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第69話 「俺様の美技に酔いな」

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「ねぇ……ノゾム君」
「……なんでしょうか、賢者さん」
「ふふふっ。嫌だな。僕のことはルーエ……って呼んでほしいな」
「……ルーエさん、どうしたんですか?」
「ああ、君は本当に残酷だよね。僕の気持ちなんて、とっくに分かっているだろうに……」
 そう言って、賢者さんは俺の胸に、『の』の字を書き始めた。
「ねぇ」
 そして、不意にそう言ったかと思うと、彼女はそっと俺の両頬に手を当てて、俺の視線を自分に固定する。
「君のその瞳には世界はどう見えてるんだい? 僕と同じに見えるのかな? ……ううん。絶対に違うよね。君は君にしか見えない世界の在り方が見えている筈だ」
「ルーエさん? ――!?」
 彼女はそうやって、俺の瞳を覗き込みながら、そう話しかけてくる。
 俺はそんな彼女の真意を確認しようと、口を開いたが――途中で気づいたある事実が、俺の思考を吹き飛ばした。
「ルルルッ……ルーエさんっ!! 前!? 前を閉じて下さい!!」
 現在、下から覗き込むように俺を見上げている彼女の胸元が、際どい感じで見えそうになっているのだ。
 俺は慌てて視線を逸らそうとしたが、ルーエさんはそれを許さないとでも言うように、両手に力を入れて、俺の顔を更に強く固定した。
「前を……閉じる? また、新しい知識かい?」
 そうして、彼女は獲物を見つけたというように、艶めかしく唇を舐めとり、更にこちらへ顔を近づけてきた。
 その所為で、ぎりぎりで壁としての役割を果たしていたローブが歪み、その隙間から彼女の双丘が――
「ご主人。何してんですか」
 ――瞬間。
 猫の尻尾が俺の眼球を激しく引っぱたいた。
「バルスっ!!」
 俺はそう叫びながら、激しくのたうち回る。
「まったく。女性の胸を覗き見るだなんて、紳士のやることではありませんよ」
「いきなりの目つぶしも紳士のやることじゃないと思うんですけどねぇ!?」
 しかも若干、毛が目の中に突っ込まれた上で衝撃が殴り抜けていったのだ。
 紳士というより、貧民街が似合いそうな猫である。
「だらしない顔をしてるからですよ、ご主人。<スキル>として、恥ずかしい限りです」
「あの、状況なら仕方ないだろうが。……それに、お前も<スキル>なら、俺がどんなご主人だろうが、文句を言わずに仕えるべきじゃあないのか? ゴーストスイーパーのバンダナだって、煩悩をサポートしていたぞ」
「ご主人。私はどちらかというと、アドバイザーロボットみたく成りたいんですよ。あの、メダルを頭から取り込む姿勢には好感が持てます」
「守護騎士を出せるようになってから言え」
「ご主人、酷いミャ!!」
「俺は今、猛烈にお前をしばきたい」
 ノワールに軽く、デコピンを当てながら俺は起き上がった。
 そして、周りの状況を確認する。

「すやぁ」
 まず、いつの間にか賢者さんは眠り込んでいた。
 まぁ、大分酔いが回ってたしな。
 とりあえず、布団は無いけど、その辺に落ちてた理事長の上着をかけとこう。
 屋外なんだし、風邪を引かれたら困る。
「かかかっ!! 回りよるっ!! 妾も世界も!?」
「ナイア君!! うおおっ!! また、増えおったな!?」
 そして、少し離れた所では、大の字で寝ころんだナイアと、それを見下ろしながら理事長が叫んでいた。
「後は、あの二人だけか」
「本当にどうして、こうなったんでしょうねぇ」
 溜息をつきながら、俺はノワールとこうなった経緯を振り返るのだった。


「――という訳で、今日、大学の屋上をお借りしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「……という訳、と言われてものぅ」
「……君たちはこの施設が何のための物なのか理解しているのかい?」
 ヴァンパイアであるナイアにとって、記念すべき満月をベストポジションから拝むために、俺たちは屋上使用の許可を求めて、理事長室に来ていた。
「うーん。やっぱり、駄目ですか」
「特別な理由であれば、許可を出すのもやぶさかではないんじゃがのぅ。騒ぎたいから場所を貸してくれという内容ではのぅ」
「そもそも、屋上は生徒たちの立ち入りを禁止している場所だしね」
 だが、理事長と創設者である賢者さんは、そんな俺たちのお願いに難色を示していた。
 ううむ。
 まぁ、言われてみれば当たり前だよな。
 夜に学校の屋上ではしゃぎたいと言われて、『はい、分かりました』って対応する学校はそれはそれで心配なのだから。
「分かりました。無理を言ってすいませんでした。……それじゃあ、場所を変えようかノワール、ナイア」
「そうですね」
「ううむ、まぁ、仕方ないのぅ」
 俺たちはそう言って、理事長と賢者さんに背を向けて理事長室を出ようとした。
「……ちょっと、待って」
 だが、賢者さんによって引き留められた。
「一つ確認したいんだけど……屋上が駄目なら、どこかで決行するのかな?」
「? ええ、そのつもりですけど……」
 賢者さんの質問に対して、意図をくみ取れないまま、俺はそう返す。
 月に一度しかない、せっかくの満月だ。
 最近は、ナイアとはっちゃけることも少なかったし、この機会を逃がすつもりは、俺には無かった。
「……あー」
 賢者さんは、そんな俺の返答を聞くと、困ったというように、上を見上げて黙ってしまった。
「……仕方ないかな。今日だけ、特別に使っても良いよ」
 そして、少しの間を置いて、賢者さんはそう返した。
「え? 良いんですか?」
「師匠。宜しいのですかな?」
 余りにも脈絡のない手の平返しに、俺と理事長は思わず確認を取っていた。
 一体何が、ゴーサインのきっかけだったんだろうか。
「……ナイア君が魔王だってことがバレるのは、僕としても困るんだよ」
 そんな質問に対して、賢者さんは疲れたようにそう答えた。
「代わりに条件はあるけどね。その席には、僕とこの弟子も参加すること。それから、魔法の発動は禁止だ……それで良いかい?」
 成る程。
 要は、俺たちがどこかではしゃいで、秘密がバレるよりは、目の届く範囲で管理しようということか。
「それで良いなら、俺は構いませんが……ナイアはどうだ?」
「うむ? 妾も構わんぞ。人数が多い方が賑やかになりそうじゃしのぅ」
「それでしたら、決まりですね」
 そして主役の一言で、今回の飲み会の会場が決定した。


「賢者さん、理事長、お酒です」
「ん? ああ。悪いね、ノゾム君」
「ほっほっ。酒なぞ久しぶりじゃのぅ」
 そして、屋上に来た俺たちは、近づく満月の夜に向けて、飲み物と買い込んできたおかずを並べて、車座に座り込んだ。
「ナイア。どんな感じですか?」
「うむ。もう少しじゃ、もう少しで来よるぞ」
 俺が賢者さんと理事長に酒を注いで戻ってくると、ノワールとナイアがそう話していた。
「ノゾム君。アレは何の話なんだい?」
「うむ。儂も気になるのぅ」
 狭い車座ではそんな会話も筒抜けで、俺はそう質問を受けるのだった。
「……まぁ、楽しみに待っててください。見てれば分かりますから」
「むぅ。つれないことを言うじゃないか」
「なんぞ、含みがある言い方じゃのう?」
「まぁ、今日のメインイベントみたいなものですから」
「?」
「?」
 俺は疑問符を頭に浮かべたまま、顔を合わせる二人を見て笑った。


 そして、それから僅かな間を置いて、その時は来た。
「……くくくっ……来たぞ、来たぞ」
「お? ナイア、来ましたか!!」
「待ってました!!」
 ナイアが急に漏らした言葉に、俺とノワールはそう言葉を返した。
 ――瞬間。
 赤くて、朱くて、紅い光が彼女自身の体から漏れ出し、流れる血のようにその体中を駆け巡った。
「……なっ!? これは!!」
「……なんという魔力かっ!?」
 初めて見た二人がそう言葉を漏らしていたが、光はそんな二人の反応を置き去りに、ますますその勢いを強めていく。
「かかかっ!! 良いっ……良いっ!!!! やはり、満月は格別じゃーーっ!!!!!」
 叫びながら、ナイアは右手を上に掲げ、くるりと回った。
 まるで、円舞曲ワルツのようにゆっくりと。
 それに合わせて、光も回る。
 ナイアが右に動けば、追うように右へ。
 ナイアが左に動けば、追うように左へ。
「……やっぱり綺麗ですねぇ、ご主人」
「ああ。本当にな」
 俺とノワールは思わず、言葉を漏らしていた。
「凄い……これが……」
「おお……」
 賢者さんと理事長もそんなナイアに魅入っているようだった。
「うむっ!! とりあえずは、こんな感じかのぅ」
 そして、十数秒後。
 ナイアがそう言って、また屋上に座した頃には光は影も形も無くなっていた。
「おめでとう!! ナイア!!」
「おめでとうございます、ナイア!!」
 俺たちはそんなナイアをハイタッチと共に迎え入れた。
「うむっ!! ありがとうなのじゃ!! ノゾム、ノワール!! 後は呑もうぞ!!」
 そして、宴は再開した。

「……見たかい?」
「勿論です。師匠。正しく話に聞いていた通り……」
「うん。……アレが『魔王』だよ。随分と可愛くなったと思ったけど、やっぱりその考えは甘かったみたいだね」
「師匠たちは『アレ』と戦われたのですね」
「ああ。――どう思った?」
「ただただ恐ろしいと」
「奇遇だね、当時の僕もそう思った」
「……当時ということは、今は違うのですか?」
「君は『ナイア』を怖いと思ったことがあるかい?」
「……」
「そういうことだよ。――さぁ、呑もうか、せっかくの呑みの席なのに、僕たちが盛り下げちゃいけないだろう」
「……分かりました」

 賢者さんと理事長は何か難しい顔で話していたが、しばらくするとまた車座に戻って話に入ってきた。
 それからの二人は、何か悩みを吹っ切るように酒のペースを上げて、気付けば――


「この様っていうね」
「あそこで止めてれば良かったですねぇ、ご主人」
 俺はそこで回想を止めて、ノワールに頷いた。
「妾は~回る~母なる~月のように~」
「おおっ!? 五人のナイア君が転がっていくのじゃ!! 待ってくれっ!! 儂にもその『知識』を教えてくれぃ!!」
 そうして、俺たちは目の前の惨劇を見る。
「……楽しそうだなぁ」
「ご主人、アホなこと言ってないで、そろそろ止めましょう」
「……ああ、そうだな。――ほら、ナイア、理事長。そろそろ、お開きにしましょう」
「妾はまだまだいけるのじゃっ!! 魔王じゃからのぅ!!」
「儂だってまだまだいけるぞい!! 若いモンには負けんぞ!!」
「かかかっ!! ならば、リッジよ!! 妾の勝ちじゃの!! 妾はもう五〇〇歳じゃからして!!」
「おおっ!! これは一本取られたのぅ!! 正に寄る年波には勝てんわい」
「かかかかかっ!!!! 美味いこというではないか、リッジよ!! ほれ、褒美に酌してやろう、口を出せ!!」
 そう言うと、ナイアは大の字で寝そべったまま、右手で酒を高く掲げた。
「成る程!! コップを使わなければ、その分、口に入るまでの時間も短縮されるという訳じゃな!! 合理的ではないか!!」
 そして、そんなナイアの言葉を受けた理事長は、デーン、っと倒れるような勢いでもって、ナイアの横で仰向けになり、口を開いた。
「――ゴフッ!!」
 そして、ナイアから注がれた酒を盛大に吹いた。
 ……まぁ、酒を割りもせずに、大量に口に注げばそうなるよね。
 ってか、そろそろ本当に止めないと駄目だな。こいつら。
「ほら随分、足元も怪しくなってるじゃないですか。また今度、企画しますから、今日はもうお開きにしましょう」
 俺はそう声をかけながら、盛大に咽ている理事長の背中を撫でながら、助け起こしたのだが――
「足元が怪しいじゃと……? まさか、またオオトカゲかのっ!?」
「足元が怪しい……? まさか、真理はこの大地にこそ隠れているのか!?」
 ――俺の意思に反して、言葉を聞いたナイアは立ち上がり拳を固め、理事長は何かを探すように地面に這いつくばった。
「いや、そうじゃなくて――」
「おっ……本当に現れおったな!! くたばれぇぇーっ!!」
「一体どこに真理が……ぐはぁっ!?」
 そして、俺が何かを話すより早く、ナイアは理事長に目掛けて、拳を振り下ろした。
「うむっ!! 手ごたえ有りじゃ!!」
「……」
 後には、満足そうに笑う魔王と、横たわり言葉を失った老人の体が残るのみだった。
「……」
「……さすがですね、ご主人。酔っ払いを使って、酔っ払いを片付けるとは」
「俺のことを極悪外道にすんじゃねーよ、ノワール!? この展開は完全に予想外だわっ!! 」
 俺は頭の上でガクブルと震えながら、俺を称えてくる猫に怒鳴り返すのだった。

「ふふふっ。安心するのじゃ、ノゾム、ノワール。お主らは妾が守るからのぅ」
 そんな俺たちを前に、無邪気に笑うナイアさん。

「……一番目の日記所有者もこんな気分だったんだろうか」
「……ナイアが貴方の事だけ、日記に書き連ねるようになったら教えてあげますよ、ご主人」

 純粋なナイアの笑顔に、俺たちは苦笑いで答えるのだった。
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