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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/グラウザー編
Part15 オペレーション/助手・朝〔チャオ〕
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足早に階段を降りればエントランスと通路があり、まずは診察室を兼ねた控室がある。そこに待機していたのは楊夫人と李大夫、そして朝の3人である。
楊も李もカチュアを連れてきた朝の素性については、あの若者たちから伝聞で聞いていたらしい。正体がバレていないのか、シェンを手伝う人物と言う設定のそのままに、すでに楊が用意した手術着に着替えを終えていた。
朝がシェンに問いかける。
「ようやく来たか、急いでくれ。チアノーゼと血圧低下が出始めている。おそらく輸血が必要だと思う」
朝は刑事である。それと同時に警察官の基礎知識として救急救命処置について基本的なことは必ず習得しているはずなのだ。それらの知識に加えて朝は独自に救急医療について学んでいる経緯がある。それらの知識を自ら駆使することで〝シェン・レイの補助役〟と言う肩書きをより信憑性のある物へと昇華させているのだ。
シェンが朝に問う。
「出血状況は?」
「外観から見るに頭部の打撃部位からの出血はさほどひどくない。しかし同様の事例を別の案件で見たことが有る。腹腔内にて出血が発生している。どこか重要な血管がキレたか、体内臓器に傷が付いている可能性がある。内臓破裂の可能性も考えられる」
朝は刑事である。刑事事件に立ち向かう刑事部の刑事である。傷害事件も、殺人事件も、また人の命が奪われる現場にも、何度も鉢合わせしている。朝も刑事としての経歴は伊達ではないのだ。
シェンは朝の所見に意見を述べた。
「大動脈や頸動脈の系統で出血しているならすでに事切れているはずだ。これだけ安定して持っていたと言うことはおそらくソレ以外、体外から衝撃を受けやすい臓器と言えば脾臓か腎臓、あるいは肝臓だな」
「俺としては脾臓か腎臓を疑いたいね。肝臓をやられたら即アウトだ」
「同感だ。すぐに検査しよう。状況によっては腹腔内手術を平行して行おう」
「頸部整復に頭部頭蓋骨の修復に脳挫傷の処置、それに加えて腹腔内手術で出血箇所の探索と修復――、難易度S級の手術のオンパレードだぜ?」
朝の不安げなニュアンスにシェンは落ち着いて答える。
「沒問題、この程度の手術は何度もやっている。一つ一つ対応すればいい。まずは頸部骨折部位の固定処置と腹腔内の出血だな」
「分かった。その順番で行こう」
「それでカチュアのへの処置は?」
「こっちだ」
手招きする朝についていけば、前部控室の奥、カーテンで仕切られた処置室にストレッチャーに載せられているカチュアが居た。頚部骨折の事があり簡易担架から下ろせないでいる。そのままの状態で幾つかの処置が施されていた。
口元には酸素吸入が取り付けられ、手首から点滴が行われている。細菌感染を防止するための抗生物質投与だろう。さらには着衣の襟元があけられて、すでに呼吸や脈拍や血圧などを得るためのセンサーの類がいくつも取り付けられていた。
シェンはその様子を視認しつつ足早に歩み寄る。
「確かに血圧は低いな。このまま低下するなら急がないと間に合わない」
シェンは小脇に抱えていたマントコートを楊に手渡していた。そんなシェンに李が問いかけてくる。
「シェン。随分と遅かったな」
「ちょっと野暮用でね。今回の事件の張本人に〝トドメ〟を刺してきた」
「あのベルトなんとかと言う白人風のアンドロイドか」
「あぁ、戦闘機能を封じて、何もできなくしてやった。あとはこの国の警察にまかせてきた」
「大丈夫なのか?」
その問いには日本の行政や警察などへの不信感がにじみでていた。それを朝が聞いていることを考慮してシェンは李と楊に向けて告げた。
「俺が自分の目で見極めて決めたんだ。普通の警察の範疇から外れた連中だが、かえってこう言う街の事情をきちんと解ってくれてる。信用できる奴らだから何も問題はないさ」
「そうか――アンタがそう言うなら何も言うまい」
李は溜め息つきながら同意する。そして間髪置かずに更に告げる。
「患者だがご覧のとおりだ。アンタが連れてきた補助役と一緒に前処置は済ませておいた。手術にも同席すると言うから必要な処置は済ませておいた」
「謝々、あとは任せてくれ。彼と――チャオと一緒にオペを開始する」
「判った。後のことは頼んだよ」
シェンは壁際のラックに収納してある幾つかのコンテナトランクの中から一つを取り出す。
【医療オペレーション用装備一式】
そう記されたコンテナを開けると、中にはさらなる特殊装備がならんでいるが、傍目にはそれらが医療用具だとは到底思えない。
両手首に付けるカフス状のブレス、頭部をすっぽりと包むフードマスク、幾つもの配線ジャックとコードリールが付いた分厚いチョッキ状装備、足元には足首から先だけをすっぽりと包むカバーを付けている。それらを装着し終えるとまずは手首のカフス状アイテムの作動スイッチを入れる。
その時シェンは自らのゴーグル内に表示されるメッセージを視認していた。
【 滅菌用医療ナノマシン空中散布装置 】
【 カフスタイプ2基 】
【 > 作動良好、起動開始 】
【 > 術者体表、及び、周囲空間を連続浄化 】
【 屋内除菌係数 ⇒ 0.0003 】
【 > 外科手術術式可能レベル以下まで低下 】
【 ――滅菌処置完了―― 】
両手首のカフスが軽い電子音を立てながら内部システムが動作を始める。そこからは肉眼では目視不可能なナノマシンが大量に散布され始めていた。そしてその他の装備も作動を開始させる。上半身に纏ったチョッキ状装備は各種特殊医療機器とのリンク中継を行うターミナル装置である。
【 ウェアラブルスタイル 】
【 メディカルオペレーションターミナル 】
【 > 起動完了 】
【 > 接続対象高速チェック開始 】
機材の立ち上げが順調に進んでいることを理解して、シェンは朝にコンテナの中からマスク状のものを取り出すと投げ渡した。
「チャオ」
朝はその呼び名が自分に対して向けられているのだと言う事をすぐに理解する。今、この場では朝は日本の刑事ではない。シェンの知人として振る舞わねばならないのだ。投げ渡されたのはガスマスク状の物だった。それをつけろということらしい。
「俺の手術設備で必ず使うナノマシンフィルターマスクだ。術前にそれを装着しろと教えたろう?」
「はい、すいません」
「それじゃアシスト頼む。今回はオレ一人ではかなり骨だからな」
「えぇ、解っています」
「それじゃ術式を開始する。ついてこい」
そしてシェンと朝は連れ立って奥の部屋へと向かった。二重のエアロック扉に閉ざされた閉鎖区画。それがシェンが秘密裏に設けた手術室だ。シェンと彼に特別に許された者だけが入ることを許されているのだ。
シェンが先を歩み、その後をストレッチャーを押しながら朝が続く。
手術室へと歩みを進める二人に、その背中へと李が声をかける。
「しかし、珍しいな」
「何がだ?」
振り向くシェンに李は訊ねる。
「いつも一人で手術をするアンタが助手を連れてくるなんてな」
その問いにそっと笑みを浮かべながらシェンは答えた。
「そりゃ、これだけハードワークが続いたら、俺だって音を上げるさ」
それが明確な答えになっていたかはわからない。ただ、それ以上は李も楊も問い詰めるような無粋なことはしなかった。そして手術室のドアを潜ろうとする楊が、二人にこう声をかけたのだ。
「請務必幫助這個孩子」
それは、カチュアを必ず助けて欲しい、と言う意味の言葉だった。それに返答を返したのは意外にも朝であったのだ。
「我答應」
朝のその言葉に楊も李も一瞬驚いたような表情をする。しかし楊は、すぐに安堵の表情を浮かべてこう声をかけたのだ。
「我希望好運」
誰もが願っていた。神なる者の慈悲を、そして希望と幸運を。
「謝々――」
そして今、その願いはシェンたちの手に委ねられたのだ。
数多の人々の願いを背負って二人は手術室へと入って行く。その背中を眺めながら楊が言う。
「李さん、あのチャオって男、もしかして――」
「言うな」
だが李は楊の言葉を遮った。
「あのシェンさんが信頼して連れてきたヤツだ。客人に対して失礼だ。疑うな」
そして、控室の片隅にある手近なローラー付きの椅子を引き出すとそこに腰を掛けた。
「今はカチュアが助かることだけを祈ろうじゃないか」
李は苛立ちも微笑みもせずに真剣な表情で楊に諭していた。楊もそれを素直に聞き入れている。
「えぇ、そうね――、私は一旦もどるわ。そろそろローラも私の店に駆けつけている頃よ」
「分かった、彼女を此処に連れてきてくれ。1階の私の店の奥の間に招こう」
「えぇ。それではまたあとで会いましょう」
楊は頷きながらそれだけ告げると静かにその場から立ち去って行く。あとに残されたのは李大夫ただ一人だ。物静かな室内に時計の針だけが刻む音が響いている。新たな戦いが今、始まったのである。
楊も李もカチュアを連れてきた朝の素性については、あの若者たちから伝聞で聞いていたらしい。正体がバレていないのか、シェンを手伝う人物と言う設定のそのままに、すでに楊が用意した手術着に着替えを終えていた。
朝がシェンに問いかける。
「ようやく来たか、急いでくれ。チアノーゼと血圧低下が出始めている。おそらく輸血が必要だと思う」
朝は刑事である。それと同時に警察官の基礎知識として救急救命処置について基本的なことは必ず習得しているはずなのだ。それらの知識に加えて朝は独自に救急医療について学んでいる経緯がある。それらの知識を自ら駆使することで〝シェン・レイの補助役〟と言う肩書きをより信憑性のある物へと昇華させているのだ。
シェンが朝に問う。
「出血状況は?」
「外観から見るに頭部の打撃部位からの出血はさほどひどくない。しかし同様の事例を別の案件で見たことが有る。腹腔内にて出血が発生している。どこか重要な血管がキレたか、体内臓器に傷が付いている可能性がある。内臓破裂の可能性も考えられる」
朝は刑事である。刑事事件に立ち向かう刑事部の刑事である。傷害事件も、殺人事件も、また人の命が奪われる現場にも、何度も鉢合わせしている。朝も刑事としての経歴は伊達ではないのだ。
シェンは朝の所見に意見を述べた。
「大動脈や頸動脈の系統で出血しているならすでに事切れているはずだ。これだけ安定して持っていたと言うことはおそらくソレ以外、体外から衝撃を受けやすい臓器と言えば脾臓か腎臓、あるいは肝臓だな」
「俺としては脾臓か腎臓を疑いたいね。肝臓をやられたら即アウトだ」
「同感だ。すぐに検査しよう。状況によっては腹腔内手術を平行して行おう」
「頸部整復に頭部頭蓋骨の修復に脳挫傷の処置、それに加えて腹腔内手術で出血箇所の探索と修復――、難易度S級の手術のオンパレードだぜ?」
朝の不安げなニュアンスにシェンは落ち着いて答える。
「沒問題、この程度の手術は何度もやっている。一つ一つ対応すればいい。まずは頸部骨折部位の固定処置と腹腔内の出血だな」
「分かった。その順番で行こう」
「それでカチュアのへの処置は?」
「こっちだ」
手招きする朝についていけば、前部控室の奥、カーテンで仕切られた処置室にストレッチャーに載せられているカチュアが居た。頚部骨折の事があり簡易担架から下ろせないでいる。そのままの状態で幾つかの処置が施されていた。
口元には酸素吸入が取り付けられ、手首から点滴が行われている。細菌感染を防止するための抗生物質投与だろう。さらには着衣の襟元があけられて、すでに呼吸や脈拍や血圧などを得るためのセンサーの類がいくつも取り付けられていた。
シェンはその様子を視認しつつ足早に歩み寄る。
「確かに血圧は低いな。このまま低下するなら急がないと間に合わない」
シェンは小脇に抱えていたマントコートを楊に手渡していた。そんなシェンに李が問いかけてくる。
「シェン。随分と遅かったな」
「ちょっと野暮用でね。今回の事件の張本人に〝トドメ〟を刺してきた」
「あのベルトなんとかと言う白人風のアンドロイドか」
「あぁ、戦闘機能を封じて、何もできなくしてやった。あとはこの国の警察にまかせてきた」
「大丈夫なのか?」
その問いには日本の行政や警察などへの不信感がにじみでていた。それを朝が聞いていることを考慮してシェンは李と楊に向けて告げた。
「俺が自分の目で見極めて決めたんだ。普通の警察の範疇から外れた連中だが、かえってこう言う街の事情をきちんと解ってくれてる。信用できる奴らだから何も問題はないさ」
「そうか――アンタがそう言うなら何も言うまい」
李は溜め息つきながら同意する。そして間髪置かずに更に告げる。
「患者だがご覧のとおりだ。アンタが連れてきた補助役と一緒に前処置は済ませておいた。手術にも同席すると言うから必要な処置は済ませておいた」
「謝々、あとは任せてくれ。彼と――チャオと一緒にオペを開始する」
「判った。後のことは頼んだよ」
シェンは壁際のラックに収納してある幾つかのコンテナトランクの中から一つを取り出す。
【医療オペレーション用装備一式】
そう記されたコンテナを開けると、中にはさらなる特殊装備がならんでいるが、傍目にはそれらが医療用具だとは到底思えない。
両手首に付けるカフス状のブレス、頭部をすっぽりと包むフードマスク、幾つもの配線ジャックとコードリールが付いた分厚いチョッキ状装備、足元には足首から先だけをすっぽりと包むカバーを付けている。それらを装着し終えるとまずは手首のカフス状アイテムの作動スイッチを入れる。
その時シェンは自らのゴーグル内に表示されるメッセージを視認していた。
【 滅菌用医療ナノマシン空中散布装置 】
【 カフスタイプ2基 】
【 > 作動良好、起動開始 】
【 > 術者体表、及び、周囲空間を連続浄化 】
【 屋内除菌係数 ⇒ 0.0003 】
【 > 外科手術術式可能レベル以下まで低下 】
【 ――滅菌処置完了―― 】
両手首のカフスが軽い電子音を立てながら内部システムが動作を始める。そこからは肉眼では目視不可能なナノマシンが大量に散布され始めていた。そしてその他の装備も作動を開始させる。上半身に纏ったチョッキ状装備は各種特殊医療機器とのリンク中継を行うターミナル装置である。
【 ウェアラブルスタイル 】
【 メディカルオペレーションターミナル 】
【 > 起動完了 】
【 > 接続対象高速チェック開始 】
機材の立ち上げが順調に進んでいることを理解して、シェンは朝にコンテナの中からマスク状のものを取り出すと投げ渡した。
「チャオ」
朝はその呼び名が自分に対して向けられているのだと言う事をすぐに理解する。今、この場では朝は日本の刑事ではない。シェンの知人として振る舞わねばならないのだ。投げ渡されたのはガスマスク状の物だった。それをつけろということらしい。
「俺の手術設備で必ず使うナノマシンフィルターマスクだ。術前にそれを装着しろと教えたろう?」
「はい、すいません」
「それじゃアシスト頼む。今回はオレ一人ではかなり骨だからな」
「えぇ、解っています」
「それじゃ術式を開始する。ついてこい」
そしてシェンと朝は連れ立って奥の部屋へと向かった。二重のエアロック扉に閉ざされた閉鎖区画。それがシェンが秘密裏に設けた手術室だ。シェンと彼に特別に許された者だけが入ることを許されているのだ。
シェンが先を歩み、その後をストレッチャーを押しながら朝が続く。
手術室へと歩みを進める二人に、その背中へと李が声をかける。
「しかし、珍しいな」
「何がだ?」
振り向くシェンに李は訊ねる。
「いつも一人で手術をするアンタが助手を連れてくるなんてな」
その問いにそっと笑みを浮かべながらシェンは答えた。
「そりゃ、これだけハードワークが続いたら、俺だって音を上げるさ」
それが明確な答えになっていたかはわからない。ただ、それ以上は李も楊も問い詰めるような無粋なことはしなかった。そして手術室のドアを潜ろうとする楊が、二人にこう声をかけたのだ。
「請務必幫助這個孩子」
それは、カチュアを必ず助けて欲しい、と言う意味の言葉だった。それに返答を返したのは意外にも朝であったのだ。
「我答應」
朝のその言葉に楊も李も一瞬驚いたような表情をする。しかし楊は、すぐに安堵の表情を浮かべてこう声をかけたのだ。
「我希望好運」
誰もが願っていた。神なる者の慈悲を、そして希望と幸運を。
「謝々――」
そして今、その願いはシェンたちの手に委ねられたのだ。
数多の人々の願いを背負って二人は手術室へと入って行く。その背中を眺めながら楊が言う。
「李さん、あのチャオって男、もしかして――」
「言うな」
だが李は楊の言葉を遮った。
「あのシェンさんが信頼して連れてきたヤツだ。客人に対して失礼だ。疑うな」
そして、控室の片隅にある手近なローラー付きの椅子を引き出すとそこに腰を掛けた。
「今はカチュアが助かることだけを祈ろうじゃないか」
李は苛立ちも微笑みもせずに真剣な表情で楊に諭していた。楊もそれを素直に聞き入れている。
「えぇ、そうね――、私は一旦もどるわ。そろそろローラも私の店に駆けつけている頃よ」
「分かった、彼女を此処に連れてきてくれ。1階の私の店の奥の間に招こう」
「えぇ。それではまたあとで会いましょう」
楊は頷きながらそれだけ告げると静かにその場から立ち去って行く。あとに残されたのは李大夫ただ一人だ。物静かな室内に時計の針だけが刻む音が響いている。新たな戦いが今、始まったのである。
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