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15_幸せな時間

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 朱美が配属され一年が過ぎた。朱美からの告白を聞いて、二ヶ月。季節は秋に入り、休日は朱美のマンションで目覚めることも少なくなかった。妻を裏切っている気持はもちろんあったが、朱美への想いはそれ以上の物だった。 
 
 秋のある休日、その日は公園で朱美と一緒に過ごす約束だった。約束した時間にマンションの駐車場に車を乗り入れて、空いているスペースに止めると約束の時間を少し回った所で朱美が大きなランチボックスを持ちながら車に近づいてきた。私は、車を降りて彼女の元へ駆け寄ると、ランチボックスを預かり助手席の扉を開けた。朱美が乗り込むといつもの様に県外の公園へと車を走らせた。
 
 私は、朱美と一緒に過ごす時間が何よりも楽しみだった。今までは家族の為に自分の時間など皆無だった。特に趣味も無く、息子も成人した今、何をすればいいのかわからなかった。そんな時に朱美が私の人生の扉を開けてくれた。

 朱美も一人暮らしをすることになってから、養父とは、会っておらず、マンションにも姿を現していない様だった。もっとも、朱美が養父に今の住所を教えずに家を出て来たようだった。
 
 秋の公園は家族連れでそこそこに人はいた。

「雄一、あの大きな樹の下にしようよ」

 私達は、大きな樹の影になる場所を見つけて、荷物を下ろした。

 車中も朱美は良く喋りよく笑った。学生時代の事、趣味の事、元カレの事。私は相槌を打ちながら、話しの先を興味深く聞いていた。自分が経験できなかったこと、興味が無いことでも、朱美の話を聞くのは楽しかった。

 そして、彼女の笑い声はまるで春の陽射しのように温かく、心の隙間を埋めてくれた。
 二人で芝生の上にレジャーシートを敷いて、朱美が持ってきたランチボックスからお弁当を取り出して置いていく。朱美が見て見てとはしゃぎながら、次々に蓋を取っていく。そこには、色とりどりの野菜や、可愛らしいおにぎり、ハムやレタスを挟んだサンドイッチで彩られていた。

「これ、私が作ったんだよ!」と、彼女は嬉しそうに目を輝かせながら言った。

 田村はその姿を見て、自然と口元がほころんだ。

「美味しそうだね、さっそくいただこうか。」

 そう言って一口食べると、思わず「うん、美味しい!」と声を上げた。朱美はその瞬間、嬉しそうに顔を赤らめ、私を見詰めながら小さく微笑んだ。

 二人はお弁当を食べながら、未来の夢や希望について語り合った。

「私は、いつか自分の店を持ちたい」と朱美が話す。
 
 私は彼女の夢を全力で応援することを心に誓った。

「雄一。雄一が定年したら、一緒にカフェしよう。小さな可愛いカフェ」

 彼女の声は、田村の心に響き、彼女の笑顔が周りの景色を明るく照らしていた。

 朱美と出会い、不倫するまでは、体の奥底で情念の様なものが常に蠢いていた。本能を理性が抑え込んでいたのだろう。それが解放されると、愛おしさが訪れた。随分前にどこかに置き忘れていた気持であった。私の隣で眠っている幼さの残る女性を離したくない、静かな寝息を立てている彼女の顔にかかる髪を耳元でゆっくりとかきあげると白いうなじが妖艶さを際立たせる。

 朱美がそっと目蓋を開けると、いつもの様に私を見詰めてくる。

「おはよう、雄一。どうかした」

「おはよう。朱美。いや、何でもない。私は幸せだな。この瞬間をいつまでも過ごしていたい」

「私も。雄一と居ると安心するの。いつまでも守ってくれる。私の事」

 私は、『誰から』と言いかけて言葉を飲んだ。

「ああ、いつまでも守るよ。約束する」

「今日も寒くなるかな。布団から出たくない」

 朱美は布団に潜り込みながら、裸のまま抱き付いてくる。

「もう少しこうしていよう」私は、若い体を抱き締めて彼女の長い髪に顔を埋めた。

 二人は午後になる前に支度をして、朱美が前から行ってみたいと言っていた県外のカフェに向かった。
 冬の寒さにもかかわらず、店内には柔らかな日差しが差し込んでいた。朱美の好むような小さな可愛らしいカフェだった。

 私と朱美は、窓際のテーブルに座っていた。外に広がる日本海が美しい景色を作り出していた。朱美も来た早々に携帯を取り出して何枚もの写真を撮っていた。

 窓外の光景に二人の心も和んでいた。カフェの香ばしいコーヒーの香りが漂い、朱美は迷うことなくメニューを決めた。

「これが一番美味しいらしいよ、スフレパンケーキ!」と、朱美が目を輝かせながら言った。

「じゃあ、それを一つと違う種類をもう一つ頼もうか。朱美が選んだものは間違いないはずだ。」

 私は微笑みながら答えた。

 彼女の笑顔に心が温かくなるのを感じて、私は幸せな気持ちで胸が一杯になった。やがて、ふわふわのパンケーキが運ばれてくる。朱美はその美しさに目を輝かせた。パンケーキの上には、ホイップクリームと苺が散りばめられている。

「わあ、すごく可愛い!」

 朱美は幼い少女が喜んでいるような声を上げた。

 田村はその瞬間、彼女の笑顔をカメラに収めたい衝動に駆られたが、言葉にすることはなかった。代わりに、彼は彼女の目の前にパンケーキを差し出し、「さあ、どうぞ、君のために用意したよ。」と囁いた。

「ありがとう、雄一!」と、朱美は嬉しそうに微笑み、田村の心はますます温かくなった。二人は二種類のパンケーキを交互に分け合いながら、甘いシロップをかけては笑い合った。

「ねえ、雄一。定年後にどんなカフェを開きたい?」と朱美が問いかける。

 田村は少し考え、

「君と一緒に、美味しい料理と温かい雰囲気を楽しむカフェがいいな。人々が笑顔になれるような場所」と答える。

「それ、素敵!私も手伝うよ!」

 朱美は嬉しそうに目を輝かせ、二人の未来に思いを馳せる。

 その瞬間、田村は彼女の隣で、今この瞬間が永遠であるように願った。店内では穏やかな時間が流れ、カフェの外では冬の風が雪の前触れであるかのように冷たく吹き始めていた。
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