した。もっと観光客がいると思っていたのだが、意外と少ない。旅行に来る人達は小さな古墳など余り興味が無いのだろう。普段と違う食事をして温泉に入ってホテルでゆっくりする。殆どそんな感じなのだろう。友里のように歴史や古墳に興味がある者以外は無名の古墳跡になど来ない。スマホのマップで確認すると目の前に小高い丘が目に入る。田んぼの真ん中にある丘は草木でおおわれているが、茶碗を引っくり返した様にこんもりと盛り上がっている。風がひと際強く吹き、慌てて帽子を押さえる。

 田植えが終わった田んぼには人気は無かった。マップで確認した地点に来ると丘の横に鉄枠が嵌まっている。近づいてみると鉄枠の奥に石棺が目に入った。いつ頃の物かはわからないが、古墳が盛んに製作された時代は三世紀から七世紀の期間、小さめの古墳が激増したのが六世紀の後半大和朝廷の勢力が強くなり、小さな集落の長までも古墳を造るようになったからだ。この形状から察するに六世紀から七世紀の集落の長でも葬られたのであろう。

 友里は鉄枠に近づいて、閂のような扉を閉めている棒状の部分を横にスライドさせた。南京錠らしき鍵も見当たらなかったため思っていたようにすんなりと閂部分が動き手前に鉄枠を開けることが出来た。

 何故か後ろめたさを感じ、友里は辺りを振り返る。先ほどと同じように人の姿は見当たらない。ゆっくりと古墳の横穴に足を踏み入れると、外の温度が一気に下がるのを肌で感じた。

 横穴は上からの盛り土が崩れてこないように大きめの石で部屋を造っている。やや奥まった所に、石棺が石の台に置かれたいた。

 石棺には特に模様や文字の類が彫り込まれている形跡はなかった。友里はジーンズのポケットからスマホを取り出すと横穴の状況と石棺も数枚撮影していく。石棺には蓋が無く、多分長年の風化で割れたりしていたのだろう。何処からか入って来た枯れ葉や砂が若干石棺の底に溜まっているのが見えた。

 急に外が暗くなり、友里は古墳の中から外を見る。さっき迄は晴れ渡っていたはずの空を覆い隠すかのように黒い雨雲が見える。スマホで天気予報のページを開くと、現在地に大きな雨雲が近づいて来ているのが映し出される。

 友里は田んぼを横切り、民家が数件建っている細い路地に入り込んだ。その頃には、大きめの雨がぽつりぽつりとアスファルトを濡らし始めていた。昼過ぎだと言うのに辺りはさらに暗くなり、雨脚はさらに強く激しくなってくる。取り敢えず友里は、古びた民家の軒下に避難した。
 
 瓦屋根から滴る雨粒がリズミカルに軒先に落ち、次第に滝のように流れ落ちてきた。しばらく立っていると、玄関から声をかけられた。

「もし、そこにいるのは誰かね?」と、落ち着いた柔らかな声だった。

 振り向くと、年配の女性が玄関の扉から顔をのぞかせている。細い目が優しげに微笑み、濃い灰色の髪を後ろで小さな簪《かんざし》でまとめた、穏やかそうな人物だった。


「すみません、急な雨でお声も掛けずに軒先で雨宿りさせてもらってます」と、友里が言いかけると、

「まぁまぁ、こんな雨じゃ大変だろう。中へ入りなさいな、風邪をひいてしまうよ」と、女性は手招きしてくれた。

 促されるままに家の中へ上がると、どっしりとした木の柱が目を引く、年代物の建物の香りがした。畳の広間には大きな木の梁が低く通っており、い草の香りと共に、昔懐かしいような落ち着きを感じさせる。古い囲炉裏の跡や、磨きこまれた飴色の床板が、長い年月を物語っている。天井近くの棚には、素朴な陶器の花瓶がいくつか並び、窓の外の雨音がその静けさを一層引き立てていた。

「さぁ、これでも飲んで温まりなさい」と、女性は熱いお茶の入った湯飲みを差し出してくれた。友里は湯飲みから立ち上る湯気を見つめながら、お茶の香りと民家の静かな雰囲気にほっとしていた。

「本当にありがとうございます。急に激しい雨になったので、助かりました」

「いえいえ、このあたりは山の天気が変わりやすいからねぇ。ここももう、長いこと変わらずにいる家だけど、雨の多い時期はこうして旅人や観光客の人を助けるのが常なんだよ」

 民家の女性は「そうそう、わたしはタミ子と言います。こんなところだけど、ゆっくりしていっておくれね」と柔らかな口調で微笑んだ。

 タミ子はお茶をすすりながら、しばらく友里をじっと見つめると、少し首をかしげるようにして言った。
 
「ところで、若いあんたがこんな村まで一人でやって来るなんて珍しいねぇ。何か目的があって来たのかい?」

「あ、えっと・・・大学の学生で、古墳の調査をしているんです」と友里は答えて横に降ろしたナップサックを指差して軽く触れた。

「この村の近くにある古墳を調べたくて。いくつか古墳が点在している場所があると聞いたので」

「まぁまぁ、学生さんかい!立派だねぇ。うちの村の古墳なんか、都会の人にとっちゃただの土の盛り上がりにしか見えないだろうに、そんな小さな古墳に興味があるとは」とタミ子は目を細めて感心したように頷いた。

 しばらく頷きながら聞いていたタミ子が、ふと、少しだけ低い声で囁くように尋ねた。
 
「そうだねぇ、友里さん・・・鬼の伝説なんかにも、興味があったりするのかい?」

 友里は思わず目を見開き、興味を惹かれるようにタミ子に向き直った。
 
「鬼の伝説ですか?実は、あまり聞いたことがなくて。けど、すごく興味あります。何か、この村にまつわる鬼の伝説があるんですか?」

 タミ子は静かに頷き、
 
「あぁ、あるさ。村の古い言い伝えでね、"安達ケ原"という場所にまつわる、悲しいけれど恐ろしい伝説があってね」と、どこか遠い目をしながら語り出そうとする。

 友里はじっと話に耳を傾け、タミ子の一言一言に引き込まれるようにして身を乗り出した。その瞬間、外の雨音が一際強くなり、窓に叩きつけるように響いた。

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