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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編
Part24 静かなる男・後編/かくて酒宴は始まる
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ママノーラは過去への憧憬の記憶を類っていた。
始末された兄、望まれない子であった娘、無残に殺された弟――
そして最悪の状況下に立たされていたときに現れたウラジスノフ。
今の彼女があるのは間違いなくウラジスノフの尽力があってこそだ。彼が自らが持てる力をすべて注ぎ込んで造り上げた精鋭部隊〝静かなる男〟――その戦闘力があってこそゼムリ・ブラトヤは生き残ってこれたのである。
だが――
「何が引っかかってるのか――」
ママノーラは苛立ちの中にあった。もう少しで明確になりそうな答え。だがそれがあと少しのところで見えてこない。そんな彼女に付き人の少年が問いかける。
「ママノーラ」
「なんだい?」
「御髪(おぐし)にゴミが」
そう告げて従者の1人が彼女の髪がゴミを取る。どこかでついた小さな埃だ。
「あぁ、ありがと――」
普段からよく気がつく若い従者に礼を言おうとしたその時である。
「髪――?」
そのつぶやきの後に彼女の前方の空間上に展開されている様々な参照映像の中の一つに視線が向く。その先に居たのは特攻装警第7号機、6体目のアンドロイド警官。そして、最も新しく現場配備された最新鋭の一体。その名をグラウザーと言う。彼の髪は亜麻色がかった茶色だ。
「なんで――」
そしてやおら立ち上がると周囲の目線を一切気にせずにママノーラは言った。
「なんで今まで気付かなかった? こんな大切なことに」
苛立ちと驚きとそして不安が入り混じったつぶやき。その声に声を掛けたのは王之神だ。
「どうなされた。ママノーラ」
「あぁ、ちょいと肝心なことを忘れててね。野暮用ができた席を外させてもらうよ」
だがその問いにはそっけない声しか帰ってこない。かえってその素っ気のなさが帰って周囲の関心を集めていた。だがそれらを気にせずにやおら立ち上がり立ち去ろうとする。そこに背後から声をかけたのはファイブである。
「お待ちください。ママノーラ」
「なんだい、ファイブ。先を急ぐんだ。後にしとくれよ」
「そうも行きません。先程の〝鍵〟が外れました。ですがその中からあなたにとても重要な事実が確認できました。話だけでもお聞きください」
ファイブのその言葉に立ち止まり背後を振り返る。
「手身近に頼むよ」
「えぇ」
ママノーラは振り返ったが席に腰を下ろすことはなかった。その状況を察して返答も早々にファイブはさらに画像を展開する。
「FSBが英国側に公開したのはロシア領土内でのディンキー・アンカーソンの行動実績についてです。その中でも特に重要とされている3件。それらの詳細が提供されています」
「ロシアだって?」
ファイブが語る言葉に呼び起こされる記憶がある。
「まさか、その中に〝ウラジオストック〟での一件は入ってないだろうね?」
「もちろん入っております。中央アジア国境付近穀倉地帯、ウクライナ紛争地域、そして、極東ロシア中ロ国境付近――、これら3つの地点における〝ベルトコーネ〟暴走についての詳細なデータが含まれていました」
「極東ロシア? まさか――」
ママノーラはその脳裏に思い出したくもない最悪の記憶が封印が解かれていることを感じずには居られなかった。だがファイブにはそれを遠慮する義理はなかった。事実を事実として情報を情報として正確に伝えるだけである。
「この中でも最初に起きたのは極東ロシアのウラジオストックでの港湾地区密入国案件。散発的に遭遇戦が行われた後にディンキー一派は中ロ国交付近へ向けて逃走しました。その際にウラジオストックで活動する複数のマフィアがディンキーのマリオネットたちによって惨殺されています。ママノーラ、あなたの弟君の一件ですね」
蒼白となりかけるママノーラにファイブはなおも畳み掛けた。
「その後、国境付近の無人森林地帯にて局地戦が展開され、激戦の末に――おっとこれはヒドい。局地戦用の小型核砲弾まで投入されている。しかし、その後に取り返しのつかない事態が発生している」
ファイブの言葉に声をかけたのは天龍だった。誇張とも取れる表現に訝しげにしている。
「取り返しのつかない事態だと?」
「はい、ロシアFSB当局が〝破局的暴走〟と呼んでトップシークレットを敷いた案件です。やつは――、ベルトコーネは、幾つかの条件がそろうと通常の中枢頭脳をシステムから切り離します。そして骨格システムの内部に収められた〝第2の頭脳〟が起動する。そして一切の人間的感情を凍結して身の回りの物体や生物や人間を余すところなく破壊し鏖殺し続ける」
その発言を裏付けるように、ベルトコーネが破局的暴走を起こした現場の写真画像の幾つかが映し出された。豊かな森林地帯は無人の荒野となり、穀倉地帯が一切の実りを産み出さない砂塵と化している。唯一の市街区域であるウクライナ都市部では大規模核を打ち込んだかのような瓦礫と死体の山が連綿と続いていた。そのあまりに残虐極まる光景に、天龍もママノーラも、ペガソも、もちろん王ですらも一切の言葉を失っていた。
だがファイブは淡々と続ける。
「そして、特にこれが重要ですが――やつが持つ固有特殊機能である〝慣性質量制御システム〟を制限無しで行使し続ける」
「質量制御だと?」
ペガソが驚きの声をだす。
「そんなのどうやって?」
「さすがにそこまでは解っていません。全くのブラックボックスです。ですが――、これが重要ですが、破局的暴走が発生したら停止させられるのは現時点ではヤツの主人たるディンキー・アンカーソンただ1人。それ以外に抑止する手段は確認できていません。つまりいったん暴走が始まれば、この東京アバディーン全域が、このウクライナ都市部と同様に一面が瓦礫と化しても不思議では無いということです。そしてここからがあなたに最も重要な点ですが」
ファイブは顔を上げママノーラをじっと見つめながら告げた。
「このウラジオストック西方での破局的暴走によって発生した戦死者の中に居たのが、あなたの部下、ウラジスノフ氏の一人息子のミハイル君です」
そしてファイブはデータを検索する。
【 ロシア連邦軍、在籍兵士データベース 】
【 検索氏名:ミハイル・ポロフスキー 】
【 検索条件:死亡、または作戦中消息不明 】
【 >該当データ確認、データ表示――……
探ったのはロシア連邦軍に在籍した兵士全てののパーソナルデータベースだ。その膨大なデータの中から、ウラジスノフのあの一人息子のミハイルの顔写真を呼び出したのである。
「人種は、父親のウラジスノフ氏は生粋のロシア人ですが、奥方様が日露混血だったのですね。そのせいで髪が露系のよくあるブロンド系ではなく〝亜麻色がかった茶色〟をしてますね」
そしてファイブはミハイルとグラウザーの画像を隣り合わせに並べた。それはまさに瓜二つと言うにふさわしい代物であった。露系の顔立ちに4分の1だけ日本人の顔立ちが交じることで、同じく日本人の顔立ちをベースとしてアレンジメントされたグラウザーの顔面インターフェースに酷似した顔立ちが出来上がったのだ
それは運命の神が招き寄せた究極の皮肉であった。
そして天龍が告げる。
「なるほど、アイツの体についている〝ベルト〟はその破局的暴走ってヤツの緊急停止のためってわけだ」
「えぇ、そうです。ですがその緊急ブレーキを引く者はもはや存在しません。やつが〝破局的暴走〟を完全に引き起こしたら、もはや事態解決の手段は残されていないと見るべきでしょう」
それは死刑宣告に等しい言葉だ。だが、この部屋に集まっているのは、この大都市の闇を掌握する巨悪のトップたちである。いかなる非常事態も乗り越えてきたからこそ、今日のポストに上り詰めて維持し続けているのである。真っ先に動いたのはもちろんママノーラである。
「行くよ。お前たち」
「да」
ママノーラに付き従う二人の側近が即座に行動を開始する。一人がドアを開け、もう一人がママノーラの背後で身辺を確かめる。そしてドアをくぐる際にママノーラは振り向かずに告げたのだ。
「ファイブ」
「はい」
「ありがとよ。大事な事を思い出させてくれて」
ママノーラは人格者である。いかなる利益でも提供されたものに対しては、必ず返礼する主義である。
「この借りは必ず返すよ」
「いえ、わたしは得られた情報を適切に解析し提供しただけです。ママノーラも判断を誤る事のないようにお気をつけください」
「忠告、ありがとうよ」
そして音もなく静かに扉を締めると彼らはその向こうに姿を消していった。
その姿を尻目に即座に動き出したのは天龍である。スマートフォンを取り出すと何処かへと連絡をとる。
「俺だ――迎えに来い――陸路ではなく船で来い。ダストフォレストの北側にて落ち合う――よし。それでいい。それと鉄砲玉を用意しろ――そうだここで見聞きした物が重要な鍵となる」
そしてスマートフォンを切りながら立ち上がり、そして無言のまま足早に扉を開けるとその向こうへと姿を消して行った。かたやペガソもまた行動を開始していた。右の耳に手を当てて何処かへと意識を集中させている。数秒ほどして先方へと繋がったらしい。
「¡Hola!」
スペイン語での電話での問いかけのフレーズで日本語なら『もしもし』にあたる言葉だ。
「ペガソだ。すぐに眼や耳の利く兵隊を街にトバせ。こう言うお祭り騒ぎならあのピエロ野郎が、絶対何処かで高みの見物を洒落込んでるはずだ。なんでもいい。どんな情報だろうがかき集めてこい!」
そして通話を切ると右手を耳から離す。それはまるで特攻装警のフィールがするように、体内回線で何処かへと通話しているかのようである。そして必要要件を伝え終えると、次はファイブに問いかけた。
「ファイブのダンナ。頼みがある」
「なんでしょうか?」
「アンタの目利きであのピエロ野郎がこの街に来ていないか見てもらいてぇ。やつの性格から言って絶対にこの街のどこかに来ているはずだ」
「なるほど、所在調査ですか。いいでしょう、僕もアナタと同意見です。奴はかならず来る」
「頼むぜ、代価はしっかり払う」
「期待していますよ。ミスターペガソ」
そして言うが早いか、ファイブは自らの周囲の空間にさらに多くの仮想ディスプレイを展開させた。彼が監視する対象は特攻装警やベルトコーネのみならず、さらにあの死の道化師へも広がったのである。
かたや全く動じずに、状況をじっと見守っていたのが王之神である。有能な部下たちが情報収集にすでに動いているためだ。そして泰然自若として構えている王に、ペガソはこう告げる。
「王のダンナ、もう少しここで待たせてもらうぜ」
「はい、そうぞご自由に。よろしければ御一献いかがですかな?」
「酒盛りかい。余裕だな」
「無論です。君子たるもの危機に臨してこそ動じぬものです」
「全くだ。俺もそう思うぜ」
軽やかに笑いながらペガソは立ち上がる。その膝に抱きかかえていた女官は、あれからずっとペガソの片手で弄ばれ続けている。全身にじっとりと汗をかき衣類も半分以上着崩れていて息も絶え絶えになっている。その彼女を姫抱きに抱えると、王老師の隣の席へと移動する。ペガソは彼女を開放することなく尚もその膝の上で弄び続ける。
「よほど、その女官がお気に目したようですな」
「あぁ、連れて帰りてぇくらいだがそれはやらない約束だからな」
「お帰りになるまで遊ばれるおつもりのようで。彼女もかなり切なそうだ」
「あぁ、女は乱れてこそ美しい。花も蜜を滴らせて満開に咲いている方が一番きれいだからな」
そう語るペガソの片手は女官の胸から足元へと移っていく。それはまるで獲物を絡め取った大蛇のように執拗であり力強かった。その力強さに魅了されるかのように、膝の上の女官の顔にはもはや諦めしか浮かんでいない。
「なるほど、名言ですな」
そんな言葉を交わしあいながら2人は女官たちが用意した老酒を盃を手にとった。そして社交辞令ながらファイブにも声をかける。
「時に、先生もいかがですかな?」
王老師の問いかけにファイブは軽く頷きながらこう答えを返したのだ。
「お気持ちだけ受け取っておきましょう。コレでも僕、下戸ですので」
メカニカルなルックスのファイブなりのジョークにペガソも王も笑みが漏れる。足元で起こっている危機的状況に瀕していても彼らは微塵も動じては居なかった。彼らは心得ているのだ。今は自らが動くべき状況ではないと。今宵、大局を俯瞰で眺める者と、必死に街角を駆け抜ける者とに真っ二つにわかれていたのである。
始末された兄、望まれない子であった娘、無残に殺された弟――
そして最悪の状況下に立たされていたときに現れたウラジスノフ。
今の彼女があるのは間違いなくウラジスノフの尽力があってこそだ。彼が自らが持てる力をすべて注ぎ込んで造り上げた精鋭部隊〝静かなる男〟――その戦闘力があってこそゼムリ・ブラトヤは生き残ってこれたのである。
だが――
「何が引っかかってるのか――」
ママノーラは苛立ちの中にあった。もう少しで明確になりそうな答え。だがそれがあと少しのところで見えてこない。そんな彼女に付き人の少年が問いかける。
「ママノーラ」
「なんだい?」
「御髪(おぐし)にゴミが」
そう告げて従者の1人が彼女の髪がゴミを取る。どこかでついた小さな埃だ。
「あぁ、ありがと――」
普段からよく気がつく若い従者に礼を言おうとしたその時である。
「髪――?」
そのつぶやきの後に彼女の前方の空間上に展開されている様々な参照映像の中の一つに視線が向く。その先に居たのは特攻装警第7号機、6体目のアンドロイド警官。そして、最も新しく現場配備された最新鋭の一体。その名をグラウザーと言う。彼の髪は亜麻色がかった茶色だ。
「なんで――」
そしてやおら立ち上がると周囲の目線を一切気にせずにママノーラは言った。
「なんで今まで気付かなかった? こんな大切なことに」
苛立ちと驚きとそして不安が入り混じったつぶやき。その声に声を掛けたのは王之神だ。
「どうなされた。ママノーラ」
「あぁ、ちょいと肝心なことを忘れててね。野暮用ができた席を外させてもらうよ」
だがその問いにはそっけない声しか帰ってこない。かえってその素っ気のなさが帰って周囲の関心を集めていた。だがそれらを気にせずにやおら立ち上がり立ち去ろうとする。そこに背後から声をかけたのはファイブである。
「お待ちください。ママノーラ」
「なんだい、ファイブ。先を急ぐんだ。後にしとくれよ」
「そうも行きません。先程の〝鍵〟が外れました。ですがその中からあなたにとても重要な事実が確認できました。話だけでもお聞きください」
ファイブのその言葉に立ち止まり背後を振り返る。
「手身近に頼むよ」
「えぇ」
ママノーラは振り返ったが席に腰を下ろすことはなかった。その状況を察して返答も早々にファイブはさらに画像を展開する。
「FSBが英国側に公開したのはロシア領土内でのディンキー・アンカーソンの行動実績についてです。その中でも特に重要とされている3件。それらの詳細が提供されています」
「ロシアだって?」
ファイブが語る言葉に呼び起こされる記憶がある。
「まさか、その中に〝ウラジオストック〟での一件は入ってないだろうね?」
「もちろん入っております。中央アジア国境付近穀倉地帯、ウクライナ紛争地域、そして、極東ロシア中ロ国境付近――、これら3つの地点における〝ベルトコーネ〟暴走についての詳細なデータが含まれていました」
「極東ロシア? まさか――」
ママノーラはその脳裏に思い出したくもない最悪の記憶が封印が解かれていることを感じずには居られなかった。だがファイブにはそれを遠慮する義理はなかった。事実を事実として情報を情報として正確に伝えるだけである。
「この中でも最初に起きたのは極東ロシアのウラジオストックでの港湾地区密入国案件。散発的に遭遇戦が行われた後にディンキー一派は中ロ国交付近へ向けて逃走しました。その際にウラジオストックで活動する複数のマフィアがディンキーのマリオネットたちによって惨殺されています。ママノーラ、あなたの弟君の一件ですね」
蒼白となりかけるママノーラにファイブはなおも畳み掛けた。
「その後、国境付近の無人森林地帯にて局地戦が展開され、激戦の末に――おっとこれはヒドい。局地戦用の小型核砲弾まで投入されている。しかし、その後に取り返しのつかない事態が発生している」
ファイブの言葉に声をかけたのは天龍だった。誇張とも取れる表現に訝しげにしている。
「取り返しのつかない事態だと?」
「はい、ロシアFSB当局が〝破局的暴走〟と呼んでトップシークレットを敷いた案件です。やつは――、ベルトコーネは、幾つかの条件がそろうと通常の中枢頭脳をシステムから切り離します。そして骨格システムの内部に収められた〝第2の頭脳〟が起動する。そして一切の人間的感情を凍結して身の回りの物体や生物や人間を余すところなく破壊し鏖殺し続ける」
その発言を裏付けるように、ベルトコーネが破局的暴走を起こした現場の写真画像の幾つかが映し出された。豊かな森林地帯は無人の荒野となり、穀倉地帯が一切の実りを産み出さない砂塵と化している。唯一の市街区域であるウクライナ都市部では大規模核を打ち込んだかのような瓦礫と死体の山が連綿と続いていた。そのあまりに残虐極まる光景に、天龍もママノーラも、ペガソも、もちろん王ですらも一切の言葉を失っていた。
だがファイブは淡々と続ける。
「そして、特にこれが重要ですが――やつが持つ固有特殊機能である〝慣性質量制御システム〟を制限無しで行使し続ける」
「質量制御だと?」
ペガソが驚きの声をだす。
「そんなのどうやって?」
「さすがにそこまでは解っていません。全くのブラックボックスです。ですが――、これが重要ですが、破局的暴走が発生したら停止させられるのは現時点ではヤツの主人たるディンキー・アンカーソンただ1人。それ以外に抑止する手段は確認できていません。つまりいったん暴走が始まれば、この東京アバディーン全域が、このウクライナ都市部と同様に一面が瓦礫と化しても不思議では無いということです。そしてここからがあなたに最も重要な点ですが」
ファイブは顔を上げママノーラをじっと見つめながら告げた。
「このウラジオストック西方での破局的暴走によって発生した戦死者の中に居たのが、あなたの部下、ウラジスノフ氏の一人息子のミハイル君です」
そしてファイブはデータを検索する。
【 ロシア連邦軍、在籍兵士データベース 】
【 検索氏名:ミハイル・ポロフスキー 】
【 検索条件:死亡、または作戦中消息不明 】
【 >該当データ確認、データ表示――……
探ったのはロシア連邦軍に在籍した兵士全てののパーソナルデータベースだ。その膨大なデータの中から、ウラジスノフのあの一人息子のミハイルの顔写真を呼び出したのである。
「人種は、父親のウラジスノフ氏は生粋のロシア人ですが、奥方様が日露混血だったのですね。そのせいで髪が露系のよくあるブロンド系ではなく〝亜麻色がかった茶色〟をしてますね」
そしてファイブはミハイルとグラウザーの画像を隣り合わせに並べた。それはまさに瓜二つと言うにふさわしい代物であった。露系の顔立ちに4分の1だけ日本人の顔立ちが交じることで、同じく日本人の顔立ちをベースとしてアレンジメントされたグラウザーの顔面インターフェースに酷似した顔立ちが出来上がったのだ
それは運命の神が招き寄せた究極の皮肉であった。
そして天龍が告げる。
「なるほど、アイツの体についている〝ベルト〟はその破局的暴走ってヤツの緊急停止のためってわけだ」
「えぇ、そうです。ですがその緊急ブレーキを引く者はもはや存在しません。やつが〝破局的暴走〟を完全に引き起こしたら、もはや事態解決の手段は残されていないと見るべきでしょう」
それは死刑宣告に等しい言葉だ。だが、この部屋に集まっているのは、この大都市の闇を掌握する巨悪のトップたちである。いかなる非常事態も乗り越えてきたからこそ、今日のポストに上り詰めて維持し続けているのである。真っ先に動いたのはもちろんママノーラである。
「行くよ。お前たち」
「да」
ママノーラに付き従う二人の側近が即座に行動を開始する。一人がドアを開け、もう一人がママノーラの背後で身辺を確かめる。そしてドアをくぐる際にママノーラは振り向かずに告げたのだ。
「ファイブ」
「はい」
「ありがとよ。大事な事を思い出させてくれて」
ママノーラは人格者である。いかなる利益でも提供されたものに対しては、必ず返礼する主義である。
「この借りは必ず返すよ」
「いえ、わたしは得られた情報を適切に解析し提供しただけです。ママノーラも判断を誤る事のないようにお気をつけください」
「忠告、ありがとうよ」
そして音もなく静かに扉を締めると彼らはその向こうに姿を消していった。
その姿を尻目に即座に動き出したのは天龍である。スマートフォンを取り出すと何処かへと連絡をとる。
「俺だ――迎えに来い――陸路ではなく船で来い。ダストフォレストの北側にて落ち合う――よし。それでいい。それと鉄砲玉を用意しろ――そうだここで見聞きした物が重要な鍵となる」
そしてスマートフォンを切りながら立ち上がり、そして無言のまま足早に扉を開けるとその向こうへと姿を消して行った。かたやペガソもまた行動を開始していた。右の耳に手を当てて何処かへと意識を集中させている。数秒ほどして先方へと繋がったらしい。
「¡Hola!」
スペイン語での電話での問いかけのフレーズで日本語なら『もしもし』にあたる言葉だ。
「ペガソだ。すぐに眼や耳の利く兵隊を街にトバせ。こう言うお祭り騒ぎならあのピエロ野郎が、絶対何処かで高みの見物を洒落込んでるはずだ。なんでもいい。どんな情報だろうがかき集めてこい!」
そして通話を切ると右手を耳から離す。それはまるで特攻装警のフィールがするように、体内回線で何処かへと通話しているかのようである。そして必要要件を伝え終えると、次はファイブに問いかけた。
「ファイブのダンナ。頼みがある」
「なんでしょうか?」
「アンタの目利きであのピエロ野郎がこの街に来ていないか見てもらいてぇ。やつの性格から言って絶対にこの街のどこかに来ているはずだ」
「なるほど、所在調査ですか。いいでしょう、僕もアナタと同意見です。奴はかならず来る」
「頼むぜ、代価はしっかり払う」
「期待していますよ。ミスターペガソ」
そして言うが早いか、ファイブは自らの周囲の空間にさらに多くの仮想ディスプレイを展開させた。彼が監視する対象は特攻装警やベルトコーネのみならず、さらにあの死の道化師へも広がったのである。
かたや全く動じずに、状況をじっと見守っていたのが王之神である。有能な部下たちが情報収集にすでに動いているためだ。そして泰然自若として構えている王に、ペガソはこう告げる。
「王のダンナ、もう少しここで待たせてもらうぜ」
「はい、そうぞご自由に。よろしければ御一献いかがですかな?」
「酒盛りかい。余裕だな」
「無論です。君子たるもの危機に臨してこそ動じぬものです」
「全くだ。俺もそう思うぜ」
軽やかに笑いながらペガソは立ち上がる。その膝に抱きかかえていた女官は、あれからずっとペガソの片手で弄ばれ続けている。全身にじっとりと汗をかき衣類も半分以上着崩れていて息も絶え絶えになっている。その彼女を姫抱きに抱えると、王老師の隣の席へと移動する。ペガソは彼女を開放することなく尚もその膝の上で弄び続ける。
「よほど、その女官がお気に目したようですな」
「あぁ、連れて帰りてぇくらいだがそれはやらない約束だからな」
「お帰りになるまで遊ばれるおつもりのようで。彼女もかなり切なそうだ」
「あぁ、女は乱れてこそ美しい。花も蜜を滴らせて満開に咲いている方が一番きれいだからな」
そう語るペガソの片手は女官の胸から足元へと移っていく。それはまるで獲物を絡め取った大蛇のように執拗であり力強かった。その力強さに魅了されるかのように、膝の上の女官の顔にはもはや諦めしか浮かんでいない。
「なるほど、名言ですな」
そんな言葉を交わしあいながら2人は女官たちが用意した老酒を盃を手にとった。そして社交辞令ながらファイブにも声をかける。
「時に、先生もいかがですかな?」
王老師の問いかけにファイブは軽く頷きながらこう答えを返したのだ。
「お気持ちだけ受け取っておきましょう。コレでも僕、下戸ですので」
メカニカルなルックスのファイブなりのジョークにペガソも王も笑みが漏れる。足元で起こっている危機的状況に瀕していても彼らは微塵も動じては居なかった。彼らは心得ているのだ。今は自らが動くべき状況ではないと。今宵、大局を俯瞰で眺める者と、必死に街角を駆け抜ける者とに真っ二つにわかれていたのである。
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