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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/死闘編

Part32 輝きの残渣/心を持つアンドロイド

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「おねえちゃん」

 ポツリと不安げに寂しそうに言葉を漏らす。それは会ったばかりの姉がこのまま会えなくなるかもしれないという痛烈な不安だった。その不安に怯えるフローラの肩を背後からそっと叩く者がいる。

「どしたん? なに怖がっとんねん?」

 声のする方を振り向いてその人物の名を呼ぶ。

「市野さん?」
「はいな」

 丸顔丸メガネ、鷹揚でおおらか、恰幅がよくて、人の良いコメディアン的な雰囲気が持ち味だった。関西の出身で某理系大学で物性学を中心に新素材開発の世界で活躍してきた博士号保持者である。その素材開発の技術力の素晴らしさから〝素材の神様〟の異名を持っている。
 D班の主任研究員、市野正志である。
 ワイシャツにネクタイに白衣姿。デッキシューズ履きで歩きながらフローラの隣へと回り込む。そして、その右手に持っていたペン状のアイテムを持ち上げてフローラの頬へとあてがった。

「え?」

 驚きの声をもらすフローラに市野は穏やかに語りかけた。

「ちょっと失礼するで」

 市野がフローラの頬にあてた物、それは精密な光学分析装置のペン型のカメラだった。それと連動したパッド型のモニターに映し出したのは、フローラの頬の状態である。

【 拡大倍率:200倍           】
【 比較参照モード             】
【 >事前サンプリングデータと比較参照   】
【 〔チェックスタート〕          】

 光学系の高度分析機を用いて人造皮膚の表面状態をチェックする。回答はすぐに出た。

【 劣化度判定:-0.012        】
【 参照劣化限界値:-0.720      】 
【 自動回復可能限界値:-0.255    】
【 判定:自動回復可能           】
【 状態:極めて良好            】

 モニターに示された結果をチェックして市野は頷く。

「よっしゃ、だいたいこんなもんやろ。あっついナパーム被った聞いたからどないなっとるか気になってな」
「あっ、ありがとうございます」
「そんなお礼、言われる程のこっちゃ無いがな。基本となる下地作り、それがワイの仕事やさかいな」
「えっとじゃあ」
「問題なしや。これからもおまはんの仕事、きっちりこなせるやろ」
「よかった。安心しました」

 フローラとしても作り手に問題無しと言われて安堵するものがあったのだろう。素直に歓びながら安堵を口にする。

「ほんと言うと、心配だったんです。あれだけの熱攻撃をまともに食らって大丈夫なんだろうか? って――」
「そらわいかてそうやがな。限界温度1000超、そう決めて作ったおまはんの皮膚やけど、そこに900度やろ? 多少の誤差はあるし、実験室と現場はちゃうやん? 万が一ちゅう事もあるしな」

 そして相好を崩して笑いながら市野は言った。

「正直思うたで。勘弁してぇなって。火災現場の火やのうて、軍用のナパームやで? どんだけハードやねん! ていう話や。ほんまションベンチビリそうになったがな。しのぶはんには耐熱限界はきっちり守って、そいで別嬪さんなるよにしっかり作る約束したさかいな。約束できてなかったらわてシバカれるがな。でもまぁ、まずは一安心や」

 にこにこと笑顔を浮かべたままに陽気に喋る。その軽妙な口調にフローラも思わず笑顔では居られなかった。小脇にペン型センサーとスマートパッドを抱える。そして、傍らに佇むフローラの顔を見つめながら市野は言った。

「でもな、もうちょこっとだけ治っとらんところあるねん」

 その妙なニュアンスの言葉にフローラはポカンとする。

「え? 治ってないところ? ――ですか?」
「せや」

 市野ははっきりうなずきながら、そっと告げた。

「おまはんの〝心〟やがな」

 思わず突きつけられた言葉にフローラは思わずハッとなる。それでも何かをこらえてぐっと噛み締めている。レスキューに、人命救助に、救急に、身を置く運命だと理解した時から泣き言は言わないと叩き込まれたからだ。
 だが市野の言葉はそれの逆を行った。

「なぁ、フローラはん」

 市野はそっとフローラの肩に手を載せる。

「泣いてええんやで?」
「泣く?」
「そや――」

 市野はうなずきながら告げる。

「ええか? 心を殺すことと、我慢することはちゃうで? 仕事から離れたら、心を素直に弾けさせてかまわんのや! あんさんはしっかり仕事こなしたんや。フィールを立派に助けて、しかもあないなすごい現場で戦って勝ってきたんや! な? そうやろ?」

 フローラは口元を震わせながら市野の言葉にうなづいていた。

「だったら――」

 市野は小脇にかかえていた道具を床に置く。そして、フローラの両肩にそっと手を置いた。

「泣きなはれや! 心配なんやろ? 大好きなフィール姉ちゃんの事が? あこがれてあこがれて、会いたくて会いたくて、正式ロールアウトをずっと待ってたんや。おっかない消防の人らとの辛い訓練もずっと頑張ってきたんやろ? それがこないな事になって悲しない寂しないはず無いがな! そうやろ?」
「う――、はい……」

 特攻装警にはある絶対のルールがある。正式着任が完了しロールアウトが終わるまでは他の特攻装警との接触も面会も一切が禁じられている。有明のグラウザーのケースは例外中の例外なのだ。育成上の理由や機密事項の問題などが絡んでいるが、絶対に曲げられないルールなのだ。
 それはフローラも同じである。自分に同系機がいる。すなわち〝姉〟が居るという事実。それを認識したときにフィールと言う存在は強いあこがれだった。
 会いたい、話したい、触れ合いたい、そして、認めてもらいたい。
 その思いが彼女を成長させる源だったのだ。
 市野の強い語りかけに、フローラは思わず心の堰を切ってしまう。そしてその場に響いたのはフローラの泣き声である。

「う、わぁ――わぁああああああっ!」

 ほんの少し前まで姉を抱いていたその手でフローラは自分の顔を覆う。それでも涙は止まらない。押さえ込んできた感情は一気に溢れてそれ以上は言葉にはならなかった。
 市野はフローラを抱きしめてやる。強く、暖かく、深い包容力で。

「大丈夫、大丈夫や! フィールは死なん! だれも死なさへん! ええか! ここにはな! 日本で最高の技術者がそろっとんねん! めっちゃすごいヤツぎょうさん居るねん! かならず助ける! だからな! 安心せい! ええな!」

 強い、なによりも強い、励ましを耳にして、フローラはコクリと頷いていた。

「行くで。装備外して休憩や。ええな?」
「はい――」

 それはもはや機械ではない。人間の模倣ではない。
 警察が治安をアンドロイドと言う機械に委ねると言う決断を下してから、人間に寄り添い、人間を理解し、人間と心を通じ合える存在であるべきとして、特攻装警と言う存在は作り出されたのだ。
 それはすなわち――

『心を持つアンドロイド』

 人と同じ情緒を持つ。それが果たされた存在なのだ。
 だが、それは成功だけでなく、重い十字架をもたらすことにもなる。
 フローラが抱く姉フィールへの思いはその一つだ。
 喜びがあり、怒りがあり、楽しみがある。
 そして、哀しみも装備されているのだ。
 
 市野は床に置いておいた道具を拾い上げると小脇に抱える。もう片方の手をフローラの方へと差し出して彼女の手を握りしめる。そして、未だ涙を止めることができぬフローラの手を引きながらこう声をかけたのだ。

「ほないくで」
「はい」

 市野の優しい温かい声に、フローラは頷いていた。そして2人の姿は所内へと消えていったのである。
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