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第1章ルーキーPartⅡ『天空のラビリンス』

第9話 約束/救命活動

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 龍は天空を目指す。一心に己れの目指す天の一点を志す。
 この若者にその様な思いがあるかどうかは定かではない。

 その若者の名は〝グラウザー〟
 特攻装警の第7号機だ。

 その彼が歩んでいる場所は、龍の胎内の様に螺旋形状を描き大きく曲がりくねっている。第3ブロックと第4ブロックを隔てる地盤を貫いている螺旋モノレール軌道。だがそれは爆発物で破壊されていて使用は不可能だ。それはゴンドラエレベーターも同様である。ただし1ヵ所を除いて可能性は残されていた。
 それは全くの偶然だったがグラウザーが乗り込んでいた螺旋モノレールの軌道のルートは、完全に押しつぶされては居ない。不完全ながら通路の構造は残されており、非常灯のクリーム色の光を頼りに進むことができていた。
 モノレール軌道の上の中央には蛍光性の塗料で描かれたセンターラインが浮かび上がる。そのセンターラインと非常灯の灯りを手がかりにグラウザーは確実に歩みを進める。

 モノレール通路の空間は無人だ。そこにはグラウザーが話す相手は誰もいない。だが彼の表情はどこか楽しそうであり、物怖じしているようには見えなかった。自分の取っている行動の全てが面白くてしょうがない。目の前に現れる事物の全てが不思議でたまらない。今も彼にしてみれば、突然停止したモノレールはどうして停止したのか不思議でたまらないのだ。また、彼の目の前に延びるモノレール軌道はどこへと繋がっているのか知りたくてしかたがない。
 今彼は、自分が何かをしなければならないと根拠なき使命感にかられていた。そして、湧き上がり続ける疑問に突き動かされるがままになっていた。誰もが記憶の彼方の幼い頃に類似の経験があるだろう。目的も理由も無くとも、気分の高揚そのままに始めた小さな冒険が。グラウザーのその行動はまさにそれだ。

 今の彼は、無邪気な少年そのままだった――
 

 @     @     @


 それから、十数分ほど歩いただろうか。それまで単調だった風景にある変化が現れる。彼の前にモノレールの車体が見える。
 モノレールは軌道のトンネルを塞いでいた。彼の前方の空間は完全に遮断されている。
 周囲は完全なトンネル状の閉じられた空間である。モノレールの軌道の片側には、メンテナンス用の通路もある。だが、その先をそこから覗いても何も見えない。見えるのは崩れ落ちて閉じた暗闇だけだ。

「どうしよう」

 グラウザーは方々を見回す。そこでグラウザーは思い出す。グラウザーは自分が先程の車両から出てきた時の場所を思い出す。彼はモノレールの車体を調べると非常口を開ける赤いレバーが収納された蓋を見つけた。

「あった!」

 そう呟き、グラウザーはレバーを覆っている透明プラスティックのカバーを叩き壊しレバーを操作する。間を置かず圧縮空気の軽い動作音がして非常口の扉が開いた。

「失礼します」

 グラウザーは車内に侵入しながら告げたが、そのあいさつに反応を示す者は居ない。なぜ、無反応なのか? グラウザーはその理由を、その場の状況から本能で感じ取った。視線を走らせ周囲の状況をつぶさに観察すれば、視界に入ってきたのはモノレールの座席の蔭にうずくまる多数の負傷者である。
 皆、背広やスーツなどで正装している。その服装はグラウザーにあるインスピレーションを与えた。

「これって、朝さんが言っていたサミットの人たち?」

 グラウザーは彼らの元へと駆け寄った。負傷者の一人を見つけ、その者に近付くとその負傷者の状態を手早く観察する。彼が調べたその結果ではみな気を失っている。いずれも何の反応も無く横たわっている。
 
「救助だ――」

 眼前の光景が彼の脳裏にひらめきをもたらしたのか、漏れてきたつぶやきは、無邪気な迷子のそれではない。明らかに警察と言う組織に立つものが出せる言葉だった。
  
「助けなきゃ」

 深い思案はしなかった。考えるよりも早く自らの臭覚センサーに感じたものにグラウザーは危険を感じたのだ。
 グラウザーは車両を前方へと駆けていく。その視界の中に飛び込んだのは災害と呼ぶにふさわしい光景だった。濃厚に黒く染まった煙が、燃え盛る炎から立ち上る。気流が車両の先頭からグラウザーの居る方へとなびいてくる。

「火災だ」

 グラウザーは言うが早いか駆け出す。駆けながらも周囲に目を配りある物を探す。車両の外のビルの壁、その床に近い方に小さなガラスケースがある。

――非常用消化装置作動レバー――

 透明プラスティックのカバーに覆われたイエローの警戒色のレバーを見つけると、グラウザーはそのカバーを叩き壊してレバーを握り締めた。しかしそれは容易には動いてはくれない。
 
「熱っ!」

 火災の熱がそこまで届いていた。熱に耐えながらレバーを満身の力で引き続ける。だが周囲の壁の中の鋼材が飛び出してレバーを挟んでいる。
 
「これが邪魔しているのか」
 
 グラウザーはそれに気付いた時に周囲を反射的に見回す。車両が潰れている。潰しているのはこのビルの構造材。爆破されたかの様に吹き飛んだ周囲がこのモノレールの車両を押し潰している。どう考えても腕力でこのレバーは動かせないだろう。
 
「でも――」

 やるしかなかった。今、応援を求めている余裕は無い。
 
「僕がやるしか無い」

 グラウザーは再びレバーに手を伸ばした。炎で加熱されたレバーに手を触れれば右の手のひらの人造皮膚が焦げるような臭がする。グラウザーはアンドロイドだから痛みは破損箇所の警告程度の意味しか無い。だが、イメージとしての苦痛はその脳裏で感じている。
 
「ぐうっ!」

 歯をくいしばり全ての力を振り絞る。呼吸を遮る黒煙と炎の熱に抗いながらレバーとそれを阻害する異物との戦いを続けた。そして、グラウザーとレバーとの格闘が数分ほど続いた時、先に根を上げたのは異物の方である。

 レバーが少しづつその位置を変えている。グラウザーの右腕が発する力が、変形していた構造材もろとも動かしはじめたのだ。金属と金属とが擦れ合う不快な音を立ててそれは確かに動いている。レバーが動けば、そのレバーの本来の機能が働くはずだ。
 グラウザーがレバーを限界まで引き切ればモノレール通路の周囲に数機設けられていた消化装置が作動を始める。機械式の消化装置が圧搾空気で動き出し、あらゆるタイプの火災に反応する万能型の消化液を噴霧ノズルで撒き散らした。

 閉鎖された空間で広がっていた火災の被害だったが、元々の火の手はそれほど大きくは無かったようで消火装置が動き出せば速やかに消火をされる。数分もせぬ内に火災はおさまり、その車両の中にひとまずの静けさが訪れた。グラウザーはふたたび、視線を走らせる、その視線の向かうところ全てに累々と倒れている人間たちが居る。
 火は消えたが、まだ煙は残って視界を邪魔している。そんな中でグラウザーは眼前で倒れている人々を車両の外へと運び出し始めた。

 一度に2人を抱えると非常扉から彼らを運び出し安全なモノレール軌道上へと連れ出す。
 周囲を見回し手頃な退避場所を探す。すると十メートルほど走ったその先に、モノレール軌道の脇に重厚な鉄製扉が見えてきた。その扉の表にはこう記されている。

――第3ブロック、管理センターフロア――

 かつてディアリオたちが居たあのフロアだ。
 グラウザーはその扉に手をかけ押し開く。扉は意外なまでにすんなりと開く。扉の中の空間は少し広めのホールである。おそらくは、物資搬入用か非常用のモノレールターミナルスペースなのだろう。怪我人を休ませるには十分である。
 グラウザーは目についた全ての怪我人や乗客をモノレールの車内から運び出し、ターミナルスペースへと移動させる。運びだした人数は十数名程度で症状は様々だった。
 
「救助の次は――」

 一つの手順の終了を確認すると、グラウザーの脳裏に自動的にデータが展開される。
 
【 緊急救命作業手順マニュアル       】
【 状況:構内火災、煙害          】
【 必要対応内容:一酸化炭素中毒の恐れあり 】
【        熱傷重症者を確認     】

 グラウザーは自ら来ていたジャケットの上着を脱ぐと、その裏側にある幾つかのポケットを開いた。
 その中には応急用の簡便な救急ツールが備っている。その中から電子マニュアルの記述に従い、必要な道具を準備していく。

「朝さんと、課長にも教わっていたけど――」
 
 大切な人からの指導と、警察用途のアンドロイドとして自らの中に予め備えられていた物とを駆使して、今、やらねばならないことをグラウザーは自ら導き出していた。
 
「まずはトリアージだっけ」

 トリアージ――、救急現場での救急必要度の順位付けだ。その視線を走らせ視覚で得られる情報を元に高速で状況を分類していく。
 
【 要度A:呼吸低下3名、人工呼吸優先   】
【 要度B:頭部外傷5名          】
【 要度C:他、軽度熱傷          】

「まずはAの人たちからだ」

 グラウザーの脳裏に不意に〝不安”が湧いてくる。指導してくれる人が居るわけではない。失敗すれば大切なモノが失われる。それは自らの行動を自らの判断で行うときには必ずついて回る物だが、それを〝責任”と言うものだとは彼はまだ気付いては居なかった。
 
 でもやるしかないのだ。
 意を決して踏み出せば、涙路署に配属されてからレクチャーされた事を呼び起こしながら、体内の電子マニュアルを参考に救急の医療処置の方法を探し出していった。
 襟元を弛めニールセン方式で人工呼吸を行なう。短時間の内に、的確かつ正確に要度Aの3人を介抱する。酸素吸入器の必要があったが、そこはグラウザーは自分自身の機能を駆使することで切り抜けた。
 
【 グラウザー、呼吸系統応用機能作動    】
【 酸素交換フィルター、酸素発生モード   】

 自らの体内で酸素を生成、人工呼吸の際に純酸素を一気に吹き込み短時間で一酸化炭素中毒の悪化を回避する。一名、心停止仕掛けたがそこは心臓マッサージで切り抜けた。
 その次は頭部外傷の5名だ。
 自らの視覚で傷の状態と深さを判断し止血を行っていく。肋骨を骨折するものが1名いたが、余分な着衣を利用して身体を固定した。
 残る熱傷だが、幸いにして重症者は居なかった。皆、軽症であり、吸い込んだ有毒ガスもわずかである。ほとんどが簡便な処置ですんだ。

「大丈夫ですか?」

 グラウザーは一人一人にそう声をかけて回った。
 声をかけてから負傷者が目を開けるまでは、グラウザーもさすがに不安を隠せない。わずかにくもる眉の下で、純粋な瞳が負傷者を見つめている。やがて負傷者が気を取り戻し目を開くと、その視界の中に見慣れぬ若者を見る。
 眼前のグラウザーにある者は驚き、ある者は安堵する。中には、彼に助けられた事に感極まって泣き出して抱きつく者も居た。グラウザーが各々に声をかけて歩けば、症状が悪化するような事は今のところ確認できない。
 
「なんとか大丈夫だな」

 だが最後の一人、一つの小さな声にグラウザーは本能的に引かれた。

「お父さん――」

 確かにグラウザーの耳にはそう聞こえたのだ。力の無い声の響に不安の色を感じ取る。声のする方に足早に歩きだせば、その視界の中には小さなシルエットを見つけた。
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