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第1章ルーキーPartⅢ『天空のコロッセオ』
幕間 ――出立―― 『描き留められる一瞬』
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■首都高高速湾岸線
逗子から横浜横須賀道路へ、金沢シーサイドラインに沿うように首都高湾岸線へと、その車は流れていた。
アメリカの名オフロード車ハマー、そのH2と呼ばれるモデルである。
すでに絶版となってから長いのだが、愛好者は今なおレストアとカスタムを重ねながら愛用している。それゆえにその車のオーナーの拘りとアーティストな気性がそこはかとなく感じられる。
黒塗りのメタルパネルバンボディ、時代に合わせて動力をガソリンエンジンからガスタービン+ハイブリッドのレンジエクステンダーEV仕様に改造しているが、内装はゆったりとした作りの5人乗りであった。その中には4人の人物――
フロント左の運転席には中背の若い背広姿の男性、その隣には白髪でニットベストの初老の男性――さらに後部席には二人の少女の姿があった。
一人は深紅の軍装風スカートドレスをまとった赤い髪のショートヘアの少女。髪の左の分け目のあたりにコサージュのようなヘッドドレスをつけている。足には白いタイツをはきふくらはぎまでのショートブーツ。両手には弓矢を引くための補助なのだろう赤黒い革のような素材の小手をつけていた。その双眸は鋭く力強さがあり持ち前の意志の強さが現れている。
その右隣、初老の男性の真後ろの席。
もう一人は淡いエメラルドのような鮮やかな黄緑色のロングヘアをたなびかせている。髪には白いフリルのついた大柄なカチューシャスタイルのヘッドドレス。上半身は真珠のような薄く淡い緑色の光沢のあるアメリカンアームホールスタイルのトップスを身にまとい、腰から下は薄くシースルー気味のレース地でできたティアードスカートを重ねている。足は素足で白いパンプスをあしらっている。そしてその体を非常にサイズの大きい純白のショールで包んで、その色白な両肩をわずかに露出させていた。
鋭い目つきで意志の強そうな赤い髪の少女とは反対に、ややタレ目がちの穏やかでのんきそうな丸い瞳が印象的であった。
そのエメラルドの髪の少女が前側の席の男性に声をかける。
「本当によろしいのですか?」
気遣うような言い回しのその言葉に、初老の男性は事も無げに言う。
「何、気にすることはない。これでもあらごとには慣れてるからね」
冷静に堂々と傍らについている者の心の中から、不安や疑念を自然に拭いとっていく。そんな風のどっしりとした言い回しが印象的だった。
「君たちが向かおうとしているエリアの入り口まで送ろう。そのこともあってこの車を選んだのだからね」
男性は振り向かずにシートの子に問いかけてくる。その声の主に対してエメラルドの髪の少女は感謝の言葉を口にする。
「何から何まで、すっかりお世話になってしまいました」
「いやいや」
少女の言葉に初老の男性はやんわりと否定の言葉を発した。
「それもまた私の道楽だよ。それに十分すぎるほど〝報酬〟と呼べるものはもらったからね」
笑い声を交えながら初老の男性は語る。その言葉にエメラルド色の髪の少女は屈託なく答える。
「あぁ、裸婦画のモデルの件ですね?」
「すまんね、わたしの道楽に若い女性をつき合わせてしまって。君たちを初めて見かけた時にあまりの美しさに衝動をこらえきれなかった。君たちを絵にしてみたいとね」
男性はシートに体を委ねたままその時のことを思い起こしていた。男性はさらに少女たちに問いかける。
「時に、グウィント君、君は素肌を晒すことには抵抗がないんだね」
エメラルド色の髪の少女の名はグウィントと言う。男性の語る言葉に寄るならば、自らの身体を晒すことに迷いも気負いもないらしい。グウィントはクスクスと笑い声を上げながら返答する。
「はい、別に困るような事だとは思っておりません。なにしろ――」
グウィントは視線を窓の外へと一瞬逸らす。何かを思い起こすかのように。
「幼い頃から父のモデルをしてましたので」
「父上の?」
「はい」
グウィントは穏やかに相槌を打つ。そして、己の出自を淡々と語り始めた。
「私を養ってくださった父と母は欧州のとある元貴族の家系の方なんです。資産家で広大な敷地をいまなお持ってらっしゃって、私を人目につかぬように大切に育ててくださいました」
「人目につかぬように?」
「はい」
グウィントは明快に答えると、その理由を告げる。
「私たちは生身の人間と異なり、3年間で大人と同等の体格となります。その急成長ぶりが外部にもれないようにと、配慮してくださったのです。父母も他の家族も私を大切にしてくださいました、音楽や芸術を愛してらっしゃる素敵な方々でした。その中で美術画を大切にしてらしたのが養父でして、特に人物画や裸婦画を嗜好しておられました。もちろんご自身でも描かれておいででしたし――」
「なるほど、それでお父上の絵のモデルに?」
「はい――父は私の容姿をとても褒めてくださいましたが、それ以上に急速に成長する私の姿を『永遠にとどめておきたい』としばしばこぼしておられました。それで父に求められるとモデルになるのが習慣になってしまって――」
楽しげに語るグウィントだったが、話の終わりの頃には苦笑ぎみに語っていた。
「なるほどそれでか、私の絵のモデルになってもらう時にあまりに見事なぬぎっぷりだったので、内心驚いて居たのだよ」
「いいえ、少しだけ慣れていただけです」
「いやいや、私にもお父上の気持ちが少しでも分かるような気がするよ。瑞々しく神々しい、神話のミューズを描いているようだった。アフロディーテかイシスか――そんな思いだったよ」
「そんな。褒め過ぎです」
「謙遜することはないさ。それと御姉妹君の方は、さしずめミネルヴァかダイアナと言ったところかな」
恐縮するようにそう答えるグウィントだったが、褒めそやされてまんざらでもない様子だった。だがその傍らで二人の会話を耳にしつつも、顔を赤らめながらそっぽ向いてしまう者がいた。赤い髪のスカートドレスの少女だ。
「あらどうしたの、タン」
タンと呼ばれた少女に対して、その隣で足を揃えて座っているグウィントは半ばからかうように声をかけた。無論それは悪意からではない、グウィントはそもそも他人に敵意や悪意を持つような人柄ではないのだ。自分自身に素直であり自由闊達で、ほんの少しだけあけすけなだけである。
とはいえ傍らのタンにとってその言葉少しばかりシャクだった。タンが恥ずかしがっている理由をグウィントも初めからわかっているはずなのだから。
「ははは、どうしたね? 思い出しているのかね?」
赤い髪の少女、タンは男性の声に頷きつつも、そっぽを向いたままであった。そんなタンの様子に、グウィントもにこやかに笑いながら告げた。
「あら? 恥ずかしがるようなことではありませんわ?」
何の疑念も持たずグウィントが答えれば、顔を赤らめたままのタンは困り果てたように言葉を漏らす。
「わたしには十分恥ずかしい事です」
少しおこり気味にタンが口にする。でもそれに声をかけるのは初老の男性である。
「確かに――君がモデルになると承諾した時の迷い方から察するに、かなりの強い恥ずかしさを感じているだろうとは思っていた。なにしろアトリエに現れてモデルになる準備を終えるのにあまりに長かったからね」
「ふふ、朝10時にアトリエに向かってから絵を描き始めたのが午後の4時でしたものね」
「す、すみません――その、ご迷惑をおかけしたみたいで」
「そんな事はない、むしろ初々しさがあって微笑ましかったよ。これも一つの体験だよ。そもそもだ――」
タンの反応を面白がるかのようにその声は明るい。
「昨今、なんの抵抗もなく素肌を晒すような女性が多い中で、体を晒して体の隅々、指先に至るまで朱に染まるほどに赤くなる女性が居るとは思いもよらなかったよ」
男性の言葉にグウィントはタンに視線を送りつつ問いかけた。
「えぇ、私も彼女に裸婦画のモデルになってもらって、まさかあそこまでとは思いませんでした。ね?」
裸婦画のモデル、つまり一糸まとわぬ姿になったらしい。その時のことを掘り返されてタンはとうとう両手で自らの顔を覆ってしまった。
「お願い、勘弁してよ!」
思い出すだけでも相当に恥ずかしかったのだろう。首筋まで赤く染まっているのがよくわかった。
「ふふ、大丈夫よ。タンちゃんもすごい綺麗だったし、オーナーさんも外には出さないって約束してくれたし」
「あぁ、約束しよう。あくまでも私の個人的なコレクションとしてだれにも見せんよ」
「それなら良いでしょ? ね?」
グウィントになだめられてタンは小さく頷く。そして初老の男性はある事を尋ねた。
「しかし、なぜそんなに恥ずかしいのかね? 今どきの若い女性は水着ですら抵抗なく素肌を晒す。正直言って〝古風〟と言えるね君は」
タンは顔から両手を外しつつ問い返した。
「古風――ですか?」
「あぁ、かつてはこの日本にも君のような身持ちのかたい、堅実な考えと振る舞いの女性が多く居たものだ。むしろそう有ることが美徳とされていた時代があるんだよ。―男女七歳にして席を同じゅうせず―、私の祖母の世代などは特にそうだった。正直、懐かしいと思ったよ」
「懐かしいですか?」
「あぁ」
男性は感慨深げに言葉を漏らす。それは幼い頃の憧憬を思い出しているかのようであった。その姿にタンも視線をおくりながら、自らの出自の一端を明かしたのだ。
「おそらく父の影響だと思います」
「お父上の?」
「はい」
タンは落ち着いた口調で答えた。
「養父はドイツの退役軍属だったんです。最前線は退いて悠々自適の恩給ぐらしと言う身分でしたが、老いを感じさせない強さを持った人でした。当然、非常に厳格で、身支度や礼儀作法にうるさくて人前で着替えることすら許さないほどだったんです」
養父の事を口にするタンの表情はどこか嬉しげである。その面持ちに男性は問うた。
「なるほど――それでかね」
「はい。それに母は父に相応しい人で、敬虔なクリスチャンで礼節と分別を重んじる人でしたから、私が素肌を晒してモデルになったと知ったら卒倒してしまうと思います。だから父と母の事を思うとどうしても踏ん切りがつかなくて」
「それは――」
初めて語られるタンの過去、それを耳にして男性はすまなそうにつげた。
「悪いことをしたな。すまんね、わがままを言ってしまって」
「いえ、お気になさらないでください」
詫びる男性の声にタンは穏やかに受け流した。
「恥ずかしかったのは事実ですけど、実は私もグウィントの自由奔放なところに憧れがあったんです。自由に自分をさらけだせたら――と」
その言葉にグウィントも驚きを隠せない。
「あら? そうだったの?」
「うん、迷いもてらいもなく風のようにそつなくこなせる君のことを心の何処かで羨ましく思ってたからね。私は人からあまりに固すぎるって言われるんだ。だから本当は――、ありのままの自分を描いてもらえて嬉しかったんです」
「そうか、そう言ってもらえると――」
初老の男性が笑う。その笑顔の一端がルームミラー越しに垣間見えている。
「描いた私としても嬉しい、君たちの歩みのその一歩に記憶を留めることができたのであれば」
そして男性は尋ねる。
「それに君たちはこれから〝戦い〟の場へと赴くのだろう?」
そう問えば、タンが答える。
「はい、この世界の行く末のために」
さらにグウィントが続く。
「そして、果たすべき〝約束〟のために」
そしてその言葉を受けて男性はこう応えたのだ。
「ならば、これは一つの運命だったのだな。君たちを迎え入れて世話をすることができたのは」
男性は振り返ると、柔和で穏やかな視線をたたえて二人を見つめていた。
「私への連絡方法は覚えているね?」
「はい」
「教えていただいた事はすべて」
「それならよろしい。これも縁だ〝戦い〟が終わったらまた私のところへと来なさい。力になろう」
その初老の男性は言った。〝力になろう〟と――
そして、タンとグウィントはこう応えたのだ。
「ご厚情痛み入ります」
「ありがとうございます、〝神崎〟様」
二人が答えればその初老の男性は満足げにうなずき返したのだ。
そしてハマーは走り続ける。一路、東京のとある場所へと目指して――
逗子から横浜横須賀道路へ、金沢シーサイドラインに沿うように首都高湾岸線へと、その車は流れていた。
アメリカの名オフロード車ハマー、そのH2と呼ばれるモデルである。
すでに絶版となってから長いのだが、愛好者は今なおレストアとカスタムを重ねながら愛用している。それゆえにその車のオーナーの拘りとアーティストな気性がそこはかとなく感じられる。
黒塗りのメタルパネルバンボディ、時代に合わせて動力をガソリンエンジンからガスタービン+ハイブリッドのレンジエクステンダーEV仕様に改造しているが、内装はゆったりとした作りの5人乗りであった。その中には4人の人物――
フロント左の運転席には中背の若い背広姿の男性、その隣には白髪でニットベストの初老の男性――さらに後部席には二人の少女の姿があった。
一人は深紅の軍装風スカートドレスをまとった赤い髪のショートヘアの少女。髪の左の分け目のあたりにコサージュのようなヘッドドレスをつけている。足には白いタイツをはきふくらはぎまでのショートブーツ。両手には弓矢を引くための補助なのだろう赤黒い革のような素材の小手をつけていた。その双眸は鋭く力強さがあり持ち前の意志の強さが現れている。
その右隣、初老の男性の真後ろの席。
もう一人は淡いエメラルドのような鮮やかな黄緑色のロングヘアをたなびかせている。髪には白いフリルのついた大柄なカチューシャスタイルのヘッドドレス。上半身は真珠のような薄く淡い緑色の光沢のあるアメリカンアームホールスタイルのトップスを身にまとい、腰から下は薄くシースルー気味のレース地でできたティアードスカートを重ねている。足は素足で白いパンプスをあしらっている。そしてその体を非常にサイズの大きい純白のショールで包んで、その色白な両肩をわずかに露出させていた。
鋭い目つきで意志の強そうな赤い髪の少女とは反対に、ややタレ目がちの穏やかでのんきそうな丸い瞳が印象的であった。
そのエメラルドの髪の少女が前側の席の男性に声をかける。
「本当によろしいのですか?」
気遣うような言い回しのその言葉に、初老の男性は事も無げに言う。
「何、気にすることはない。これでもあらごとには慣れてるからね」
冷静に堂々と傍らについている者の心の中から、不安や疑念を自然に拭いとっていく。そんな風のどっしりとした言い回しが印象的だった。
「君たちが向かおうとしているエリアの入り口まで送ろう。そのこともあってこの車を選んだのだからね」
男性は振り向かずにシートの子に問いかけてくる。その声の主に対してエメラルドの髪の少女は感謝の言葉を口にする。
「何から何まで、すっかりお世話になってしまいました」
「いやいや」
少女の言葉に初老の男性はやんわりと否定の言葉を発した。
「それもまた私の道楽だよ。それに十分すぎるほど〝報酬〟と呼べるものはもらったからね」
笑い声を交えながら初老の男性は語る。その言葉にエメラルド色の髪の少女は屈託なく答える。
「あぁ、裸婦画のモデルの件ですね?」
「すまんね、わたしの道楽に若い女性をつき合わせてしまって。君たちを初めて見かけた時にあまりの美しさに衝動をこらえきれなかった。君たちを絵にしてみたいとね」
男性はシートに体を委ねたままその時のことを思い起こしていた。男性はさらに少女たちに問いかける。
「時に、グウィント君、君は素肌を晒すことには抵抗がないんだね」
エメラルド色の髪の少女の名はグウィントと言う。男性の語る言葉に寄るならば、自らの身体を晒すことに迷いも気負いもないらしい。グウィントはクスクスと笑い声を上げながら返答する。
「はい、別に困るような事だとは思っておりません。なにしろ――」
グウィントは視線を窓の外へと一瞬逸らす。何かを思い起こすかのように。
「幼い頃から父のモデルをしてましたので」
「父上の?」
「はい」
グウィントは穏やかに相槌を打つ。そして、己の出自を淡々と語り始めた。
「私を養ってくださった父と母は欧州のとある元貴族の家系の方なんです。資産家で広大な敷地をいまなお持ってらっしゃって、私を人目につかぬように大切に育ててくださいました」
「人目につかぬように?」
「はい」
グウィントは明快に答えると、その理由を告げる。
「私たちは生身の人間と異なり、3年間で大人と同等の体格となります。その急成長ぶりが外部にもれないようにと、配慮してくださったのです。父母も他の家族も私を大切にしてくださいました、音楽や芸術を愛してらっしゃる素敵な方々でした。その中で美術画を大切にしてらしたのが養父でして、特に人物画や裸婦画を嗜好しておられました。もちろんご自身でも描かれておいででしたし――」
「なるほど、それでお父上の絵のモデルに?」
「はい――父は私の容姿をとても褒めてくださいましたが、それ以上に急速に成長する私の姿を『永遠にとどめておきたい』としばしばこぼしておられました。それで父に求められるとモデルになるのが習慣になってしまって――」
楽しげに語るグウィントだったが、話の終わりの頃には苦笑ぎみに語っていた。
「なるほどそれでか、私の絵のモデルになってもらう時にあまりに見事なぬぎっぷりだったので、内心驚いて居たのだよ」
「いいえ、少しだけ慣れていただけです」
「いやいや、私にもお父上の気持ちが少しでも分かるような気がするよ。瑞々しく神々しい、神話のミューズを描いているようだった。アフロディーテかイシスか――そんな思いだったよ」
「そんな。褒め過ぎです」
「謙遜することはないさ。それと御姉妹君の方は、さしずめミネルヴァかダイアナと言ったところかな」
恐縮するようにそう答えるグウィントだったが、褒めそやされてまんざらでもない様子だった。だがその傍らで二人の会話を耳にしつつも、顔を赤らめながらそっぽ向いてしまう者がいた。赤い髪のスカートドレスの少女だ。
「あらどうしたの、タン」
タンと呼ばれた少女に対して、その隣で足を揃えて座っているグウィントは半ばからかうように声をかけた。無論それは悪意からではない、グウィントはそもそも他人に敵意や悪意を持つような人柄ではないのだ。自分自身に素直であり自由闊達で、ほんの少しだけあけすけなだけである。
とはいえ傍らのタンにとってその言葉少しばかりシャクだった。タンが恥ずかしがっている理由をグウィントも初めからわかっているはずなのだから。
「ははは、どうしたね? 思い出しているのかね?」
赤い髪の少女、タンは男性の声に頷きつつも、そっぽを向いたままであった。そんなタンの様子に、グウィントもにこやかに笑いながら告げた。
「あら? 恥ずかしがるようなことではありませんわ?」
何の疑念も持たずグウィントが答えれば、顔を赤らめたままのタンは困り果てたように言葉を漏らす。
「わたしには十分恥ずかしい事です」
少しおこり気味にタンが口にする。でもそれに声をかけるのは初老の男性である。
「確かに――君がモデルになると承諾した時の迷い方から察するに、かなりの強い恥ずかしさを感じているだろうとは思っていた。なにしろアトリエに現れてモデルになる準備を終えるのにあまりに長かったからね」
「ふふ、朝10時にアトリエに向かってから絵を描き始めたのが午後の4時でしたものね」
「す、すみません――その、ご迷惑をおかけしたみたいで」
「そんな事はない、むしろ初々しさがあって微笑ましかったよ。これも一つの体験だよ。そもそもだ――」
タンの反応を面白がるかのようにその声は明るい。
「昨今、なんの抵抗もなく素肌を晒すような女性が多い中で、体を晒して体の隅々、指先に至るまで朱に染まるほどに赤くなる女性が居るとは思いもよらなかったよ」
男性の言葉にグウィントはタンに視線を送りつつ問いかけた。
「えぇ、私も彼女に裸婦画のモデルになってもらって、まさかあそこまでとは思いませんでした。ね?」
裸婦画のモデル、つまり一糸まとわぬ姿になったらしい。その時のことを掘り返されてタンはとうとう両手で自らの顔を覆ってしまった。
「お願い、勘弁してよ!」
思い出すだけでも相当に恥ずかしかったのだろう。首筋まで赤く染まっているのがよくわかった。
「ふふ、大丈夫よ。タンちゃんもすごい綺麗だったし、オーナーさんも外には出さないって約束してくれたし」
「あぁ、約束しよう。あくまでも私の個人的なコレクションとしてだれにも見せんよ」
「それなら良いでしょ? ね?」
グウィントになだめられてタンは小さく頷く。そして初老の男性はある事を尋ねた。
「しかし、なぜそんなに恥ずかしいのかね? 今どきの若い女性は水着ですら抵抗なく素肌を晒す。正直言って〝古風〟と言えるね君は」
タンは顔から両手を外しつつ問い返した。
「古風――ですか?」
「あぁ、かつてはこの日本にも君のような身持ちのかたい、堅実な考えと振る舞いの女性が多く居たものだ。むしろそう有ることが美徳とされていた時代があるんだよ。―男女七歳にして席を同じゅうせず―、私の祖母の世代などは特にそうだった。正直、懐かしいと思ったよ」
「懐かしいですか?」
「あぁ」
男性は感慨深げに言葉を漏らす。それは幼い頃の憧憬を思い出しているかのようであった。その姿にタンも視線をおくりながら、自らの出自の一端を明かしたのだ。
「おそらく父の影響だと思います」
「お父上の?」
「はい」
タンは落ち着いた口調で答えた。
「養父はドイツの退役軍属だったんです。最前線は退いて悠々自適の恩給ぐらしと言う身分でしたが、老いを感じさせない強さを持った人でした。当然、非常に厳格で、身支度や礼儀作法にうるさくて人前で着替えることすら許さないほどだったんです」
養父の事を口にするタンの表情はどこか嬉しげである。その面持ちに男性は問うた。
「なるほど――それでかね」
「はい。それに母は父に相応しい人で、敬虔なクリスチャンで礼節と分別を重んじる人でしたから、私が素肌を晒してモデルになったと知ったら卒倒してしまうと思います。だから父と母の事を思うとどうしても踏ん切りがつかなくて」
「それは――」
初めて語られるタンの過去、それを耳にして男性はすまなそうにつげた。
「悪いことをしたな。すまんね、わがままを言ってしまって」
「いえ、お気になさらないでください」
詫びる男性の声にタンは穏やかに受け流した。
「恥ずかしかったのは事実ですけど、実は私もグウィントの自由奔放なところに憧れがあったんです。自由に自分をさらけだせたら――と」
その言葉にグウィントも驚きを隠せない。
「あら? そうだったの?」
「うん、迷いもてらいもなく風のようにそつなくこなせる君のことを心の何処かで羨ましく思ってたからね。私は人からあまりに固すぎるって言われるんだ。だから本当は――、ありのままの自分を描いてもらえて嬉しかったんです」
「そうか、そう言ってもらえると――」
初老の男性が笑う。その笑顔の一端がルームミラー越しに垣間見えている。
「描いた私としても嬉しい、君たちの歩みのその一歩に記憶を留めることができたのであれば」
そして男性は尋ねる。
「それに君たちはこれから〝戦い〟の場へと赴くのだろう?」
そう問えば、タンが答える。
「はい、この世界の行く末のために」
さらにグウィントが続く。
「そして、果たすべき〝約束〟のために」
そしてその言葉を受けて男性はこう応えたのだ。
「ならば、これは一つの運命だったのだな。君たちを迎え入れて世話をすることができたのは」
男性は振り返ると、柔和で穏やかな視線をたたえて二人を見つめていた。
「私への連絡方法は覚えているね?」
「はい」
「教えていただいた事はすべて」
「それならよろしい。これも縁だ〝戦い〟が終わったらまた私のところへと来なさい。力になろう」
その初老の男性は言った。〝力になろう〟と――
そして、タンとグウィントはこう応えたのだ。
「ご厚情痛み入ります」
「ありがとうございます、〝神崎〟様」
二人が答えればその初老の男性は満足げにうなずき返したのだ。
そしてハマーは走り続ける。一路、東京のとある場所へと目指して――
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