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09_朝食のひと時

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「あら……ここは?」

 翌朝、アイビスは目を覚ますと見慣れない天井にしばし施行が停止した。覚醒し切っていない頭で、(ああ、そうだ。昨日結婚してヴェルナーの家に来たんだった)と思い至ると、うーんと伸びをしてベッドから降りた。

 シャッとカーテンを開いて朝日を浴びると、次第に頭も明瞭さを取り戻す。いつもより少しだけ日が高い。ちょっぴり寝坊をしてしまったようだ。

 軽く寝起きのストレッチをしてから、アイビスは枕元に置かれたベルを手に取った。ベルには黄褐色のリボンが巻かれており、夫となった人物を連想させてほんのり頬が熱をもつ。
 軽くベルを振ると、チリン、と心地よい音が鳴り、しばらくしてからサラが部屋までやってきた。

「おはようございます。奥様」
「お、おはよう……その、奥様はやめてちょうだい…今まで通り呼んで欲しいわ」
「ふふ、かしこまりました。アイビス様」

 美しいお辞儀をして、カートに朝の支度に必要なものを乗せたサラが慣れた手つきで準備を始める。差し出されたボウルにはぬるま湯が張られており、顔を洗うと幾分かスッキリとする。

 昨日は正直寝付きが悪かった。その理由は明らかなのだが、果たして慣れる日は来るのか甚だ疑問である。

 髪をといて化粧水で肌を整え、控えめに化粧をしてもらう。髪はポニーテールにして三つ編みをしてもらった。

 服を選ぶ時に、いつものパンツスタイルを指差しかけて、ふと考え直した。

「……こっちのデイドレスにするわ」
「かしこまりました」

 薄水色のデイドレスを選び、袖を通す。もうアイビスは仮にも人妻である。それにここは実家のアルファルーン家ではないのだから、装いにも気をつけねばなるまい。

「では、サロンへ参りましょう。ご主人様がお待ちですよ」
「え?ヴェルが?」
「はい、一緒に朝食を、と用意を進めております」
「そう……待たせてるなら早く行かなきゃね」

 一緒に朝食を食べるために待っていてくれたことが素直に嬉しくて、アイビスの口元には自然と笑みが広がる。
 その様子を微笑ましげに見つめながら、サラが扉を開けてサロンまで連れて行ってくれた。



 ◇◇◇

「おはよう、アイビス」
「おはよう、ヴェル。ごめんなさい、少し寝過ぎたみたいね」
「ふっ、気にするな。それにそこまで寝坊という時間でもない」

 サロンに着くと、そこには色とりどりの植物が花を咲かせていて、とても美しかった。幼い頃はここでよく遊んだものだが、入るのは久しぶりだ。

 駆け回る幼い自分達が目に浮かぶようで、アイビスは懐かしさに目を細めながら、ヴェルナーの隣に腰を下ろした。

「懐かしいな。よくここで遊んで母上に叱られた」
「あはは、そうだったわね。お義母様が大事に育ててたお花の周りで走り回っていたから」

 ヴェルナーも幼い日のことを思い出していたらしく、優しい眼差しで辺りを見回している。

「この場所で、アイビスと夫婦として過ごせることが幸せだ」
「も、もう……」

 視線をこちらに戻して囁かれた愛の言葉に、アイビスは目を泳がせる。パタパタと熱った頬を仰いでいる様子さえ、ヴェルナーは嬉しいらしく、食事の用意が整うまでアイビスを見つめながら朗らかな笑みを携えていた。




「わぁ……美味しそう」

 テーブルの上には、ふわふわのオムレツに焼きたてのパンが数種類、ジャムの種類も豊富で、カリカリに焼かれたベーコンや新鮮なサラダまで、視覚的にも楽しい鮮やかな食事が並んでいた。

 きゅぅぅぅ……

 いつもより時間が遅いこと、目の前に美味しそうな食事が並んだこと、焼きたての香ばしい香りが鼻腔をくすぐったことが相まり、アイビスの腹の虫は素直に空腹を知らせた。

「ふはっ、アイビスは腹の虫も可愛いな」
「なっ……!?は、恥ずかしいから触れないでよ」
「悪い。それじゃあ食べようか」
「うう……いただくわ」

 お腹が鳴った羞恥心が抜けきらないまま、アイビスは神に祈りを捧げてからフォークとナイフを手に取った。
 むぐむぐとサラダやパンを頬張り、幸せを噛み締めているアイビスを、ヴェルナーは愛おしそうに見つめている。

「ふっ、子供みたいだな」
「え……あっ!」

 とろとろオムレツを口に含んでうっとりしていたアイビスの口元を、ヴェルナーが指でぐいっと拭った。ケチャップがついていたのである。
 慌てて口元をナプキンで拭うアイビスであるが、ヴェルナーは止める間もなくケチャップのついた指をちゅっと音を立てて吸った。

 その姿があまりに色っぽく、アイビスは恥ずかしさやら何やらで顔から火が出るかと思ったのだった。



 ◇◇◇

「あ、ねぇ、昨日聞きそびれたんだけど…」
「うん?」

 食後の紅茶で一息ついた後、アイビスが口を開いた。

「昨日のパーティで、メレナと話していたじゃない?学園時代のこととか……エリザベスのこと」
「ああ」

 アイビスが気にしていたのは、学園時代に遠巻きにアイビスの噂話をしていたご令嬢たち、そして果敢にアイビスに挑んできたエリザベスのこと。

 ヴェルナーは合点がいったとばかりに頷くと、グイッと紅茶を飲み干してカップを戻した。

「アイビスは綺麗で格好いいからな、どうしても注目を集めてしまうんだよ」
「何よそれ?」
「まあ、これからエリザベス嬢や他のご令嬢と嫌でも顔を合わすだろう。その時に挨拶がてら聞いてみるといい」
「ええっ!?聞くって、何を」
「自分のことをどう思っているか?」
「そ、それはハードルが高いわね……」
「大丈夫、俺がついてるし、不穏な空気を感じたらフォローするから」
「ヴェルがそう言うなら……頑張ってみるけど」

 正直なところ、エリザベスに対しては苦手意識を抱いているアイビスであるため、不安な気持ちの方が大きい。これから先、ヴェルナーと共に夜会に出ることも増えれば、きっとそこにエリザベスもいるはずだ。

(うまく話せるかなぁ……ギスギスするより仲良くなれたら素敵だとは思うけれど。彼女はそうは思っていないでしょうし)

 うーん、と唸るアイビスの頭を安心させるように撫でると、ヴェルナーは徐に立ち上がった。

「さて、俺はこれから今後の仕事の話をするために王城に行かないといけない。アイビスはのんびりしていてくれ」
「えっ、今から?玄関まで見送ってもいい?」

 仕事に出る夫を見送るのも妻の務め。そんな両親の姿を見て育ったアイビスも、ヴェルナーを見送りたいと考えて発した言葉であった。
 ヴェルナーは僅かに目を見開くとアイビスの手を取り立ち上がらせ、ギュッと強く抱きしめた。

「っ!?!?」
「嬉しい。ありがとう。でも、アイビスと離れがたくて家を出れなくなりそうだ」

 本当に嬉しそうな笑みが、耳のすぐそばで溢れる。甘い言葉は耳から侵入してアイビスの脳を痺れさせる。

 その後、渋るヴェルナーを宥め、アイビスは仕事に向かう夫を何とか無事に送り出せたのであった。
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