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38_終幕

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 そこには、いつもの温和な笑みは消え去り、険しい表情をしたジェームズが立っていた。
 彼の背後には警備隊が控えている。

 第一王子の登場に、口元を歪めたのはロリスタン公爵であった。

「おお!殿下ではありませんか!お助けください。ロテスキュー伯爵が何を血迷ったのか、私の大切な子供たちを攫おうと…殿下はいつも孤児たちに目をかけてくれておりましたよね!?その子供たちの危機なのです!どうかお助けを!」

 ロリスタン公爵とジェームズ殿下は共に孤児院を支援し、親交も厚い。
 もし、アステラス帝国との友好関係を強固なものとするために、帝国で強い権力を持つ大公爵に取り入ろうと考えているのなら――アイビスたちの敵となりうる。

 窮地に登場したジェームズ殿下は、果たして敵か、味方か。

 ロリスタン公爵を一瞥したのち、スッと鋭い視線をアイビスに向けるジェームズ。夜会で初めて謁見した日以来、何度もこの目に射抜かれてきた。

 やはりジェームズ殿下もロリスタン公爵に加担していたのか――
 今度こそ、ダメかもしれない――

 アイビスがグッと拳を握りしめたその時。

「――捕らえろ」

 ジェームズが低く冷たい声音で、一言命令を下した。
 バタバタっと室内に帯剣した警備隊の面々が雪崩れ込み、瞬く間にアイビスたちを取り囲む男たちを捕縛していく。

 呆気に取られている間にも、ジェームズはシャラリと剣を抜くと、その切っ先をロリスタン公爵の喉元へと突きつけた。

「で、殿下……?何を……」
「ふっ、ネイサン。お前は本当にとんだ狸だな。ようやく尻尾を掴むことができたよ」
「くっ……」

 そう吐き捨てるように言われ、ロリスタン公爵も一転して悔しげに表情を変えた。

「言い訳は牢の中で聞いてやる。観念することだ」
「くそっ…」

 ジェームズに威圧され、ロリスタン公爵はへなへなと膝から崩れ落ちてしまった。
 素早く警備隊の隊員によって猿轡さるぐつわを噛まされ、手首を縛られて連行されていく。
 去り際に、アイビスに忌まわしげな視線を向けたが、グイッと縄を強く引かれて引きずられるように連れて行かれた。

「まったく。本当に人の忠告を聞かないお転婆娘だな、君は」

 ロリスタン公爵と実行犯の男たちが連行されると、いつもの表情に戻ったジェームズは、呆れたような怒ったような目でアイビスを見据える。

「ジェームズ殿下……助かりました。ありがとうございます」
「ああ、色々聞きたいことも言いたいこともあるが、まずは彼女たちを安全なところへ連れて行こう」

 ジェームズの視線の先には、一連の騒動に怯えながら肩を寄せ合う少女たちの姿があった。ベティが懸命に声をかけて安心させてくれていたようだが、この先どうなるか不安なのだろう。

 少女たちを連れて屋敷を出ると、正門の前にエリザベスの姿があった。

「ベティ!あぁっ、無事だったのね!心配したわ!」
「お姉様!」

 ベティの姿を目にするや否や、エリザベスは駆け出して思いっきりベティを抱きしめた。

「信じてはいたけれど、心配したのよ。怪我はない?」
「はい。アイビス様がすぐに助けに来てくださいましたから」

 この場所のことは事前に手配していた軍の伝令役に伝えてもらっていた。もちろん伝令役の手配はアイザックの助力によるものである。
 アイビスたちは事前に何度もあらゆる可能性について話し合っていた。ロリスタン公爵の別邸であるこの屋敷も、疑わしい場所として候補に挙がっていた。

「エリザベス。それで――」
「ええ、連れて来ておりますわ。チャーノさん、出ていらっしゃい」

 アイビスが全て言い切る前に、物陰からチャーノが駆けてきた。

 エリザベスにはうまくチャーノを連れ出して、保護してもらうように頼んでいた。そして、アイビスたちがベティの行き先を突き止めたら、その場所に連れてきてもらうように事前に決めていたのだ。

「お、お姉ちゃんっ」
「ティア…!」

 チャーノとティアは、互いの姿を確認すると、大きく目を見開き、ボロボロと大粒の涙をこぼした。もつれる足を懸命に動かしながら、互いの元へと駆けて行く。チャーノが転びそうになるティアの身体を抱きとめるようして、二人は存在を確認し合うように硬く抱き合った。





◇◇◇

 三日後、アイビスとヴェルナーは王城のルーズベルトの執務室にいた。

「それにしても、君たちが突入する必要はなかったんじゃないか?場所さえ突き止めればどうにかなっただろうに」

 部屋に着くなりチクチクと苦言を垂れているのは兄のアイザックである。
 アイビスたちの協力者かつ軍部を的確に動かした功労者であるアイザックも、詳しい事情を知るべきだと招集されたのだ。この三日間、多忙を極めていたため、美しい瞳の下には濃いクマができている。

「あはは……だから何度も謝っているじゃない。それにそのことは事前にも話していたでしょう?」

 呆れ顔のアイザックの言い分はもっともであるのだが、周囲の反対を押し切ってでもアイビスが突入したのには理由があった。

「ロリスタン公爵が疑わしいことは明白だったけれど、ジェームズ殿下の思惑が分からなかったし、公爵の取引相手を知るために、恨みを買っている私が矢面に立つのが手っ取り早いと思ったのよ」
「それでもなあ……はぁ、まあお前はやると言ったら聞かんからな」

 ハァァ、とアイザックが何度目か分からない深いため息を吐いたタイミングで、執務室をコンコンとノックする音がした。
 返事をすると、ルーズベルトとエリザベス、そしてジェームズが続けて入室した。

 アイビスたちは素早く立ち上がると、王族たちへお辞儀をした。ジェームズがにこやかな笑顔でアイビスたちに着席を促し、一同は席についた。

「やあ、忙しいのに登城してもらって悪いね。君たちにも事の顛末を話しておこうと思ってね」

 それから、ジェームズはロリスタン公爵や実行犯の男たちを締め上げて聞き出した情報を話してくれた。彼らは黒幕のロリスタン公爵が捕まったことで、特に隠し立てする必要をなくし、素直に供述しているようだ。
 その中に十年前アイビスを誘拐しようとした男も含まれていたため、十年前の事件についても罪が問われることになるだろう。

 第一王子と懇意にしていると思われていたロリスタン公爵であるが、実は第二王子擁立派の筆頭であったという。
 表面上はジェームズと親しげに接していたが、ジェームズが立太子の暁に取り組もうと計画されている大幅な事業整理や法の改正で、秘密裏に違法スレスレの事業に手を出していたロリスタン公爵は尋常ならざる損害を出すことが見込まれていた。

 また、アステラス帝国を裏で操るサルバン・アストリアル大公爵と交流があったロリスタン公爵は、ブロモンド王国での大公爵となるべく画策していた。第二王子擁立の立役者となることで、政治への介入を目論んでいたのである。その後ろ盾として帝国の大公爵との繋がりを強めたいロリスタン公爵は、大公爵の異質な嗜好に狙いをつけ、貢物として少女たちを贈ることに思い至った。

 その第一歩として行われたのがアイビスの誘拐未遂事件であった。
 誘拐が未遂に終わり、街中の警備が強化されたことで、ロリスタン公爵は別の手法で少女を手に入れようと考えた。そこで目をつけられたのが身寄りのない孤児院の子供たちだった。

 当時から既にロリスタン公爵を警戒していたジェームズは、その目論みを露見させるために公爵に近づいた。公爵家の事業や収支報告書に不自然な点を見つけて訝しんでいたことも理由の一つであるが、ロリスタン公爵が急に孤児院への支援に力を入れ始め、養子を受け入れる頻度が増加したためである。
 ロリスタン公爵はジェームズが頻繁に孤児院に出入りし、引き取った子供たちのその後についても執拗に介入していたため、すぐにアステラス帝国に少女たちを売り飛ばすことができずに二の足を踏んでいた。
 一向に取引が成立しないことで、大公爵からも関係を断つ話を切り出されたロリスタン公爵は、最後の手段として、大公爵がブロモンド王国を訪れる国交樹立十周年の催事を利用し、直接大公爵に少女たちを引き渡そうと考えた。大公爵の来訪が決まった頃から、引き取った養子の中から少しずつ別邸に少女を移して帝国に渡らせる準備を進めていたのである。

 ちなみに、ベティを誘拐したのは、一度目の誘拐未遂及びアイビスへの襲撃で結果を残せなかった男たちの独断だったようだ。結果として少女たちが囲われていた屋敷の特定に繋がったのだが。

「大公爵についても、余罪がどんどんと明らかになっているようだ。異国の少女たちを人身売買にも近い形で迎え入れていたとなると、流石の大公爵も弁明の余地がないな。王位が継承されるこの機会に腐敗政治の根幹であった大公爵を排することができて僥倖だろうね。王太子からお詫びと感謝の手紙が届いたよ」

 ジェームズは、アステラス帝国の王太子とも親交が深く、手紙でのやり取りも頻繁に行なっているのだとか。
 その中で、大公爵の嗜好についても知ることとなり、ロリスタン公爵との繋がりを疑っていたようだ。
 王位継承前に、大公爵を排除して政治をやり直せると、帝国の王太子は息巻いている。

「それにしても、ヴェルナー、君の奥方は本当に手綱を握ることが難しいじゃじゃ馬だな」
「はは…返す言葉もありません」

 呆れ顔でジェームズに言われ、ヴェルナーも苦笑を返す。そんな二人のやりとりが面白くないアイビスは、ブスッと仏頂面をした。

「危うく僕の長年の苦労が水泡に帰すところだったよ」
「申し訳ございません……」

 度々アイビスに釘を刺してきた背景を知り、なんとも居た堪れない気持ちとなる。ジェームズの思惑を知らなかったとはいえ、アイビスはちょっぴり彼を疑っていたのだから。

「今回については結果オーライだったけど、あまり危険なことに関わることはやめるんだよ。さて、大公爵も帝国に引き渡したし、ネイサンの爵位剥奪も決まった。実刑についてはこれから詰めていくが、重い処分を下すつもりだ」
「ええ。この国の宝である子供たちに手を出したのですもの。当然ですわ」

 エリザベスも妹が巻き込まれたこともあって、目を怒らせている。

「何はともあれ、怪我人も出さずに事件を収められたのは君たちの助力があったからだ。この国の王族として礼を言う。国王も今回の件については心を痛めていてね。君たちには何か褒美を取らせると言っているんだが、希望はあるかい?」

 膝に肘をついて組んだ手に顎を乗せ、にこやかに問うジェームズの目には柔和な優しさを滲んでいた。

 アイビスとヴェルナーは顔を見合わせて、しばし考え込んだ。そして、顔を上げたアイビスが真っ直ぐにジェームズの目を見て口を開いた。

「では――」
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