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第2章エクスプレス サイドA①リトルモーニング

PartⅠ今井かなえの場合/母とホームオートメーション

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 東京の品川と大崎と五反田とに挟まれたエリアは、古くは明治初期に外国大使館が建てられたり、日本を代表する家電・AV機器メーカーの本社があったりと、なかなかに個性的な歴史が刻まれたエリアである。近隣に品川や大崎や五反田、あるいは高輪と言った有名エリアが近いこともあり都心でありながらも新興の住宅や高層マンションが立ち並び、住人の姿が絶えると言うことは無かった。
 そして、その大崎駅と品川駅よりも南の山手線より内側のエリアの高台には、昔からの高級住宅街と新興の市街地とが入り混じった御殿山と呼ばれる街区がある。
 都道317号線を境として、まず南側が、一戸建ての多い住宅街で古い町並みの中に美術館や個性的なショップや小規模な国々の大使館が立ち並ぶ個性的なエリアだ。それに対して都道315号線の北側が高級マンションやデザイナーハウスが立ち並ぶエリアである。
 その御殿山の北側エリアに、地上11階建ての新興マンション『御殿山スカイパレスハイツ』がある。建てられてから3年ほどのマンションで最新鋭のネット対応ホームオートメーションが最大の売りであった。
 
 建築業者いわく――
 
『たとえお子様を一人で留守番させていても、高度なAIを完備したホームオートメーションが、メイド付きの屋敷のように完璧にお子様をお世話いたします』

――と高度な安全性とより人間的なインタフェースを最大の売りとしていたのだ。

 くわえて警備会社との連携も行われていており、比較的裕福な若い夫婦やシングルマザーが好んで購入し入居することが多かった。そして、そこには『品川駅から比較的近い』と言う理由でそこへの入居を決めた人物が居た。品川駅付近、第1方面所属の涙路署に勤務する捜査課課長の今井槙子である。
 今井には娘が居る。大学生の頃に独り身で産んだ娘である。その後、警察職員として勤務する傍ら、娘を実家に預けてのシングルマザーとしての二重生活を長い間続けていた過去がある。警察の社宅生活を抜けて中古マンションながら個人所有の家を持てたのが2年前、そこで初めて娘を引き取り親子水入らずの暮らしを始めることができたのだ。
 今井課長のシングルマザーとしての事情を知る者は声を潜めてこう言う。
 
『今井さんが本庁勤務に戻れないのは、娘さんについての事情が絡んでいる』

 今井はキャリアだが、やはり未婚で出産したと言う事情がマイナスとなり、出世レースからは早々に落とされてしまったのだ。だが、それが彼女個人の人物評にマイナスとなることは無かった。
 
『子持ちの女性らしい、細やかな配慮の出来る優秀な上司』

 今井を知る者は口をそろえてこう言う。事実、彼女が管理監督する涙路署の捜査課は、若手の躍進と活躍が目覚ましいとの評価を受けている。体育会系的な発想で抑えこむのではなく、個人の才覚と伸びしろを重視する教育方針が時代の人材にマッチしていたのだ。そして、その実績は思わぬところで評価された。
 おりしも、特攻装警の最新鋭機である第7号機グラウザーの成長遅延が問題となっていた。第2科警研内部でのシミュレーショントレーニングだけでは解決できないと意見が出る中で、精神発達面で未熟だったグラウザーを捜査現場に研修員名目で実戦配備し刺激を与え、ショック療法的に成長を促すと言うプランが浮上してきたのだ。
 議論とシミュレーションが重ねられ最終的にグラウザーを預かる責任者として3名ほど候補にあげられる。そして、まるで子供のような状態の未成長のグラウザーと実際に面談が行われて、問題なくグラウザーを指導し行動をコントロールできたのが今井だったのである。
 当時、グラウザーと面談を終えた今井はこう言ったという。
 
「職場に子供がひとり増えるようなものでしょ? 問題無いわ」

 そして、グラウザーを管理監督するパートナーとして朝刑事をあてがうと、文字通り、子供に仕事を教えるような雰囲気で、失敗とつまづきを何度も重ねながら着実にグラウザーの成長をものにしてきたのだ。
 それから後に、グラウザーは有明事件で劇的な成長を果たし、ディンキー一味の撃破と捕獲と言う大成功を収めることとなる。今井は、その実績を評価されて本庁への帰還を内々に打診されたという。だが、今井はこう答えた。
 
「大きな子供がやっとオムツが取れたところです。これから彼を大人になるまで見守らないといけません」

 この言葉に、彼女のグラウザー育成への覚悟を感じ取った上層部は、今井の意思を尊重したと言われている。今井の行動の原点にあるもの――それは『母親』と言う明確なヴィジョンであるのだ。
 
 
 @     @     @
 
 
 その日、今井は朝早くから出勤していた。
 課長職であると同時に機動捜査係の係長を兼任していると言うこともあり、重要な案件があるときは日が昇る前から署に到着していなければならない事も珍しくない。また、彼女が統括している捜査課は、広域管轄署の捜査課であるため、取り扱う事件の規模や難易度が一般の所轄に比べて段違いである。そのため彼女の毎日は多忙を極めることとなる。
 その日も複数の案件を抱えており、本庁と合同の捜査会議を控えていることもあって、娘の顔を見る前に家を出なければならなかったのだ。
 いつもの事とは言え、愛娘に寂しい思いをさせている現実にどうしても心が痛む。だが、それと同時に自分で選んだ道である。両肩にのしかかってくる責任と役割をしっかりとこなす覚悟はとうの昔にできていた。
 出立前、娘の朝の支度と朝食を準備すると、自宅のホームオートメーションのAIと対話して、職場の個人用PCとの連絡回線を準備する。
 
「着替えよし、ランドセルよし、学校との連絡物よし、朝食よし――っとこれでOKね」

 そして、自分の出発準備を終えると、自室で寝息を立てている娘の顔をそっと垣間見る。
 
「それじゃ行ってくるね」

 直接に挨拶を交わすことは週に何回あるだろうか? その代わりに数少ない非番の時には娘を学校を休ませてでも二人だけの時間を持つことにしている。そして、そんな多忙な親子関係の間を取り持ってくれるのはこの家の有能なホームオートメーションシステム『マリアン』である。
 
「マリー、あとは頼んだわよ」
「了解いたしました。オーナー。オーダー通り、かなえちゃんご起床のあとに職場とのネット回線を接続・コール致します。それ以外はいつも通りでよろしいでしょうか?」
「えぇ。それでけっこうよ」
「かしこまりました。では、行ってらっしゃいませ」

 このマンションのホームオートメーションシステムは音声対応である。煩雑な作業や指示も、居住者との会話から意図を適切に理解することが可能だ。無論、子供が相手でも優れた判断をする事が出来る。娘を一人で在宅させることが多い今井にはこれほどありがたい物はなかったのだ。
 マンションの自宅を出て、地下駐車場から車を走らせる。そして彼女は一路、自らの職場である涙路署へと向かう。今日もまた、彼女の多忙な日々が始まるのである。
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